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記事一覧

ヒッチハイカー

hich見知らぬ23歳の青年をクルマに乗せた。国道脇にクルマを止め得意先の部長と仕事をしていたら、彼は電話を貸して欲しいとその部長に声を掛けてきた。タクシーを呼びたいというのだ。ここに来るまでの間に、歩いている彼を追い越していたのを思い出した。腰の曲がったような老婆くらいしか歩いていないような白昼の田舎、今風の格好をした若者が手ブラで歩いていたのが不思議で、気にはなっていた。しかし、ここは国道脇とはいえ最寄の都市まで30キロはあるであろう山の中だ。こんな場所にタクシーを呼んだら当たり前に1万円以上の運賃はかかる。部長が「金はあるのか?」と尋ねたると、前の町のATMで金は下ろしてきたという。「携帯電話は持っていないのか?」と尋ねると「忘れた」という。本当に金を持ってるのだろうか? 私にはかなり不審に思えた。しかし、部長は、ヒッチハイクよろしく彼を目的の都市まで送るという。かなり疲れた表情をしていたし、我々と行き先が同じだし、人生経験豊かな部長の判断でもあるし、これは乗せるしかないのかなとは思ったが、それでも不審だったので、彼を助手席に乗せ私は後ろの席から監視しながら向かうことにした。運転している部長に何かあったら一大事。ヒッチハイカーを乗せたときのようなフレンドリーさとは程遠い緊張感の中、クルマが動き始めた。部長が彼に身の上話を持ちかける。聞けば、新卒で都内に就職したものの数年で辞めることとなり、関東のとある県庁所在地で職を探したが見つからず、出身県の途中の駅まで電車できたが乗り換えの接続が悪く、天気が良かったので残り75キロを徒歩で歩こうとしていたらしい。具体的には書けないが、状況からすると辻褄が合わない部分はある。金があるなら歩く必要もなかろう。後で部長と話したが、おそらく金は無いのだろう。携帯電話も経済的に維持できなくなっていたのだろう。それでも僅かな自尊心はある。仕事が無くなったことを親にいえず、自らの力で何とか解決しようと試みたが、どうしようも無かったのかも知れない。部長は早い段階でそれを察したようで、途中でコンビニに寄り、彼に簡単な食事を施した。彼はそれを貪るように食べた。パンを持つ手ではなく、頭と口の方が上下する。食べ終わると眠り始めた。やはり極限状態だったのだ。目的の街まで着くと彼を下ろし別れた。最初は不審に思ったが、別れる頃にはごく素直で優しい青年だという印象が残った。雇用情勢が良ければ問題なくやっていけるであろうごく普通の若者だった。プライバイシーのこともあるのであまり具体的には書けないが、これは今日体験した紛れも無い事実。いつからこんな国になってしまったのか。まあ、40年ほど遡れば都会に就職したものの適応できず金もなく淋しく田舎に舞い戻る若者が当たり前にいたことはいた。でもその時代は「金が無くても夢があった」とさきほどの部長が教えてくれた。夢が無いほど淋しいものはない・・・とも。科学技術は進歩して身の回りに便利な機械は増えたが昨今の経済的な閉塞感は昭和初期のような暗さがある。この10年、努力すれば報われる社会だとか再チャレンジ可能な社会だとか云われてきたが、それらがすべて欺瞞であることを、新卒の若者に対する社会の仕打ちを見ながら常々感じてきた。それを今日目の当たりにした。少しくらい経済情勢が悪化しただけで庶民が夢を描けなくなるとはなんとも情けない社会だ。競争社会を推進した学者政治家がそのまんま人材派遣大手の取締役にノウノウと納まる厚顔無恥。よくぞここまでダメな国になってしまったものだ。

生き残りをかけた戦い

gas2鳩山首相が「温室効果ガスを2020年までに1990年比25%削減する」と国連演説で表明した。これは国際公約だ。「どえりゃ~ことを云ってしまったものだ」と突然名古屋弁が出るほどに心配してしまった。「すべての主要排出国の枠組みへの意欲的な参加が前提」とのことだが、京都議定書のときのような上島竜兵状態はさすがにもう御免。そのあたりは大丈夫なんだろうか。この数値は日本国内の産業を空洞化させかなねない厳し過ぎる削減目標。きっと排出枠取引で莫大な国費が使われる。厳しい財政状況の中で、なぜこんな恐ろしい公約をしてしまったのだろう。人の良いお坊ちゃまを首相にしたのが失敗だったのか。いやいや東大卒だ。そんな馬鹿ではないわな。冷静になって考えみる。いやいやもしかして、これはお人良しどころか日本が数十年ぶり国際政治の中でに攻めに出たって動きなのかも知れない。よく考えて欲しい。エネルギーの節約制限もなく有害物質の排出制限もなく、自由に産業活動が出来たとしたら、この先日本は生き残れるだろうか。否だ。繊維鉄鋼電気自動車。産業革命に始まる工業化は今世紀に入り確実に転機を迎えている。生活に必要な工業製品は先端技術を用いなくても安価に大量に製造可能になった。その主な生産国は日本ではない。中国を始めとする途上国だ。今や世界の人々は高機能な日本製品を求めなくてもそこそこ使える低価格な途上国生産品でじゅうぶんだと考えている。日本は先端技術の研究国でしかなく、特許や知財による高額な富は得られるが、その先端技術が通常の生産技術になった途端、大量生産大量消費によって得られる直接的な利益は中国あたりに奪われてしまう。これでは優れた先端技術を持つ日本の一部の大企業はグローバル社会の中で生き残れるものの、国全体としての活力は失われる。優秀な理工系大学卒業生の就職先は多々あっても、工業高校卒業生が働く場が無い。大多数の日本人は不要とされる。むろん国民生活に必要なサービス業なども含めた内需にかかわる雇用はある。が、そんなモノは途上国にだってあるのだ。一部の人間が豊かな状況では内需の規模も知れている。プータローが増えるのも当然なのだ。でもまあこの状況が続いてくれればいい。これで、先端技術研究の競争力が落ち、「♪後から来たのに追い越され」たらどうする。日本はG8から脱落、先進国の地位を失うことになるだろう。資源も知恵もない、面積相応な極東の小国に成り下がる。それでは困る。いやがおうにも攻めねばならない。そこを突破するために必要なのが温室効果ガス規制なのだ。厳し過ぎる削減目標は産業を空洞化させるとの声もあるが、既に開発ではなく製造に関して云えばすっかり空洞化してしまっているではないか。それどころかこのままズルズル行けば知財も失いかねない岐路に立っているのだ。ここでハードルを高くして「♪後から来たのに追い越され」ないようにするしか日本が生き残る道はないだろう。現時点で、生産から運用に至るまで高度な省エネ技術がないと工業製品が造れないようになるとなれば、まだまだ日本に利がある。厳し過ぎる目標だが、日本がアドヴァンテージを得るにはこうするしかないのだ。温室効果ガス削減はすべての人間活動に関わってくる。目標値が上がれば上がるほど、高度な工業技術がない国はいずれ脱落していくことになる。クルマを例にとろう。ガソリン車やHV車の製造には高度な技術が必要だった。ところが電気自動車の製造にはそれほどの技術はいらない。途上国が人件費の安さに任せてガンガン造りまくり市場を席捲。じゃ、ガンガン造るには省エネ技術が必要になるルールにしましょ。技術は供与するけど完全無償ではないよ。と、こういうこと。ハードルを高くした方が日本の出番は増える。そのためになら湾岸戦争時の日本の拠出金の半額程度の排出権取引費用5千億など安い安い。全国の理工系大学の学生諸君、出番ですよ。実は温暖化の原因が温室効果ガスにあるのかも定かではないのだ。太陽黒点の活動の方が地球環境に与える影響が大きいとの学説もある。温室効果ガス規制の本質は、環境問題というより経済問題。行く末はおおいに心配だが、久々に日本の政治家が政治を行ったのを見た気がした。

