長年、世話になっている友人が BLOG で mixi について触れ、珍しくマトモなことを書いているなと感心した。「だったらトラックバックせんかい!ゴララァ」「ブログの意味ネエだろう!」と思われる方も多いだろうが、トラックバックはしない。コメントもしない。その友人はインターネットを通した友人ではないので、必要があれば直接話せば良く、どうしてもネットを使えというのならメールでも話せる。我々のやりとりをデメリット覚悟でわざわざ世界中に BLOG で公開する必要などないのだ。私もパソコン通信を始めた頃は「ネットワークは人間社会を変える」と思い込み、その限りない可能性をいったんは信じたものだが、ほどなくそれは幻想であることを思い知らされた。ニフティ・サーブには、「プログレ隔離室」というプログレッシブ・ロックを語る会議室があったのだが、そこには多くの有意義な発言があった一方で、誹謗中傷など読んでいて淋しくなるような発言もかなり多かった。ネットワークに理想郷などはなく、結局はドロドロとした人間社会があることをいきなり思い知らされた。その後、インターネットの時代となり、1997年には私も DECTH-UP SUQARE なる WebSite を公開した。キャッチフレーズは「高度情報化社会をでっちあげよう」。実はもうその時点でネットワークになんざたいした期待をしていなかった。私が持っていて整理できてる情報の中で、タダで人にあげても良い情報を選んで「でっちあげた」から、 DECTH-UP SQUARE 。・・・ところが、インターネットや個人ホームページがまだ珍しかったためか、真面目にコンタクトを求める方が現れ、いい加減なことをしている私の方が恐縮してしまうようなこともあった。実名で書き込みしてきた方が現れた時は本当に慌てた。そういう方には真摯に応対したつもりだが、もともと動機がテキトーなので、やがてそういう方も訪れなくなった。それで良いのだ。このブログも同じ、自分の考えを自分のためにまとめているだけ。トラックバックやコメントを禁止していないのは、良心的な書き込みならば、ボランティアの範囲で応対しても良いから。私がタダで出した情報をアカの他人が利用してもらう分には一向に構わないのだ。ギブ&テイクの原則はパソコン通信の時代から言われていたことだが、私自身インターネットの個人サイトから多くの情報を得て、それを利用したり楽しんでいる。それに対する感謝の気持ちを込めて、自分の出せる情報を「でっちあげて」いるに過ぎない。だから、昔から私にとって本当にオイシイ情報は公開していなかったりもする。(笑) ・・・そんなところに人間関係は生まれるだろうか? 云うまでもなく答えは「否」だ。そんなことで人間関係が築けたら人生に苦労はない。それはそれほど重要でない情報のギブ&テイクだから成立してるだけの関係。そこを勘違いしてはならない。mixi は会員制により、責任を伴うやりとりと可能とするネットワークと聞く。ま、匿名よりは安全度は高いとは思うが、匿名であろうが実名であろうが、画面の向こうにいるのは「生身の人間」。欲もあれば感情もある。それを忘れないことが肝要だ。ネットに書かれていることなんざ「でっちあげ」くらいに思っていた方がちょうど良い。
米国タワーレコードで働いていた人や東芝EMIの社員であった人々には申し訳ないが、昨今は無料で聴きたい音楽が楽しめる良い時代になった。こんなことを書くと「通報」されるかな?(笑) 断っておくが、私は基本的にパッケージメディアを購入する人間だ。レコードは文化だと思っているし、再販価格制度にも賛成。古今東西、食うに困らない文化というのは為政者による手厚い保護がないと花開かないものであって、一定の保護はあってしかるべきだと考えている。自宅には今まで購入した2000枚を超えるCDやレコードが鎮座ましましてもいる。しかし、この10年、国内盤CDを購入する機会が極端に減った。最大の理由は「購入したいCDが売られていない」から。無いものは買えない。いや、この世に無くは無いのだが、日本のレコード会社がCDにしてくれない。マジで欲しいものは海外通販までして購入しているが、手数料が高すぎて限界がある。いまでも日本盤CDがあれば当然そちらを選んでいる。しかし、無いものは買えないのだ。15年ほど前から、日本のレコード会社は私のような良心的な客を軽視するようになった。マニアが好む音楽はたくさんは売れないが確実に販売数が読める。こういうものは再販価格制度が維持できていれば、一応は商売になるはず。ところがレコード会社がバブル期にやったことは、カラオケで歌いやすい歌を作曲家に作らせ、音楽マニアでない一般の人々を対象に大量のCDを買わせてミリオンヒットを連発し利益を増やす戦略。