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記事一覧

マスメディア講座(初級編)

地デジ再送信問題でCATVと地方の民放テレビ局が対立している。その内容については説明しない。必要なら新聞やネット検索で調べれば判る。まあ、視聴者は無料(あるいは安価)で面白い番組を見たいのがホンネだろう。そして、地上波キー局の放送を直接見ることが出来れば、地方の民放局など不要と考える人がほとんどではないかと思う。地上波テレビネットワークは40年前の放送技術に基づいて形成されたもので、日本全国にあまねく放送を行き渡らせるためならば、現在では衛星放送を利用する方が技術的にも手っ取り早い。また、通信に造詣の深い素人が集まると大概はIP送信の優位性を説いては電波放送不要論で盛り上がる。そこに少し政治経済に詳しい奴が加わったりすると、既得権やら護送船団なる用語が飛び出して、それは市場開放論へと飛躍していく。しかし、放送局が一定の設備投資を終え全国の県庁所在地で地上デジタル放送が見られるようになった現在になっても、残念ながらキー局はもちろん地方放送局が倒産したという話は聞かない。それどころか、BSジャパンという衛星放送局を系列を持つはずのテレビ東京がなんとこの時期に、静岡、広島、仙台の地方系列局を増やすべく準備を始めている。地方テレビ局はそんなに儲かるのか? 市場開放論者は、「それ見たことか!」と国の過保護政策を批判することだろう。しかし、そんな批判をしたところでテレビ局の牙城は崩れない。なぜなら、テレビや新聞といったマスメディアは日本の既得権益そのものだから...。地方テレビ局の年間売り上げはどこも年間100億を下回る程度だが、その存在は既得権益を補強する手段としては欠かせないものなのだ。逆転の発想をして欲しい。仮に無くても済むようなものがあって、しかしそこに莫大な投資をしなければ生き残れないとしたら何が起きると思う? そう、貧乏人は排除されるということだ。具体的に説明しよう。実は全国放送で有効な広告効果を得るには年間最低10億以上の広告費を使わないと難しい現実があるのだ。その垣根の高さが重要。垣根を低くしたら経済界全体が下克上状態になってしまう。それはベンチャー企業にとっては歓迎すべきことだが、経済団体に役員を派遣している企業にとっては、安いということは必ずしもありがたいことではない。大企業優先社会を維持し市場開放を妨げるたには超高コスト体質でないといけない。既得権益が保有する最強の武器、それがテレビという広告媒体。自社のテレビコマーシャルを全国放送で流したかったら、キー局だけでなく系列局すべてに金を払わなければならないのが、テレビ広告の仕組み。そこがミソなのだ。さらに各民放への広告依頼を一手に引き受ける巨大広告代理店の存在が影の主役。その実体は価格カルテルの胴元の役割を合法的に行える会社。建設業界の談合と違い、その行為に違法性はまったくない。そんな馬鹿な!と思うか知れないが、元来、民間放送テレビというのは、55年体制といわれた政治の中で、与党や国体護持を願う勢力や経済団体が、その既得権益を温存し、対抗者を排除する工夫の中で形成されたもの。ルールもそれに都合の良いように作られている。国家公認経済団体公認で40年も前から虚業でボロ儲けしてこれた理由はそこにある。このシステムを破壊したかったら、既得権益にとってもっと都合のよいマスメディアシステムを別途作り上げるか、大企業を優先しない代々木あたりの政党に政権を任せるしかない。きっとその政党は低予算で全国一律放送ができる衛星放送を選ぶだろう。放送局や放送業界を守るために放送事業が保護されているわけではない。大企業やその代理人である為政者が自分達の権益を保護するために現在の放送体制を守る必要性があるのだ。ロクな自主放送をしていないあなたの田舎の地上波放送局の株主構成をしらべてごらん、田舎の経済界のボス達がそれを牛耳ってるでしょ? テレビが既得権益なのではなくて、既得権益を持っている人々が集まって運営しているのがテレビなのさ。3公社5現業や銀行、ゼネコンは、既得権益を持っている人々がその必要性を感じたから解体再編がおこなわれた。それだけのこと。衛星放送やIP送信の方が既得権益を持っている人々にとって都合が良くなれば、あるいは既得権益もつ人々そのものが崩壊するような事態になれば、現在のテレビシステムが崩壊することもあるだろう、しかし、今のところその兆候はない。現在のテレビシステムは、未だに既得権益をもつ人々にとっては都合が良いものらしい。それどころかそれを維持するために地上デジタル放送という壮大な無駄が国策として実行された。今まで溜め込んだ貯金(内部留保)を全て吐き出さねばならないデジタル化事業をテレビ局が渋々やっているのは、それこそが既得権益をもつ人々の要請だからだ。昭和の時代と比べてテレビ番組やその取材が身近なものとなり、したり顔でテレビやネットを語る人が増えているが、伝送路の技術的な優位性やらテレビ番組が面白いかつまらないかなんてことは、実はたいした問題ではない。かつて大宅壮一という優れたジャーナリストが「一億総白雉化」というキーワードでテレビを批判したが、正に国民を白雉化させるのが為政者から依頼されたテレビの役割なのだ。民放の番組の質の低下が著しいが、一方で国民の問題意識を喚起し為政者に都合の悪い放送をする赤坂や六本木あたりのテレビ局はあちらこちらから徹底的にイジメられている。自由で民主的で公正なフリをして広告や言論を牛耳る。それが権力者の関心であってテレビ局はその提灯持ちに過ぎない。媒体とはそういうもの。仮にどうしてもテレビを批判し、そのありかたを変えたいと思うのなら、とりあえず選挙は棄権しないことだ。無論、放送されている番組を面白いのつまらないのを批評する権利は幼い子供を含めて誰にでもある。見る見ないも自由。しかし、そのあり方まで含めて論ずるとなると、メディアリテラシーを克服するための一定の学習をした方がいい。でなければあり方までは語れない。