Olimpus Maitani - 1

d1ac496b.jpgPEN、OM、XAなどの開発者、元オリンパス光学工業常務の米谷美久さんが7月30日に逝去された。このところブログの更新をサボっていたが、前回のエントリーで米谷さんのことに触れたばかりだった。本当に残念で淋しい。特に優れたカメラでなくとも写真は写るし、カメラ如きに拘るのはそちらのプロかマニアの世界といえばそれまでかも知れない。PENが何のことだが知らない一般国民の皆様にはそれほど関心が持てない分野ではあろう。しかし、米谷さんの設計思想、商品開発姿勢には、ホンダの本田宗一郎さんやソニーの井深大さんのような魅力があったことを、米谷さんの存在を知らなかった方々にも知って欲しいと思う。1959年、カメラが高級品だった時代に米谷さんは、庶民にも手が届く価格6000円でPENを世に送り出した。12枚撮りのフィルムで24枚撮れるハーフサイズ、撮った写真を大きく引き伸ばすのは辛いが、庶民がサービス判程度の写真を残す程度ならば十分だ。十分どころかレンズの描写力は当時のプロカメラマンがサブカメラとして使用するほどの良さ。これには業界も、家族の写真を残したいお父さんもぶっとんで大ヒット。その勢いで、シャッター速度や焦点を固定し、シャッターを押すだけで誰でも写真が撮れるPEN(EE)、固定範囲をやや広げてより多様な条件でも誰もが写真を撮れるようにしたPEN(EES)などを発売、撮影者の立場にたった機能を安価に実現するアイディアが抜群でさらなる大ヒットを記録した。もちろん、お金を積めば、もっと優れたカメラは当時もたくさん存在した。一眼レフならばニコンF、レンジファインダー式ならばライカMなど、でもそれはとても庶民に普通に買える価格ではなかったのだ。ところが1970年代になり、所得倍増政策の成果で庶民の金廻りがやや良くなってくると、12枚撮りで24枚撮れるハーフが貧乏臭く感じるようになってしまう。カラーフィルムも普通に使われるようになると、お父さんたちは大きさは我慢してローソクの光でも撮れる(笑)フルサイズのヤシカエレクトロ35などに浮気をする。もっとお金のあるお父さんは、新聞社のカメラマンが持つような一眼レフカメラを自慢げに肩から提げ始め、オリンパスの路線はやや時代遅れになっていた。そんな状況下、他社に遅れて1972年、米谷さんが設計、発表されたオリンパスの一眼レフOM-1(発売当時はM-1)に、業界は再びぶっとんだ。他社よりも一回り小さいボディ、レンズ、シャッター音。エベレスト登山隊が携行カメラに選ぶほどの、重量と機械的な信頼度が高さ。小型で愛着の湧く一眼レフカメラでオリンパスは復活する。さらに2年後の1975年に発表されたOM-2でまたまた業界はぶっ飛んだ。フィルム面に反射した光を測光して明るさを割り出すTTLダイレクト測光。これが凄い。ストロボをいくつ使ってても露出優先フルオートで撮れるカメラなんて当時は無かった。「宇宙からバクテリアまで」というのがOMの宣伝文句だったが、リングストロボというレンズの廻りを囲むように光るストロボを装着し、マクロレンズで花の花弁をアップで撮影しても、オートで撮れる。これは一眼レフの敷居を下げるだけなくマクロ撮影を業とするプロカメラマンの撮影をも容易にもした画期的な機能だった。また、レンズだけでなく、フォーカシング・スクリーンやアイカップ、ワインダー、モータードライブ、ストロボやデータバックがすべてOMシステムとして完全に共通部品化されていたのも親切だった。経済的に庶民の味方でかつ小型高性能、これはPEN同様のスピリッツだ。当時の2大カメラブランドはAE化のためにレンズマウントを変更したり、レンズに変な部品を付けてたりして対応していたのだから痛快だ。小型化は他社にも甚大な影響を与えた。某社などはOMより小さくすることに熱心なあまり、標準レンズの直径がボディの底面をハミ出すサイズになるようなカメラを主力機で売っていたりもしていた。小さきゃ良いってものでもないのに。(笑) そしてカメラが高級品でなくなり、お父さんだけでなく、お姉さんも扱え、世界最速のシャッタータイムラグを誇る冨士フィルムの名機「写ルンです」が一世を風靡した1980年代、米谷さんが発表したのが、XA。ボディを横に広げるとレンズが顔を出す。昨今のコンパクトデジカメではよく見かけるスタイルだが、その元祖がXAだ。ボディを閉じればそのまま持ち歩ける。デザインもグッドデザイン賞を受けるほどカッコイイ。で、写りはというと同サイズ、同クラスのカメラを凌駕する質。しくみはともかく、カメラをカメラケースに入れず持ち歩くことを前提とした、現在のコンパクトデジカメに連なるある種のデザインの始まりがXAにあったように思う。これだけ書いても、カメラに関心のない方には理解されそうにないので、そろそろやめるが、どうでもいいような機能の優位性を打ち出しては技術開発のための技術で研鑽を積み、時にガラパゴス化するようなとんでもないお化け製品を開発することもあるのが、日本の工業界の強みでありイノベーションを支える原動力ではあるのだが、世界を驚かす画期的な商品が生まれる背景には、技術者とは別の発想が付きものだ。本田宗一郎さんの向こう見ずな覇気とか、大賀典雄さんの芸術感覚とか、松下幸之助さんの商道徳感等々、例はいろいろある。ところが米谷さんは、自身でその両方を持ち合わせた技術者だった。ヴァイオリニストがヴァイオリンを作れたら。野球選手がバットを作れたら。そりゃ良いに越したことはないのが、それは実際には難しい。ところが米谷さんはそれを実現した稀有な例なのだ。日本には科学技術の発展に寄与した研究者、技術者は星の数ほどとは云わないがたくさんいる。しかし、商品開発の分野で、これだけスマートに個人のセンスが業界をリードした例はあまりない。ユーザーからサインを求められる技術者もそうはいない。昭和の国宝級技術者がまたひとり世を去った。ひとりのファンとして心からご冥福をお祈りしたい。

