nx9005(HP) が逝去したのでノートPCを新調した。バッテリー引き抜きリセットをしたら、9005はBIOSも起動しなくなり、御釈迦になった。XPノートなのでまだまだ使えたが、1万円以上をかけて修理する気にはなれず廃棄することにした。2004年の初頭に10万円程度で購入し毎日2時間以上の使用で5年弱だ。良しとしよう。次もHPにしようかと思ったが、カスタム通販で2週間待つ気持ちの余裕がなかったのでとりあえず地元で店頭販売品を探してみることにした。購入対象は今回もいわゆるエントリーモデル。ソフトはOSさえ入っていれば十分。性能は良いに越したことはないが2桁万以上の金を出す気はさらさらない。多少の見栄はあるのでショップブランドは×だ。デスクトップならば自作やショップブランドでも良いのだが、ノートは家電品、やはりブランド名は気になる。Acerあたりも安くて優れたノートを発売しているが部品屋のイメージが強いので×。もちろん技術的な裏付けなどない。あくまでも個人の勝手な印象による判断。さて前置きが長くなってしまったが、結局選んだのは、Gateway。懐かしいのお、Windows95 の時代に冷風機のようなデザインの P5-120 を使ったぞい。日本法人の撤退はIT不況の象徴のように語られてイメージはあまりよろしくなかったが、今でも米国3位のブランド。e-machine を買収した後、自身が Acer に買収されてしまっているが、強力なブランドは生き残っている。Dellのやらないことをやるが新社長のモットー。かつてはカスタム通販で一時代を築いたブランドも、最近は店頭販売が中心に変わっているらしい。購入したのは、M-1410j(詳しい仕様はhttp://www.tsukumo.co.jp/gateway/M-1410j.html)、AMDだけどデュアルコア、最大メモリ2GBだけどデュアルチャンネルで2GB搭載、ATI Radeon X1270、HDD160GB、スーパーマルチDVD(DL対応)、Vista Home Premium、HDMI端子付で、¥79800(系図電器・店の仕入れ値は7万円チョイ程度か)。ノートに将来的な拡張性を求めても仕方がない。このスペックでこの値段ならば納得だろう。さて、肝心の使用感だが、とりあえずデザインは良い。ツルテカ液晶は無様な自分が映るので嫌いだが我慢。キーボードは右側のシフトキーが小さく、Enterキーの右にPgUpDnがあるのが厄介。小生は←キーをバックスペースの代わりに使う癖があるので間違えてCtrlキーを叩いてしまう。まあこのあたりは新しいノートを使うといつもこうなるので慣れるしかない。CPUの熱はnx9005よりは少ないしファンも静か。吸風廃熱口が少ないのでやや心配。OSはXPで十分なのだが、Vista Home Premium なんぞが入っている。エアロも使えるがそんなものいらない。デスクトップもコントールパネルもフォルダもクラシック表示にし、壁紙は単色、URCは邪魔なので無効にしたら、メモリ2GBで快適快適。難点は未だにVista対応ソフトやハードが多いことだが、これも個人的には問題ない。Meの再来かと不安視されてるVistaだがそこまでは酷くはない。XPSP3で十分だと思ってはいるし、低性能ノートには必須なのでXPの保守打ち切りには反対だが、Windows7が量販されるであろう2011年までずっとXPではさすがにツマラナイ。遊び用のPCはVistaでドタバタするのもいいだろう。