海彦山彦

5c2e5431.jpg雨の中、大林宣彦監督「転校生 さよならあなた」完成感謝鑑賞会を観る。本当に雨の中で、だ。場所は国宝善光寺本堂前。本尊さまにも御覧いただける様、スクリーンは山門に貼られ、夕闇を待って屋外で上映された。監督がこのセルフリメイクを長野で撮影することとなったのは、監督が長野に訪れた際に、いわゆる尾道三部作を見た親世代から「50年後の長野の子どもたちに残したい伝えたい作品を作って欲しい」と懇願されたことがきっかけだったらしい。それを意気に感じで本当に制作をしてくれた大林監督には感謝の気持ちでいっぱいなのだが、尾道三部作に映された美しくひなびた坂の町の風情を知る世代にとっては、正直なところ「本当に長野で大丈夫か?」という不安の方が大だった。約半世紀前、木下恵介監督が描いた美しい長野はもはや存在しない。名作「野菊の如き君なりき」「風花」「笛吹川」に映る雄大な自然。千曲川から見た飯綱山。河川敷沿いの桑畑。長大な木橋。昨今、そうした北信濃の原風景を長野市内で見つけるのは難しい。今や飯綱山の麓から犀川沿い、さらに千曲川沿いまでの間、つまり善光寺平全体が建物で埋め尽くされてしまった。木橋は永久橋に架け替えられ、野菊の墓も大学とアパートと専門学校と食堂の建物の中に埋もれている。尾道のような風情は微塵もない。では都会化して美しく変貌したのか。それも怪しい。1998年長野五輪誘致のために作られたプロモーションビデオには、当の長野市民が驚いた。そこに映る長野は「大都会」。航空法を無視したかのような?美しい空撮で狭い長野の中心市街地を広角レンズでナメ回す。カッコ良過ぎて笑みが出るような映像だったが、実際はそんな街ではない。現実は昼間もシャッターが閉まった店もある典型的な地方都市に過ぎない。中心市街地の街づくりに邁進する松本に遅れをとっているのではないかと心中穏やかではない市民も少なくない。映画のロケ地としても最近は松本の方が良い作品が明らかに多い。プロの映像制作力をもってしても、尾道はもちろん松本にもかなわないだろうな...そんな不安があった。ところが、映画を見て驚いた。映っているのは生活観のある普通の場所だった。水道やガスの配管が露出しているようなモルタルの住宅、訪れる人が減った権堂アーケードやその裏の飲食店街、中途半端に古い(つまり汚い)路地裏映像が満載だ。風光明媚な風景は、戸隠の鏡池やそば畑程度、紅葉の時期の湯福神社、昌禅寺、松代の一陽館や清滝は美しいが、このあたりになるとそこを知らない市民も多い。長野西高校や長野市民病院に至っては、今の形のままで登場。五輪ビデオとは全く異なる長野が映されている。そして映像はほぼ全編ナナメ。「なんでナナメなんだよ~」とも思ったが、これも監督が昔からお得意の低予算特殊効果のひとつ? きっと日常を非日常として撮影しているのだろう。もともとオトコとオンナが入れ替わるなんて全くの非日常的なストーリーだ。ネタバレになるのであえてその内容はここには書かない。しかし、その物語の背景に映る、普通に古い市民も見過ごすような路地裏がなぜこうも魅力的に見えてしまうのか。とても不思議だ。私はそこにこそ大林監督の示唆するものがあるような気がしてならない。監督は舞台挨拶で「日本人は開国以来皆「海彦」となって海の向こうの諸外国から文明や経済政策を移入して国を高め展いてきた。僕は海彦として海に生まれ海をこよなく愛する人間であるが、この六、七年、何故かキャメラが山に向くようになった。」と語っていた。実は監督と故郷尾道との関係は昨年あたりからあまり芳しくない。直接的には映画「男たちの大和」で使われた戦艦ヤマトのセットを公開して稼ごうとした尾道市の行為を、監督が批判したことが原因のようだが、元々監督が自分の記念館やら作品のモニュメントやらの建設に非協力的だったことも対立の根底にあるらしい。今や尾道市に行っても駅や観光案内所等には大林作品のロケ地マップの類は一切ないのだそうだ。それどころか坂は老人の生活には過酷、それを賛美する映画は如何との議論さえ出いるらしい。ひでえもんだ。監督が怒るのも無理はない。もちろん、長野市も10年前に究極の「海彦」、長野五輪をやりハコモノを揃えまくってた訳で、戦艦大和のセットを喜ぶ尾道市民を批判することなどとても出来ない。しかし、山なるもの「山彦」とは何なのか。ここでもう一度じっくりと考えてみる必要はありそうだ。折りも折り、つい1週間程前、長野市の中心市街地活性化基本計画が国の認定を受けた。全国で13市が選ばれ、国の補助を受けて中心市街地を再開発する事業だ。いまどき真鍋博や手塚治虫が描くような近未来的な街は造らないとは思うが、どうせ「灯籠を建てて植栽を植えて玉砂利を入れた水路を流すんじゃあないか」と思う。あるいは、もっと金を掛けて白壁の土蔵が並ぶ時代劇のセットのような街でも造るのだろうか。それで一気に善光寺も世界遺産? 何か違うよな。郊外に超大型ショッピングセンターを誘致するような施策よりはマシだが、中心市街地を時代体験型のアミューズメント施設然とさせてどうする? 結局、それも海彦の発想なのだ。じゃあどうする。「転校生 さよならあなた」にはその答え、山彦からの提案がおぼろげに見えている。新しいだけが重要でないことはもちろん、実は古いだけも重要ではなかったのだ。古くても新しくても、そこに生活があることが重要、それが街だということ。人々が心美しく生活をしてる街は、古くても新しくても美しい。経済効率優先の街でもなく、文化財の中で窮屈に暮らす街でもない。別の価値観があることをこの映画は教えてくれるのだ。...って基本は突然チンチンが無くなったって映画なんだけどね。(笑)