間違いだらけのカメラ選び

6bc9b83c.jpgエントリークラスのデジタル一眼レフカメラの価格が驚くほど下がった。数年前にホディの価格が10万円を切った頃に一度購入を考えたが、システムで20万以上になってしまうので見送っていた。ところが、今やボディが5万円以下、キットレンズ付きでも10万円以下だ。この価格ならば下手糞な写真しか撮れない私でも購入しても良いだろうという判断で具体的な選考に入った。今月はじめから主要5社(キャノン、ニコン、オリンパス、ソニー、ペンタックス)のエントリー機の機能や価格を睨めっこ。好きなモノを買うときはこの時間が一番楽しい。まあ普通に考えれば、ニコンかキャノンだろう。銀鉛一眼レフ時代からの強力なブランドイメージと光学技術の確かさで、不動の地位にいる。ブランドイメージというのは恐ろしい。ニコンは新聞社やフリーのプロカメラマン御用達。ペンタプリズムに白く「Nikon」と刻印されてさえいれば、性能はどうであれカメラを構えた姿が様になる。憧れのプランドのダブルズームキット(D40、D60)が10万円以下で売られている。メイド・イン・タイランドの威力だ。いやタイでもチャイナでもいい。「Nikon」と刻印されてさえいればいいのだ。と、かなり心が動く。スペックを調べてみる。このメーカーは相変わらず保守的だな~と感心。愚直なまでにカメラの基本機能にこだわり、価格を下げるときは容赦なく余分な機能をカットしてしまう。一番判りやすいのはライブビュー。ニコンのエントリー機にはライブビューが搭載されていない。しかし、レンズ性能やボディのホールド感、ファインダーの見易さやピントの合わせやすさ、手を加えない状態での画像の色味やコントラストの上がり。安くても写真機の基本はおさえている。でも、やっぱりライブビューは欲しいよな。無くても問題はないが、コンデジに慣れてしまうと、ライブビューの出ないカメラはあまりにストイックだ。貧乏カメラ小僧のおもちゃとしてちょっとツマラナイ。やぱそんなことを気にする私はプランド品を持つ資格はないのかも知れない。余剰資産が増えたらシステムで揃えたい憧れのメーカーだが、それはたぶん死ぬまで無理だろうな。ということでD60は大手家電量販店の店頭まで行って「却下」。次はキャノン。デジタル一眼レフ技術の最高峰はキャノンだと私は思っている。光学技術だけでなく電子技術においても業界一のメーカーだ。特許を駆使しオートフォーカス技術を完成させたのもキャノン。ニコンとは異なり、昔から新技術を取り入れるのに熱心で、マニアが喜ぶおもちゃ機能も盛り込んでくれるので楽しい。スターウォーズの宇宙船の如く登場するCMが忘れられないカメラロポットA-1あたりがその最たる製品。かつては大好きなブランドだった。しかし、近年はその経営方針が気に入らない。キャノンの技術者さんには申し訳ないが、「却下」。KISSなんて名前を付けたらカメラ小僧は買わないよ。それとも「カメラ好きならミドルクラス以上を買え」って脅迫かいな? 申し訳ないが、私は競争社会の負け組なので御社のカメラは当分買えません。トイレの掃除はお忘れなく。次、ソニー。ごめん。ペンタプリズムに「SONY」と刻印されているだけでダメなのだ。ビデオカメラならば世界に冠たるブランドなのにね。これは機能を調べもせずに「却下」。ミノルタの技術者のみなさんには本当にすまないと思う。コンパクトフィルムカメラを使う際は今でも現役でハイマチックSDを使っているので許して欲しい。これに付いてるロッコール38mmF2.7の描写が大好き、これがあればライツミノルタのような写真が庶民にも撮れるのだ。次、ペンタックス。ラインナップが少なく残念。エントリー機の購買層をメーカーが限定してしまうのはどうか。私はママじゃないので「ママ想いの世界最小」じゃ買えないよ。キャノンキッスの真似かな。そういや大昔もオリンパスOMを真似て小型軽量カメラを作ってたな。アサヒペンタックスMEが義理の父の遺品として私の手元をにあったりもする。このメーカーは昔から庶民の味方ではある。頑張って欲しいがカメラ小僧がときめく要素に乏しいのが残念だ。そんな訳で、最後に残ったのがオリンパス。このメーカーは面白い。米谷美久さんに好きなことをやらせ、ペンやOMといったユニークなカメラを開発した企業姿勢は今でも残っているようで、このブランドにはクルマでいうところのホンダのような魅力がある。発想がやわらかく、ひとたびヒットを飛ばすと、ニコンやキャノンが驚くほどの技術力を発揮する。その姿は時折ホームランをかっ飛ばし、トヨタや日産を慌てさせるホンダと重なる企業イメージがある。いずれも低迷期は訳がわからないほど尖がった製品を平気で出してしまい自滅。そこがまたユニーク。オリンパスもオートフォーカス技術では低迷、OM707にはワロタ。オリンパスを買うユーザーは「変わり者」みたいなことを言う人もいるが、カメラやクルマは道具だが、道具として優れていうだけじゃ面白くない。綺麗に写ればいいだけのカメラ、きちんと走ればいいだけのクルマじゃあツマラナイではないか。コンシューマ向け製品と云えども、技術者の意気込みや落胆が伝わってくるようなメーカーの方が私は面白くで好きだ。無論、失敗作を買うほどメーカーに肩入れする余裕はないが、そんなメーカーが業界トップを脅かすような製品を出すと、判官贔屓をしてそれを購入してしまうのが私の性質なのだ。クルマもトヨタが安心なことは判っていて、次はトヨタにしようとずっと思っているのに結局はホンダの成功作を選んでいる。ニコンやキャノンが優れていて憧れているくせに、結局オリンパスを選ぶ。やっぱり変わり者かも知れない。庶民なので、クルマもカメラもエントリークラスしか買わないって前提がある。、それで楽しめる製品ってなると、ブランド買いはやっぱり出来ないのだ。金も無いのにロゴマークを買い、それをシゲシゲと眺めていても仕方がないではないか。そんな訳で、E-520ボディにダブルズームキット、25mmパンケーキレンズにOMアダプターMF-1を、一気にオトナ買いした。これで10万円でお釣りが来るのだ。さすがメイド・イン・チャイナ。パンケーキレンズはデジタル用35mm換算50mm標準短焦点レンズとして。MF-1は、どんな描写になるか不明だが、とりあえず手持ちのOMズイコー50mm標準を付けて35mm換算100mmのポートレイト用の短焦点にでもと思っている。キットレンズ2本はレンズシステムを揃える資力がないので、35mm換算300mまでの画角確保用。これが10万以内で揃うのだ。ダストリダクションは業界最強。手振れ補正もボディ。ライブビューも付いてる。フォーサーズなので軽くてコンパクト。貧乏人のささやかな遊び用としては最強ではないか。撮影したい写真次第だが、そこに35mm換算70mmの35mm等倍マクロが実売2.3万円。35mm換算18-36mmのED9-18mm広角ズームが実売5.6万円。35mm換算140-600mmのED70-300mm望遠ズームが実売3.3万円。全部「梅」クラスだが、これでボディを含めたシステム総額が20万を超えないのだからびっくり。以前ならレンズキットの値段ではないか。こんなことを書いていると、各社のミドルクラスカメラに竹レンズを揃えている人々には笑われてしまうのかも知れないが、ニコンやキャノンの重たいミドルクラスのカメラにキットレンズ付けてお終いみたいなことをするようなら、オリンパスの梅レンズで高校の写真部のように遊んだ方がおもしろい。不況の昨今これでも安月給の貧乏人にとっては十分に贅沢な選択だ。

