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毛沢東の孫達へ

d2fc187d.jpg長野での聖火リレーは、日本警察の優秀さが目立った。聖火を守る機能的な陣形については新聞やテレビで紹介されているので敢えて書かないが、到着式会場の若里公園の警備も実に機能的だった。ステージの周囲に入れるのは関係者のみ。その周りにフェンスが張られ、1000人ほどの中国人が紅い旗を振る。チベット支持者はそこから隔離された南側の小高い丘に集められていた。端に追いやられているような印象があり、チベット支持者の中には不満を漏らす人も少なからずいたのも事実だが、これは警察が中国を優遇していたからではない。イベントを妨害する可能性の少ない側を聖火の近くに配置し、妨害の可能性のある側を遠ざける。子供でも判る警備上の都合に過ぎない。チベット支持者を囲むように警官が配置されていたのも、人数で劣るチベット支持者を守るほうが、警備効果が高いからだ。そのおかげで、ここに集まったチベット支持者は最後まで自由に「フリーチベット!」と大声で叫び続けることが出来た。それを警察が制止することも無かった。国境無き記者団のロベール・メナールもこの丘にやってきて、手錠五輪旗を広げていた。彼は「日本は民主主義の模範を示した」と会見で語っていたが、それはおそらくこの会場の様子を見て言っていたのではないか。中国はめざまし経済発展を遂げ、GDPで日本を追い越す成果を挙げているが、これからの中国を担う若い留学生達を見る限り中国人は30年前から全く進歩していないようにも思えた。64天安門事件からも何も学んでいない。タナボタでゲットした国連常任理事国のせいか国家としての発言はいつも勇ましいが、庶民レベルの政治では明らかな発展途上国。まあ、愛国心を持つのは結構なことだ。しかし、その行き過ぎはロクなことがない。日本の田舎町に大挙して押し寄せ、紅い旗で埋め尽くす偏狭なナショナリズムを持っている限り、今後も一流国家にはなれないと、今回私は確信した。国民が一丸となって目標に突き進むといえば聞こえが良いが、落とし穴はそこにある。戦前の日本はそれで大失敗をした。戦後の日本はどうか、先輩たちは「豊かになりたい」という点についてだけは一丸となって働いたが、戦前に対する反省かあるいは落胆か思想的にはバラバラだった。宗教心も薄く、モラルも崩壊したかの様相も見える。しかし、70年前に徴兵制がなくなり女みたいな男が増えてるはずなのに、今回の警察の警備は見事だったではないか。葬式の時しか用のない仏教のはずなのに、善光寺は土壇場で1400年の歴史に恥じない大英断を下していたではないか。そう、バラバラがいいのだ。そこが重要。発想の自由やイノベーションというのはそういう環境でないと生まれない。人を殺す技術は戦争によって生まれ、人を育てる技術は表現の自由によって生まれる。中国の経済成長にはイノベーションが無いといわれている。初めは真似から入るとしても、一体いつまで猿真似を続けるのだろう。既に世界の工場などと云われているのだ、その端緒くらいはあってもいいはずだ。それも無い。原因は紅い旗。紅い旗の下に人の想像力が奪われ、チベット人が虐殺される。不幸な国だ。

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