青春映画の巨匠、逝く

偉大な映画人がまたひとり鬼籍に入った。熊井啓さん。毎日新聞によると「社会派映画の巨匠」。そんな凄い方だったのか?などと書くと失礼になってしまうが、私はこの監督は普通の人間が普通に思う感情で社会の矛盾を鋭く描いた人だったのではなかったかと思う。もし、その作品が過激に感じられるのだとしたら、それは監督自身が過激だからではなく、社会の矛盾がそれだけ激しいからなのだと・・・。人間は総じて若い頃は社会の矛盾に敏感だ。矛盾に対して激しい表現をする人さえ珍しくないが、オトナになるにつれ社会に適応し時に迎合までしてしまう。ところが熊井監督は違った。主義主張や思想に囚われていることなく、普通の人が普通に感じる矛盾を、終生、映画という表現で告発し続けた。だから私は最大限の敬意の気持ちを込め、青春を貫いた熊井啓監督を「青春映画の巨匠」と呼んでみようと思う。監督は長野県安曇野市(旧豊科町)の出身。松本深志高校から信州大学(旧制松高)に進み、映画部に入っている。当時、中央の映画関係者と親しかった松本中劇(日本一小さな映画館として有名だった)の藤本徳治氏の計らいで、多くの優秀な映画を見たり、、今井正、今村昌平、山本薩夫、といった独立プロの映画監督と接する機会が持てたと言われている。その後、日活の助監督試験に合格し、赤木圭一郎と芦川いづみ(^_^)の「霧笛が俺を呼んでいる」などプログラムピクチャーの脚本を書いたのち、「帝銀事件 死刑囚」で監督デビューし「社会派監督」と言われるようになるわけだが、その後の作品の傾向を見ていると、やぱ松本時代が重要なのかなと思えてならない。御本人もインタビュー等で自分を分水嶺世代(戦前と戦後の価値観の違いからくる矛盾をダイレクトに受けた世代)と呼んでいたが、その熊井青年の前に現れたのが、今井正や山本薩夫じゃ少なからず影響も受けたのだろう。しかし、藤本徳治氏によれば、当時の熊井青年は松本中劇の2階の板の間で酒を飲んで寝転がっている映画好き学生だったのだそうだ。そこが熊井さんらしい。政治臭はないのだ。好物は酒と巨人軍。王貞治氏との親交も深く、大のG党としても有名だったが、案外それも同郷の偉人、読売新聞中興の祖、務台光雄氏(三郷村出身)がらみではなかろうかと思う。また、吉永小百合を「忍ぶ川」で脱がせるために、吉永邸の庭の木に登り「出演受託するまで降りない」とダダをこねたなんてお茶目な逸話もある(結局、その役は栗原小巻になった)。「朝焼けの詩」では、上高地明神池で、まだ10代の関根(高橋)恵子をスッポンポンにして泳がせて環境庁からクレームが付き、青木湖で撮り直したことも。晩年には、処女作「帝銀事件 死刑囚」を彷彿とさせる「日本の黒い夏 -冤罪-」という冤罪事案を映画にしているが、これは監督の故郷で起きた事件で、監督ともただならぬ関係があった。被害者河野義行さんの先々代は熊井監督が幼い頃、母親が教員として働いていた長野高等女学院の校長で、監督自身も近所に住み、河野邸にお使いにいったことすらあるのだそうだ。家風を知り、友人から子孫である河野義行氏の評判も聞き、「とても犯罪に関係しているとは思えない」との思いが映画制作の動機だったという。社会派などといわれるけれど、実のところはとても人間的、良い意味での田舎者だったのではないかと思う。だからこそ、熊井啓監督の作品は重い。謹んでご冥福をお祈りします。

