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記事一覧

東日本大震災

shinsai未曾有の大災害が日本を襲った。震災から数日はあまりの規模の大きさにただただ唖然とするのみで、自分が何を考え何をすべきかも定まらぬまま生活していたように思う。被災していない私がこのような状態なのだから、おそらく被災した人々は生きる上で迫られる様々ことを黙々とこなしているだけの毎日だろう。被災した人々に心からお見舞いを申し上げ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。○○市街地壊滅、□□町壊滅という表現が日本国内の報道で使われるなんでことは考えたこともなかった。壊滅とは必ずしも全滅ではない。それは幸いなことだが、生き残った人々に深い悲しみを与えてしまうという意味では限りなく不幸だ。こうした人々の力になる手立てを考えなければいけない。早速、募金はした。ただし、日本の場合、カネはあるように思う。さらにモノもある。略奪が無いと世界から褒められているが、買占めは盛んに行なわれている。金があるから略奪にならず買占めになってるだけで、褒められるような状態ではない。結局、求められているのは有り余るモノやカネの分配システムなのではないか。物資の輸送手段は当初から問題になった。高速道路を緊急車両専用にしたのは良かったが、通常の物流が滞ってしまい、被災地の周辺市町村が干上がってしまった。燃料の輸送が滞ったのは特に深刻で、日本国内にガソリンそのものは十分にあるというのに、各地でガソリン不足を招いている。そんな中、日本海側の鉄道を使用してガソリンを輸送したのは良かった。有事のために今後も○○本線と名の付くJR路線は最低限残せるように工夫すべきだろう。被災地に対しては自衛隊がフル稼働して物資輸送を行なっているようだが、周辺地域への物流が、一週間を経ても混乱しているというのはちょっと情けないように思う。政府と財界の仲が悪いとこういうことになるのか。災害に伴う自粛ムードが始まっているが、節電は止むを得ないものの、経済活動の停滞は被災地のためにもならない。被災した人々の先の生活を支えるのも経済。歌舞音曲も必要。普通に生活することが大切だと思う。これだけの大災害にも拘わらず、総体として日本人は冷静だ。これは海外から見たら驚異に違いない。自信を持って行動すべきだろう。

仏の顔は一度だけ

saidan喪主を体験した。通夜があって告別式があり、その日に初七日法要も行い、四十九日の法要をして納骨をする。ごく一般的に行なわれている葬儀だ。たいした家柄でないので費用は抑えた。それでも150万円は超える。平均葬儀費用は236万円だそうだ。なるほど抑えずにやればそのラインに簡単に届く。普通に働いて家族を養えている人ならば出せない額ではないし、他に方法が見つからなかったので、とりあえず一般的な葬儀を出してみた。しかし、実際にやってみると正直違和感を感じる。何か釈然としない。葬儀は無事終了した。が、やって良かったという気持ちが希薄だ。嵩む費用の方が気になる。良かったという気持ちになれれば、200万程度は使っても構わないと思う。しかし、そうでなければ出費は10万でも惜しいものだ。どうしてこんな気分になるのか。まずもって仏教徒でもないのに多額のお布施を包んでいる自分に矛盾を感じた。作法も一から覚えなければならないし、葬儀の手順を必死で追っているうちに一通りの儀式が終り、故人を偲ぶなんぞという気分にはまったくなれなかった。私自身、唯物的で純朴じゃないしなあ。じゃ、何で仏教で葬式をやるんだよ!とお叱りを受けそうだが、他に方法が見つからなかったのだ。人間関係の希薄さも感じた。我が家の場合、親族には恵まれ、型どおりの式を行なうには十分ではあった。しかし、この十数年の親戚関係を振り返ればそれは冠婚葬祭互助会みたいなもので、ふだんから交わることはあまりない。冠婚葬祭のみを支えあっている。これも不健康。お互い様とはいえ、とても恐縮で申し訳ない気持ちになってしまった。ところで、その嵩んだ費用は一体どこに行くのか。主に葬儀社と寺院。さらに墓を立てれば石材店、仏壇を用意すれば仏具店。容赦なく一万円札が吸い取られていく。サッカー解説の松木安太郎氏ではないが、「なんなんすか、これ?」と言いたくなる。葬儀社が悪いわけではない。祭壇の使用料にやや疑問は残るが、他のサービスについては利用相応の対価だ。寺院についても同じ。お経を読んだり戒名を考えたりするだけで数十万と考えれば高価だが、その位でないと住職が普通に生活し寺を維持するのは難しい。お布施は無税だから月に一回葬式があれば、普通の会社員程度の収入になるわけだが、100軒檀家がいたとして、毎月葬式があるだろうか。否だ。どうも5~600軒ほどの檀家を擁しないとマトモな寺院経営はできないらしい。このしくみ、いつまで維持できるのだろうか。おそらくあと10年ほどかなと思う。団塊世代の人口が多いのでそれまでは見かけ上続く。しかし、それ以降は一気に簡素化してしまうのではないか。既に都会では直葬、家族葬が激増してる。費用への不満はともかく、集まる親戚がいないのだから無理もない。私のようにそこそこ型どおりの葬儀を出せた者でも、その結果あまりの違和感に「自分の時は葬式不要戒名無用」との意を固めてる人が少なくない。集金システムばかりが一人歩きしているような現在の状態はいずれ淘汰されるではないか。納得のいく別のシステムが流行ればあっという間に転換することも考えられる。最悪、寺院は廃墟となり、文化風習としての仏教を如何に残すかが課題になるのだろう。どこぞやのアンケートによると、仏教への信頼度は実に80%、寺への信頼度は40%、僧侶への信頼度は20%程度なのだそうだ。死者を弔う気持ちや先祖を敬う気持ちが残っていれば仏教そのものがなくなることはない。人々の意識に合致した別のシステムが望まれる。

