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記事一覧

root500

CH-AND500Android端末のroot化ってのをしてみたくなった。しかし、Lifetouchは家族用に購入したものなので弄れない。そこで近所のパソコン工房で激安端末Chocotto Android(CH-AND500)を購入した。パッケージにはアンドロイドマーケット対応と書かれているものの、Google公式マーケットでは未対応端末として弾かれる。まあ、カメラもGPSも付いていないのだから、Googleのライセンスが得られないのも当然か。新しいアカウントを取得してしばらくはダウンロード可能だが、小一時間過ぎるとダウンロード不可となってしまう。公式マーケットに入れないんじゃAndroid端末の意味がない。何も知らない人が購入したら困るだろうな。こうした製品を日本の会社が売ってるところがAndroid業界の怪しいところ。しかし、オープンアーキテクチャにはメリットもあればデメリットもある。価格が高ければやりきれないが安ければバッタもでもそれなりに楽しめる。CH-AND500もroot化をして自分なりにカスタマイズできれば価格以上の端末に化ける可能性を秘めている。5吋のクセに有線LANが使えるってのはかなり面白い。それはともかくそもそもroot化とは何なのか。まずそこを説明する。rootとは「\」や「/」で表すフォルダ(ディレクトリ)のこと。MS-DOSの時代からパソコンを使っていた方ならば馴染みが深いと思う。わざわざこんなことを書いたのは、もちろんAndroidはDOSベースではないが、MS-DOSの時代にプログラミングをしたり、Config,sys やAutoexec.batを書き換えて環境保護活動をしていた方ならば、以下に書いていく手順を踏めば余裕でroot化が可能だと思われるからだ。私が何を書いているか判らないようならば大切な端末を壊すことになりかねないのでroot化止めておいた方が良い。さて、Andorid業界でいうところのroot化とはルートの頂点(フォルダツリーの頂点)から末端までのフォルダやファイルを閲覧操作がすべて可能にすることをいうようだ。通常、Android携帯はもちろんAndroid端末というのはユーザーが閲覧操作できないフォルダがある。そこにアクセスできればAndroid端末の様々な設定が変更可能になる。もろちんこれらはあくまで自己責任で行うもの。root化をしてしまうと当然メーカー保証の対象外となる。失敗して動作不能になることもある。(机上の紙を押さえる重しにしか使えなくなることを意味してマニアはそうなることを「文鎮化」と云う。)root化の手順はいろいろだが、今回は公式マーケットを使えるようにしたいという願いがあるので小手先のroot化ではなく、CH-AND500のファームウェアそのものを入れ替えることでroot化することにした。ネットで調べると「Uberoid」というフリーのファームウェアが使えるらしい。CH-AND500は日本の会社が販売しているが、中身は「WM8650」というチップを使ったいわゆる中華Pad。したがって「WM8650」に対応したファームウェアを探せば良い。それが「Uberoid」。「http://www.techknow.t0xic.nl/forum/index.php?topic=1908.0 」で入手可能。但し、登録が必要。最新版のカスタムファームウェアは「Universal Uberoid WM8650 1.5.5 HoneyCombMOD v11 12-MARCH-2012」。私の場合、サイトの登録でなぜか弾かれてしまったので止むを得ず最新ファーム名でググり入手した。(こうした入手法は危険なので良い子はマネしないこと。)以下手順。①パソコンを使い「Universal Uberoid WM8650 1.5.5 HoneyCombMOD v11 12-MARCH-2012」をネットから入手する。②「Universal Uberoid WM8650 1.5.5 HoneyCombMOD v11 12-MARCH-2012」は、「7z」という形式で圧縮されている。対応する解凍ソフトを持っていない場合は「窓の杜」にある「Explzh」をインストールして使えば解凍できる。③フォルダ付きで解凍する。「Universal.WM8650.Uberoid.v11.