スペクトルマン 怪獣マウントドラゴン輸送大作戦

bc0ec208.jpgフジテレビ(制作ビープロ)の特撮ドラマ「スペクトルマン」の長野ロケは地元のガキにとっては大事件だった。長野県内初のUHFテレビ放送局で、当時の県民に「U」と呼ばれていた長野放送が「スペクトルマンが長野にやってくる!!」と、事前にロケの告知をやっていたものだからさあ大変。絶対見に行くと意気込んでいたのだが、「小学生だけでは行かないように」という学校の指導に従ってしまった真面目な私は結局ロケには行かず、親と見に行った友人の話を、悔しく聞いた思い出がある。放送は後日食い入るように見たが、怪獣を乗せたトラックが国道19号線を走る映像程度しか今は記憶に残っていない。その第52話が先日遂にスカパーで放送された。6万円もする限定版DVDボックスなどとても買えないと諦めていただけに、これはありがたい。見たいのは第52話「怪獣マウントドラゴン輸送大作戦」だけなのだから。(笑) そしてHDDに留守録画された放送をまるで小学生時代の記憶を思い返すかのように見た。そこには今だから判る新事実がゴロゴロ。この回のストーリーは三重(鈴鹿)で捕らえられた怪獣マウントドラゴンを公害Gメンが名古屋から東京にトラックで移送して調査するという流れ。名古屋で高速のICが破壊されたため、トレーラーは国道19号線を北上し、長野市経由で東京に向かうよう変更される。塩尻から20号線で新宿に向かえばいいのに・・・とも思うが、1971年。中央道も無ければ上信越道も無い時代だ。トラックは木曽路から長野市に向かう。移動シーンとして上松町の町内、桃介橋などが映されるが、カーアクションの部分は風景からすると戸隠バードラインの荒安地籍あたりで撮影されている可能性が高い。その後、長野までの距離が表示されたレトロな国道看板が次々に映し出され、長野市に近づいていく。途中、麻酔銃のストックが少なくなった公害Gメンは公害調査局の長野支局に応援を求め、支局のスタッフが麻酔を三菱ジープに乗せて出動するも敢え無く敵に倒され崖下に転落してしまうシーンがある。そのシープが出動する長野支局は、おそらく長野放送の旧社屋裏口だろう。長野放送と書かれたジープもそこに映っているのだ。その次のカットは県庁前交差点を新田町方向から裾花川方向に走るシーン。マウントドラゴンが長野市地附山に到着すると、地元長野放送がテレビ中継車を出動させニュースの実況中継をするシーンが登場。中継車の上に中継カメラを2台載せ、実際のテレビ局スタッフと思しきカメラマンが狙う先は、公害Gメンのチーフに現在の状況を聞くインタビュー。インタビュアーは、私の記憶に間違いが無ければ、その後、NBSニュースイブニング630のキャスターを務める長野放送の塚田アナウンサーだ。現場には物凄い数のエキストラというか野次馬が集まっているが、これは冒頭にも書いた通り、地元放送局が事前にロケ告知をさかんに行った結果だろう。それをそのまま利用して撮影が行われてる。場所は当時地附山にあった観光ロープウェーの雲上台駅の周辺。このあたりは、その後(1985年)、地附山地すべり災害でとんでもない被害にあうことになるが、当時は善光寺とセットの観光地として機能していた。小さな動物園やスキー場もあったと記憶している。飯綱高原や戸隠高原へ通じる戸隠バードラインの入口でもあり、ロープウェーからは長野市が一望できた。ちなみにこのロープウェーは1963年に橋幸夫が主演した松竹映画「若いやつ」にも倍賞千恵子とのデートシーンで登場する。冒頭で、「協力 長野放送 善光寺スカイランド」とのクレジットが出るが、おそらくそれはロープウェーを運営会社かそこにあった食堂だったと思う。その善光寺スカイランドの協力に感謝してだろうか、長野まであと8キロというドラマ用に造られた看板にも「善光寺スカイランド」と書かれている。その看板のアップからズームアウトすると長野市北部を一望する道路が現れ、マウントドラゴンがトーレラーで運ばれていくという映像。この映像に私は痺れた。長野市まで8キロと表示されているが、実際の撮影場所は地附山、85年の地すべり災害で完全に崩れてしまった戸隠バードラインだ。ズームアウトと共に看板のすぐ後ろに見えてくるのが、長野市の上松地区。開校して間もない長野市立湯谷小学校の美しい校舎がズームアウトの途中で一瞬フルサイズショットで映るのが感慨深い。地すべり災害の際はその体育館が避難所になっていた。ロープウェーはその後取り壊され、戸隠バードラインも災害で途切れたまま、戸隠には、これもまた田中康夫前知事の脱ダム宣言で有名になった浅川ダム工事や長野五輪のフリースタイル、ボブスレー、リュージュ会場へのアクセス道路を念頭に作られた浅川ループ橋を通って行くように変わっている。さて、こうしたドラマでは定番の一件落着のあとに主人公らが談笑するシーンは、地附山スキー場の最下部で撮影されている。背景には飯綱山やバードラインの一部が見える。その次のカットは、スペクトルマンがやっつけたマウントドラゴンを載せて東京に帰るトレーラーが、仏閣型駅舎の長野駅の前を通るシーンだ。屋根にハート型の模様が施された長野電鉄のバスが懐かしい。地方都市である長野はようやく経済成長の結果が形になって現れ始めた時期。その中途半端な風景がドラマの背景シーンで垣間見れるのがとても面白い。

