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記事一覧

青春の光と影

2fa76ddd.jpg沢田聖子と書いても、きっと知ってる人は40歳以上だろう。かくいう私も「シオン」しか知らなかった。深いエコーのかかった「♪シオ~ン」ってフレーズはとても印象的だ。曲が発売された頃、クラウンレコードによるコマーシャルが深夜放送でかなり頻繁に流れていて、それが記憶に残っている。沢田さんには申し訳ないが、ファンだったワケではない。それどころか、アンダーグラウンドなロックに傾倒し、我が人生の中で、もっとも過激な音を好んで聴いていた時期だったので、「♪シオ~ン」の3連発が、私の耳には臭く恥ずかしく聴こえてしまっていたような気もしないではない。実際、80年代はフォークソングを歌っていた人々にとっては冬の時代で、白いギターを持って登場するペンションのオーナーを面白可笑しく笑う筋の映画もあったほどにフォークはダサイの象徴だった。ウケていたはピコピコサウンドのイエロー・マジック・オーケストラ。やがてそこにエスニックでパワフルなビートが加わった音がもてはやされていく。ただし、沢田聖子がデビューした1979年の時点では、世の中は70年代をまだまだたくさん引きずっていた。10代のシンガーソングライターを売り出す状況はまだ十分にあったのかも知れない。とはいえ五輪真弓、荒井由実、中島みゆきから渡辺真知子。女性シンガーソングライターは、錚々たる実力派が既に出揃っており、八神純子のようにヴィジュアル面が向上したシンガーソングライターも活躍し始めていた。沢田さんには再度申し訳ないが、比較するのもどうかとは思うほど凄い面々ではないか。おろらく売り出す側も、全盛時代を迎えていた歌謡アイドルとシンガーソングライターの中間をいく存在を想定して沢田聖子をデビューさせたのではないか。デビューアルバムはジャケット写真からしてアイドルであり、シンガーソングライターのそれではない。テレビで見かけることはあまり無かったが、当時はまだ残っていたフォークソング系の音楽雑誌の表紙で頻繁に名前を見かけた記憶は微かにある。で、デビュー後の80年代は一体何をしてたのだろうと気になってCDを聴いてみたり、ネットで情報を探っているうちに、すっかり彼女のファンになってしまった。(笑) これはというヒットがなかなか出ない中、流行の音を取り入れては何とか売ろうとする制作者サイドの意図が見え見えで、実に面白い。初期はアイドル歌手的な楽曲も唄うもスカートが穿けないというヴィジュアル的な弱点が露呈。早々とニューウェイブサウンドにも挑むも、中村あゆみや渡辺美里にはやっぱりなり切れない。同じような路線で飯島真理が登場し、アニメに人気も手伝ってヲタク族の人気をさらっていく。それでも健気に頑張る姿はとても可愛い。終いには弾き語りをせず、白いシャツにサスペンダー姿でスタンドマイクの前で唄ってみたり、メロウなオトナのオンナの歌まで自分で作っているではないか。迷走もいいところだ。彼女自身もさすがに考え込んでしまったようで事務所を辞めてしまう。そして90年代、徹底したアコースティックなサウンドで活動を再開する。その後、今に至るまで大きなヒット曲はない。しかし、そんな沢田聖子に惹かれてしまうのは一体何故なのだろう。とりあえず可愛いが、実態はよく喋る40代の人妻だ。しかし、案外そこがポイントかもよ? 前出の錚々たる女性シンガーソングライターの面々のいずれも私は嫌いではないが、強いてその中で関心があるのは荒井由実と竹内まりやあたり。要するに人妻が好きなのだ。(爆) いやあながち冗談ではない。10代で唄う歌、20代で唄う歌、結婚、30代で唄う歌、40代、50代・・・。長く活躍する海外の女性シンガーには、時代や流行や自分のプライヴェートに起こるいろんな出来事に翻弄されながらもずっと歌い続けている人が少なくない。そこには自ら新しい流行を切り開いてしまうような大物アーチストとは異なる魅力と感動がある。B級ではあるが、沢田聖子にはその要素が備わっているのだ。「シオン」には70年代ニューフォークの残照が、「キャンパススケッチ」には70年代アイドルの香りが、「Natural」や「LIFE」には80年代ニューウェイブサウンドが、「あなたからF.O.」はソフト&メロウが、「愛を下さい」には復活アコースティックサウンドが、「乗り越えて行けるね」は大事MANやらKANやらZARDと同じ90年代型人生応援ソングだ。以降は時代の音そのものが多様化していくので判りにくくはなるが、「ニューフォーク」のイメージを残す明るく骨太な歌をインディースに落ちることもなくじっくりと唄い続けている。蛇足だが、パンシロンの古いCFで渥美清に肩車され「パンシロンでパンパン・・・この歌いつまで続くのぉ?」と云ってたあの子役も実は沢田聖子。60年代にも足跡を残していたのだ。時代と共に生きている感が満載、面白い存在だと思う。