[TechKnowForum.net]」というフォルダが出来ていると思うので、その中の「CHANGER.bat」をクリックして実行する。④DOS窓が開く。緑文字で溢れた画面にの最下部に点滅する入力欄があるので、該当する機種の番号を打ち込みリターンキーを押すわけだが、CH-AND500という機種はない。そこで「5"」の番号を探す。「14=E16 5cun1603 5"」が5吋用。そこで「14」と打ち込む。⑤「COPY Uberoid to an SD drive, Y/N?」と聞かれるので、2GB程度のマイクロSDカードを用意しスロットに挿し、「Y」で応える。⑥drive letterを聞かれるので、該当するドライブ名を入力すると、ファイルのコピーが始まり、終了するとDOS窓が閉じる。⑦これでSDカードがインストールディスクとなるが、ここで内容の一部書き変え作業がある。これを行わないとインストール後に「HOME」ボタンが機能しない。SDカードの「FirmwareInstall/env/env_uboot」をエディタで開き、「setenv wmt.sys.keypad」の行の値を「5inch:1:rc_1:3:r0_9e:r1_8b:r2_66」に変更して上書き保存する。⑧マイクロSDカードを抜いてCH-AND500のカードスロットに挿す。CH-AND500の電源を入れ直すと、液晶が壊れたような画面で立ち上がる。焦らず5分以上待つ。画面表示でではわからないがファームウェアのインストールが行われている。⑨5分後、電源を入れなおすとAndroidOSが立ち上がり、蜂の画面が出た後、蜂の巣のスクリーンセーバーが起動する。しばらくそのままの状態が続くので気長に待つ。インストールが成功すればメニュー画面が立ち上がる。10分待ってもメニュー画面にならないようなら失敗の可能性があるが、④~⑨の手順はやり直し可能。(ちなみに「CHANGER.bat」を使わず③で解凍したフォルダの中身を丸ごとSDカードにコピーして同じことを行うと、壊れたような画面にならずファームウェアのインストール画面を見ることが出来るが、セットアップ後にタッチスクリーンがまったく機能しない。)⑩正常にインストールされメニュー画面が立ちあがっても、初期状態では「タッチパネルの動作が画面表示と左右が逆転」している。「設定」アイコンが画面左端中央にあると思われるが、画面右端中央付近をタッチすることで「設定」画面が起動する。メニューの下の方に「Touchpanel calibraton」というのがあるので、そこをタッチするとキャリブレーションが起動する。表示される「+」を順次タッチすると左右逆転が補正される。⑪ついでに「日付と時刻→タイムゾーンの選択」で「日本標準時(東京)」を選んでおく。「言語とキーボード→言語を選択→日本語(日本)」も忘れずに。⑫機種名は「WonderMedia WM8650」となり、アカウントを取得すれば公式マーケットも使え、パソコンからのアプリインストールが可能になる。⑬フリッカ(画面のちらつき)を治すにはroot にある「init.rc」の中の「write /proc/sys/vpp/pixel_clock 26000000」を「20000000」に書き変えて保存し再起動すると治るが、システムファイルは通常の状態では読み取り専用で書き込みできない。⑭この作業をするにはファイラとエディタが必要になる。お勧めはエディタを内臓しネットワークフォルダにも対応した「ESファイルエクスプローラ」。これを公式マーケットからインストールする。⑮早速、「ESファイルエクスプローラ」を起動し、メニューボタン押し、「設定→Rootオプション→Rootエクスプローラーのチェックをオンにして「はい」で応えるとスーパーユーザー権限となる→ファイルシステムをマウントするチェックをオンにしてシステムファイルの書き込みを可能にする。⑯この状態でrootにある「init.rc」の中の「write /proc/sys/vpp/pixel_clock 26000000」を「20000000」に書き変えて保存し再起動すると画面のちらつきが治る。⑰終了したら今後システムファイルを誤消去などするとまずいので⑮で行ったスーパーユーザー権限とシステム書き込み権限のチェックを外し元に戻しておく。ここまで出来れば後は自分の好きなようにカスタマイズすることが出来るだろう。