翼をください

576e6d3a.jpgネット上を徘徊していたら、赤い鳥がライブ演奏するビデオ映像に遭遇した。曲は「翼をください」。この曲は今やサッカーの応援歌どころか文部省唱歌とも化したジャパニーズポップス不朽の名曲となっているが、このビデオ映像ではその優等生的な楽曲のイメージとは異なるややワイルドな赤い鳥の演奏が堪能できる。まあ、ワイルドと云えば聞こえも良いが、ハッキリ云えばややメチャクチャ。(笑) でも、その荒々しさや若さが逆に面白い。村上秀一(ds)氏と故・大村憲司(g)氏が加わっているので、おそらく映像は1972年か73年頃のものだろう。あらためて見ると、いろんなことが見えて興味深い。で、いきなり音楽性とは無縁の話で恐縮だが、当時小学生だった私はガキのくせして、平山泰代(p.vo)さんのアイドル的ルックスにけっこう「ほ」の字だったりした訳で、今回もついついまずはそこに着目してしまった。やぱ可愛い。オトコ好きする人だよね。彼女は・・・。でも、この映像を見ると意外や意外、当時は地味だな~とたぶん思われていた新居(山本)潤子(vo)さんが可愛くて驚いた。もちろん、ハイ・ファイ・セットではカーリーヘアにまでなって、オトナのオンナを十分に披露してくれたけれど、この映像の潤子さんは可愛い。70年代の街角で見かけた聡明で綺麗なお姉さんそのもの。声に力が入りすぎて地声が出てしまっている部分がまたリアルでいい?? お二人とも今もお美しいがやはり若さってのは凄い。演奏面では、平山さんのピアノのキーがズレているのが少々気になる。赤い鳥は全員が演奏が出来、歌も歌えるという当時としては画期的で優れたバンドではあったのだが、コーラスも一流、インストルメンタルバンドとしても一流という訳になかなかいかないものらしい。ギターソロが始まるとカメラは山本俊彦(g.vo)さんを追うのだが、リードを弾いているのは、実は新居さんと後藤悦治郎(g.vo)さんの後ろに隠れて見えない大村憲司(g)さんだったりする。それは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でジョージの代わりにリードギターを弾くエリック・クラプトンのようでもある。でもまあ村上氏も大村氏も他のメンバーよりは明らかに演奏は巧いものの、かなり雑。この後、赤い鳥は渡辺俊幸(kyd)さんを加え、サウンド面のさらなる強化を図るが、村上大村両氏がエントランスなるバンドを組み脱退、オリジナルメンバーも紙ふうせんとハイ・ファイ・セットに分裂する。フォークの真髄を追求しようとする後藤さんとハイセンスなポップを志向する山本さん、大川さん等との路線対立があったようなことを、私と同郷の音楽評論家が後年、著書に書いていたが、この映像を見る限り、理由はそれだけではなかったことが容易に想像できる。いくら優秀なメンバーが集まっていてもフォークバンドとして始まったバンドがジャズロック風の楽曲もこなせるライブバンドとしてやっていくのはかなり困難だ。そこにある種の限界のようなものもあったのではないか。それはその後の紙ふうせんがフォーク・デュオ、ハイ・ファイ・セットがコーラスグループもなったことでも判る。だから、私はこの映像が好きなのだ。赤い鳥がロックしている映像。多少のミスタッチがあってもパワー炸裂。気分は爽快。若さゆえの演奏だ。この曲が国民的名曲になっているにもかかわらず、赤い鳥の再結成がないのは悲しい。いろんなことがあったのだとは思う。でも、失礼な言い方で恐縮なのだが、声が出て指が動くうちに一緒にぜひ演奏して欲しい。そう思っているのは私だけなのだろうか? 最後に蛇足。作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、歌唱:山本潤子による「校歌」を作った高校があるのを御存知だろうか。それは福岡県久留米市にある祐誠高等学校の校歌だ。(久留米なら藤井郁弥に作らせて松田聖子に歌わせればとも思うが) これが凄い。祐誠高等学校さんのHPに行けば誰でも高音質なWMAファイルをDLして聴くことが出来るのだか、聴いてびっくりラウンジ系で Burt Bacharach な校歌に恐れ入る。メロディーがボサノバAntonio Adolfo の Pretty World のよう。デンマークの Brigit Lystager の唄う Pretty World が Bacharach風だったので、CDをひっぱり出して聴いてみたら同じとは云えないが、雰囲気が一緒でゴキゲンな気分になってしまった。こんな校歌があっていいのだろうか。ラウンジ系やハイ・ファイ・セットが好きな人はダウンロードして聴いてみるといい。アレンジは山本潤子さんの April がらみのスタッフのようだが、このA&M路線はきっと村井先生監修。縁もゆかりもない知らない高校の校歌が私の通勤時鑑賞用mp3のヘヴィーローテションになってしまうかも知れない。