自爆テロ

社会を震撼させた旧厚生省幹部殺傷事件。当初は政治的なテロか?との憶測が広がったが、現在では常識の無い人間による卑劣な犯行との報道が中心になっているようだ。その真相は、私のようなものにはわからない。しかし、この事件、仮にその犯行動機が、容疑者の個人的な理由にあったとしても、やはりこれは形を変えたテロなのではないかと思えてしまう。強いて云うなら自爆テロ。他人を道連れにした自殺。そんな匂いを感じてしまう。15年程前、既にバブル経済は崩壊していたが、景気はまだそこそこ良かった。その時期に30歳代で正規雇用され、結婚もせずかつ大きな浪費をせず暮らしていれば、1千万円を超えるの貯蓄をもつことも可能だったはず。その貯えを切り崩しながら、単純に月20万の出費で暮らしていれば5年程度は暮らせる。何もせず15万で暮らせば6年程度は暮らせる。臨時収入があればさらに期間は伸ばせるだろう。容疑者には300万円ほどの借金があったとの報道もされているが、借金が可能ならさらに消極的に暮らせる期間は延ばせるだろう。無職になってから独りダラダラと貯えを食いつぶして生活していたのではないかと私は想像する。「やることはやった。人生に未練はない。」これが容疑者の最新の供述だが、威勢のいい言葉の裏に根深い刹那が漂う。貯えも底を尽き、将来の展望もない。生きるのが面倒になってしまったのが本当のところなのではないか。その場合、普通の人間ならば一人静かに富士の樹海に向かう。しかし、性格的にそうでない方法を選ぶ人々がいても不思議はない。生きるのが面倒になってしまったのが悟られては格好悪い。尤もな理屈を付けるために攻撃対象を探す。社会に対する怨念というよりは、社会なんざどうでもいいと考えるような究極の利己主義。自分に生を授けた親にだけは手紙を書いたのが人との唯一の接点だ。器の小ささを感じる。この10年の日本社会の変貌は、他人のことを思い遣るような心理を根こそぎ駆逐するようなものだった。負け組から抜け出せなかった人々が、社会や不特定の他者への憎悪を表現するために、最期に身勝手な行動と共に自殺する。数年前に名古屋で起きた軽急便立てこもり放火事件。秋葉原の連続殺傷事件。そして今回の旧厚生省幹部殺傷事件。な~んか嫌な共通点を感じるのは私だけだろうか。日本経済が縮小し、かつてのような生活を維持できなくなっていく過程の中で、そこに競争原理を導入し、待遇や賃金を抑制しようとしたやりかたが如何に間違っていたか。その表れがこうした事件に表れているように思えてならない。高度経済成長以前の日本には貧困が原因で発生する寂しく暗い事件が無数にあったのも事実だが、人々は隣近所で味噌や醤油を貸し合いながら慎ましく暮らしていたものなのだ。そうした協同意識は物質的な豊かさを得たことによってやがて崩壊してしまう。さらに古来から日本人に根付いていた儒教的な道徳心も、戦後民主主義によって駆逐されていく。そんな状態の日本人に、為政者や経済団体の指導者は、弱肉強食の競争意識を強いたのだ。ほどなく、他人のことなど考える必要のない社会が訪れた。そんな時代の自殺のあり方だ。考えるだけでも恐ろしい。どうせ死ぬならアイツを巻き添えに、とか、何でもいいから派手に死んでやろう、などと自分勝手な死に方を選ぶ輩が続出してもまったく不思議ではない。地域社会が崩壊し、血縁社会も崩壊した。会社社会もその内部の人間関係においては崩壊してしまった。最期に細々と残っている唯一の社会、中学校の社会科風に云えば社会の最小単位。「家族」。そこからも弾き出された人。そうした社会のしがらみ、そのすべてから孤立している個人。そんな最低な自由人が社会から追い詰められ、自殺を遂げるとき。その方法の妄想もまた自由だ。あまり具体的なことは書きたくないが、自分が死ぬことが前提ならば、一個人でも社会を震撼させるようなことはいくらでもできる。理系の知識のある人物の場合は特に恐ろしい。モラルも無ければイデオロギーもないのだ。事件が起きると「理解できない」と人々は語るが、「理解」などのいうのは人と人とのコミニュケーションの間にある概念ではないか。理解できないのは当然なのであって、問題はその外側で起きている。個々の日本人をこれ以上孤立させるのは危険だ。誤解されるのを承知で書かせてもらえば包丁やタガーナイフで済んでいるうちはまだ可愛いいのではないかと思われる。爆発物や薬品、銃を使用した自殺もどき犯罪が出てきたらどうするのだろう。事件を起こした個人の資質を執拗に問うたところで、起爆装置の生産は終わらない。