苦労怒コミュニケーター

lifetouchNECのアンドロイド端末「クラウドコミュニケーターLifeTouch」が投げ売り?されているので購入した。i-Pad全盛の昨今なんとも前時代的なデザイン。用途がリビングPCの代替で充電台も用意してテレビ台の隣に置いている。パソコンが一家に一台の時代となったとき、据置型パソコンの置き場所に苦労した。和室であれ狭い居間にテレビを含めてディスプレイが2台あるのが何とも落ち着かず、パソコンを別の部屋に移してしまった。その後、テレビが液晶になったのでそれをパソコン用のディスプレイと共用した。いまでもそのままだが、今や我が家は一人に一台ノートパソコン状態になっている。家族団欒の時間、皆でテレビを見るのでなく、それぞれがノートパソコンを広げているなんともオタクな家族なのだが、やってることはウェブブラジングに毛が生えたような程度のもの。私以外の家族はメールも携帯電話が基本のようで、特にノートパソコンでないとダメな作業をすることは案外少ない。そこで安かったLifeTouchを置いてみることにした。OSの起動を待つ必要がないのが便利である。ちょっと調べたいことがあるときすぐにブラウザが使える。端末に一切のケーブルが繋がっていないのも気持ちがいい。夢の居間クラウドだ。ところが使い始めてすぐに気分がブルーになった。しばらく画面操作をしていない時間があるとWi-Fiが落ちるのだ。Wi-Fiやスリープの設定を何度も見直すが変わらない。無線LAN親機がバッファローなのでそれが原因かと、AOSS for Android で設定してみるが接続の安定度は高まった印象があるものの、現象はなくならない。ネットで調べてみると困ってる人はかなり多いようだ。それがAndroidの仕様だという情報もあった。何で? i-Pod Touch も無線LANで使用してるが、こちらば購入時に設定して以来何の問題もなく自動接続してくれてるぞ。Android OS の無線LAN設定ではなく、LifeTouchに付属する「ワイヤレス自動接続」を使ってみる。設定項目が多く期待できそうだったが、どう設定しても接続が切れる。もちろん、いったんLAN接続をOFFにして再度ONにすれば問題なく接続されるのだがその度に設定箇所を開くのが煩わしい。もうどうしようもないから、ON-OFFの操作を自動化するソフトはないかと探し始めたらあるある。世の中には賢い人がいるものだ。その名もWiFiReEnabler。WiFiが切れたら自動的に再接続してくれるソフト。これは便利。スリープしようがOSを再起動しようが、WiFiが切れたら自動的に再接続してくれる。これで解決と喜んだが、それでも切れる。何か変だ。よく見れば、接続は切れるのが画面上の表示ではWiFiはONのまま。何じゃこりゃ。それじゃWiFiReEnablerが動作しない。そこで考えた。スリープ(画面OFF)にしたらWiFiもOFFにしてくれるソフトがないか? ありました。そうしたソフトはバッテリー節約のためにたくさん作られているようだ。私が選らんだのは、Wi-Fi Sync Screen というソフト。WiFiReEnablerと組み合わせて使う。しばらく画面操作をしていない時間があり接続ができなくなったら電源ボタンを短く押しスリープにする。すると Wi-Fi Sync Screen が動作して無線LANがOFFになる。もう一度電源ボタンを軽く押して復帰させると今度はWiFiReEnablerが無線LANのOFFを検知して再接続してくれる。ハードウェアボタンを2度押すだけだから使用上のストレスはかなり軽減された。しっかし何でこんなことしてなきゃならんのだよ。NECさんにグーグルさん。私は貧乏人だから投げ売り端末を買ったけど、金のある人はアップルを買った方がいいかもね。