美しきロマンの復活

73b705ea.jpgフランスでミッシェル・ポルナレフが復活している。日本でも2000年以降、オリジナル盤CDが復活し、コマーシャルソングで使われるたびにベスト盤やらトリビュート盤が発売され、国内盤CDが1枚も無かった10年前の状況とは変わってきているが、本国では、なんと国民的歌手としての復活だというから驚く。2007年の初頭あたりから地方でのコンサートも始まり、誕生日にはマルセイユで大規模なセレモニーが行われたという。そして、7月14日のパリ祭(革命記念日)にエッフェル塔の下でおこなれた60万人フリーコンサートにトリで登場。その模様はテレビで生中継され、日本でもその一部が YouTube や DailyMotion で見ることができる。64歳だ。年齢相応に退化しているが、歌や演奏はまだまだOK。そういう意味では最後のタイミングだったかも。まずは良かった。ポルナレフがフランス本国で最も人気があったのは60年代。70年代になるとやや冷めてくる。そしてアメリカに渡った後は忘れられた存在となっていた。一方、日本では「シェリーに口づけ」の大ヒットにより70年代になってその人気に火が付いた。日本人が想うところのフランス的ヨーロッパ的でロマンチックな音楽を奏でる人として絶大な人気を博したが、本国では旧来のシャンソンと新しい文化を巧みに融合させるヒッピー、自由人というような位置付けだったようだ。近所に住む日本文学に堪能な40歳代のフランス人にポルナレフのことを聞いたら、「彼はサイケデリックだ」との答えだった。しかし、旬な音楽の末期は寂しい。優れた音楽も流行が変わると途端に陳腐に聴こえる。1979年の来日ではベンチャースよろしく地方ドサ廻りをしているが、すっかり過去の人となっていた。当人も自律神経失調症に苦しんでいたと聞く。80年代になると「哀しみの終わるとき」がタモリ倶楽部の中のパロディメロドラマのタイトル曲に使われる始末。場末の酒場に流れるムード歌謡のような扱いだ。しかし、作曲家、吉松隆の名言「人間なんて恥ずかしいものが気持ちいいんだ!」がとても当たっている。私はその恥ずかしさに耐え70年代からずっとポルナレフを聴いているのだ。ただし、永らく音源はCBSソニーのゴールドディスクベストと数枚のシングルのみ。時々無性に聴きたくなることがあり、レコードに針を落としては聴いていた。CDで聴きたかったが国内盤CDが発売が無かった。輸入盤もあまり店に置いて無かったように思う。90年代に国内盤CDが一度発売されたことがあるが、のんびりしていたらすぐに製造中止。やむなく輸入の怪しいベストCDを購入したのが最初のCDだった。近年は中古LPやCDなども購入しているが、聴きたくなった時にに買うだけで収集をしているわけではない。そんな程度だからポルナレフマニアとはとても言えないが、永年飽きもせずにずっと聴き続けている。その理由は、たぶんミッシェル・ポルナレフが最も良質なシンフォニックロックだから。最近では、新曲を含む100曲入ったボックスセットも聴いた。で、その100曲に「忘れじのグローリア」が入っていないのに驚いた。心を揺さぶるあのアナログシンセの音が100曲に含まれないのは実に残念だ。「シェリーに口づけ」のギコギコギコギコメロトロンはもちろん収録されている。そうポルナレフはプログレ。・・・なことを書くと、硬派のプログレファンから総攻撃を浴びそうだが、「ロックとロマンの出会い」も1970年の時点では、十分にプログレッシブだったと思う。ビートルズやビーチボーイズ、サイモン&ガーファンクルやカーペンターズ、ついでにポールモーリアもプログレッシブだったように思う。もちろんそれらをプログレッシブロックとは言わないが、そのスピリッツは実はあまり変わらない。あの時代の音楽はそのあたりを意識して聴いたほうが楽しい。ミッシェル・ポルナレフも、新しい音楽が次々と生まれる幸福な時代を代表する優れたアーチストのひとりだった。だから、聴き続ける。