ポストプロダクション革命

f1e324d9.jpg誰も読まないようなこのブログを私が続けているのは、情報のギブ&テイクというネットマナーの基本を愚直に守りたいからだったりする。日頃ネットから様々な情報を得て勉強させてもらっている。貰うだけは申し訳ないので、一応は自分も情報を発信しておくということ。役に立つかどうかは利用する人次第。まあ、世の中いろんな人がいるので、ネット検索で私のブログを引っ掛けて役に立ったと思う人も数百万人に一人位はいるのではないか。インターネットとはそういうもの。今回の投稿についていえば、たぶんビデオ映像を作成したい人にとってはかなり役に立つ情報だ。関心のある人は最後まで読んだ方がいい。この10年、ビデオ編集はパソコンのスペックの向上と共に飛躍的な進化を遂げている。テレビ番組で見らるような派手なビデオエフェクト(例えば映像が球体になって飛んでいったり、本をめくるように画面が変わったりする効果)は、一昔前まではテレビ局やビデオ編集専門のスタジオに設置された総額で億を超えるような映像機器を揃えないと実現できなかった。それが今では手持ちノートパソコンでも出来るようになっている(笑)。もちろんそれなりの学習は必要になるが、家電品販売店に並ぶAVCHD方式のビデオカメラとノートパソコンと編集ソフトがあれば、30万円以内でスーパーインポース(字幕)や特殊効果を駆使したハイビジョン作品を制作することが可能だ。最近発売された編集ソフトに面白いものがあった。トムソン・カノープスのエディウス。なぜ面白いかは後述するとして、まずはパソコンで行う編集ソフトの変遷を書いてみたい。少しパソコンに詳しい人ならば、映像編集ソフトとしてアドビのプレミアの名前を知っていることだろう。ウィンドウズ95や98がOSだった頃から販売されていて、イラストを描いたり、静止画をデザインしたり、動画に効果を加えたりソフトでもアドビが圧倒的なシェアを誇っていたこともあり、主に芸術系の映像制作者から絶大な支持を得ていた。その頃の初心者向けのソフトといえばユーリードのビデオスタジオ。ビデオキャプチャボードの添付ソフトとなっていることが多く、使い方もプレミアに比べると格段に判りやすく簡単で、ホームビデオの編集によく使われた。プロの世界で注目されていたのは米国メディア100社のメディア100。映像編集に特化したハードとのセット売りで、プロ用として実用になる最初の製品だった。2000年以降は大手放送機器メーカーがノンリニア編集システム構築に本腰を入れ始める。パナソニックはDVCプロという放送用のカメラシステムと連動したノンリニア編集機、ソニーはXpriというノンリニア編集システムを発表する。しかし、パナソニックについてはDVCプロを導入していない制作現場への導入は進まず、ソニーに関してはソニー信者の多いテレビ局への一定の導入は進んだものの、価格の割には融通の効かない操作性に疑問点が多く、逆にアンチソニーを増やしてしまったとの噂もある。そんな中、使い易いと評価を高めていたのが、アビッド。専用機を使い、実際に編集する者にとって痒いところに手が届く操作性に、現在でも評価するプロが多い。一方、プレミアで映像編集を始めた業界関係者に評価されているのがアップルのファイナルカットプロ。マックOS特有の操作の親しみ易さから非技術系の現場での人気が高い。そうした現況の中、近年急速にシェアを伸ばしてきたのがトムソンカノープスだ。元来、ビデオキャプチャボードで人気を博したパソコンの周辺機器メーカーだが、テレビのデジタル化に伴うコピー制限の影響を受け、そのビジネスモデルが崩壊してしまった。その結果、放送機器を扱うフランスの電気メーカー、トムソンに買収され、現在はプロ向け製品にシフトした事業展開をしている。エディウスという編集ソフトもタイムライン編集の容易さで一定の評価を得ていたが、初期のヴァージョンはプロ用として使うにはエフェクトが少なく、GUIのデザインからして情けない程度のものだったが、ヴァージョン4.6で格段の進歩を遂げる。劣化の極めて少ないコーデックをなんと自社開発、各社の放送用ビデオデッキとの連携調整を行い、ハイビジョン編集にも完全対応、弱点だったエフェクトの数の少なさをサードパーティのプラグインを利用することで克服し、デザインや操作性もプロ用として十分に使えるレヴェルにまで引き上げた。それで価格はたったの7万円。最初に30万円でと書いたが、実はソニーやパナソニックの10万円程のAVCHDビデオカメラ+7万円のエディウス5+10万円程度のデュアルコア&4MBメモリ搭載のノートパソコンによる合計が30万円ってのを想定してのこと。映像はファイルで渡すからキャプチャボードなど不要だ。編集済の作品はDVDに焼く。あるいはちょっと投資してブレーレイディスクに焼けばよい。そしてさらに、この長い文章をここまで読んでくれた方のために、ここでとっておきのTipsを披露する。もし、あなたの会社にカノープスのHDWSやREXCEEDといった業務用のシステムが導入されていたら、そのプロジェクトファイル(フォルダ)をUSB経由で携帯用HDDにコピーし、それを前述した自分の30万円セットのパソコンに入ったエディウスで開いてみるといい。「キャプチャーしたボードが無いので出力できないぞ!」と叱られるものの、コピーしたプロジェクトを自分のパソコンで自由に編集できてしまうことに驚くはずだ。HD-CAMで撮影された映像もレンダリング時間が増えるもののさほど大きなストレスを感じることなく編集可能だ。編集済のプロジェクトは再び会社のシステムに戻し、HD-CAMテープに出力すれば、何事も無かったかのように仕事が終わるはず。さらにもっと驚いてしまうのはエディウスNeoという2万8千円のコンシューマ向けの編集ソフトでも同じプロジェクトファイルが使えたこと。もちろん、プロに搭載されネオにない機能は反映されないが、元々あった編集内容は変更しなければそのまま引き継がれ元に戻るのだ。どうやら機能のあるなしはあってもプロジェクトファイルの仕様自体は同じらしい。エラーの問題(RAID対応がない)もあれば、動作保障や保守の問題もあるので、メーカーは一切了解していない使い方なのだが、最高のクオリティを追求するレヴェルで無ければ問題なく運用出来てしまう。互換で問題が起きたらプロジェクトでのやりとりを諦め、キャプチャファイルそのものをコピーして再度編集する方法もある。また、どうしても編集済を持ち出しだければカノープスHQコーデックの最高画質でファイルに書き出して持ち出す分には見て判るほどの劣化は起きない。コピーする外付けのHDDは容量が500GBもあれば十分。ハイビジョンでおよそ1分1GB。最大で500分だが実際に使うのはその半分程度にしておいた方が快適。それでも250分。外付けのHDDをそのまま編集用に使いたければ、EXPRSSカード搭載のノートパソコンにeSATA接続で繋ぐ必要がある。HDD(7千円程度)、eSATA対応HDDケース(4千円程度)、eSATAインタフェースEXPRESSカード(4千円程度のものもある)、これら全部揃えても2万円は超えない。これも入れて30万円ポッキリだ。(笑) この話、放送業界の人々が聞いたらきっと驚愕することだろう。いったんフルスペックのシステムで映像をキャプチャしデータ化すれば、放送用レヴェルのハイビジョン編集作業が、10万円以下のノートパソコンで出来てしまうのだ。会社の事務机の上で、自宅のコタツの上で、出先のビジネスホテルで、移動の新幹線の中でとりあえず出来てしまう。マックな人はプレミアやファイナルカットプロを志向し、ノンリニアオタクはアビッドにこだわり、お金持ちのテレビ局はきっとソニーのXpriNSをドカンと購入する中、エディウスのポジションはやや微妙だった。しかし、この未公認運用法は、そんな些細なこだわりを吹き飛ばすどころか、ある分野のプロ用放送機器市場や放送技術者の業務を壊滅に追い込むほどの威力があるような気がしてならない。かつては高額な機材を駆使してきたテレビ業界だが、不況で収支が赤字だとか、下請け会社の従業員がワーキングプア化しているとの情報もある。安価で効果的なシステムが見つかれば雪崩をうつようにそちらに流れることだろう。遠い昔、家庭用のテレビ録画機として売られていた放送機器としては不完全なUマチックVTRが、メーカーの想定を超えていつの間にか電気ジャーナリズム最大の武器になってしまった時のように。