長野での聖火リレーは、日本警察の優秀さが目立った。聖火を守る機能的な陣形については新聞やテレビで紹介されているので敢えて書かないが、到着式会場の若里公園の警備も実に機能的だった。ステージの周囲に入れるのは関係者のみ。その周りにフェンスが張られ、1000人ほどの中国人が紅い旗を振る。チベット支持者はそこから隔離された南側の小高い丘に集められていた。端に追いやられているような印象があり、チベット支持者の中には不満を漏らす人も少なからずいたのも事実だが、これは警察が中国を優遇していたからではない。イベントを妨害する可能性の少ない側を聖火の近くに配置し、妨害の可能性のある側を遠ざける。子供でも判る警備上の都合に過ぎない。チベット支持者を囲むように警官が配置されていたのも、人数で劣るチベット支持者を守るほうが、警備効果が高いからだ。そのおかげで、ここに集まったチベット支持者は最後まで自由に「フリーチベット!」と大声で叫び続けることが出来た。それを警察が制止することも無かった。国境無き記者団のロベール・メナールもこの丘にやってきて、手錠五輪旗を広げていた。彼は「日本は民主主義の模範を示した」と会見で語っていたが、それはおそらくこの会場の様子を見て言っていたのではないか。中国はめざまし経済発展を遂げ、GDPで日本を追い越す成果を挙げているが、これからの中国を担う若い留学生達を見る限り中国人は30年前から全く進歩していないようにも思えた。64天安門事件からも何も学んでいない。タナボタでゲットした国連常任理事国のせいか国家としての発言はいつも勇ましいが、庶民レベルの政治では明らかな発展途上国。まあ、愛国心を持つのは結構なことだ。しかし、その行き過ぎはロクなことがない。日本の田舎町に大挙して押し寄せ、紅い旗で埋め尽くす偏狭なナショナリズムを持っている限り、今後も一流国家にはなれないと、今回私は確信した。国民が一丸となって目標に突き進むといえば聞こえが良いが、落とし穴はそこにある。戦前の日本はそれで大失敗をした。戦後の日本はどうか、先輩たちは「豊かになりたい」という点についてだけは一丸となって働いたが、戦前に対する反省かあるいは落胆か思想的にはバラバラだった。宗教心も薄く、モラルも崩壊したかの様相も見える。しかし、70年前に徴兵制がなくなり女みたいな男が増えてるはずなのに、今回の警察の警備は見事だったではないか。葬式の時しか用のない仏教のはずなのに、善光寺は土壇場で1400年の歴史に恥じない大英断を下していたではないか。そう、バラバラがいいのだ。そこが重要。発想の自由やイノベーションというのはそういう環境でないと生まれない。人を殺す技術は戦争によって生まれ、人を育てる技術は表現の自由によって生まれる。中国の経済成長にはイノベーションが無いといわれている。初めは真似から入るとしても、一体いつまで猿真似を続けるのだろう。既に世界の工場などと云われているのだ、その端緒くらいはあってもいいはずだ。それも無い。原因は紅い旗。紅い旗の下に人の想像力が奪われ、チベット人が虐殺される。不幸な国だ。
沢田聖子と書いても、きっと知ってる人は40歳以上だろう。かくいう私も「シオン」しか知らなかった。深いエコーのかかった「♪シオ~ン」ってフレーズはとても印象的だ。曲が発売された頃、クラウンレコードによるコマーシャルが深夜放送でかなり頻繁に流れていて、それが記憶に残っている。沢田さんには申し訳ないが、ファンだったワケではない。それどころか、アンダーグラウンドなロックに傾倒し、我が人生の中で、もっとも過激な音を好んで聴いていた時期だったので、「♪シオ~ン」の3連発が、私の耳には臭く恥ずかしく聴こえてしまっていたような気もしないではない。実際、80年代はフォークソングを歌っていた人々にとっては冬の時代で、白いギターを持って登場するペンションのオーナーを面白可笑しく笑う筋の映画もあったほどにフォークはダサイの象徴だった。ウケていたはピコピコサウンドのイエロー・マジック・オーケストラ。やがてそこにエスニックでパワフルなビートが加わった音がもてはやされていく。ただし、沢田聖子がデビューした1979年の時点では、世の中は70年代をまだまだたくさん引きずっていた。10代のシンガーソングライターを売り出す状況はまだ十分にあったのかも知れない。とはいえ五輪真弓、荒井由実、中島みゆきから渡辺真知子。女性シンガーソングライターは、錚々たる実力派が既に出揃っており、八神純子のようにヴィジュアル面が向上したシンガーソングライターも活躍し始めていた。