レコード会社みずからが流行音楽は使い捨て消費財、文化ではないと宣言し、再販価格制度が不要な方向に突っ走ってしまったのだ。自由経済は厳しい。音楽マニアでない普通の人々は気まぐれ、流行が変わればCDなど買わなくなる。以前に購入したCDは中古CD店に売り二束三文の金に換える。携帯で同じ音がダウンロードできる時代になれば当然そちらで済ましてしまう。そういう人々にとって音楽とはもともとその程度のものなのだ。近年、慌てたレコード会社は私のような者を対象に、豪華ブックレット付きボックスセットのようなモノを売りつけるようになった。そんなものはいらない。私が欲しいのは、日本のレコード会社が販売権を持っている海外レーベルの全カタログなのだ。その中から必要なものをアルバム単位でCD-Rに焼いて売ってくれたほうが百倍嬉しい。30年ほど前に、なぜレコード文化が隆盛を極めたか? それは流行音楽でしかないはずのジャズやロックがカタログとして聴かれ、それが文化のようになっていたからではないのか。日本の場合、特にそれが顕著で「レンタルレコード」という独自の商売を生んだ。レンタルは有料図書館、正に文化なのだ。ロックやジャズに興味を持つ若者は実は今でも存在する。そういう人々を少しでも増やすべきなのに、レコード会社の対応は「商売にならない」「あいつらは放っておいても買うからOK」というような馬鹿にした対応ばかり。レコード会社社内でもマーケティングのプロのみが重用され、大昔のように音楽好きのプロデューサーが発売作品を検討するような風土は無くなっていると聞く。ここまで来るとレコード会社は音楽愛好家を敵に廻したようなもの。「そんなことはない」とは言わせない。レコード輸入権騒動の際にあなた方のとった態度がすべてを物語っていたと思う。さて、話は変わるが、これだけ流行音楽が好きだと、一切の違法行為なく音楽を聴くことは難しい。好きな音楽がネットに転がっていればついついダウンロードして聴いてしまうのもまたマニア。社会的立場もあるので違法真っ黒なことはしないが、海外のレコード会社がバイラルマーケティングの観点から黙認しているようなもの、ネットラジオや音楽ブログはこれからも積極的に利用いくつもり。そうでなければ、聴きたい音楽を聴く手段が無くなってしまう。 "NO MUSIC, NO LIFE" だあね。(笑)
「大人のロック推進計画」を標榜するテレビ東京の音楽エンターテイメント番組「ROCK FUJIYAMA」は、一部で根強い人気があるらしい。ネットを検索するとかなり多くの個人ブログが引っ掛かる。80年代の深夜テレビ番組を彷彿とさせる番組創り手法はやや古臭いが、それが逆に中年オヤジを安心させてくれる。またこの番組には親日家と知られ、日本に住み着き日本語もペラペラになってしまったメガデスの技巧派ギタリスト、マーティ・フリードマンがレギュラー出演している。個人的にはヘヴィメタはあまり好きとは云えないのだが、日本を愛してくれるこのギタリストが気に入り、実はこの番組を時々録画しては見ている。毎回ではなく「時々」というのには理由がある。それは出演するゲストによってはかなり番組がプログレ化するから。(笑) これまでにも大槻ケンジ氏や宇都宮隆氏が出演した際には、クリムゾンやらELPのビデオが流れ、マーティ・フリードマンによるイエスのラウンドアバウトなんぞも聴けたりもした。そして先日8月7日の放送では、ぬわんとあの高嶋兄貴が御出演。高嶋政宏氏といえば拙作WebPageでは9年も前から氏のプログレヲタクぶりを紹介しているが、今回この番組でもプログレヲタクパワーが大炸裂。さすが新桃太郎侍。プログレを語る前に、まずはKISSの72年モノの未開封レア人形メンバー全員分を披瀝、これで同じくKISSの大ファンでグッズ集めにも奔走しているマーティ・フリードマンを完全にックアウト、マーティが涎れを垂らしそうな顔でグッズを見ている姿が笑えるほどに印象的だった。このあたりは芸能一家でお金持ち、育ちの良さも出ているが、大昔も近年も色々とご苦労もあったお宅だから僻むこともないだろう。番組では触れていないが、ROCK FUJIYAMA Web によると、高嶋兄貴は渋谷のNHKでマーティに偶然会った時、「いつもROCK FUJIYAMAを見ています」とロックファンのふりをして握手をしてもらったことも暴露。ただのヲタクではない。これではマーティもかなわない。もう高嶋兄貴の独壇場。番組では緊急特別企画「スターレス高嶋のプログレを語らナイト」なる特別コーナーまで登場。「スターレス高嶋」ってのも凄いが「プログレの条件、1.バ・カ・テ・ク、2.変拍子につぐ変拍子、3.苦痛の中の美メロ」とのフリップを出し、UKやクリムゾンの曲を実際に流しての解説は実に的確。