Sarah Brightman's Starship Trooper

cc9d294a.jpg輝けるディーヴァ。クラシカルクロスオーバー、サラ・ブライトマンのCDが日本を含む全世界で毎度バカ売れらしい。かなり昔に紅白歌合戦に出演した時の印象では、自分には無縁なジャンルかな、と関心すら持たなかったのだが、ニュース番組のテーマソングになったり、電気製品のCMに使われたり、各種運動会の公式ソングを唄ったりで、いつの間にか否が応にも耳にその歌声が入ってくる存在になってしまった。後で知ったことだが、私がサラ・ブライトマンの歌声を初めて聴いたのは、その辺の俄かファンなんぞよりも実はずっと古かったりもする。サラがアンドリュー・ロイド・ウェッバーと仕事をする「さら」に前、今から30年前の1978年に唄ったサラ・ブライトマン&ホットゴシップの「Lost My Heart to a Starship Trooper」ってのがそれ。イエスのファンだった私は音楽雑誌の全英チャート欄に載ったスターシップトルーパーという英単語に反応し、僅かな期待をしてラジオでその曲を聴いたものの、案の定イエスとは似ても似つかない音楽に当然の如く落胆し、「何でこんなオカマ踊りみたいな曲ばかり流行するようになってしまったのだろう。」と、いつものように当時のポピュラー音楽の変貌を嘆いた記憶がある。もちろん、サラのことなどまったく意識しておらず、あったのはスターシップトルーパーという言葉への関心だけ。ところが現在、そのサラが、30年前の私の勝手な期待に応えてくれているのだから実に面白い。サラ・ブライトマンのCDを購入する人の層はきっと幅広い。アンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカルのファン。ポップス的な歌唱を許容できる寛容なクラッシックファン。美しい女性の声に癒されたいヒーリング音楽のファン。そして最後にくるがきっと私のような、6~70年代英米ポップのファンってことになるのではないか。私の場合、サラ・ブライトマンをテレビで耳にするだけ音楽から、CDで聴く音楽に切り替えさせた曲は、「すべては風の中に」だった。「Dust In The Wind」ってカンサスだろ。何でそんな歌を唄ってねん。と、CDショップの試聴機で聴いてみたら、あまりに美しく、そのまま即ご購入と相成った。プロコルハルムの「青い影」はさすがにあざとい選曲かなとも思ったが、イントロの迫力に悶絶。ビージーズの「若葉の頃」には若き日の想い出が甦りホロッときてしまった。ノスタルジーといえばそれまでだが、それを美しく演出してくれるのがサラの歌声だ。いいぞもっと英国ポップを唄ってくれ~!と期待し始めた矢先、今年実に5年振りの新録「神々のシンフォニー」が発売された。そのボーナストラックは何と「禁じられた色彩」。坂本龍一とデヴィット・シルヴィアンの曲だ。耽美調? いやこのアルバムの中の「嘆きの天使」はゴリゴリのゴシックメタルではないか。ヒーリングファンがショック死しそうな曲。微妙な路線だが、私は好きだねこういうの。で、それからたった数ヶ月で「冬のシンフォニー」なるクリスマスアルバムが届けられた。早い。そしてその内容こそ、まさにポップファンへのクリスマスプレゼントだった。まずはアバの「アライヴァル」 プログレファンにとってはマイク・オールドフィールド版の秀逸なトラディショナルフォーク風アレンジが忘れられなかったりする。ボーナストラックには定番、ジョン・レノンの「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」 続いてジョニー・マティスの「When A Child Is Born」この曲、最近はクリスマスソングになっているらしいのだが、元曲はダニエル・サンタクルズ・アンサンブルの「哀しみのソレアード」だ。ルネサンス期作曲家が作曲した曲を基にしたイタリアンロック。この曲でのサラの歌唱はとても感動的。いずれも超有名曲だが、一連の選曲に潜むテーマはやはり6~70年代ロックといっていいだろう。その極めつけは正規トラックの最後を飾るエマーソン・レイク&パーマー。「夢みるクリスマス」これがディーヴァの選曲かと思うと自然に笑みがこぼれる。グレック・レイクの曲だが、キース・エマーソンが挿入したであろうプロコフィエフの「キージェ中尉」のフレーズが印象深い。このアルバムの中でサラ・ブライマトン自身が最も唄いたかった曲だというのだから実に実に結構なことではないか。サラはELPの熱心なファンだったらしい。1960年生まれの48歳、確かにドンピシャ世代だな。デヴィット・ボウイやピンク・フロイドも好きだったようだ。こうなったら、その手に選曲だけで1枚CDを作るしかないだろう。ベタな希望で恐縮だが、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」とか、クリムゾンの「ルーパート王子のめざめ」とか、イエスの「スーン」あたりが聴いてみたい。ELPの「トリロジー」なんかもいいだろう。クラシカルクロスオーバーなんぞと云われるが、要は攻撃性の抜けたプログレみたいなものだ。「サラ・ブライマトン、プログレをうたう」「サラ・ブライトマン、ハードロックをうたう」なんて昭和な帯タイトルでもいいぞ。聴いてみたい。まあ、サラが私の期待に応えれば応えるほど、かのアンドレア・ボチェッリとのデュエットしたディーヴァとしての格が落ちてしまうような気がしないでもないが、とりあえず折に触れてロックの名曲を小出しに歌ってくれるだけでもとても嬉しい。