苔のむすまで

kiku大胆にも皇統について書いてみる。理由は昨今の女性宮家創設論議。結論から書く。私は女性宮家創設には反対だ。それは皇統ではない。その時々の権力者の血を混じえつつも、直系ではないが男系であることで2672年もの間、営々と維持されてきたのが皇統だ。男系の放棄はその歴史を放棄することと同義。源頼朝も足利義満も織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も明治政府も米政府もそこは壊さなかった。壊してしまえば天皇の子孫は残っても皇統は絶えるからだ。それでは意味がない。身も蓋もないも言い方だか、本当に時代に合わせたら皇室そのものが元々不要な存在だ。今の日本は民の代であって君の代ではないことは小学生でも知っている。人はみな平等を謳うこの時代に敢えて皇室を残すには、むしろ男系継承による時代錯誤な血の連鎖を守るしか術はないと考えたほうが良い。なぜなら元々時代になんぞ合わせたら消滅しかねないものだからだ。無論、皇統を時代に合わせるべき転機や岐路は2672年間の皇室の歴史の中に何度もあったとは思う。継体朝では男系どころか家系そのものが連続していない可能性があるし、そもそもその頃の大王には血の連鎖が無かったのではないかという疑念もある。平清盛や足利義満は自分自身が大王とならんとした形跡があるし、近代では明治天皇大室寅之祐説なんてものもある。しかし、実体はともかく、表向きは常に男系で維持されてきたことになっている。また、明治政府が行った一世一元の制は皇統の大改革であったろうし、第二次世界大戦の敗戦は皇統どころか日本国そのものの存亡に関わる事態でもあった。それでも皇統は男系で維持されてきた。それを現代の三流政治家や木端役人が変更議論しようというのだからまあご立派なものではないか。こうした歴史を例えば男女共生の理由程度で変えられるものなら、いっそのこと皇室そのものを廃止して共和制にでもしてしまうがよい。中途半端な歴史認識で自国の歴史を冒涜する位なら、先祖にも誇れる新たな歴史を築いて戴きたい。まあそんな優れた為政者が今の日本にいるとは到底思えないが。いずれにしても目先の状況で判断するようなことではないのだ。政治家は覚悟を決めて欲しい。ところで、近年皇室を悩ませているその後継問題。それが問題になってること自体、実にナンセンスだ。なぜなら、皇室の歴史の中で天皇に直系男子が生まれないことなどごく当たり前にあったことだからだ。それでも2672年男系で継承されてきたのが日本の皇室。それが昨今、後継者が不在になるかもと大きな問題になっている。皇太子の子に男子がいないからと皇太子妃を責める風潮が庶民にあるのも実に嘆かわしい。それが後継者問題の原因と考えるのは歴史を知らぬ者の妄想に過ぎない。皇室後継者候補が不足しているのは天皇やその子に子が生まれないからではなく、近代において皇統を否定した行いがなされたからなのだ。ひとつは大正以降の天皇が側室を持たなかったこと。もうひとつは、日本敗戦後に行われた昭和天皇の御兄弟宮家以外の宮家の皇籍離脱だ。特に問題なのは後者の皇籍離脱。皇籍離脱は降伏や講和の条件としてGHQから強制されたものではない。表向きには新憲法の精神に則って、現実には当時の国家財政の不足や内外の政治情勢(この中にGHQの圧力が含まれるのだろうが)を意識した旧皇族が自主的に昭和22年10月の皇籍離脱をした。その実態は悲惨で、資産相応の税金が払えなくなり、旧皇族の多くは家屋や土地を次々に売っている。そうした土地が公園や「プリンス」ホテルになっていることを知る人も多いだろう。それらは歴史を顧みる余裕もなく当時の政治判断で行われてしまったことなのだ。その時点では昭和天皇に男性の御兄弟が複数いたこと、その後、今上天皇が2名の男子を授かったことから、久しく後継を心配する必要が無かったことも事実だが、考えてみれば子供が授かれないことや女児しか授かれないことなど当たり前にあることではないか。そうしたリスクを回避する術を2672年の歴史は教えてくれているのに現世代の日本人はそれを無視してしまった。それどころか戦後のドサクサで行ったことが原因で60年後に起きてるこの問題を、さらに再び現代の庶民感覚で変えてしまおうとするのだからあな恐ろしや。日本の歴史がグチャグチャだ。まずそこを正すのが順序というものだろう。歴史を正常化するという意味で、現時点で男系の後継者が存在する久邇宮、竹田宮、朝香宮、東久邇宮の各家の皇籍復帰を強く望みたい。幸いなことに産経新聞が先月末に報じたところによると、旧皇族の竹田恒泰氏が月刊誌に寄せた論文で、該当する旧皇族の大多数が男系維持のため皇籍復帰を要請されれば、「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」との意思を表明されているとのこと。前述したように戦後の皇籍離脱の経緯を考えても女性宮家創設なんぞよりもまず先に旧宮家の皇籍復帰を行うべきが筋というものだ。側室制度については現在の市民感情からするとやや無理があるとは思う。しかし、皇統を2600年維持出来た要因のひとつと認められるならば側室を復活させるのも良いだろう。皇族の戸籍は千代田区役所にあるわけではないから、民法と矛盾があっても認める方法はある。案外側室制度あたりが皇統とは何かを考えるきっかけになる良いテーマなのかも知れないが、一方で皇統維持は国家観に関わる問題でもある。例えば日本共産党が天皇制を否定し、旧皇族の皇籍復帰に反対するのならそれはそれで理解はできよう。天皇が政治利用され帝国主義的な行いを助長するようなことが再びあればそれは我が国に不幸をもたらすこともあるのかも知れない。そういう過ちは繰り返してはならない。確固たる理由を持って天皇制を否定する意思が国民の3分の2以上の数になるのであれば粛々と廃止すれば良い。しかし、そこまでの意思もないのに、庶民感覚のようなもので今後の皇室の在り方を決めてしまうのは明らかにまずいと思われる。そのような形で皇室の歴史的価値を損なうことは、天皇制を否定する政治勢力に利することになるだけで、皇室の世継ぎが不在となることを心配する国民の期待に応えることにならないからだ。我が国にこれからも皇室があっても良いと考えるならば、何故それが2672年もの間維持されてきたのかを、まず歴史から学ぶべきだろう。

BLOG CGI 変更

Blogに使用しているCGIスクリプトを Web Diary Professional に変更しました。これまでMySketchを使用していたのですが、開発が終了して5年になるため技術情報が入手出来ず、Biglobeサーバーのヴァージョンアップに対応できませんでした。(^_^;;;

新しい朝は来るか?

