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筋肉脳

テレビ番組制作スタッフによる市民への恫喝事件がネットで話題になっている。この事件、普通に捉え方としては「テレビ何様?」みたいな話なんだと思う。つまり、メディア関係者の特権意識みたいなものに対する批判ってことして話題になっているのだと思うが、原因は案外別なところにあるように私は思う。だいたいメディア関係者の特権意識なんてのは今に始まったことではない。時代を遡れば遡るほど、花形職業ゆえの特権意識も強かった。それが原因ならば過去にはもっと酷い事例が多数あってしかるべきなのだ。ところがそういう話はとんと聞かない。今回の事件の原因、私はつまるところ当該スタッフの社会性の無さとそれを生み出す組織の問題にあると思う。原因はズバリ、テレビ業界の末端に蝕んでいる体育会系的な画一的な組織運営だ。・・・体育関係者に喧嘩を売る気はない。「健全な体には健全な精神が宿る」真摯にスポーツに取り組んだ人々は、いわゆる文武両道、人間として立派な人が多い。体育が悪いわけではもちろんない。しかし、中途半端にスポーツをやった人の中には日本の学生体育が持つ負の体質ばかりを習得してしまった人々が山のように存在する。試合よりもコンパの方が盛り上がるような運動部、運動技能よりも先輩後輩間の盲目的な従属関係が重視されてしまうような体育部・・・から生み出される人材にはロクな奴がいない。日本では昔から人材採用にあたって「厳しい練習と集団生活を経験したスポーツ経験者」を優先する企業が少なくないが、テレビ業界もその例外ではない。スポーツエリートが引退後にテレビの解説者になったり、スポーツで良い成績を残した学生がアナウンサーとして採用されるケースも多いが、まあそうした先端の目立つ部分では優秀な人材も多く問題も少ない。ヤバイのは末端だ。つまり番組制作現場の末端のこと。番組制作の下請け業者。そこでの労働というのはそれこそ体育馬鹿でないと務まらない実態がある。安い給料、尋常でない労働時間、イジメ、恫喝、カツアゲ、軍隊のような集団生活。そこは「高校時代放送部でした」みたいな根性のない文化系ヲタクが馴染めるような職場ではない。昨今そういう人はだいたい就職後すぐに挫折し辞めてしまう。残るのはとりあえず根性のある人材。そこは会社も当然評価する。それは経営者にとってはニートさんあたりよりも百倍マシな人材なのだ。ただ、残った人材が形成するコミュニティがどういうものになるかは想像せぬとも判るだろう。当然、体育会的なナニだ。かつてテレビそのものが発展途上にあり、アイディアは面白ければ何でもあり、視聴者の眼も肥えていない時代には、多様な人材を受け入れる余裕もあるにはあったのだが、テレビの成長が止まり、番組制作手法が定型化してしまった現在では、特に末端の現場では新しいアイディアをもって斬新な番組を創造するかなんてことよりも、低予算と限られた制作時間の中で、如何にテレビ番組的な状況を発生再現させるかが勝負になる。そこに勝負を賭けている?スタッフは、如何にもって状況を作り出せれば決められたパターンに沿って最新のデジタル機材で如何にもっていう形に作ってハイ出来上がりって程度のものを「創造」と勘違いしてしまう。当人達は「創造」してると信じているが、業界的には擦り切れる程にやり尽くされたパターンのひとつでしかないのだ。そんな中で問われるのは悪条件の中で如何に定型的なプロジェクトをやり遂げるかっていう忍耐と根性。こうなるとやはり競技スポーツ経験者は有利だ。(笑) しかし、個性や多様性を語る余裕などない殺伐とした職場から生み出される番組なんてのは、形だけは見事に完成していても、中身のない薄っぺらなものばかり。マトモな大人が真剣に見るようなモノは少ない。それどころか、うわべだけチャリティーや人類愛を謳ったプログラムを作っても、作っている側の殺伐とした状況が、取り繕う手段が難しい生放送ではモロに出てしまう始末。このスタッフ、声がよく出ていたのだ。なるほど競技者としての基本はしっかりしている。(笑)

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