馬鹿を笑う卑屈

「笑い」の研究をしたドイツの哲学者ショーペンハウエルは、「笑い」は論理の差異によって起こると考えた。人は概念と現実の差異(ズレ)を笑っているわけだ。つまり、概念(教養)が豊富で、かつ現実を観察する能力が高い人ほど多くの「笑い」を享受可能だなんてこともそこから発見できる。学者同士が凡人には理解できないような事象で共感し、互いに笑い転げることだってある。それが「笑い」だ。ところが、テレビや寄席で繰り広げられる「お笑い」というのは不特定多数の人々を相手に「笑い」を提供せねばならない。誰もが知り得るであろう教養を基準に、誰もが知り得るであろう現実を提示する。下ネタで笑わせる。反復で笑わせる。差別で笑わせる。低俗化の要因だ。いや、個人的には低俗が悪いなどとは特に思っていないが、それだけではツマラナイだろうと思う気持ちも一方にはある。知的な笑いというのは知的好奇心も満たしてくれる。タモリ倶楽部の名物コーナー「空耳アワー」が腹を抱えるほど面白いのは、誰にでもわかるであろう概念と現実との差異を寸劇で表現した上に、洋楽を知っていることの優越感が上乗せされているからだろう。前述したように私は「低俗」は必ずしも悪いとは思わないのだが「偽善」は嫌いだ。「知的バラエティ」という類のテレビ番組。あれには辟易する。お馬鹿な芸能人相手にクイズ番組をやり、その珍解答を笑う番組。教科書や百科事典に載るような如何にも知的で下品ではない内容を問題として出題し、「オトナのくせにその程度のことも知らネエのか?」とお馬鹿芸能人の馬鹿さ加減を笑う番組の多いこと多いこと。障害者を笑う番組が出来なくなり、田舎者を笑う番組もできなくなり、下品な番組や過激な番組、著名人を馬鹿にする番組もやりにくくなってしまい、テレビバラエティが行き着いた先が、そんな知的バラエティだと思うと何か悲しい。馬鹿を売りモノにして稼いでいる芸能人を笑い者にしているのだから確かに問題はない。問題は無いのだけれど、馬鹿を笑った時点で馬鹿を笑う馬鹿に成り果てるようで怖い。他人の無知を笑うようになったら教養人とは云えない。でも、ついつい笑ってしまう。本当に嫌な番組だ。下劣な演出を自粛し差別的な表現に必要以上に気を使うようになった現在のテレビの品性がそこにある。問題は無いのだけれど何か卑屈だ。会話の中で「めくら」「つんぼ」「びっこ」を連発している我が家の爺さんの方がずっと健全に思えてしまう。そう思える理由はたぶん言葉は悪いが心に偽善がないからだろう。馬鹿を笑う卑屈。下ネタよりも下劣に思えてしまうのは幻覚か、あるいは私の知的劣等感の表れか。いや、やっぱり欺瞞だ。気持ちの悪いタテマエが横行する平成文化の代表例。そういやその類のパイオニア的な番組はその名も「平成教育委員会」とかいう如何にも受験戦争の勝者が嬉々として作ってそうな嫌な番組だった。おなじ北野武でも80年代の「天才たけしの元気が出るテレビ」や「オレたちひょうきん族」の方が正直な分だけ健全だと思えるのだが、そうは考えないのが昨今の常識らしい。

Superfly

f2938f89.jpgSuperflyのファーストアルバムがオリコンのアルバムチャートで2週連続トップになったらしい。洋楽ばかり聴いていて国内のミュージシャンはテレビで拝見する程度の私だが、昨年、家人がミュージックステーションを見ている時に突然聴こえてきた「マニフェスト」のアフタービートにはぶったまげた。ファッションまでヒッピー。こりゃレコード会社の年寄りが自分の趣味で仕立てたアイドルバンドなのかと一瞬邪推したが、ハイトーンヴォイスでシャウトする女性ヴォーカリストの歌唱を聴いて、「こいつらホンモノだよ」と家人に薦めたのを覚えている。冬になり、やはり家人と「エジソンの母」というTBSのドラマを見ていたら聴き覚えのある声が・・・。クレジットには「愛をこめて花束を Superfly」とあった。ここでは「五輪真弓(70年代の)みたいな歌い方もするんだ~」と感心。だが、この時点ではまだヴォーカリストの名前さえ知らなかった。ところがつい最近、携帯電話のCMに使われていたジェファーソン・エアプレインみたいな曲「Hi-Five」を聴いてまた驚いてしまった。こいつら一体何者だ!? ようやくネットで調べてみた。80年代前半に生まれた愛媛出身の健康的な若者ではないか。彼らがやっている音楽は彼らが生まれた頃には既に下火になっていて、昨今でいう Perfume みたいなのが流行っていたはず。それがなぜここまで70年代ロックに徹することができるのか不思議。日本という国は面白い。マーティ・フリードマンが驚くのもよくわかる。めざましテレビで越智志帆のミニドキュメンタリーのようなものを放送していたが、それを見れば、高校生時代は愛媛の田んぼの中で歌ってたという。そりゃ防音室要らずで思い切りシャウトできるよな。しかし、越智志帆にしても多保孝一してもおそらくは屈折した特別な生い立ちを送ったわけではないだろう。その辺りを辛く評価する向きは必ず出てくるとは思うが、80年代生まれの彼らをジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリクスのようにロック界で伝説とされているミュージシャンと比較して評価しても仕方がない。年寄りはSuperflyの楽曲でオリジナルを懐かしみ、若い人々はSuperflyの楽曲でオリジナルを知ることができれば、Superflyを一流のポップソングと言い切っていいのではないか。じゃ、そのオリジナルって何なのよってことになるが、Superflyから聴こえてくるオリジナルは、ローリング・ストーンズやスモール・フェイセズ、ジャニス・ジョプリン、「愛をこめて~」をピアノ弾き語りで歌ってる越智志帆はまるでキャロル・キングだし、スティーヴ・ニックスにも見える。これらは極上の6~70年代ポップだ。私の本籍地は「プログレ」だが、メロトロンやシンセサイザーあるいはフルオーケストラなどを多用し、非ロック的に見えるプログレではあるが、実はその基本はモッズから始まっている。良質のプログレには必ずストーンズやフェイセズと同じブリティッシュロックのスピリッツが脈々と流れているものだ。そういうモノがあれば何も演っても問題はない。Superflyも越智志帆の可能性を活かすために、今後いろんな音楽に挑戦する可能性があるが、何をやっても Superfly に聴こえるような何かは必要になるだろうと思う。さて、最後に気になっていることがひとつ。それは宗教問題。信仰は自由、海外のミュージシャンにも宗教と密接な活動をしている人物も珍しくはなく、それ自体は悪いことではない。しかし、「愛と感謝」なる曲には正直違和感を覚えた。信仰を持たない人にも聴いて欲しいのであれば当然節度は必要になってくるのではないか。