BBBBase Ball Bearのアルバム「新呼吸」を聴いている。ふだんは聴かないような若いバンドの新作だ。数年前にシンコーミュージックが出版したプログレシッシブロックのムックにこのバンドのベーシスト関根史織さんのインタビューが掲載されていた。24歳(当時)の彼女が、ツアーで廻る地方都市のレコード店でマイナーなプログレ作品を漁っているという内容にとても驚き、どのような音楽をバンドでやってるのかと、YouTube で確認することにした。当然というか想像通りプログレではなかったのだが、それはとても小気味のよい青春ギターロックだった。XTCあるいはモノクロームセット、ヘアカット100あたりのようなギターポップのビートをもっと強くした音。30年前に英国のニューウェイブと云われた音楽は、パフュームのようなテクノポップで今に聴くこともできるが、ギターロックとなると昨今の日本ではメジャーなバンドで聴くことはあまりなかったように思う。ソニックユースのようなオルタネティブっぽい音が、今でもインディーズシーンの定番として残ってはいるものの、だいたいそういうロックを聴く若者そのものが減っている。メジャーになる道は険しい。いわゆるファンの人々の Base Ball Bear の聴き方ってのも、曲を書いている小出祐介くんの描く青春世界に浸ってるみたいなものだ。それじゃまるで吉田拓郎じゃねえか! いや、そういうものなのかと。湯浅将平くんのギターが小出くん歌の邪魔をしてると嘆く人がいるに至っては、こりゃ最近のロックバンドも大変なんだなあと思ってしまう。私は湯浅くんのギターはとても良いと思う。運指が早いとか正確だとかということではなくて、過去のいろいろなロックを聴き、アルバム毎にアレンジのパターンを増やしてきてるのがよくわかるからだ。邪道と馬鹿にする人もいるのだろうが、私はプログレファンなので、エフェクター(ギターシンセかな?)を使いギターで単音シンセやハモンドオルガンのような音を出してるのを聴くのはとても楽しい。東海大学工学部中退だそうだからギズモやロックマンみたいなのを極めるのもどうか。カッティングに拘る小出くんの隣で、エフェクターの展示会のようなギター弾きまくるってのも面白いではないか。ドラムの堀之内大介くん、この人は年を追うごとに上手になっている。ポリスのスチュワートコープランドみたいなこともやっいてギターバンドのドラマーにしておくのは勿体ない。将来が楽しみ。最新アルバム「新呼吸」は、ビートが強靭になり、音色が多彩になっている。過去のアルバムと異なり大人の鑑賞にも耐えるものになっているように思う。古い言葉で恐縮だがコンセプトアルバムにしてあるのもロック的で良い。そろそろ青春を歌うもの辛くなる歳だ。XTCやポリスをリアルタイムで聴いた世代を納得させられれば所得が高くCDを買ってくれる新しいファンが増えるだろう。最後に関根史織さん。Base Ball Bear にプログレは期待しないが、ポリスやポリス期のラッシュの線はありだ。ライブで観衆も踊れる。ところでプログレおやじはみな関根さんが好きだと思う。軽薄短小が喜ばれた80年代にプログレおたくはキモイというレッテルを貼られてしまったが、もともとプログレは70年代のコンテンポラリーな音楽だ。ちょっと偏差値の高い高校にいくと必ずキースエマーソンやグレックレイクの写真を学生鞄の中に忍ばせている女子高生がいたりしたものなのだ。おやじ達は関根さんにその面影を見ているのではないか。なんて書くとエロ目線と勘違いされてしまうが、そうではなくそれは女子高生も聴くほどにメジャーなポップだったことを再確認したいという願望のようなものなのだと思う。それともうひとつ、アタマの固い堅物オヤジには理解できないかも知れないが、実は Base Ball Bear の「C」から「新呼吸」までの進化は実はプログレ。ささやかだが70年代的進歩観を体現してる。それが理解できると音楽は愉しい。

今日は一日プログレ三昧

0905progre_zanmailNHK-FMが「今日は一日プログレ三昧、再び」と題して10時間ぶっ通しでプログレ特集番組を放送していた。昨年も放送していたのを知っていたが仕事で聴けなかった。録音すれば聴けるわけだが、昔と違いFM放送を録音できるシステムが我が家にはないのでそのままになっていた。今年も放送日が仕事だったのだが、今回は力強い味方を手にすることができた。NHKのストリーミングサイトらじる☆らじるとその録音ソフトを使い10時間すべて録音し、i-Podに移してこの数日少しずつ聴いている。昔だったら120分テープを5本用意して2時間に一度テープ交換してたのだろう。今回はパソコンソフトで自動録音、10時間で200MB程度、便利な世の中になったものだ。番組は昨年に続いて山田五郎氏がMC。サブカル評論家だと思っていたが筋金入りのプログレマニアなにのは驚いた。うれしかったのは森田美由紀アナウンサーが登場したこと。かつてニュースの森田美由紀と言われ、今やNHKの重鎮アナだが、私はこの方がブリティッシュロックファンであることを彼女の著書を読み知っていた。北大在学中にアルバイトでNHK札幌局で働いていたそうだ。最初はFM放送で流すレコードの整理などを担当していたが、そのうちDJを任されてしまったらしい。札幌局のお偉いさんに勧められてNHKを受けたらそのまま合格してしまったとか。番組では個人的なことはあまり触れられていなかったが、彼女はデヴィッドボウイのファンだ。プログレというよりは当時の流行音楽の中心で多くの人が聴いていたブリティシュロックの一部としてELPやフォーカスを聴いていたのだろう。その頃はそういう女の子は珍しくなくなかった。偏差値のやや高めの女子高に必ずそういう女の子がいて、文化祭になると模造紙いっぱいにデビットボウイやグレッグレイクを少女マンガ風に描いて壁一面に張り出し、レコードコンサートと称して一日中ロックを聴いていたものだ。山田五郎さんも文化祭でフォーカスのシルヴィアを演奏していたといっていたが、大概の高校生バンドはディープパープルのコピー止まりで、果敢にプログレに挑戦するのは、演奏力に自信のあるバンドや親が金持ちでシンセサイザーを持ってるバンドだけだったように思う。森田美由紀さんが札幌局でアルバイトしていた話も懐かしい。もちろん私が札幌のFMを聴いていた訳ではないが、当時のNHK-FM放送は土曜日の午後がローカル枠で、地方局独自のDJ番組を放送していた。私の地元では歌謡曲やフォーク(ニューミュージック)を流すしょうもない番組しかやっていなかったが、相互にエリアが重複する関東地域の県域局ではかなり個性あるプログラムを放送していた。NHK水戸局で田中正美アナが担当していたプログレユーロロックだらけのプログラムはプログレファンの間でもいまも伝説として語られている。大きなFMアンテナを立てると我家でも関東のNHK-FMを受信できたのだが、水戸局と横浜局は入感できず悔しい思いをしたのが忘れられない。後年、80年頃になると浦和局もプログレに特化したプログラムを放送してくれた。大蔵真実さんお元気かな。だから今回の番組、デイブシンクレアがどうとかミスターシリウスがどうとかではなく、そういうNHK-FM的なプログレ界が懐かしくて聴き入っている。来年は山田五郎、森田美由紀、高嶋政宏のゴールデントリオで賑やかにやってほしい。

