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みゃあの真実

caesiumsans名古屋の民放テレビ局で不適切な画面が放送されてしまい全国的なニュースになっている。その詳細やその後の経緯についてはそのテレビ局のウェブサイトのトップに詳しい。検証報告書や検証番組で実に丁寧に事の経緯を解説してある。一通り読んでみた。システムとしての放送会社の報告書としてはたぶんこれ適切なのだろう。が、経費や人員削減やチェック体制の不備を招いたなどと労働団体が書くような尤もな記述並んでいるのを見てしまうと、まあそれも事実なのかも知れないが、本質ではないでしょうと言いたくなってくる。調べるまでもなく問題の本質は不適切なテロップを作成した50歳代の協力会社の社員の資質にあると考えるのが普通。ところが、38ページもある検証報告書の中で、当該社員に関する記述はたったの1ページだ。内容はその社員が日頃からスタッフとしてあまり優秀とはいえなかったこと、社会性が欠落していることが調査委員会の調査で伺えたことなどなど。無論、個人の資質をばかりを掘ってしまうと、そこに原因を求めてるように誤解されかねないので、委員会としてはそうせざるえを得なかったのかも知れない。しかし、私は当該社員の経歴の方が気になる。50代という世代もだ。報告書によると当該社員は、他の会社にカメラ助手として放送業界に高卒で入り、その後30年以上働き現職にあると説明されている。おそらく業界に入ったのは80年代だろう。当時のテレビ局は収益がひたすら右肩上がりのボロ儲け状態。テレビの放送開始からまだ20年程度しか経ておらず、草創期から働くスタッフも現場に多く、ベンチャー企業的体質が残っていたはず。結果、良く言えば自由闊達、悪く言えば趣味か仕事か判別が付かないようなお祭り体質があったのではないか。その頃のテレビ番組を思い起こすと良くも悪しくもパワーがあって刺激的だった。一方、当時の日本社会では人権意識が現在と比べるとずっと希薄だった。テレビ局のコンプライアンス意識が低いというよりは、社会全体がまだおおらかだったというか、差別されている人に対して無頓着だったというか、今では考えられないような企画が普通にワイドショーやバラエティ番組で放送されていたものだ。今回の事件の舞台は名古屋だが、タモリがさかんに名古屋弁を茶化したりブスの産地などと揶揄して笑いをとっていたのもその時代だった。若者が読む雑誌でも東京都や神奈川県に比して千葉県や茨城県、埼玉県を蔑視して笑いをとるような表現も当たり前に行われていた。人の不幸は実は楽しいもの。だから当時のテレビ番組は強烈で面白かったのも事実。私は今回の事件で岩手県に対して行われたことにそれらと共通するメンタリティを感じた。しかし、今の時代「セシウムさん」なる不適切画面を見て笑う人は少ない。不適切画面の修正を依頼した若い女性社員は当該社員の悪ふざけの意図(何が面白いのか)が全く理解できなかったのではないか。時代が変わり社会が変わり人々の意識も変わっている。それに乗り遅れた当該社員は実に哀れだと思う。最後に不謹慎な蛇足を付け加えてみる。実は今の時代そうしたものはネットが受け皿になっている。有名な巨大匿名掲示板を見れば不謹慎発言の山。人の不幸を笑いにする発言は当たり前。モラルなど皆無、法に触れなければ問題がないという状態だ。つぶさに読んでいくと、書いているいる人々が今回の当該社員のように案外高年齢ではないかということにも気が付く。妻もいれば子供もいたりするはずなのに、分別がない。それをテレビでやってしまった。困ったものだ。検証報告書ではそういう部分を社会性の欠如と指摘していたのだろう。結局はそこに尽きる。

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