面倒臭い奴

世の中いろんな性格の人がいるが、付き合っていて一番困るのは「粘着質な堅物」。堅物でもさわやかな人は周囲からその堅物さをからかわれるなどして人気者だ。真面目なスポーツマンによくいるタイプで、実直で不器用なゆえ堅物に見えるだけで、そういう人は根は良い人間であることが多い。ところが、さわやかでない堅物。これは問題だ。堅物ゆえ物事には真面目に取り組む。結果、人並み以上の評価をもらってたりするから、そこがまた厄介。その評価をもって自己正当化をしてしまうものだから、ますます堅物になる。そうやって進化させてしまうとさあ大変。さわやかでない堅物氏は周囲にたくさんいるいい加減な奴や事象が許せなくなり、公の席で学級委員長よろしく「お説もっともだけどそれを云っちゃ野暮」な指摘を平気でし始めるようになる。聞いてる人々も建前の上では否定できないから仕方なく納得したふりをしているが、腹の中では「やれやれ」と呆れていたりする。私のような根がいい加減な奴はやれやれを通り越して辟易するのだが、喧嘩をしても間違いなく(いい加減なのは私だから当然)負けるので我慢するしかない。よほど親の躾が立派だったのだろう。ご立派な人生だ。こうした人は、兵隊さん時代は上官にとって便利なケースもあるので重宝される。しかし、自分が上官になったとたん壁にぶち当たる。野暮な奴がいても見て見ぬふりができるが、野暮を強要されたらかなわない。普通の人間なら反発する。世の中、粘着質な堅物氏のように生真面目な人ばかりではない。建前はともかく、現実には多少いい加減な奴がいてもそれを許容できるくらいな人物でないと、組織を動かすのは難しい。粘着質な堅物氏は嫌われて悩み鬱になるか、ぶちキレて自ら組織を離れることになるか、いずれかの道を歩むことになる。

