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霧の子孫たち

kiri絶版となっていた新田次郎さんの「霧の子孫たち」の文庫本が再版されている。何故、このタイミングで再版されたのか。かつてはその作品が次々に映画化され、没後も「武田信玄」が大河ドラマになるなど人気のある作家だ。近年はやや地味な存在になりつつあるが、皇太子殿下をはじめ、今でも登山を愛好する人々には根強い人気がある。登山の愛好家でもなく、文学青年でもなかった私が「霧の子孫たち」と出合ったのは、20年程前。なんと小説の舞台「霧が峰」でだ。鷲ヶ峰フュッテの書棚にそれはあった。夜の9時か10時には消灯となる宿だが、ロビーには明かりがあった。この小説は事実に基づいて書かれたある種のノンフィクションだ。部屋に戻らず一気に読んでしまった記憶がある。それ以来、特に縁は無かったのだが、再版されたのを知り、改めて読んでみた。読んでみるとしばらく再版されなかった理由がわかる。内容に問題があるわけではないが、実在の人をモデルにした人物がたくさん登場する。実在の人には当然その後の人生もある。「霧の子孫たち」に描かれた時代、私はまだ小学生だった。それでもビーナスラインのルート問題はテレビや新聞でさかんに報道されていたので記憶にある。環境庁という役所が出来、その初代の長官、大石環境庁長官が美ヶ原の現地視察に来たときは大騒ぎだった。小説に出てくる東沢知事は権さんと呼ばれた西沢権一郎知事、大沢企業局長とは相沢武雄局長だろう。そのふたりが戦った知事選もあった。長野県企業局で開発した道路と云えば戸隠バードラインやビーナスライン、菅平有料道路など、聖高原の別荘地開発やら戸倉上山田温泉にある白鳥園もそうか。1960年代、相沢氏はそれらすべてを仕切ったやり手のお役人だった。そういう人が自民党系ではなく社会党系から知事選に出たってところが、大阪で万博が行なわれていた時代というか、「開発」という言葉が光り輝いていた時代を彷彿とさせる。こうした県レヴェルでの開発に対してその県レヴェルで自然保護運動が行なわれたのがビーナスラインのルート問題だ。それが日本の自然保護運動の先駆けとなった。小説に登場する宮森栄之助は考古学者の藤森栄一さん。青山銀河は産婦人科医の青木正博さん。牛島春雄は諏訪清陵高校の理科教諭、牛山正雄さん。いずれも新田次郎さんとは旧制諏訪中学(諏訪清陵高校)の同窓で、この3氏については新田次郎さんは小説のあとがきでモデルをはっきりと明かしている。彼らの活動は6万人の署名を集めるところとなり、地元選出の大川平次郎代議士(小川平二さんだろうな)を通して国会請願に至り、遂に県企業局は旧御射山遺跡と七島八島湿原を迂回するルートでビーナスラインを建設することになる。遺跡と湿原の直接的な破壊は免れたが、その後もビーナスラインは建設された。この小説の登場人物たちは70年代の後半から80年代前半にかけて次々に鬼籍に入られてゆくが、それと時を同じくしてビーナスラインは美ヶ原の天辺まで延びて行き、屋外彫刻美術館まで作られる。あれから30年。ビーナスラインは無料となりトラックが行き交う道となった。彫刻美術館はなんと「道の駅」を兼ねている。ビーナスライン沿線の草原は野焼きが行なわれなくなったため森林化が進んでいる。人間が作りしだした自然を保護している場所も実はあるのだ。鳥獣を保護したためニホンシカが増え、ニッコウキスゲが食べられてしまったり湿原が壊される事態も発生しているらしい。再版を機に霧が峰の自然にもう一度考えてみるのも良いだろう。とまあ自然保護のマナーも怪しい私が他人事のようによくあるまとめをすればこの稿も終わるのだが、正直私はもっと別のことを思った。小説の中で牛島春雄は吐露する「おれは霧が峰の将来についてはほどんどあきらめている。だが、霧が峰にたった一本の植物が残っていても、おれはその植物を見捨てることはできない。植物が死に絶えて石だけになっても、おれはその石を守ろうとするだろう。」この言葉から見えるもの。それは自然保護への執念だろうか。きっと違う。実は彼らが守りたかったのは自然というより、心の原風景だったのではないか。新田次郎さんにとってもあの辺りはペンネーム(諏訪市角間新田)するほど大切な故郷。むろん自然も故郷の一部だが、守ったものは自然だけではない。考古学者である藤森栄一さんは旧御射山遺跡を守った。旧御射山遺跡は諏訪の人々の心の拠りどころ諏訪大社にまつわる大切な遺跡だ。そうしたものを守りたいという気持ちには共感できる。地元の駅や建物が建て替えられるだけで残念な気持ちになる人ならば理解してもらえるだろう。

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