テレビを見ている私にも思わず笑みがこぼれるが、兄貴も終始ニコニコ、もう楽しくってしょうがないってな感じで出演しており実に結構。大人のロックとはこういうものだ。裏話もイロイロ、あのスターレスのシングルは「ドラマの主題歌のB面に無理やりネジ込んだ」とか「最近もシークレットライブでスターレスを演奏した」とか「クリムゾンのラメントをライブでやった」などなど。近年、俳優業の方が本格化し、舞台や映画やドラマで立派な仕事をしているのでロックから離れていたのかと思っていたのだが、どうもその心配はいらなかったようだ。URLは記さないがこの兄貴出演分の ROCK FUJIYAMA は YouTube にも転がっている・・・らしい。また、スターレスを唄っている兄貴のCDシングル「こわれるくらい抱きしめたい」は結構出回っており、BOOK OFF あたりで丹念に探せば100円程度で入手可能。スターレス(冒頭アレンジ違い)の入ったフルCD「ZERO」はややレア。他に2枚CDを出しているがいずれも廃盤。いずれもブリティッシュロック魂に満ちており、彼のロック好きがホンモノであることがよく判る作品。忙しそうなので無理っぽいが、またCDを出して欲しい。今度はぜひUKを。もちろんエディ・ジョブソン役は従兄妹の高嶋ちさ子さん? こりゃスゲエぞお~。(^_^;
"Senn"とはきっと"Soon"のこと。何故ならこの曲は、Yes の The Gates Of Delirium のエンディングに Jon Anderson が感動的に歌い上げる"Soon"のカヴァーだから。ドラマティックかつ緻密に構成された組曲の最終章を飾る名曲を、女性ヴォーカリストが歌うとこれまた味わい深い。これはなかなかよく出来たカヴァーだ。タイトルの"Senn"。これはきっとアイスランド語。Margret Eirはアイスランド人なのだ。歌そのものもアイスランド語で歌われてると思われる。プロフィールによると Margret Eirって人は1972年生まれ、子供の頃からレイキャビク・ミュージック・アカデミーに通い、その後、ニューヨークに留学して音楽を学び、1990年頃からプロ活動を始め Eurovision Song Contest にもチャレンジしたという。90年代の彼女の活動はアイスランドのテレビに出たりライブで歌ったりと、いわゆる普通の女性歌手然としたものだったが、Margrt Eir名義で2000年以降に4枚リリースされているアルバムの中にはこの"senn"以外にも、"Heiðin há"(Wuthering Heights-Kate Bush)、I naturhumi(Moonlight Shadow-Mike Oldfield) というような気になるカヴァーが存在する。どうやらこのオバサンはプログレが好きだったらしい。アイスランドといえばビョーク(Bjork)、こちらは世界的な名声を博している今やアイスランドを代表する歌手だ。こんな風に書くとアイスランドの音楽シーンが如何に優れているかってことになるのだが、その前にアイスランドの基本情報を確認する必要がある。何故なら、アイスランドの人口はたったの28万人だから。28万人っていったら日本の地方都市に等しい。ビョークの幻のファーストアルバムはかつてアイスランドで大ヒットしたそうだが、その数は7千枚だという。そして話は大胆に逸れる。これは如何にローカリズムが文化を育むかの見本なのだ。28万人でも大統領がいて近代議会の元祖と云われる議会があって、テレビもラジオもあって、ブロードバンドの普及率は世界一、火山と温泉に恵まれ、漁業が盛ん。かつて米ソ首脳会談まで行われたのだ。日本と国力を比較しても意味はないと思うだろう。しかし、その差が1億人vs28万人の差と云えるほど大きいものなのかな?と考えると淋しくなりはしまいか。今日本は効率化を旗印に文化的に意味不明な線引きで道州制を画策している。権限を移譲し地方の力を高めるためなどとも云われているが、グローバル化の進展で金太郎飴のようになりつつある現在の日本の国土を道州単位で区切るのは危険だ。効率は良くなるが中身はない。つまり「不毛」なのだ。文化の無いところに経済は育たない。競争力を高めるための効率化と引き換えに、多様性が失われたらお終い。さて、Margret Eir はニューヨークにいた頃、Jesus Christ Superstar の Mary を演じたとプロフィールに書かれていたが、やぱあれは女性歌手の基本だよな~と思いつつ Yvonne Elliman や Sarah Brightman に "Soon" を歌ったらどんなに素晴らしいだろうかとも期待してしまった。Sarah Brightman なら Kansas や Peter Gabriel の曲を歌っているくらいだからやってくれそうな気もするが・・・。