やおおさの神々

800cyo大相撲が崖っぷち。八百長の決定的な証拠の出現は、近年続いた大相撲の深刻な不祥事よりさらに深刻だ。公益法人として致命的な失態といえよう。相撲協会が民間の一興行会社になるのは勝手だが、その場合、相撲自体は存続されても、現在のような巨大な組織を維持するのはきっと難しい。この事態は相撲文化自体の終焉を意味する。のだろうか? まあ、マトモに考えればそうなのかも知れない。しかし、大相撲自体が元々そんな公正なスポーツだったのだろうかと考えると何かとても複雑だ。詳しい歴史は知らないが、太古の昔、相撲は青年男子の力比べだったのだろう。その迫力、真剣さに驚嘆した人々はやがて相撲を神事として様式化していく。我家の近所にある神社にも土俵の跡が残っている。聞けば戦前までは定期的に村の相撲大会が行なわれたらしい。江戸時代、その全国津々浦々の神社で行なわれていた神事として行なわれていた相撲の強者を集めてプロとして興業化されたのが大相撲。テレビの情報番組で紹介されている通り、八百長という言葉そのものが江戸時代からある相撲用語なのだ。興行化するってのを判り易く言えば見世物にすること。見世物である以上、真剣勝負を装いつつ、営業上の様々な調整も必要になってくる。それは他の職業格闘技であるプロボクシングやプロレスリングなどを見れば明白だ。むろんそれがイコール八百長とは限らない。ボクシングの場合は興行上の成功を狙ってマッチメイクの相手や時期や順序が極限まで検討されている。プロレスリングの場合はもっと示唆的だ。力道山の時代、多くの国民はプロレスを真剣勝負と信じて手に汗を握っていた。現在はどうだろうか。私の見る限り、現在のプロレスはレスラーを偶像化したりその様式を楽しむファンのための興行と化してるように思える。大相撲も同じ。相撲の場合、様式が神道に準じているため、多くの国民がその神々しいヴェールの中はあまり探らずにその神技を楽しんできたに過ぎない。何ら科学的根拠がないのに新年になれば神社にお参りするのと同じ。あるいは信者でも檀家でもないのに、家族が亡くなると坊さんを呼んで葬式をやるのと同じ。信じれば救われると信じる。信じなければそれまで。野球賭博や八百長メールに関与した力士が拙い事をしたとすれば、その信仰心に水を注したこと。和尚が葬式に平服で現れたようなもので、それでいくらお経を詠んでもらっても有難味が無い。それでは厳粛な葬儀が台無しとなる。私が勤務する会社の近くにあるホテルの結婚式場の斎主はホテルの従業員。昼飯を食いにグリルに行けばふだんはウェイターをしている。それを知るとかなりシラケルが、きちんと神道上の資格を持ってやってることなのだろうから、そこはその気になって接しなければ意味がない。私は相撲を儀式と考える。その中に八百長なりな馴れ合いなりお約束があってもまったく構わないとは思うが、そこをカモフラージュするために様式であり儀式なのだ。見破られないようにやるのがプロの仕事。信じるのがファンの努め。だから朝青龍のように相撲を単なる格闘技スポーツと捉えているアスリートは相撲界から去って正しい。真実を暴き出すことは正義には違いないが、それで世の中が楽しくなるかは別問題。新聞、ラジオ、テレビ、インターネットと情報伝達の手段が豊富になるにつれ、誰もがあらゆる裏情報を手にするような時代になったために、既存の権威や組織がどんどん陳腐化している。今回の八百長騒動も携帯電話の削除メールに復活の呪文をかけたことで勃発した。大相撲は高度情報化社会に負けたのだ。この先どうする? 私見としては文部省所轄の公益法人はもうやめて、神社本庁に連なる宗教法人格となるのが正しい生き残り方なのではないかと考える。宗教ならば信じるか信じないかはそれぞれの自由。税制でも優遇がある。けだし名案だと思われるが如何だろう。

ジョンレノンと春

18年間一緒に過ごしてきた猫が6月に逝った。キジトラの雌。名前は「はる」。由来は「2001年宇宙の旅」に登場する「HAL9000」だったが、「ずいぶん和風な名前だね。」と言われることのほうが多かった。美人だが性格は悪い。いわゆる強烈なツンデレで、気分次第でおもいきり甘えてくる。そこが猫らしくてとても可愛かった。その「はる」を見送ったあと、しばらくは再び猫を飼う気持ちになれなかったが、夏が終り涼しい風が吹いてくるようになると、家族がやっぱり猫が欲しいと言う様になった。みんな猫が好きなので、やはりペットの存在は良い鎹(かすがい)だ。前回はいわゆるタダ猫、しかし今回は18年間しっかりと育てた実績を基に有償で購入することにした。ペットというのはきちんと育てれば相応の金のかかるもの。それができない人は安易に飼わない方が良い。一方、それがなんとかなる人にとっては、飼い始めてからかかる費用を思えば、初期投資の額はそう問題ではない。カッコ付けて純血種をとも思ったが、ショウに出す訳でもなくブリーディングをする訳でもないので、家族全員が気に入った猫種を選ぶことにして探し始めた。john休日にショップを巡ったり、ネット上を探し回ったりする日が1ヶ月ほど続いたある日、ショップでスコティッシュホールド(父)とチンチラ(母)を親に持つミックスの子猫の兄弟を見つけた。どちらにしようか迷ったが、遊び相手がいた方が猫のためだろうと思い、おもいきって兄弟(雄2匹)でもらうことにした。8月3日生まれ。名前はジョンとレノン。鼻の黒いのがジョン。lennonLピンクの方がレノン。ジョンの方がスコティッシュの影響が強い。強いと言ってもしっかりとした立ち耳でかなり俊敏に走り回っているので、スコティッシュをブリーディングさせる際に用いられるアメリカンショートヘアを見ているよう。レノンの方はややチンチラ顔。毛質は両方とも同じで短毛。それらは成長の過程で変わっていく可能性もある。今は遺伝性の疾患が出ないことを願うばかり。業界のマイナス面が集約されたような猫種を選んでしまったわけだが、猫達に責任はない。様子はときどきこのブログに書いていこうかと思っている。