翼をください

576e6d3a.jpgネット上を徘徊していたら、赤い鳥がライブ演奏するビデオ映像に遭遇した。曲は「翼をください」。この曲は今やサッカーの応援歌どころか文部省唱歌とも化したジャパニーズポップス不朽の名曲となっているが、このビデオ映像ではその優等生的な楽曲のイメージとは異なるややワイルドな赤い鳥の演奏が堪能できる。まあ、ワイルドと云えば聞こえも良いが、ハッキリ云えばややメチャクチャ。(笑) でも、その荒々しさや若さが逆に面白い。村上秀一(ds)氏と故・大村憲司(g)氏が加わっているので、おそらく映像は1972年か73年頃のものだろう。あらためて見ると、いろんなことが見えて興味深い。で、いきなり音楽性とは無縁の話で恐縮だが、当時小学生だった私はガキのくせして、平山泰代(p.vo)さんのアイドル的ルックスにけっこう「ほ」の字だったりした訳で、今回もついついまずはそこに着目してしまった。やぱ可愛い。オトコ好きする人だよね。彼女は・・・。でも、この映像を見ると意外や意外、当時は地味だな~とたぶん思われていた新居(山本)潤子(vo)さんが可愛くて驚いた。もちろん、ハイ・ファイ・セットではカーリーヘアにまでなって、オトナのオンナを十分に披露してくれたけれど、この映像の潤子さんは可愛い。70年代の街角で見かけた聡明で綺麗なお姉さんそのもの。声に力が入りすぎて地声が出てしまっている部分がまたリアルでいい?? お二人とも今もお美しいがやはり若さってのは凄い。演奏面では、平山さんのピアノのキーがズレているのが少々気になる。赤い鳥は全員が演奏が出来、歌も歌えるという当時としては画期的で優れたバンドではあったのだが、コーラスも一流、インストルメンタルバンドとしても一流という訳になかなかいかないものらしい。ギターソロが始まるとカメラは山本俊彦(g.vo)さんを追うのだが、リードを弾いているのは、実は新居さんと後藤悦治郎(g.vo)さんの後ろに隠れて見えない大村憲司(g)さんだったりする。それは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でジョージの代わりにリードギターを弾くエリック・クラプトンのようでもある。でもまあ村上氏も大村氏も他のメンバーよりは明らかに演奏は巧いものの、かなり雑。この後、赤い鳥は渡辺俊幸(kyd)さんを加え、サウンド面のさらなる強化を図るが、村上大村両氏がエントランスなるバンドを組み脱退、オリジナルメンバーも紙ふうせんとハイ・ファイ・セットに分裂する。フォークの真髄を追求しようとする後藤さんとハイセンスなポップを志向する山本さん、大川さん等との路線対立があったようなことを、私と同郷の音楽評論家が後年、著書に書いていたが、この映像を見る限り、理由はそれだけではなかったことが容易に想像できる。いくら優秀なメンバーが集まっていてもフォークバンドとして始まったバンドがジャズロック風の楽曲もこなせるライブバンドとしてやっていくのはかなり困難だ。そこにある種の限界のようなものもあったのではないか。それはその後の紙ふうせんがフォーク・デュオ、ハイ・ファイ・セットがコーラスグループもなったことでも判る。だから、私はこの映像が好きなのだ。赤い鳥がロックしている映像。多少のミスタッチがあってもパワー炸裂。気分は爽快。若さゆえの演奏だ。この曲が国民的名曲になっているにもかかわらず、赤い鳥の再結成がないのは悲しい。いろんなことがあったのだとは思う。でも、失礼な言い方で恐縮なのだが、声が出て指が動くうちに一緒にぜひ演奏して欲しい。そう思っているのは私だけなのだろうか? 最後に蛇足。作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、歌唱:山本潤子による「校歌」を作った高校があるのを御存知だろうか。それは福岡県久留米市にある祐誠高等学校の校歌だ。(久留米なら藤井郁弥に作らせて松田聖子に歌わせればとも思うが) これが凄い。祐誠高等学校さんのHPに行けば誰でも高音質なWMAファイルをDLして聴くことが出来るのだか、聴いてびっくりラウンジ系で Burt Bacharach な校歌に恐れ入る。メロディーがボサノバAntonio Adolfo の Pretty World のよう。デンマークの Brigit Lystager の唄う Pretty World が Bacharach風だったので、CDをひっぱり出して聴いてみたら同じとは云えないが、雰囲気が一緒でゴキゲンな気分になってしまった。こんな校歌があっていいのだろうか。ラウンジ系やハイ・ファイ・セットが好きな人はダウンロードして聴いてみるといい。アレンジは山本潤子さんの April がらみのスタッフのようだが、このA&M路線はきっと村井先生監修。縁もゆかりもない知らない高校の校歌が私の通勤時鑑賞用mp3のヘヴィーローテションになってしまうかも知れない。

