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美しきロマンの復活

73b705ea.jpgフランスでミッシェル・ポルナレフが復活している。日本でも2000年以降、オリジナル盤CDが復活し、コマーシャルソングで使われるたびにベスト盤やらトリビュート盤が発売され、国内盤CDが1枚も無かった10年前の状況とは変わってきているが、本国では、なんと国民的歌手としての復活だというから驚く。2007年の初頭あたりから地方でのコンサートも始まり、誕生日にはマルセイユで大規模なセレモニーが行われたという。そして、7月14日のパリ祭(革命記念日)にエッフェル塔の下でおこなれた60万人フリーコンサートにトリで登場。その模様はテレビで生中継され、日本でもその一部が YouTube や DailyMotion で見ることができる。64歳だ。年齢相応に退化しているが、歌や演奏はまだまだOK。そういう意味では最後のタイミングだったかも。まずは良かった。ポルナレフがフランス本国で最も人気があったのは60年代。70年代になるとやや冷めてくる。そしてアメリカに渡った後は忘れられた存在となっていた。一方、日本では「シェリーに口づけ」の大ヒットにより70年代になってその人気に火が付いた。日本人が想うところのフランス的ヨーロッパ的でロマンチックな音楽を奏でる人として絶大な人気を博したが、本国では旧来のシャンソンと新しい文化を巧みに融合させるヒッピー、自由人というような位置付けだったようだ。近所に住む日本文学に堪能な40歳代のフランス人にポルナレフのことを聞いたら、「彼はサイケデリックだ」との答えだった。しかし、旬な音楽の末期は寂しい。優れた音楽も流行が変わると途端に陳腐に聴こえる。1979年の来日ではベンチャースよろしく地方ドサ廻りをしているが、すっかり過去の人となっていた。当人も自律神経失調症に苦しんでいたと聞く。80年代になると「哀しみの終わるとき」がタモリ倶楽部の中のパロディメロドラマのタイトル曲に使われる始末。場末の酒場に流れるムード歌謡のような扱いだ。しかし、作曲家、吉松隆の名言「人間なんて恥ずかしいものが気持ちいいんだ!」がとても当たっている。私はその恥ずかしさに耐え70年代からずっとポルナレフを聴いているのだ。ただし、永らく音源はCBSソニーのゴールドディスクベストと数枚のシングルのみ。時々無性に聴きたくなることがあり、レコードに針を落としては聴いていた。CDで聴きたかったが国内盤CDが発売が無かった。輸入盤もあまり店に置いて無かったように思う。90年代に国内盤CDが一度発売されたことがあるが、のんびりしていたらすぐに製造中止。やむなく輸入の怪しいベストCDを購入したのが最初のCDだった。近年は中古LPやCDなども購入しているが、聴きたくなった時にに買うだけで収集をしているわけではない。そんな程度だからポルナレフマニアとはとても言えないが、永年飽きもせずにずっと聴き続けている。その理由は、たぶんミッシェル・ポルナレフが最も良質なシンフォニックロックだから。最近では、新曲を含む100曲入ったボックスセットも聴いた。で、その100曲に「忘れじのグローリア」が入っていないのに驚いた。心を揺さぶるあのアナログシンセの音が100曲に含まれないのは実に残念だ。「シェリーに口づけ」のギコギコギコギコメロトロンはもちろん収録されている。そうポルナレフはプログレ。・・・なことを書くと、硬派のプログレファンから総攻撃を浴びそうだが、「ロックとロマンの出会い」も1970年の時点では、十分にプログレッシブだったと思う。ビートルズやビーチボーイズ、サイモン&ガーファンクルやカーペンターズ、ついでにポールモーリアもプログレッシブだったように思う。もちろんそれらをプログレッシブロックとは言わないが、そのスピリッツは実はあまり変わらない。あの時代の音楽はそのあたりを意識して聴いたほうが楽しい。ミッシェル・ポルナレフも、新しい音楽が次々と生まれる幸福な時代を代表する優れたアーチストのひとりだった。だから、聴き続ける。

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