軽井沢シンドローム

karu巨大なアウトレットモールが人を呼ぶ軽井沢。貧乏人がレンタサイクルに乗って行き交う喧騒を離れ、ちょっと森に入るとセレブな人々を見かける。どのような方々なのだろうか? 下世話な興味は尽きない。いや、下世話ではないな。案外そこを分析すればメディアが伝えない日本国が見えてくる。そんな感じがする。メディアといえば、この夏、鳩山別荘からのニュースが大々的に報道された。一度目は金賢姫の滞在場所として、二度目は民主党議員の懇親会の場所としてだった。鳩山別荘は軽井沢駅と旧軽井沢商店街の中間、雲場池の近くにある。敷地は広大、接する道路は鳩山通りと呼ばれている。由紀夫氏が総理になった際、鳩山家は華麗なる一族だとテレビでさかんに紹介された。祖父が鳩山一郎元総理、父は鳩山威一郎元外務大臣、弟の邦夫氏も元大臣だ。みな東大卒の秀才。たしかに華麗だが、鳩山家そのものは岡山の田舎藩士の出に過ぎない。では何故そんなに金を持っているのか? 周知ことだが、それは石橋家の閨閥だからだ。石橋正二郎が一代で築いた財閥、ブリジストンタイヤの石橋家。現役バリバリの企業のオーナー一族だ、生きたお金を持っている。その石橋家も明治の初め、正二郎氏以前は着物の仕立て屋に過ぎなかったのだが、このスタイルこそが現代日本の特権階級を支えてきた処世そのものだ。一代で財を成す実業家とエリート官僚や学者、叩き上げの政治家との婚姻によって形成される一族。そこに歴史的な名誉を武器に巧妙に加わってくる旧華族。そんなものの複合体が日本の金持ちの実像だ。名誉だけでは食えない。金を持ってるだけならいずれ相続税に潰される。能力が無ければ商売は続かない。政治に口出ししなければ利権を誘導できない。それら必要な要素すべてを最も手っ取り早く手に入れる方法がある。セックスだ。あはは、これはさすがに下品だったかな。要するに血の繋がり。上手に閨閥を形成することで自分の死後も子孫に富を残すことが可能となる。さて、セックスの話はこれ位にして、さらにもうひとつ重要なポイントがある。それは米国と仲良くすることだ。いきなり何で?と思われるかも知れないが、これをしないととりあえず金持ちになれてもきっと支配層には加われない。戦後、財閥は解体され、華族制度も廃止された。農地改革も含めそれらは革命的な変化だったはず。しかし、実際には旧財閥は緩やかな企業グループを形成し、今でも日本の富を支えている。どういうことか。その理由は現在でも天皇が在位していることに象徴的に現れている。戦後、日本の統治を容易にするために米国が天皇制を残したことはよく知られた話だが、その後、世界が急速に冷戦構造に突入する世界情勢の中、米国は日本の旧支配層を利用し米国に忠誠を尽くす実力者達を優遇した。この時、米国に尻尾をふった人々が現代日本の特権階級だ。無論、戦後になって勃興した成金も多い。しかし、既存の特権階級と閨閥を築けなかった人や、反米的な行いをした家はだいたい一代限りで没落している。考えてみれば当然のことだ。日本は敗戦国。さらに米国に占領された国なのだ。サンフランシスコ講和条約を機に名実共に独立国として復活したことになってはいるが、その独立に占領国の意に沿わない独立などあるわけがないではないか。その証拠に現在でも日本の領空を米国の戦闘機が自由に飛び回っている。実は何も変わっていないのだ。他国の戦闘機が自由に飛びまわってる国を真の独立国といえるのかどうかは微妙だが、その状態で経済だけは独立してると思い込むのもまた微妙だ。戦後の日本は驚異的な経済発展を遂げた。G5時代から先進国に仲間入りし、今もG7、G8のメンバーとなっている。80年代に経済で米国を抜いたなんてこともほんの一瞬、あったにはあった。しかし、その時、調子に乗って米国人の威信を傷つけてしまった旧財閥は、系列の自動車メーカーがSUVを得意としたことも相俟って、その後こっぴどく米国に虐められたことを忘れてはならない。ある時期、世界で一人勝ちし、米国の豊かさの象徴だった自動車のビック3を追い詰めてしまった日本の別の旧財閥系自動車メーカーも現在どういう仕打ちを受けているかも皆が知るところだろう。社長が泣いてる姿まで全米に放送されてしまった。東条英機や山下奉文が草葉の陰で泣いてるぞ。ドルショックに始まり、牛肉オレンジ、円高不況、プラザ合意、湾岸戦争負担金、郵政民営化・・・。高度経済成長後の日本経済は、内容の違いこそあれそんなことの繰り返しだった。政治家も同じ、調子に乗って日本の増益を追及し米国の逆鱗に触れると必ず失脚する。そんな元気のある政治家も最近はいなくなった。当代こそ市民運動叩き上げの男が首相をやってるが、平成になってからの首相はいわゆる二世議員ばかり。彼らが何のために政治をやってるかといえば、親から引き継いだ一族の権益を守るため。土建屋に連なる閨閥、クルマ屋に連なる閨閥、タイヤ屋、電気屋、セメント屋、そういった閨閥が欲の突っ張りあいで集合離散しては政局を演じつつ持ち回りで総理をやってるに過ぎない。なんともカッコ悪いが、それが去勢された国の現実。情けないといえばその通りだが、一方で1億円以上の資産を持つ家が100万世帯以上あるのも日本だ。これは世界的にみれば凄いこと。カッコは悪いがうまいことやっているとも云えなくは無い。いつも世界の主役で、月に人間まで送り込み国歌もカッコイイ米国だが、第ニ次大戦が終了して以降、世界のあちこちで起きた紛争での米国の戦死者数は実に10万人を超える。豊かさの代償も大きい。子供の頃、軽井沢に云った際、何よりも珍しく感じたのは外人がいる光景だった。ジョン・レノンが避暑にきているのを噂で聞いてワクワクしたこともあった。そういや軽井沢にジョンを連れてきたのは旧安田財閥直系の娘さんだよな。そのジョンも軽井沢に通った数年後にはニューヨークで凶弾に倒れてしまう。何が幸せで何が不幸なのか。夏の軽井沢を歩きながら考えるのもまた乙だろう。