おマヌケなオトナ達

peterpanテレビ局のスタッフが懲戒解雇になったと思ったら、今度はなんと経産大臣が悪ふざけをして辞任だ。発言は大臣としての資質に関わる内容で当然肯定は出来ない。しかし、被災者の方々に問いたいが、このお間抜けなオトナ達は被災者の皆さんの敵だろうか? もちろん好ましいとは言えない。けれど、敵と云えるほどに極悪かと云われるとそこまでは悪くないと考えるのが普通だろう。それでも公の立場に立っている場合は責任をとらねばならない。たぶんそういうことなのだと思う。テレビから差別表現が消えたのは80年代の初頭あたりからだっただろうか。日常生活における人権意識の高まりにと共に、体の不自由な人を表す言葉や出自に関わる言葉、性差に関する言葉などがメディアの自主規制によって消えていった。正義に基づいてとても良いことをしたように思えるが、小説家や演出家など表現を生業にする人の中には言葉狩りだとして反対する人も少なく無かった。言葉を狩ってしまうと逆に真実が見えにくくなる側面もあるからだろう。あれから30年、昨今の日本社会はそうした人々が危惧したような雰囲気になってはいないか。被災地を支援するために日本人全員が考え行動する。もちろん、それは人として尊い。しかし、震災を他人事だと思ってる人も現実には多数いる。例えば西日本に済む人々に東日本に住む人ほどの切迫感が無いのはある意味当然なことでそれが普通の感覚だと思われる。ところが、昨今の日本では「東北の皆さん頑張ってください」と公の場で意思表示するのが大政翼賛会の如く人の勤めとなっている。何か嘘くさい。公然と被災地蔑視をしたりするようなことは攻撃されてしかるべきだろう。しかし、切迫感が無ければ冗談も言うのが人間だ。被災地で放送時間外にケラケラと談笑していたテレビレポーターが非難され担当を外されたなんてこともあったらしいが、見識は問われるがまあそれが普通なのではないか。むしろ、それを表に出せない方が怖い社会だと思う。国務大臣ともなると冗談でも言ってはいけないことはある。だから今回の辞任はやむを得ないとは思う。しかし、例えばそうだな、タレントのビートたけしさんやタモリさんあたりが、仮に「被災地はたいへんだけど所詮他人事だよねえ~」などとテレビで発言したとしたら私は逆に共感を覚える。真実には建前でなく本音で語る先にあるからだ。本当に悪い奴は他にいる。大臣を辞任に追い込んで鼻高々になってる優秀な記者諸君、今度は巨悪に挑んでくださいね。期待してます。