沢田さんには再度申し訳ないが、比較するのもどうかとは思うほど凄い面々ではないか。おろらく売り出す側も、全盛時代を迎えていた歌謡アイドルとシンガーソングライターの中間をいく存在を想定して沢田聖子をデビューさせたのではないか。デビューアルバムはジャケット写真からしてアイドルであり、シンガーソングライターのそれではない。テレビで見かけることはあまり無かったが、当時はまだ残っていたフォークソング系の音楽雑誌の表紙で頻繁に名前を見かけた記憶は微かにある。で、デビュー後の80年代は一体何をしてたのだろうと気になってCDを聴いてみたり、ネットで情報を探っているうちに、すっかり彼女のファンになってしまった。(笑) これはというヒットがなかなか出ない中、流行の音を取り入れては何とか売ろうとする制作者サイドの意図が見え見えで、実に面白い。初期はアイドル歌手的な楽曲も唄うもスカートが穿けないというヴィジュアル的な弱点が露呈。早々とニューウェイブサウンドにも挑むも、中村あゆみや渡辺美里にはやっぱりなり切れない。同じような路線で飯島真理が登場し、アニメに人気も手伝ってヲタク族の人気をさらっていく。それでも健気に頑張る姿はとても可愛い。終いには弾き語りをせず、白いシャツにサスペンダー姿でスタンドマイクの前で唄ってみたり、メロウなオトナのオンナの歌まで自分で作っているではないか。迷走もいいところだ。彼女自身もさすがに考え込んでしまったようで事務所を辞めてしまう。そして90年代、徹底したアコースティックなサウンドで活動を再開する。その後、今に至るまで大きなヒット曲はない。しかし、そんな沢田聖子に惹かれてしまうのは一体何故なのだろう。とりあえず可愛いが、実態はよく喋る40代の人妻だ。しかし、案外そこがポイントかもよ? 前出の錚々たる女性シンガーソングライターの面々のいずれも私は嫌いではないが、強いてその中で関心があるのは荒井由実と竹内まりやあたり。要するに人妻が好きなのだ。(爆) いやあながち冗談ではない。10代で唄う歌、20代で唄う歌、結婚、30代で唄う歌、40代、50代・・・。長く活躍する海外の女性シンガーには、時代や流行や自分のプライヴェートに起こるいろんな出来事に翻弄されながらもずっと歌い続けている人が少なくない。そこには自ら新しい流行を切り開いてしまうような大物アーチストとは異なる魅力と感動がある。B級ではあるが、沢田聖子にはその要素が備わっているのだ。「シオン」には70年代ニューフォークの残照が、「キャンパススケッチ」には70年代アイドルの香りが、「Natural」や「LIFE」には80年代ニューウェイブサウンドが、「あなたからF.O.」はソフト&メロウが、「愛を下さい」には復活アコースティックサウンドが、「乗り越えて行けるね」は大事MANやらKANやらZARDと同じ90年代型人生応援ソングだ。以降は時代の音そのものが多様化していくので判りにくくはなるが、「ニューフォーク」のイメージを残す明るく骨太な歌をインディースに落ちることもなくじっくりと唄い続けている。蛇足だが、パンシロンの古いCFで渥美清に肩車され「パンシロンでパンパン・・・この歌いつまで続くのぉ?」と云ってたあの子役も実は沢田聖子。60年代にも足跡を残していたのだ。時代と共に生きている感が満載、面白い存在だと思う。
USBオーディオアダプターを購入したばかりだが、今度はPCの音をコンポーネントステレオセットで聴きたくなり、Bluetooth のワイヤレス送受セットを購入。ソニーの HWS-BTA2W 。