粛々と語る尖閣事件

senkakujp尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、中国の過剰反応が凄まじい。穏健派と知られる温家宝首相を筆頭に、言葉が悪いがキチガイじみた恫喝外交を展開している。領土は国家主権そのもの。日本政府のヘタレな対応も情けないが、死者や怪我人の出ていない領海侵犯漁船拿捕案件でここまでの狂乱状態に至る国家がこれからの世界の覇権を狙っているとしたら地球の将来は間違いなく暗い。事件の推移についてはメディアで報じられているので書かないが、日米会談で「尖閣は安保の適用対象」「尖閣連携で一致」したとたんに船長が釈放されたあたりが今回のポイントだろう。米国は表向きは第三者を装っているが実は当事者だ。私の住む地域には米軍基地はないが、山間に入ると時おり米軍の戦闘機を見かける。アフガニスタン北部などの山岳地形を念頭に入れての訓練だろう、星のマークが目視確認できるほどの低空を轟音を轟かせて飛んでいる。軍事的に日本は独立国ではない。軍事的には日本の領空は米国の領空。日本の領海は米国の領海なのだ。尖閣周辺の海域は資源が眠っているだけでなく軍事的にも重要な場所。沖縄の米軍基地とも目と鼻の先だ。尖閣が中国領土となれば防衛線は南洋まで後退しかねない。尖閣から中国大陸はたった2~300km。これまで米国は世界中のいたるところで対抗する国の国境線ギリギリにまで自国の軍事的プレゼンスを行使してきた。それを後退させ中国の艦船や軍用機が太平洋を我が物顔で行き交うようになるということは、米国の時代の終わりの始まりを意味する。今回、尖閣起きていることを傍観するほど米国は御人好しではないし、それを軍事的に独立していない日本の政治や自衛隊に任せるほど馬鹿ではない。一方、中国は油田が欲しい。太平洋に出たい。さらに米国のように「覇権国でありたい」という願いが強い。ここが重要だ。日本のように油田は欲しいが、太平洋は既に領海だし覇権国になる気などさらさらない国とはモチベーションの強さが違う。なんでそんなことになってしまったのだろう。米英露の力で第ニ次大戦の戦勝国となったというのに、自らの力で抗日戦争に勝利したと勘違いしてしまったのがそもそもの原因かな。教育というのは恐ろしい。報道を見る限り、資源や人口の豊富さを背景にアメリカをも凌駕する大国になりたいという意欲が中国国内には満ち満ちているし、そうあらねばならないとうのがタテマエになっているようにも見える。だから対抗国、特に戦争で勝利した日本に対して弱腰なことをする指導者は強硬派に騒がれて失脚の憂き目を見る。その様子がとても判り易く展開しているのが今回の中国政府の強硬ぶりではないか。国家は主権を守るため毅然と対応する必要はある。しかし、中国政府のそれは毅然を通り越してほぼ半狂乱に等しい。その姿は英国のお陰で勝利した日清日露戦争を自分の力で勝ったと勘違いし泥沼に嵌まっていった大日本帝国を彷彿とさせる。地域や階層による所得格差は絶望的なくらい酷い。世界の下請け工場としてブクブクと経済力が付き日本のGDPを追い越してはいるが、技術的なイノベーションはほとんど見られない。法整備が遅れているのも致命的だ。未だに政治体制が事実上共産党の独裁であることも恐ろしい。御人好しの日本を相手に恫喝して領土をふんだくるのは簡単だ。しかし、世界の覇権は恫喝や国の規模だけでは握れない。その規模や強硬姿勢が致命傷になってしまうことの方が世界史の必然だ。今回の様子を見て私は中国がいずれ衰退すると見た。最悪、崩壊瓦解するだろう。普通の国であればカタワでも存続できるが、超大国の重圧と責任に耐えうる国家になれるとはとても思えない。