相対的絶望感

秋葉原で凄惨な事件が起きた。極刑級の犯罪だ。マスメディアは容疑者の凶行ばかりを強調するが、私は存外に異常性を感じない。要は他人を巻き込む反社会的で迷惑千万な自殺ではないのか。硫化水素自殺と同じだ。自殺をするかしないかは、負荷の重さと耐性のバランスで決まる。負荷の重さとは社会的重圧(プレッシャー)のこと、耐性とは忍耐力(我慢強さ)のこと。自己実現能力が高く人間として優れた人でも、それを上回る過大な社会的な重圧がかかれば自殺を選ぶことも珍しくない。一方、極端に耐性の弱い人の場合はそれまでに経験したことのない社会的重圧を受けただけで安直に命を絶ってしまうこともある。子供の自殺原因の多くはこの耐性の無さにある。今回の容疑者の場合はどうなのだろう。社会的重圧と耐性の無さ、そのいづれもが当てはまるような気がする。報道によれば、両親が借金をして離婚しているようだし、本人も地方の進学校で挫折し、製造業派遣会社で登録労働をしている。子供の頃からちょっとしたことでキレるとの評判もあり、家庭内暴力もあったようだ。そして、凶行の直接の引き金は、派遣先会社からの契約解除に不安を感じたためらしい。警察でも「世の中が嫌になった。生活に疲れた。」と供述している。親の借金は、保証人にさえなっていなければ、相続しなければ回避は可能だ、それに進学校に合格するだけの基本的な学力があれば適応できる仕事も当然ある。奥さんもいなければ子供もいないのだ。あまり勧められる生き方ではないが、本質を追求せず気楽に逃げまくって生きていくことも不可能ではない。仮に派遣労働に希望が無くとも、自殺をするにはまだ早いではないか。この容疑者には広い意味での耐性が、無さ過ぎたと云わざるを得ない。さらに、被害に遭われた方々の立場になってもっと厳しい言い方をさせてもらうと、この容疑者は高校時代に自殺しておくべき人物だったということだ。それを25歳まで引きずってしまったことが凶行を生んでいる。普通は25歳くらいになれば別の生き方を模索し、その糸口くらいは見つけているものだ。それが難しい。年配の人々に叱られるのを覚悟で云えば、これも「無知の涙」だ。もちろん、故永山元死刑囚と比べたら遥かに低次元で幼稚。しかし、生き方での無知が生んだ犯罪であることは間違い無い。容疑者ばかり責めてきたが、為政者の責任も追及したい。日本は今や自殺大国なのだ。自殺者数は8年連続3万人を超え、自殺率は世界9位で先進国中トップ。これを赤穂浪士よろしく日本の文化だとしたらやりきれない。前出の社会的重圧に対して比較的真面目に考える国民性なのではないか。今回の容疑者も、マスメディアは秋葉原という土地と結びつけ異常な若者のように報じられたりもしているが、よく見れば自身の進学や就職、親の離婚や借金などなど、いわゆる世間体を異常に気にする旧来の日本人像が垣間見える。そんな日本人に対してバブル崩壊以降に政府や財界がしてきたこと。それは経済原理の徹底。「格差はあって当然」と平然と言い放つ総理大臣を選んだまではカッコ良かったが、国民のほとんどが「負け組」だったという笑えない現実。ちょっと前まで、年寄りは金持っていて年金も満額貰えて悠々自適、年寄り自身も「高度経済成長に貢献したのだから当然、今の若い者は貧しさを知らんから」と安心してたら、後期高齢者医療制度で身包み剥がされボロボロだ。今頃気付いたって遅い。いや今回の容疑者の世代の方がもっと不幸だ。かつて日本の経済力が世界2位(瞬間1位)だった時代は、平均所得が低い地方でもほとんどの人々が生活に困らなかった。多少は困っていたかも知れないが、家族にとって最も大切な子供に対してはお金をかける余裕が少なくともあった。それは学校教育も週5日化に向かい少しずつ「ゆとり化」されていく時代でもある。そんな経済的危機感の少ない時代に育ったのが今の20代。さあ、寒村で生まれロクなものも食えずに育ち、集団就職で上京してささやかな収入を手にして生きるのと、貧しさを知らずに育ち成人になってから唐突に経済原理を説かれるのと、人間どちらが幸せなのだろう。冒頭に書いたことをここでもう一度繰り返す。自殺をするかしないかは、負荷の重さと耐性のバランスで決まる。どちらが幸せかどころではない。耐性の無い人間に経済原理を押し付けるのは、ある日突然「もやし」を露地栽培に切り替えるようなものなのだ。やり方によっては死滅する。多くの人は現実と対峙し乗り越えていくのだろうが、絶望感しか持てない人が一定数現れてきても不思議ではない。ニュースを聞いてりゃ派遣の次は移民だと??? このまま行けば早晩、日本人が壊れてしまう。20代の凶行にイヤな将来が見え隠れする。資本主義を堅持し国際競争力を維持しようとするあまり人を壊してしまっては意味がない。セフティネットだとか再チャンレンジとかではなく、本当に求められているのは収入が少なくても幸せに暮らせる社会を構築していくこと。そう思えてならない。