フランスでミッシェル・ポルナレフが復活している。日本でも2000年以降、オリジナル盤CDが復活し、コマーシャルソングで使われるたびにベスト盤やらトリビュート盤が発売され、国内盤CDが1枚も無かった10年前の状況とは変わってきているが、本国では、なんと国民的歌手としての復活だというから驚く。2007年の初頭あたりから地方でのコンサートも始まり、誕生日にはマルセイユで大規模なセレモニーが行われたという。そして、7月14日のパリ祭(革命記念日)にエッフェル塔の下でおこなれた60万人フリーコンサートにトリで登場。その模様はテレビで生中継され、日本でもその一部が YouTube や DailyMotion で見ることができる。64歳だ。年齢相応に退化しているが、歌や演奏はまだまだOK。そういう意味では最後のタイミングだったかも。まずは良かった。ポルナレフがフランス本国で最も人気があったのは60年代。70年代になるとやや冷めてくる。そしてアメリカに渡った後は忘れられた存在となっていた。一方、日本では「シェリーに口づけ」の大ヒットにより70年代になってその人気に火が付いた。日本人が想うところのフランス的ヨーロッパ的でロマンチックな音楽を奏でる人として絶大な人気を博したが、本国では旧来のシャンソンと新しい文化を巧みに融合させるヒッピー、自由人というような位置付けだったようだ。近所に住む日本文学に堪能な40歳代のフランス人にポルナレフのことを聞いたら、「彼はサイケデリックだ」との答えだった。しかし、旬な音楽の末期は寂しい。優れた音楽も流行が変わると途端に陳腐に聴こえる。1979年の来日ではベンチャースよろしく地方ドサ廻りをしているが、すっかり過去の人となっていた。当人も自律神経失調症に苦しんでいたと聞く。80年代になると「哀しみの終わるとき」がタモリ倶楽部の中のパロディメロドラマのタイトル曲に使われる始末。場末の酒場に流れるムード歌謡のような扱いだ。しかし、作曲家、吉松隆の名言「人間なんて恥ずかしいものが気持ちいいんだ!」がとても当たっている。私はその恥ずかしさに耐え70年代からずっとポルナレフを聴いているのだ。ただし、永らく音源はCBSソニーのゴールドディスクベストと数枚のシングルのみ。時々無性に聴きたくなることがあり、レコードに針を落としては聴いていた。CDで聴きたかったが国内盤CDが発売が無かった。輸入盤もあまり店に置いて無かったように思う。90年代に国内盤CDが一度発売されたことがあるが、のんびりしていたらすぐに製造中止。やむなく輸入の怪しいベストCDを購入したのが最初のCDだった。近年は中古LPやCDなども購入しているが、聴きたくなった時にに買うだけで収集をしているわけではない。そんな程度だからポルナレフマニアとはとても言えないが、永年飽きもせずにずっと聴き続けている。その理由は、たぶんミッシェル・ポルナレフが最も良質なシンフォニックロックだから。最近では、新曲を含む100曲入ったボックスセットも聴いた。で、その100曲に「忘れじのグローリア」が入っていないのに驚いた。心を揺さぶるあのアナログシンセの音が100曲に含まれないのは実に残念だ。「シェリーに口づけ」のギコギコギコギコメロトロンはもちろん収録されている。そうポルナレフはプログレ。・・・なことを書くと、硬派のプログレファンから総攻撃を浴びそうだが、「ロックとロマンの出会い」も1970年の時点では、十分にプログレッシブだったと思う。ビートルズやビーチボーイズ、サイモン&ガーファンクルやカーペンターズ、ついでにポールモーリアもプログレッシブだったように思う。もちろんそれらをプログレッシブロックとは言わないが、そのスピリッツは実はあまり変わらない。あの時代の音楽はそのあたりを意識して聴いたほうが楽しい。ミッシェル・ポルナレフも、新しい音楽が次々と生まれる幸福な時代を代表する優れたアーチストのひとりだった。だから、聴き続ける。
携帯音楽プレーヤーよりもパソコンで音楽を聴くことが多い。ところが、ビジネス向けの低価格ノートパソコンに搭載されてるオーディオアンプは貧弱だ。それを手軽に回避するのがUSBオーディオアダプター。S/N比やダイナミックレンジが劇的に改善される。アダプターは内外のメーカーから多数発売されていて、音質も価格相応だが、最低価格帯の商品でも、とりあえずオーディオマニアではない普通人が音楽を楽しむのなら十分な音質になるのがUSBオーディオの良さだ。導入しなきゃ損。私は以前からクリエイティブメデイア社のアダプターを愛用していたが、訳あってさらに安価で小型のアダプターが必要になり、エアリア社の「響音3. (きょうおん3ドット)を¥1980で購入して試してみた。
