記事一覧

諦めは罪なのか?

人は向上心を持って努力する姿が好きらしい。プロジェクトXやらにんげんドキュメントなど、NHKが制作する真面目なテレビ番組だけではなく、最近では民放が制作する教養バラエティ番組なんぞでも、一般の人々やら芸能人が何らかの目標に向かって努力する姿を描いては、スタジオに並ぶ出演者にしたり顔で感想を述べさせていることが多い。とりあげられる人の対象は日本の科学技術を世界レヴェルにまで押し上げた偉人やメダル獲得を目指すオリンピック選手、災害や経済的な逆境を乗り越えようとする市民、ダイエットや隠し芸に挑戦する芸能人、はたまた「おつかい」に挑戦する小学校入学前の子供やチンバンジーまで・・・。そうした番組からは「向上心を持って努力することは善だ」という制作者の揺ぎ無い確信を沸々と感じられる。見ている人に感想を求めればおそらくは「元気付けられた」とか「自分も頑張らねばと思った」などと殊勝なことをきっと云うんだろうな。それがタテマエというものだ。しかし、実際には単に番組を見たことにより自分も成功したかのような疑似体験をして気持ちがよくなっているだけって人が案外多いのではないか。WBCで日本が優勝すれば自分が世界一になったかのような錯覚をし、サッカーのW杯で日本が敗退すれば自分を含めた日本人はダメだと落胆する。現実はそんな単純ではないハズなのだが、それらがこの手の番組の人気の理由であろうことは想像に難くない。まあ、見ている側はそれでも良いような気もしないではない。気分が良くなることは悪いことではないし、しょせんは他人事なのだ。しかし、私が気になるのは前述したように番組制作者側が「向上心を持って努力することは善だ」と盲目的に信じてしまってような気配があるところ。これは怖い。「努力した人は報われるべし」という実力主義社会を求める世相があったり、「失敗したらやり直せばいいではないか」と簡単に云ってのける首相もいたりするが、制作者側がそこまでステレオタイプだったりなんかしたら何とも恥ずかしい。おそらく制作者自身も競争社会の中で窮々としているハズなのに、落伍者の目線でモノを考えることをしない。それどころか学歴社会である程度の実績を収めた自分の過去の成功体験を根拠に上からモノを見るような視点で他人の努力を評価するようなイヤ~な奴もチラホラと見受けられる。もろろん、自分に対して甘いなんてのはあまり感心できないが、他者に対してはもっと優しい目線で物事を考えていても良いような気が私はする。また、物事を達成するには単に努力するだけでなく冷徹な自己評価も必要だったりする。それが無いまま無鉄砲に頑張るのは努力ではなく虚勢と変わらない。稀に無知が功を奏して大成功を収める場合もあるが、それは確率的にはとても低く、多くの場合周囲に迷惑をかけるだけで終わることが多い。まあまだそうやって奮闘している人間はいい。久しく何か固定した価値観が蔓延し、マスメディアが頑張る人ばかりを紹介している中、現実には行き場の無い人が激増しているように思えてならない。経済的敗者はもちろん生殖的敗者(意味わかるかな?)も。かつてはそうした人々の立場で作られたテレビ番組や大衆芸能が多かった。昨今は「悲しい酒」を飲んだらその時点で負けらしい。いずれコップ酒の酒が溢れるだろう。人はタテマエだけでは生きられない。

コメント一覧