元来、日本の温泉は湯治のためにあった。聖徳太子や天智天皇が熟田津の湯(道後温泉)や紀の湯(白浜温泉)などに来湯したことが日本書紀や万葉集にも書かれているし、戦国武将が傷を癒すために訪れたといわれる温泉も日本のいたるところに点在する。それがいつからだろうか、温泉は芸者をあげて遊興する場所への変貌する。他にあまり娯楽のない時代、男子の遊び場は町外れにある温泉と遊郭だった。戦後の高度成長期には、そのシステムはそのまま企業や地域での団体旅行へと引き継がれる。企業の福利厚生費には税制面の特典があった。税金で持ってかれるくらいなら、社員総出で温泉旅行に行き明日の仕事の英気を養おう・・・ってお題目で行われたから「リ・クリエイション」。私が社会に出た頃はまだそういう時代だった。バブル期になると「温泉ブーム」が勃発する。これは実体の無き金(^_^;で遊べる層が急激に増えたため、いわゆる高級旅館に個人で泊まり贅沢感を楽しむスタイルが流行して発生したものだ。そしてそのバブルが崩壊。宴会を主体にした旅館は窮地に追い込まれ、かつて賑やかだった温泉には閉鎖される施設も出始める。有名旅館の部屋の窓から見える風景が「廃墟」という辛い状況に多くの温泉街は追い込まれた。給料が減り、おいそれと温泉旅館に泊まれなくなった庶民が向かった先は「日帰り」温泉施設。温泉ブームの気分だけは世間に残り、金は無いが温泉には行きたかったのだ。バブルを象徴する竹下内閣の「ふるさと創生基金(1億円)」のお陰で?全国あちこちに3セク温泉が誕生していたので、行き場所には困らない。多様な浴槽がある大規模施設に人気が集まった。しかし、来湯者の多い大規模施設というのは必然的に浴槽は循環となる。そこで起きたのがレジオネラ菌騒動。一般人はこれで自分の入っていた温泉がフィルターでゴミを採られながら何度も循環するプールのような風呂だったこと知り、本物の温泉への渇望が高まる。テレビの温泉番組の主役も能登半島の巨大旅館あたりから東北の山奥の一軒家旅館あたりへと変わり、関心は泉質へと移っていった。そこに降って沸いたのが白骨温泉草津の湯事件だった。「源泉掛け流し」という温泉マニアが使っていた用語も今や世間に一般化し、多くの人が泉質を求めて温泉を行脚し始めたのが昨今の状況。私自身はといえば高級旅館に泊まるような金はもちろん無いが、一泊二日で台風のように旅館に行き、たくさん飲んで食って夕、夜、朝と風呂に入ったところで、使った金の割には癒されないなと思うことが多くなった。考えてみればもともとそれは人生活性化プラン「リ・クリエイション」なのだ。癒しではない。前後にクルマの運転をせねばならない日帰り温泉めぐりにもやや疲れて来た。その日のうちに運転して帰るのだから酒も飲めない。(笑) こうなると残る理想は太古の昔より伝わる「湯治」しかない。本当に癒しを求めるのなら一泊2千円食事は自炊みたいな温泉施設がいい。読みたかった本でもシコタマ持ってそういう場所に何日か籠もれたらそれがホントの癒しというものだろう。世間の毒気が恋しくなれば充電完了。もちろんそれもゆったりとした「リ・クリエイション」ではある。
いつCDが出るのかと待ち続けているがなかなか出ないので載せてしまうことにする。 Dokakaとは昨今注目のヒューマン・ビート・ボクサー。人間の発声だけでリアルな演奏を繰り広げるヒューマン・ビート・ボックスの第一人者はヒップホップバンドTheRootsに在籍したRhazelらしいが、その彼と2004年あのビョーク(アテネ五輪でも歌ってたアイスランドの歌手)のアルバムに突然参加してしまった日本人がこのDokakaだ。ビョークがオファーするきっかけになった彼の WebSiteでは50曲を超える彼の作品を聴くことが出来るが、その内容が興味深い。