みゃあの真実

caesiumsans名古屋の民放テレビ局で不適切な画面が放送されてしまい全国的なニュースになっている。その詳細やその後の経緯についてはそのテレビ局のウェブサイトのトップに詳しい。検証報告書や検証番組で実に丁寧に事の経緯を解説してある。一通り読んでみた。システムとしての放送会社の報告書としてはたぶんこれ適切なのだろう。が、経費や人員削減やチェック体制の不備を招いたなどと労働団体が書くような尤もな記述並んでいるのを見てしまうと、まあそれも事実なのかも知れないが、本質ではないでしょうと言いたくなってくる。調べるまでもなく問題の本質は不適切なテロップを作成した50歳代の協力会社の社員の資質にあると考えるのが普通。ところが、38ページもある検証報告書の中で、当該社員に関する記述はたったの1ページだ。内容はその社員が日頃からスタッフとしてあまり優秀とはいえなかったこと、社会性が欠落していることが調査委員会の調査で伺えたことなどなど。無論、個人の資質をばかりを掘ってしまうと、そこに原因を求めてるように誤解されかねないので、委員会としてはそうせざるえを得なかったのかも知れない。しかし、私は当該社員の経歴の方が気になる。50代という世代もだ。報告書によると当該社員は、他の会社にカメラ助手として放送業界に高卒で入り、その後30年以上働き現職にあると説明されている。おそらく業界に入ったのは80年代だろう。当時のテレビ局は収益がひたすら右肩上がりのボロ儲け状態。テレビの放送開始からまだ20年程度しか経ておらず、草創期から働くスタッフも現場に多く、ベンチャー企業的体質が残っていたはず。結果、良く言えば自由闊達、悪く言えば趣味か仕事か判別が付かないようなお祭り体質があったのではないか。その頃のテレビ番組を思い起こすと良くも悪しくもパワーがあって刺激的だった。一方、当時の日本社会では人権意識が現在と比べるとずっと希薄だった。テレビ局のコンプライアンス意識が低いというよりは、社会全体がまだおおらかだったというか、差別されている人に対して無頓着だったというか、今では考えられないような企画が普通にワイドショーやバラエティ番組で放送されていたものだ。今回の事件の舞台は名古屋だが、タモリがさかんに名古屋弁を茶化したりブスの産地などと揶揄して笑いをとっていたのもその時代だった。若者が読む雑誌でも東京都や神奈川県に比して千葉県や茨城県、埼玉県を蔑視して笑いをとるような表現も当たり前に行われていた。人の不幸は実は楽しいもの。だから当時のテレビ番組は強烈で面白かったのも事実。私は今回の事件で岩手県に対して行われたことにそれらと共通するメンタリティを感じた。しかし、今の時代「セシウムさん」なる不適切画面を見て笑う人は少ない。不適切画面の修正を依頼した若い女性社員は当該社員の悪ふざけの意図(何が面白いのか)が全く理解できなかったのではないか。時代が変わり社会が変わり人々の意識も変わっている。それに乗り遅れた当該社員は実に哀れだと思う。最後に不謹慎な蛇足を付け加えてみる。実は今の時代そうしたものはネットが受け皿になっている。有名な巨大匿名掲示板を見れば不謹慎発言の山。人の不幸を笑いにする発言は当たり前。モラルなど皆無、法に触れなければ問題がないという状態だ。つぶさに読んでいくと、書いているいる人々が今回の当該社員のように案外高年齢ではないかということにも気が付く。妻もいれば子供もいたりするはずなのに、分別がない。それをテレビでやってしまった。困ったものだ。検証報告書ではそういう部分を社会性の欠如と指摘していたのだろう。結局はそこに尽きる。

汚染地帯

fukushima2文部科学省は24日、福島第1原子力発電所から北西約40キロの飯舘村で20日採取した雑草から1キログラム当たり254万ベクレルの放射性ヨウ素、265万ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。この値には驚愕する。チェルノブイリ事故の直後、ベラルーシ南部(当時は白ロシア)で検出された葉物野菜1キログラム当たりの放射性ヨウ素37万ベクレルの6倍以上ではないか。避難指示が出ていない飯舘村、子供が外で遊んでいる。これは尋常ではない。もちろん、旧ソ連と違い、飯舘村の野菜が一般に流通するようなことはないし、飯舘村の子供達が雑草をとって食べるわけでもない。しかし、土壌1キロからも16万ベクレルなんて値が出ていることを考えると、この先がとても心配だ。大人はともかく子供が住むべき場所ではないように思う。テレビを見ていたらチェルノブイリに行った経験のあるとかいう某大学の医学教授が、放射性ヨウ素の半減期は8日、セシウムは30年。セシウムは筋肉に溜まるといわれるが、チェルノブイリでセシウムによる肉腫が発生した例は無いみたいなことを言っていた。こいつホントに医者なのだろうか? 同じくチェルノブイリ医療支援で知られる甲状腺癌医療の世界的権威、菅谷昭先生(現・松本市長)は、自分も5年間向こうの人と同じものを食べてきた事実をあげ、心配ないものは食べていいとしつつも、子供や妊産婦に対しては予防的対策をとるように勧めている。数的なもので被曝がこうでじゃなくて5年、10年後、悪性の新生物が日本で増えてきたような状況の時には一体誰が責任とるのでしょうかとも述べている。学者は学術的に正しいかどうかを基準に語るが、医者は人々の生活や人生も含めて語る。菅谷先生こそが医者のあるべき姿ではないか。飯舘村はいわゆるホットスポットにあたる場所のようで、原発周辺4~50km圏内がすべて同じだとは言わないが、雑草から1キログラム当たり254万ベクレルの放射性ヨウ素、265万ベクレルの放射性セシウム。土壌からも1キログラム当たりで16万3000ベクレルのセシウムという値は、内部被曝や食物連鎖を考えると到底許容できる値ではない。福島原発自体もまだ完全にコントロールできている状態ではないようで、一定量の放射性物質を撒き散らしているのではないか。東京の水を心配してる場合ではない。飯舘村の子供や妊婦を疎開させていない事実をもってついに国家に不信感を抱いた。原発周辺の農家の皆さんには本当に申し訳ないが、ここまで土壌が汚染されてしまうと農業は成立しない。この先、炉心溶融が進行し、冷却用に放水している海水と反応して大規模な蒸気爆発が再び起きたら悲劇。100km圏内はもちろん風向きによっては300km圏内が汚染対象となる。東京や新潟が飯舘村と同じレヴェルの汚染を被る可能性があるということだ。飯舘村で実際に測定されたデータがすでにチェルノブイリ以上だというのに、政府の対応は亀の如く遅い。日本の土木施工技術は世界一ではなかったのか。国家プロジェクトで新品のプールを数日間で造り、原子炉の隣に配置することくらいのことはして欲しい。