米国同時多発テロからはや6年。今年も9月11日がやってくる。その日に合わせたかのようにビンラディンの声明がビデオで公開。なんとも胡散臭い。この事件、発生直後から陰謀説が飛び交っていた。今じゃ丁寧な人々がそれらをまとめでネットで公開したり、映画にまでしてくれたりもする。その中には演出過剰でいい加減なものもあるにはある。しかし、同時多発テロに関する公式発表や報道を額面通り受け入れられるかといえば、私の場合はまったくもって「否」だ。発生当日から疑問に思っていたことがある。それは、衝撃的なニューヨークからの映像に比して、ピツバーグ郊外の現場映像やペンタゴンの現場映像が貧弱なこと。旧ソ連を彷彿とさせるような限定的な映像。テレビ報道が世界一進んだ国のものとはとても思えないシロモノだった。自由の国アメリカも、有事となると完璧なメディア規制が行われるらしい。実際、このピッツバーグ郊外とペンタゴンでの出来事は陰謀説を唱える人々の格好の餌食になっている。発生当時は見逃してたが、近年になって最も疑問に思えてきたのがWTC7崩壊の謎。WTC1、WTC2(ツインタワービル)のパンケーキ崩壊の真偽はともかくとして、道路を挟んだ場所に建つ47階建てのWTC7が、航空機が突っ込んだ訳でもないのに、最初の衝突から約8時間後、見事に崩壊している。長時間にわたる火災の放置が原因で崩壊したとされているが、ネットで見ることのできる崩壊の映像は、どう見ても芸術的な制御崩壊だ。つまり、解体業者による爆破解体そのものだということ。放任火災であのように綺麗にビルが崩れ落ちるのなら解体業者など不要だ。これは公式見解を信じろと云うほうが無理。さて、世界を襲うテロの恐怖はその後も止まることが無かった。911から2年後の2004年3月11日、今度はマドリードで列車爆破テロ事件が発生し、200人以上が死亡、1000人以上が怪我をした。しかしこれもかなり胡散臭い。直近に迫った選挙で敗色濃厚だった政権は、当初国内反政府勢力の犯行だと大騒ぎするのだが、ほどなく郊外で発見された盗難車の中からコーランのテープと7つ起爆装置がみつかり、今度はアルカイーダ犯行説に変わっていく。誰が盗難車を置いたんだろうね。低予算のサスペンスドラマじゃあないのだから、諜報機関はもっとリアリティのある仕掛けを施したほうが良かったのではないか。さらに翌年、2005年の7月7日には、ロンドンで同時爆破事件が発生し56人が亡くなった。アルカイダ系の実行犯4人による自爆テロということになっているが、これも怪しい。これら3つの事件に共通してるのは、誰が何の目的で・・・て部分が、実は案外希薄な点だ。マドリードやロンドンの事件に関していえば、今じゃ捜査当局もアルカイダ犯行説を否定している。結局、なんなのだろう。何故、世界一対米追従で危機管理もグタグタな日本ではテロが発生しないのか。今日(2007.9.9)のニュースによると日本の首相は「海自の給油活動継続できねば退陣」とまで言ってるのだ。アルカイダさん、アベちゃんはどう考えても標的だよん。まあ、スペインやイギリスのお粗末さからすると、日本でなんかやったら裏台本が全部バレちゃうから危なっかしくてテロも出来ネエのかも知れない。ついでに今日のニュースをもうひとつ、「ビンラーディン装う芸能人ら、APEC検問を素通り」なのそうだ。オーストラリアのテレビ局のコメディ番組が、ウサマ・ビンラディン容疑者に扮した1人を含む芸能人らが車列をつくって要人に成り済まし、2つの検問所を素通りしていたというのだ。3千人近い人々が911で亡くなっていることを考えると、「アラファト私が夢の国」の松本明子より不謹慎にも思えるのだが、ネット上に公開されるホンモノのビンラディン映像もマッチポンプだと考えればそれも半分コメディのようなもの。そんなペテン、茶番で多くの人々が死んでいく。What a Wonderful World.