千の風のソレアード

d8a988d2.jpg紅白歌合戦に知らないテノール歌手が出てきて、いきなり「♪私のお墓の前で泣かないで下さい」と歌われた時には酒を噴出しそうになった。だが、そのインパクトは相当なものだったようで、年が明けた1月22日にはクラッシック系歌手としては初めてオリコンシングルチャート1位を獲得してしまった。これはエロエロあった昨年の紅白の中で唯一の良い成果だ。NHKも嬉しいに違いない。しかし、有名になるとリスクも伴う。ある年齢以上の人は、この曲を聴くと「悲しみのソレアード」を想い出してしまうらしい。曲名を知らない人も、どこかで聴いた懐かしい曲と感じるようだ。そう思うのも無理は無い。このブログでも以前紹介しているが、「悲しみのソレアード」は70年代に世界的に大ヒットした曲。原曲は1972年にイタリアのカンタウトーレ、チロ・ダミッコが歌った「Le Rose Blu」。それを彼自身が、ダニエル・サンタクルズ・アンサンブルというバンドでインストルメンタル曲として発表したものが1974年に大ヒット。ポール・モールアやフランク・プウルセルなど当時の有名楽団も演奏し、イージーリスニングの定番曲にもなった。日本では西条慶子が唄ったヴァージョンがフジテレビの連続ドラマ「春ひらく」の主題歌に使われ、これもヒット。訳詞した布施明自身も歌っている。そのさらに数年後には日本テレビのバラエティ番組「カックラキン大放送」のエンディングテーマにまでなぜか採用され、「♪楽しかったひと時が今はもう過ぎてゆく~」などと別の歌詞でも唄われた。つい最近もNTTドコモのCMのBGMとして使われている。いつの間にか多くの人々の心の中にインプットされていたのはそのためだ。「千の風になって」と「悲しみのソレアード」をあらためて聴き比べてみると、やはり似てはいる。唄い始めのコード進行がそっくりなのがかなりマズかった。しかし、曲全体の印象としては「ソレアード」のような爽快感は「千の風」にはない。「墓の前で泣くな」って唄だものな。世界中で何千何万という曲が毎日作られている。それを調性音楽の範疇で作曲するとなると、個人的にはこの程度の類似は止むを得ないようにも思う。小林亜星と服部克久で争った「どこまでもゆこう」裁判なども、自然にそうなってしまったのなら仕方がないのかなという気がする。しかし、原作者への敬意やオマージュもなく、意図的にパクッたことが証明されるとそれはやはり非難されるべきだろう。今回がどうであるかは、「千の風になって」の作者の心の中を覗いてみないとわからない。

ヨーグルトメイキング

fce322a8.jpg調理家電の三日坊主御三家と云えば何だろう。「ホームベーカリー」に「ジュサー&ミキサー」、残りは「たこ焼き器」か? 近頃はクッキーメーカーやら豆乳メーカーなんてものもあるらしい。こうした調理家電の使用が三日坊主に終わる最大の理由は、その準備と後片付けの煩わしさにあることは間違いない。手作りが美味しいことは判っているが、材料が案外高価で、完成品を購入した方が安いので結局使わなくなってしまう。とか、小麦粉や果物のカスがこびり付いた容器を横目に、美味しい手作り料理を食べねばならないシラケっぷりに気が付いてしまうと調理意欲が減退していくのだ。手作りに向いていない人とはそういうものだ。しかし、そんな人でも唯一手作り継続可能な食品がある。それが「ヨーグルト」。ヨーグルトの健康効果は有名なのでいちいち説明しないが、腸内環境を整備するには最低限1日に200g程度のヨーグルトを摂取する必要があるという。500gで2日半。1日50円(1500円/月)。一人暮らしならば店で買って食べていた方が良いだろう。しかし、家族4人でとなると6000円(/月)。これは少し節約もしたくなる。手作りにすれば、種菌用市販ヨーグルトを2パック300g300円と無調整牛乳1リットル6パックで900円。4人分が1200円(/月)で済む。電気代を含めても1500円を超えることはない。さて、肝心の作り方。これは三日坊主にならないよう、限りなく簡単で手間のかからない方法を用いるのがベター。まずは、牛乳パックのままヨーグルトが作れる市販のヨーグルトメーカーを購入。EUPAのものならたった980円。カレースープンに2杯程度の市販ヨーグルトを無調整牛乳1パックに投入し念入りに掻き混ぜる。ヨーグルトメーカーにセットして6~7時間。あれあれ不思議、牛乳パックがヨーグルトパックになっているではないか。これを冷蔵庫で数時間冷やしてから食べる。たったこれだけだ。調理時の洗い物はスプーン1本のみ。注意点は投入するヨーグルトの量の分だけ牛乳を減らしておくとか、スプーンを熱湯消毒するなど雑菌の混入に注意するとか、攪拌する時はパックの両側を全開にしてよ~く掻き混ぜることくらい。これが最も簡単なプレーンヨーグルトの作り方だ。ヨーグルトマニアはカスピ海ヨーグルトやケフィアヨーグルトなどにも凝るが、常温に近い状態で培養可能なため簡単な反面、株分けや雑菌対策などを慎重に行わないと食中毒の危険を伴うため初心者には向かない。プレーンヨーグルトの場合、種菌(スターター)に使うヨーグルトは市販のプレーンヨーグルトで良い。プレーンが望ましいが加糖してある程度ならまったく問題ない。お勧めは明治十勝ヨーグルトの個食4パック包装のもの。牛乳1パックに1個弱投入すればよく衛生的。賞味期限も長く価格も安い。出来上がりこだわるなら森永のビヒダスヨーグルト(BB536)。培養時間を短めにすると滑らかでクリーミーなヨーグルトとなり、これは絶品。培養温度は40度とされているが、30度以上であれば時間がかかるものの培養は可能。要は牛乳パックを6~7時間、40度で恒温可能な装置があればヨーグルトメーカーも不要なのだ。ちなみに私はEUPAの980円のヨーグルトメーカーを購入して試したあとは、電気毛布に牛乳パックを包み、100円ショップで購入した角型の塩ビのゴミ箱に入れ一気に2パック分をヨーグルト化している。パック全体を均一に恒温、35度から45度程度の範囲で温度調節も可能な優れものだが、電気毛布の目的外使用になるので勧めはしない。火事の危険もある。どうしても真似したい場合は自己責任でどうぞ。