ただちに健康に影響はない話

fukushima東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故が深刻だ。地震と同時に自動停止したまでは良かったが、想定以上の規模の津波を受け、炉心や使用済核燃料を冷却するシステムが破壊されてしまった。使用後の核燃料は核反応は止まっているものの熱をおび放射性物質を発散させている。それを流水になんと3年間漬けて温度が100度C以下になったところでガラス固化し保管している。期間は数万年。原子力発電所が「トイレのないマンション」といわれる所以だ。東京消防庁や自衛隊が放水し、さらなる水素爆発を防いでいるが、放水したからといって温度が100度C以下になるわけではない。放射性物資の拡散を抑えている間に恒久的な冷却システムを構築する必要がある。地震から10日ほどを経ち既に放射性物質は各地に広がっている。メディアはレントゲン検査の数値を出しては問題のないレベルと報じているが、それは外部被曝の対応としてはたぶん正しい。避難指示の範囲も適切だ。官房長官の「ただちに健康に影響はない」という言葉も嘘ではない。嘘ではないが実は決して真実ではない。なぜ「ただちに」を付けるのか。北関東産のホウレンソウから規制値の10倍を超える放射線量を検出したという情報もあるが、これについても厚生労働省は「ただちに健康に影響を与えるというものではない」と云っている。律儀に「ただちに」を付けてるところが何とも怖い。なぜなのか。そのココロは内部被曝だ。内部被曝とは体内に放射性物質が入ること。放射線も電波と同じ広義でいうところの電磁波。電磁波は距離の二乗に比例して強くなるというのを物理の時間に学習しただろう。放射能も同じ。マイクロシーベルトと云っているうちは大丈夫と思っている人も多いと思うが、そういう微弱な放射線を出す放射性物質が体内、たとえば肺に入り、ずっと粘膜に張り付いたとしたらどうなる。距離は限りなくゼロに近い。放射線は距離の二乗に比例して強くなる。近いということは微量でも強いと考えてよい。だたし、放射性物質は拡散すると薄まる。福島原発から離れてばそれだけ安全であるのだが、その濃度は一定ではない。風向きにより濃度が薄い場所、高い場所が発生する。濃度が高い場所で放射性物質を吸い込んでしまった場合が不幸だ。ヨウ素の半減期は8日間ほど、セシウムは30年。今回は検出されていないがプルトニウムの半減期は2万年、ウランは24億年だ。放射線の強さはレントゲン検査程度というが、5年も10年もレントゲン検査の機械に抱きついている人はいない。レントゲン検査程度の放射線を微弱とはいえ5年も10年も特定の粘膜に照射し続けたとしたら、細胞はどうなる。生物の細胞も物質だ。原子核があってその周りを電子が回っている。そこに隣接して別の物質、ヨウ素やセシウムからに強力な放射線が入り込めば、人間の細胞を形成する物質の原子構造が崩壊する可能性が高い。タールのような化学物質が貼りつくことでも同様のことが起きると言われているが、こうしたしくみが癌の発生原因ではないかと推測されているのだ。もちろん、放射性物質を浴びたら必ずそうなるわけでもない。いつどこで何がどこに張り付いていつ癌化したかなんて追跡調査も病理学的に困難だ。ただし、かつて大気圏内核実験が行なわれていた場所周辺の5~10年後の癌の発生率が他の地域に比べて圧倒的に多いという歴史的なデータは残っている。そのデータを信じるかは人それぞれ。断定的なことは言えない。さらに深刻なのは放射性物資は、他の有害化学物質と同じように食物連鎖による濃縮も行なわれること。ホウレンソウを直接食べた程度では特に問題はないと思われるが、野生に生きる動物の肉から放射線を検出されたとしたら深刻度はやや高い。人間は食物連鎖の頂点に君臨していることを忘れてはならない。我が家から福島第一原子力発電所までは300Km弱。「ただちに健康に影響はない」程度の放射線は検出されている。生活があるからこの場を離れるのは難しい。杉花粉の季節、鼻の粘膜や目に花粉が付着し花粉症の私は痒くて仕方がない日々が続いている。同様に放射性物質が付着していなければよいのだが。