霧の子孫たち

kiri絶版となっていた新田次郎さんの「霧の子孫たち」の文庫本が再版されている。何故、このタイミングで再版されたのか。かつてはその作品が次々に映画化され、没後も「武田信玄」が大河ドラマになるなど人気のある作家だ。近年はやや地味な存在になりつつあるが、皇太子殿下をはじめ、今でも登山を愛好する人々には根強い人気がある。登山の愛好家でもなく、文学青年でもなかった私が「霧の子孫たち」と出合ったのは、20年程前。なんと小説の舞台「霧が峰」でだ。鷲ヶ峰フュッテの書棚にそれはあった。夜の9時か10時には消灯となる宿だが、ロビーには明かりがあった。この小説は事実に基づいて書かれたある種のノンフィクションだ。部屋に戻らず一気に読んでしまった記憶がある。それ以来、特に縁は無かったのだが、再版されたのを知り、改めて読んでみた。読んでみるとしばらく再版されなかった理由がわかる。内容に問題があるわけではないが、実在の人をモデルにした人物がたくさん登場する。実在の人には当然その後の人生もある。「霧の子孫たち」に描かれた時代、私はまだ小学生だった。それでもビーナスラインのルート問題はテレビや新聞でさかんに報道されていたので記憶にある。環境庁という役所が出来、その初代の長官、大石環境庁長官が美ヶ原の現地視察に来たときは大騒ぎだった。小説に出てくる東沢知事は権さんと呼ばれた西沢権一郎知事、大沢企業局長とは相沢武雄局長だろう。そのふたりが戦った知事選もあった。長野県企業局で開発した道路と云えば戸隠バードラインやビーナスライン、菅平有料道路など、聖高原の別荘地開発やら戸倉上山田温泉にある白鳥園もそうか。1960年代、相沢氏はそれらすべてを仕切ったやり手のお役人だった。そういう人が自民党系ではなく社会党系から知事選に出たってところが、大阪で万博が行なわれていた時代というか、「開発」という言葉が光り輝いていた時代を彷彿とさせる。こうした県レヴェルでの開発に対してその県レヴェルで自然保護運動が行なわれたのがビーナスラインのルート問題だ。それが日本の自然保護運動の先駆けとなった。小説に登場する宮森栄之助は考古学者の藤森栄一さん。青山銀河は産婦人科医の青木正博さん。牛島春雄は諏訪清陵高校の理科教諭、牛山正雄さん。いずれも新田次郎さんとは旧制諏訪中学(諏訪清陵高校)の同窓で、この3氏については新田次郎さんは小説のあとがきでモデルをはっきりと明かしている。彼らの活動は6万人の署名を集めるところとなり、地元選出の大川平次郎代議士(小川平二さんだろうな)を通して国会請願に至り、遂に県企業局は旧御射山遺跡と七島八島湿原を迂回するルートでビーナスラインを建設することになる。遺跡と湿原の直接的な破壊は免れたが、その後もビーナスラインは建設された。この小説の登場人物たちは70年代の後半から80年代前半にかけて次々に鬼籍に入られてゆくが、それと時を同じくしてビーナスラインは美ヶ原の天辺まで延びて行き、屋外彫刻美術館まで作られる。あれから30年。ビーナスラインは無料となりトラックが行き交う道となった。彫刻美術館はなんと「道の駅」を兼ねている。ビーナスライン沿線の草原は野焼きが行なわれなくなったため森林化が進んでいる。人間が作りしだした自然を保護している場所も実はあるのだ。鳥獣を保護したためニホンシカが増え、ニッコウキスゲが食べられてしまったり湿原が壊される事態も発生しているらしい。再版を機に霧が峰の自然にもう一度考えてみるのも良いだろう。とまあ自然保護のマナーも怪しい私が他人事のようによくあるまとめをすればこの稿も終わるのだが、正直私はもっと別のことを思った。小説の中で牛島春雄は吐露する「おれは霧が峰の将来についてはほどんどあきらめている。だが、霧が峰にたった一本の植物が残っていても、おれはその植物を見捨てることはできない。