年賀状文化の終焉

年賀状の遅配が気になる正月だった。例年ならば元旦に届くはずの人の年賀状が3日過ぎに届く。明らかに異常。送り主に何かあったかと心配になり消息を電話で尋ねてしまった。郵政公社も遅配が多かったことは認めている。原因は「差し出す側の「遅出し」が顕著になり、年の瀬に1日2億枚と云われる仕分け機の処理能力を超え続けたため」なのだそうだ。・・・これは怪しい。絶対に怪しい。年賀状は減ってるんじゃなかったのか? 10年程前は30日に投函しても同じ市内ならば元日に配達されていたではないか。その頃の方が年賀状は多かったはずだ。2日に返事として投函した同一市内への年賀状の配達が13日だったという話も聞いた。仕分機の処理能力を超えただけでそんなに遅れるものなのか。明らかに何かが隠されている。気になったので調べてみた。

(引用始)「例えば30日中に差し出された普通郵便はほぼ元旦に配達されています。年賀だけが処理が間に合わなかったわけですが、現場からは当たり前だという声が聞こえてきます。熟練労働者はいない、短期アルバイトも集まらない、小包請負業者も逃げ出すような職場にしてしまったのは当局のこれまでのリストラ施策の積み重ねによって。JPS=トヨタ方式による現場を無視した合理化施策がそれに決定的な追い打ちをかけての、今年の惨状なのだと。」「年賀引き受けのピークが遅くなったのは何も今年に限った話しではありません。ここ10年来いや20年来の話しで、30日がピークだったという年も決して少なくはないのです。いわんや今年は年賀葉書の売り上げ自体も落ちており、普段より処理作業量としては少なくなっていたにもかかわらず、年賀状を元旦に配達仕切れなかったのです。」(引用終)
(参照元http://no-to-privatization.blogspot.com/2006/01/blog-post_16.html

こうした内部告発が事実だとしたら、差し出す側の「遅出し」を原因とした郵政公社の態度は絶対に許せない。失敗の理由を利用者(お客さま)に押し付ける企業がどこにあるだろうか? 最低最悪の対応ではないか。そんなことは不二家もしていないし、パロマも雪印もしていないぞ。お客様への「真っ向サービス」どころか「真っ向批判」じゃないの。(笑) 親方日の丸郵政省に出来ないことも出来るから郵政民営化だと小泉さんから聞いていたが、現実はどうやら逆らしい。それが民営化だというのなら、民営化と共に年賀状文化も御終いってことなのね。考えてみれば、携帯電話やメールが普及し尽くした現代に、1枚50円もする有料の紙をショップにワザワザ買いに行き、下手な字で賀詞を書いたり、金も暇もないのにソフトまで購入してパソコンで印刷した挙句に、この寒い中ポストまで投函に行く。こうした高速ネット時代にソグワナイ「非効率的な」通信手段を年末に全国民が一斉に行うっていうも無駄と考えてしまえば確かに無駄だ。私自身はアタマが古いのでそういう無駄に価値を感じて昔から毎年100枚5千円で年賀状を作成してきているが、その非効率性を郵便屋自身が率先して訴えるのなら、もう年賀状は出さない。仕事が減って助かるだろう。喜んで協力する。・・・・・つまらない時代になったものだ

美国化日本

アメリカ合衆国のことを日本では「米国」と表記するが、中国では「美国」。安倍首相のキャッチフレーズ「美しい国、日本」を中国表記すればスバリ「美国日本」。なるほど判り易い。「美しい国、日本」とは「米国化日本」のことかいな。米国が唱える「グローバル化」とは所詮「米国化」に過ぎない。米国の指導に従い社会経済を米国化することが、日本が世界で生き残る最善の方法だと日本人の多くが信じているようだが、世界広しと云えどもそんな馬鹿なことをしているのは、日本だけだ。中国では「グローバル化」のことを「全球化」と云う。しかしこれは全世界で中国経済の影響力が強まることを意味する言葉であって決して米国化するという意味ではない。(それなら、米国経済をコテンパンに打ちのめし、世界の覇者となった1980年代後半の日本は正に「全球化」を実現していたってことになるのだが・・・。) 一方、欧州においての「グローバル化」とは「EU化」のことを指す。反グローバル主義者たちはローカリズムを破壊する「EU化」に反対して時に過激な活動もするが、実はその「EU化」を推進する人々も米国に追従する気などはサラサラない。米国に対抗するための「EU化」なのだから。さらに、米国のお膝元、南米。よく調べて欲しい。米国が経済支配を強めれば強めるほど各国は反発し左翼化する傾向にあるではないか。日本人の米国好きは異常なのだ。最近、「ホワイトカラーエグゼンプション」導入の是非が話題になっているが、その内容はともかく、これも昨年の「日米投資イニシアチブ」で米国政府がグローバル資本主義導入の一環として日本政府に要請したことをそのまんま実行しようとしているものだ。いくら要請でもそのまんまじゃダメだろ。日本のやり方が世界に通用しないといつ誰が決めてしまったのか? 世界を席捲した日本方式は現在でも生き残っているし、益々盛んな会社もある。グローバル化のために輸出すべきは日本方式なのだ。今やモノだけでなく強力な文化も世界に輸出している国だというのに、何に遠慮をする必要があるのか。好んでアメリカナイゼーション(アメリカンスタンダード)化するなど愚の骨頂だ。米国と協調するのが悪いとは云わないが、自分を失ったらすべてはお終い。「美国化日本」に未来などない。