ゲームミュージックやテレビの主題歌、有名ロック曲のカヴァーの中に混ざって、 21st Centry Schizoid Man ( King Crimson ) 、 Lark's Tounques in Aspic Part II(KING CRIMSON)、Fracture (King Crimson)、 Sora ni Hikaru (Kenso)、Tarkus(Emerson,Lake&Palmer) などの曲がズラリ。いずれも呆れるほどよく出来ている。タルカスなどは27分もある大曲だが、口だけで完コピ(途中でエピタフが入るからライヴ・ヴァージョンだね)。クリムゾンの曲の出来はそれ以上。口だけで演ってるにも関わらず長い曲も最後まで聴きとおせてしまうのは、やはりヒューマン?だからだろう。それにしてもケンソーの曲が入っているのは只者ではないと思い、彼のインタビューを探して読んでみるとやはりかなりのプログレファンだったようだ。アレアが好きでデメトリオ・ストラトスには影響を受けたと語っているし、バンドでドラムを叩いていたときのヒーローはカール・パーマーだったとも・・・。子供の頃は鉄道オタクだったようで、WebSiteには「池上線」などというオリジナル曲もある。また、ゲームもかなり好きだったようで"The Boss Theme of Romancing Saga"や"The Theme of Sofmap"なんて曲も。彼がアレンジした「ゼビウス一千万点への道?」という曲が既に着信ソングとして配信されたりもしている。 おたく系ヒューマン・ビート・ボクサーと勝手に名付けてしまったが、彼のWebSiteを制作しているのはモデルをしている美人のガールフレンド。ただのオタクではない。今後が楽しみな人だ。
「エンタの神様」なるバラエティ番組が人気だ。そこから出た芸人さんが紅白歌合戦にまで出演していたのにも驚いた。なぜなら、私自身はあの番組に出演している芸人さんのネタを聞いて笑ったことがほとんど無いからだ。若者や子供が満面の笑みを浮かべながら楽しそうにあの番組を観ている姿を見ていると、正直なところ自分の感性が衰えてきたのではないかと逆に不安になる。もちろん、あの番組や芸人さん達を否定するコメントを並べるのは容易だ。ネタを考えるブレーン(作家)が背後にいるようだとか、いわゆるBIG3をはじめとする現在のお笑い界の巨匠たちやさらに遡って70年代のコミックバンドや関西の漫才名人たちの全盛時代と比較すればどうか?とか、いやそんな巨匠を出すまでもなくその周辺で活躍した、例えば嘉門達夫さんや松尾貴志さん、芸人ではないが柳沢慎吾さんあたりの方が、「エンタの神様」の常連よりは数百倍ハイテクニックで面白いとか、云い始めたらキリがないほど材料はある。若者や子供は昔を知らないから笑えるのだと斬ってしまえばそれまでなのだ。しかし、それを云ったところで、タモリさんが新作CDを出すわけでもなければたけしさんが漫才をやるわけではない。仮にそうしたところでかつてほど面白かどうかもわからない。存在するのは若者や子供は「エンタの神様」を見て笑っているという現実だけ・・・。笑いと云うのは人々が共有する知識のズレを楽しむもの。知識がなければもちろんだが、実は知識を共有する気持ちがないと笑えない。私が「エンタの神様」を見て笑えないのは案外「今」を知らないからなのかも知れない。これはお笑いに限ったことでもないというところがまた怖い。
国立社会保障人口問題研究所によると、日本の人口は来年をピークにその後は減少傾向をたどり、2050年にはピーク時より2700万人少ない1億人まで減少するらしい。その結果、成長率は低下し必要雇用者数も減ってしまうが、それ以上に労働人口が減るため、15年後の2020年の段階で、220万人の労働力が足りなくなり深刻な労働力不足に陥るとの予測がある。単純に考えれば求人難になるわけで、働く側にとっては歓迎される予測だが、仮に外国人労働者を受け入れてしまえば、日本人の失業者は逆に増えるだろう。それどころか専門的な業種以外の給与は外国人労働者並みにまで下がってしまう可能性が高い。治安状態は最悪。この状況は30年前の英国で実際に起きたことだ。企業の利益を優先すれば住み心地が悪くなる。