植物が死に絶えて石だけになっても、おれはその石を守ろうとするだろう。」この言葉から見えるもの。それは自然保護への執念だろうか。きっと違う。実は彼らが守りたかったのは自然というより、心の原風景だったのではないか。新田次郎さんにとってもあの辺りはペンネーム(諏訪市角間新田)するほど大切な故郷。むろん自然も故郷の一部だが、守ったものは自然だけではない。考古学者である藤森栄一さんは旧御射山遺跡を守った。旧御射山遺跡は諏訪の人々の心の拠りどころ諏訪大社にまつわる大切な遺跡だ。そうしたものを守りたいという気持ちには共感できる。地元の駅や建物が建て替えられるだけで残念な気持ちになる人ならば理解してもらえるだろう。

真正オケカス登場

TarcusY「タルカス ~クラシック meets ロック」アトム・ハーツ・クラブな吉松隆氏が遂にタルカスをオケ版に編曲してしまった。3月にコンサートが行なわれたのは、その告知がされた時点から知っていたが、悲しきかな地方在住者にとっては遠い出来事だった。生活を仕事に追われて過ごす私はこのコンサートがNHK-FMで放送されたことも後から知り、CDも発売日にその存在を初めて知った。「聴く気があんのか?」ってな対応だが、そうでないと?十年もプログレと付き合うことはできないものだ。さて、本題。時間とお金に余裕があれば行きたかった演奏会。どんな内容だったのかと期待してCDを再生して驚いた。東京フィルハーモニー交響楽団ともあろう人々がよくもまあこんなに下品な演奏をしたものだと。がはは。下品というのは賛辞だよ、賛辞。お間違えのないように。でも、正直なところ下品に聴こえた。金管重視でクラシックではあまり使わない和音が炸裂するさまは、ぶっ壊れた映画ベンハーのサントラみたいで、演奏会当日も正装して訪れた東フィルの会員には耐えられない人もいたのではないか。でもこれはロックだ。上品である必要は元々無い。そう思えばこのパワーは特筆もの。「噴火」や「アクアタルカス」の激しさは、その下品さにおいて前衛だと思われる。指揮者藤岡幸夫氏が最後に嗚咽のような叫びをあげるところなどは最高。コンサートマスターはモルゴーア・カルテットの荒井英治氏。嬉々として跳ねまくるヴァイオリンが楽しい。パーカッションが大健闘している。クラシックの演奏会なのに時々ビートを感じた。最近は中学校の吹奏楽あたりでもパーカッションがグルーヴしてたりすることがある。生まれたときからビートのある音楽が巷に溢れる時代に育った若者は凄い。バンド演奏と比べるとオーケストラのリズムのキレの悪さは致命的だ。今回、それをあまり感じさせなかったのはパーカッションの頑張りがあったからだろう。ちょっと残念だったのは「ストーン・オブ・イヤーズ」あたりか。原曲にあるブルージーさをもっと表現して欲しかった。マイルス・ディビスのようなトランペット。弦がベースになっていればジャズにはならないだろうと。管楽器が苦労しているのが素人にもわかってしまうし、テンポが一定な「ストーン・オブ・イヤーズ」なんてツマラナイ。自分に酔って唄うグレックにキースとカールがアイコンタクトでテンポを合わせていくところが良いのだ。そこまでいくとクラシックではないとかオーケストラではないのかも知れないが、いわゆる西洋音楽としてのクラシックが20世紀で終わってしまったのは現代音楽を上品で進歩的な音楽としてもてはやしたからだろうと考える。それらは20世紀後半にはエレクトロニクスやメディアの進歩によりロックやロックから派生した音楽にすっかり飲み込まれてしまったではないか。ストラビンスキーやショスタコビッチ、あるいはバルトークあたりががやり始めたことを継続し、現代人の感覚に合うよう強化すれば、逆に伝統的な音楽が既に進歩を停止したジャズやロックを飲み込むことも不可能ではないような気がする。再びクラシックの時代が来るかも知れない。んなわけないか。