超静穏の簡単茄子

4cb6ba76.jpg昨今、どんなに低価格なPCでも40GB以上のHDDを搭載している。普通にPCを使用しているだけならそれで十分だ。今、この書き込みに利用しているノートPCは本体に40GB。それとは別にバックアップ作業用に60MBの2.5吋の外付けHDDをUSB接続で使用している。それでも入りきらないデータはデスクトップPCの広大なHDD空領域に保存してきた。ところが、YouTubeやMusicBlogを楽しむようになるとHDD容量が足りなくなってくる。(笑) いや、正確に云うと容量は足りているのだが、使用上の煩わしさが増えてくる。我家では節電、騒音、セキュリティの観点から使用しない時はPCの電源を落としているため、ノートPCからデスクトップPCにデータを取りに行くだけでも、いちいちPCを起動しなければならない。PCを2台起動するとファンの音は当然うるさい。HDDなど使わずデータをCDやDVDにマメに書き出して保存していれば良いのだが、ディスク1枚1作品みたいなソフト以外のデータをCDやDVDに分別保存するとファイルを探すのが大変になり、ディスクの整理がともても面倒になる。5吋FD、3.5吋FD、MO、CD-R、DVD-R・・・想えばいろんなメディアを使用してきたが、保存しても死蔵するファイルがほとんどだった。それらを如何に整理するかは無駄かつ徒労な作業。図書館司書のような方々は別として、整理整頓の苦手な私にとっては永遠のテーマだ。こうした場合、多くの人はとりあえずUSB接続のHDDを導入して解決する。自作用ケースも安く売られていて簡単便利だ。ところが私の場合、このUSB接続HDDがノートPCに常時接続された状態になってしまった。USB供給とは別に電源が必要になる場合もあり、これが実に煩わしい。そんな訳で、そろそろサーバーを置かなきゃダメなのかな~と1年ほど悶々としつつ、実行には移せなかった。理由は価格と騒音に問題があったから。仕事(お金を稼ぐの)に使わないようなデータを一時保存するのに2万円以上の出費はしたくないし、音がうるさいサーバーを家庭内の何処に置くかで迷ってしまった。そんなところに先日PCデポで低価格のNASキットを発見した。LAN型HDD用ケース(V-Gear LANDISK PRO)。売価は7980円。これいいんじゃね? フォーマット形式はFAT32で1ファイルのサイズ制限は4GBだが、137GB以上の大容量HDDも使える。DHCP対応でIPの自動割り当ても可。USB接続も排他で搭載。FTP転送対応。HDDスリープも可能なので、電源は入れっ放しでOK。放熱はアルミ筐体でおこないファンレスのため、ほぼ無音。(←これ重要)で、いつでもすぐデータが使える。私の場合、250GBの3.5吋HDDを7980円で購入し取り付けた。合計費用は15960円。JA*RACには申し訳ないが、最近はYouTubeやMusicBlogで音楽を聴くことが多いので、この程度の出費は許容範囲内だ。落とした音楽は通勤時に1980円のMP3プレーヤー(USB端子付・256MB内臓・ヘッドホン変更・単3仕様に改造)で快適に聴いている。アルバム1枚をMP3にすると70MB程度なので、250GBのHDDならば3500枚(WAVならば400枚)も収録できる。音楽鑑賞が中心でMP3やMPEG4のデータを扱うのであれば十分快適なオンデマンドライブラリとなる。DVD映像(50枚程度の収録)やHD映像(12枚程度の収録)で運用するには容量不足だ。そういう用途に使うのだろう、ショップにはTB単位のNASもたくさん売られているが、インターネットや家庭内LANの転送速度を考えると容量ばかり増やしても???という感じがした。さて、この製品、既にメーカーが製造をやめ、ショップが在庫を放出中。ツクモのネットショップでは6千円台で売っている。ネットで評判を調べるとフォルダやデータが消えるなど悪いことも書いてあったが、それってインターフェースだけの問題じゃないよな。超静音の簡単NASが6千円。余ってる3.5吋HDDを持っている輩は、期待をせずに試してみるのもよいかも知れない。

Windows Vista 対応

WindowsVistaでは、V-Gear LANDISK PRO が認識されない。ファイルが見えるときもあるのだが、読み込み待ちをしているうちに応答が無くなる。V-Gaer社は倒産してしまったようで、国内販売代理店(リンクスインターナショナル)も新規の扱いがない。困った。解決方法はないのかとネットを彷徨ったところ、価格.com のクチコミに対応が書かれていた。情報を上げてくれた方には本当に感謝する。最新のファームにすると使えるらしい。ところが、最新のファームが登録されている V-Gaer のサイトそのものが消滅しているではないか。さらに情報を探したところ、http://www.station-drivers.com/page/landisk.htmに登録されているのを発見した。最新のNAS-BASIC48 V48 (Mini Nas) の方を使いたいところだが、このファイルは V-Gear のサイトからリンクされていて、残念ながら現在はダウンロード出来ない。そこでその前のファーム、NAS-BASIC47 の V47-B2 (mini Nas) をダウンロードした。これで問題なく動いている。ファームのセットの方法は、LAN DISK が接続された状態で、ブラウザを起動し、URLに http://storage/ と入力しアクスし表示されるページから LAN DISK PRO WebControlUtility >Maintrnance > Firmware Upload の項目で、ダウンロードしたV47-B2 (mini Nas) を解凍して出てくるFirmwareBasicNAS2.bin を参照し、Upload すればOK。Status で表示される Firmware Version は、NAS-BASIC47,LOADER69 となる。