個人の利益を追求すれば国の活力が失われる。どちらも嬉しくない。それをどう解決すれば良いのか。答えは簡単。子供を作ること。労働の質などここでは後回しだ。働かなくなったと言われる日本人だが、国民1人当たりの労働生産性は未だに世界一。これが日本の強さの秘密でもある。強いていえば「ゆとり教育」は見直し、せめて1970年代の水準にまで戻す必要はあるだろう。しかし、ガリ勉やモーレツ社員、成果主義にのって一生懸命で働いたところで、そんな利益は人口の減少による巨大な損失の前では焼け石に水なのだ。深刻な話なのに国や財界の対応はぬるい。企業は90年代の失敗が響き、社員のケツを叩いて目先の利益を確保するのに精一杯、国は人口を増やす施策を一向に示さず、逆に子供を育てている世代からの税金を増やす始末。昨年、結婚しない女性を「負け犬」と称した本が話題になった。結婚しようがしまいが個人の勝手ではあるし、終身雇用が崩れつつある現状では、独身でいた方が経済的にはるかに豊か生活も出来る。独身であっても親の借金を背負っていたり、要介護者を抱えていたり、いろんな人がいるから一元的には語れないものの、仮にそういう要因を抱えていなければ、40代で独身なら、弊社のような安月給でも外車を乗り回し、海外旅行も楽しめるだろう。妻帯者と職務遂行能力に差がないどころか、家庭のある人以上に職務に打ち込んでいたりするのだから、堂々と報酬は受け取れる。しかし、実は「負け犬」が増えると「国は滅ぶ」のだ。昨今の日本の社会的思想の根本的な失敗は、「個人の努力やら達成感と国家の衰亡を同一のもの」と捉えていることにある。「働かざるもの食うべからず」という格言を個人で信じるのはとても良いことだと思うが、国家や大企業がそんなレベルで動いていたとしたら能が無さ過ぎる。この格言、旧ソ連の指導者が生み出した言葉だった。ソ連がどうなったかは説明する必要もないだろうし、ソ連と似たような発想で国を興し、最近、目を見張る経済成長を遂げ鼻息の荒い中国のアキレス腱も実は日本とは逆の意味での「人口問題」ではないのか。子供を作る作らないはもろろん個々の自由で強制されるようなものではない。しかし、日本の国の行く末を危惧するのなら、せっせと子供を作る必要はあるだろう。
台風クラブ 1985年 カラー 96分 ディレカン-ATG-東宝
災害や皇室の話題ばかりが世間を賑わせ、政局が動いていないような印象があるが、今頃、永田町周辺では穏やかでない年越しをしている人もいるのではないか。地検特捜部に証券取引法違反の疑いで捜査されているであろう元JOC会長さんの問題だ。既に居場所を転々としているとの情報もある。現在の首相やその出身派閥は当該氏と密接な関係があるので、このままタイホとなるかどうかは微妙だが、仮に故三木武夫のような人が総理なら政財界から芸能界までを巻き込む大スキャンダルに発展していることだろう。そうなればダイエー破綻どころではない騒ぎになる。明治時代に始まる関東の私鉄敷設と沿線商業開発。富士山麓、信州、東北や北海道の開発・・・。時の為政者と密接な関係を持ち、常に先行投資をしながら拡大していく手法は法人税を1円も払わなかった歴史でもある。旧皇族財産。プロ野球。長野五輪を利用した観光開発。よぞくぞまあこの平成の時代まで、戦前戦後の混乱期のようなきな臭い手法でやってこれたものだが、それもいよいよ終焉?? 永年の宿敵である東急グループの場合はカリスマ的なリーダーを失った後に大胆な再構築が行われた。元々グループ各社に権限が委譲されていたことが幸いして、残った企業は緩やかな連合体として存続しているが、こちらの方はどうなるか見当もつかない。上手く行っているのは軽井沢駅南側のショッピングモールくらい。他はどうなんでしょ? スケート場はほとんど廃墟。今じゃメインは日帰り温泉施設、かつての高級なイメージは全くない。スキーブームも完全に去った。私をスキーに連れてってくれたホテルに向かうジャングル大帝マークの最近スキーバスを見たとがない。郷土の山々に廃墟が増えそうな予感がする。