人民元が通貨バスケット制に移行したとのことだ。経済オンチの私には何が何やら訳若布なのだが、「主要貿易相手国通貨を一定の割合で加重平均したものと自国通貨を連動させる方式」だそうだ。完全な固定相場制からは一歩抜け出しているものの、市場を勘案して中国(中央銀行)自身がレートを決めるようなものだから、過渡的な制度なのかも知れない。同時に2%の元切り上げも行った。米国のその名もライス国務長官が先月中国を訪れているが、きっと経済制裁も辞さないみたいなことを言われたんだろうな、昔の日本と同じだ。日本の場合、圧力に屈して360円、308円、遂には変動相場制移行となった訳だが、とりあえず通貨バスケット制とは如何にもプライドだけは高い中国らしいやり方だ。政治的には巧み。自分でコントロールしてるような格好になるから大国のメンツも立つ。でもまあ、裏を返せばそんなやり方をしてること自体が中国の必死さの表しているとは言えやしまいか。一歩間違えればバブル化して大崩壊の可能性もある中での舵取りを、かつては社会主義経済を標榜していた連中がやっているんだからかなりのスリルがある。日本の場合、昔も今も政治的にはいつも外圧に屈していて情けない限りだが、経済的な部分に限ればかつては常にその逆境を克服してきた。そしてその克服のキーワードは商品開発力だった。どんなに円が高くなり価格が上がっても世界中の人々が欲しがる工業製品を新開発していた時代の日本経済は強かった。中国から来る留学生はみなかつての日本人のように勉強熱心だ。人を宇宙に送れる国。きっと驚くような工業製品を次々に開発して生き残ることだろう。・・・と、とりあえずエールを贈っておく。結果は北京五輪のあとに出る。

北国の街 1965年 カラー 92分 日活
高原のお嬢さん 1965年 カラー 93分 日活
本日、BEST CLASSICS 100 を購入。ずっと気になっていたが、他にも聴きたいCDがあり後回しになっていた。そうこうしているうちに、このCDはオリコン週間4位を獲得、2ヶ月間の売り上げが20万枚を突破し、クラシックとしては異例の大ヒットと新聞各紙が報じるまでになってしまった。確かにCD6枚組100曲7時間収録で¥3000ポッキリは安い。店で試聴したら音質も良いので買ってしまった。我が街の塔盤屋は普段クラシックは置かないのだが、このCDだけはジャズの辺りにゴロゴロと並んでいていて試聴も可能になっていた。凄いことになっている。ヨーロッパで20万枚のヒットが宣伝文句だが、このままいくと日本だけでも30万枚を超えそうな勢いだ。正に東芝笑み! さあ肝心の中身はというと、会社帰りに買ってきて今25時。飯と風呂の時間以外はずっと聴いている。つまり良いと言うこと。一曲3~4分程度のものが多く、それはクラヲタからすれば邪道なのかも知れないが、CBSソニーの「音のカタログ」(歳がバレる・・・)あたりとは違い十分に鑑賞に堪える長さと編集ではある。私の場合、クラシックは、中学校までの音楽教育程度の知識しかない。クラヲタでもないのにバルトークやストラビンスキー、ショスタコ、ヤナーチェクやジナステラなどのCDだけはしっかりと保有している変な奴ってハナシもあるが、基本的な部分での知識はかなり偏っているので、このCDは入門用としても使える。実際、このCDを聴いてフォーレのレクイエムはフルサイズのCDが欲しいと思った。今まで宗教曲なんて聴いたことなかったからね。なんて書くとまた東芝EMI。
Karinaは1971年にダブリンで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストに「En un mundo nuevo」で参加し準優勝した女性歌手。元来はいわゆるイエイエ歌手のスペイン版のような人で、レコーディングされた楽曲のほとんどがカヴァーポップス。60年代は東洋の果て日本でもレナウン娘よろしくミニスカートはいてカヴァーポップスを歌っていた女性歌手がたくさんいたほどだから、日本同様、当時既に準先進国だったスペインにもイエイエガールが当然のように存在したのだろう。 Karina も各国のイエイエガールと同様、テレビや娯楽映画に出演してはカヴァーポップスを唄い人気を博していた。その人気はスペイン本国のみならずラテンアメリカのスペイン語圏にも波及してたようでメキシコ盤なんぞもかなりの数発売されていたようなのだ。このKarina、視点(聴点?)を変えて聴くととても面白い。彼女がスペインで人気を博したのは60年代の初めから70年代の中頃まで。勘のいい人はすぐに気がつくと思うが、この時代というのはビートルズは年代順に聴き込めば判るとおり、年毎にレコーディングシステムや楽器テクノロジーが進歩した時期。まさに彼女はこの面白い時期を駆け抜けているのだ。さらにここから先が重要。彼女を音楽的にサポートしたのは、Los Pekenikes という日本でいえばブルーコメッツにあたるようなスペインで最も優秀なビートバンドのメンバー、Tony Luz であり、編曲は知る人ぞ知る天才アレンジャー Waldo de Los Rios だったのだ。英米の流行を逸早く取り入れ、ビート感覚、管弦楽編曲ともに本家を凌ぐ完成度。ちょっと聴くと普通の歌謡ポップスに思えるかも知れないが、そのセンスの良さはこの時期のポップロックを聴き込んだ人なら誰もが認めるものだと思う。このアルバムもそうした活動の集大成。