シンフォニックロックの名作

harada1原田真二を初めて見たのは「8時だよ!全員集合」だったと思う。郷ひろみみたいな奴がエレビを弾きながら「♪キャンディ~」と唄う姿はかなり強烈で、全国津々浦々、翌週月曜日の学校の休み時間の話題になったはずだ。「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」の3枚のシングルが3ヶ月連続で発売され、それが同時にオリコンの上位にランクインしたことにも驚いた。和製エルトンジョンかポールマッカートニーという印象だったが、すぐに女の子の黄色い歓声を受けるアイドルスターになってしまったので、当時すでにロックに入れ込んでいた私は冷めた目でテレビを見ていたように思う。それが変わるのが翌年。「ザ・ベストテン」という歌番組が始まり、そこで彼は「タイムトラベル」という曲をロックバンド形式で演奏していた。これには参った。演奏が上手い。アレンジも秀逸。4分弱のシングルの中にシンフォニックロックアルバムのような構築美がコンパクトに詰められている。凄い才能だ。こずかいを貯めてはキングクリムゾンやフォーカスのアルバムを買っていたその頃の私が、赤面しながら丸い蛍光灯を持ったジャケットの原田真二のシングル盤を買った想い出がある。この曲は今でも大好きで、聴きたくなるたびにYouTubeにアクセスしている。後になって調べてみれば、ザ・ピーナッツに「エピタフ」を唄わせたり、キャンディーズに「スリーディグリーズ」を唄わせたりしていたナベプロのマネージャー大里洋吉さんが、独立して最初に手かげたタレントが原田真二だったのだそうだ。コントが不満で「8時だよ!全員集合」の本番をすっぽかしで帰った件は有名だが、それも大里氏だからできたことなのだろう。大里氏はその後、サザンオールスターズを世に送り出すことになるが、原田真二の方はアイドル生活に見切りを付け独立してしまう。彼が始めたのはなんとプログレ。原田真二&クライシスだ。北島健二とのツインギター、豊田貴志のキーボード&バイオリンという編成はプログレ的に無茶苦茶カッコ良過かった。しかし時すでにプログレ冬の時代。「タイムトラベル」のようなシンフォニックな路線のプログレアルバムを作れば歌謡曲的にもっと売れた可能性もあったが、彼が選んだのは演奏主体のクロスオーバーなもの。クライシスのアルバムを買うのはアイドル時代からの熱心な女性ファンと私のようなプログレオタクだけだった。その後は、テレビではあまりみかけなくなったもののコンスタントに自身のアルバムを出したり、楽曲提供を続けていたようだ。10年ほど前に彼のファンだったという松田聖子とコラボして紅白歌合戦に登場したこともあった。実力と才能はある。彼も50代に突入。体が動き声が出るうちに大々的に再評価されれて欲しいものだと思う。

タイム・トラベル 原田真二 1978
http://www.youtube.com/watch?v=l0zfr_9EdVM