El amor es azul はアンドレポップ&ヴィッキーの「恋は水色」。No Me Quiero Enamorar はバートバカラック&ディオンヌワークウィックの「恋よさようなら」。Concierto Para Enamorados は Toys の A Lover's Concerto。ジョージハリスンの Something なんぞも唄ってる。「なんだカヴァーばかりかよ」と侮るなかれ。当時、日本国内にもゴロゴロしてた陳腐なカヴァーとは一味違う。恐るべし Waldo de Los Rios 。天才のアレンジをバックに唄う Karina のスペイン語ヴォーカルが実に心地いい。この軽やかさはフランス語やイタリア語じゃ出ないよな。PASAPORTE A DUBLIN ってのは「ダブリンへのパスポート」ってこと。彼女がユーロビジョンコンテストで準優勝するまでの過程は、同名のドキュメンタリー映画にもなっているが、これはある意味彼女のキャリアのピークとなったアルバム。ちなみにユーロビジョンコンテストの準優勝曲「En un mundo nuevo」ってのは「新しい世界へ!」ってな意味らしい。まるで「出発の歌」(上条恒彦と六文銭)。70年代初頭はベトナム戦争が泥沼化するなど、あちこちで騒動が絶えなかった時代だが、一方で人類が月に到達したりエレクトロニクス文明が急速に進歩するなど未来に対するオメデタイ希望もまだまだ残っていた時代(「人類の進歩と調和」!!)だった。ほどなくオイルショックが世界を襲い、ロック界でも幅を効かせていたユートピア幻想は崩壊するわけだが、この時期、KarinaもTony Luzとの短い結婚生活の崩壊の後、スペインのポップシーンから消えてしまう。数年前にフランス・ギャルのカヴァーを探しているときにたまたま知ったのがKarinaだが、1965年から1975年の10年を黄金の10年と信じて疑わない私にとって、いつの間にか特別な存在になってしまった。
GW中にスパイウェアに感染した。それもシツコイことで有名な「about:blank Search for」型。IEのホームページ(トップページ)を勝手に変え、予告無くさまざまな広告ポップアップを表示してくれる実に有難いプログラムだ。このスパイウェア、以前に同僚のPCが感染した際にニワカSEよろしく除去作業をしてあげたことがあり、その際はse.dllなるドライバをrundll32を終了させた状態で削除してやれば、それで済んでいた。その後、しばらくするとAd-AwareSEというフリーのスパイウェア検知ソフトで除去が出来るようになったので、今回もAd-AwareSEを最新版のパターンファイルにして除去を試みたが、なんといずれの方法でも除去出来なくなっていた。こりゃ弱ったなと思いネット上を検索してみると、いくつかの有名なウィルス対策ソフトのサイトに特定のファイルを手作業で除去し指定の記述をレジストリから削除する方法が書かれていた。しかし指定記述が自分のレジストリ情報と一致しない。なんだかなあ、あまり役に立たない。有償ソフトで商売しているなら一発削除できるようにもっと工夫してもらいたいものだ。結局、一番役にたったのはとあるSE氏の日記にあった「se.dllとmutant.dllが関係している。」という何気ない記述。なるほどダミーがあったのか。ところが残念なことに自分のPC内を検索してもse.dllはあるもののmutant.dllなるファイルは存在しない。どうやらダミーの方は何種類(何十何百か?)とあるようなのだ。Ad-AwareSEで検知されないのもそのためか? こりゃ行き詰まったかな~と思いつつ、Search forと表示されるページのソースを眺めていたら、そのトップにres://="%43%5A%8B-----------(略)----------" なるURLエスケープを発見。さっそく変換してみると、出てきたのはファイル名だった。C\WINDOWS\system\mehg.dll。コレだ! しかし、削除しようとするとWindowsが使ってるといって削除できない。既にrundllは終了させているし、safemodeで起動しても同じ。こうなったら再インストール覚悟の力技、DOSモードで起動し直し、プロンプトから del c:\windows\system\mehg.dll とやったら遂に一件落着。あとはAd-AwereSEでレジストリの掃除をしてお終い。ポップアップしてくる広告ウィンドウも右クリックでソースをみるとその中にも起動ファイル名の記述が必ずあった。スパイウェアは必ず削除できるものと云われているが、ウィルス対策ソフトやスパイウェア検知ソフトで一発削除できるかというとそうも行かないのが現実。除去にはある程度の知識は必要だ。今回の場合、必要なスキルはAd-AwareSEのインストールと設定運用、WindowsのSafemodeやDosモードでの起動、IEソース閲覧にURLデコード、DOSコマンド入力ってなことなので一昔前に云われたパワーユーザーなら充分対応可能だろうが、ここまで複雑だと一般ユーザーにはお手上げだ。今回、必要な情報をネット上で探していたら、既にAd-AwareSEでのスパイウェア除去を商売にしているサイトがあったのには驚いた。Ad-AwareSEで除去出来ない場合はそのまま返すってシステムが凄い。それなら俺にも出来そうだ。(笑) "Ad-Aware"ってのは「アド哀れ」とでも読むのかな?