千の風のソレアード

d8a988d2.jpg紅白歌合戦に知らないテノール歌手が出てきて、いきなり「♪私のお墓の前で泣かないで下さい」と歌われた時には酒を噴出しそうになった。だが、そのインパクトは相当なものだったようで、年が明けた1月22日にはクラッシック系歌手としては初めてオリコンシングルチャート1位を獲得してしまった。これはエロエロあった昨年の紅白の中で唯一の良い成果だ。NHKも嬉しいに違いない。しかし、有名になるとリスクも伴う。ある年齢以上の人は、この曲を聴くと「悲しみのソレアード」を想い出してしまうらしい。曲名を知らない人も、どこかで聴いた懐かしい曲と感じるようだ。そう思うのも無理は無い。このブログでも以前紹介しているが、「悲しみのソレアード」は70年代に世界的に大ヒットした曲。原曲は1972年にイタリアのカンタウトーレ、チロ・ダミッコが歌った「Le Rose Blu」。それを彼自身が、ダニエル・サンタクルズ・アンサンブルというバンドでインストルメンタル曲として発表したものが1974年に大ヒット。ポール・モールアやフランク・プウルセルなど当時の有名楽団も演奏し、イージーリスニングの定番曲にもなった。日本では西条慶子が唄ったヴァージョンがフジテレビの連続ドラマ「春ひらく」の主題歌に使われ、これもヒット。訳詞した布施明自身も歌っている。そのさらに数年後には日本テレビのバラエティ番組「カックラキン大放送」のエンディングテーマにまでなぜか採用され、「♪楽しかったひと時が今はもう過ぎてゆく~」などと別の歌詞でも唄われた。つい最近もNTTドコモのCMのBGMとして使われている。いつの間にか多くの人々の心の中にインプットされていたのはそのためだ。「千の風になって」と「悲しみのソレアード」をあらためて聴き比べてみると、やはり似てはいる。唄い始めのコード進行がそっくりなのがかなりマズかった。しかし、曲全体の印象としては「ソレアード」のような爽快感は「千の風」にはない。「墓の前で泣くな」って唄だものな。世界中で何千何万という曲が毎日作られている。それを調性音楽の範疇で作曲するとなると、個人的にはこの程度の類似は止むを得ないようにも思う。小林亜星と服部克久で争った「どこまでもゆこう」裁判なども、自然にそうなってしまったのなら仕方がないのかなという気がする。しかし、原作者への敬意やオマージュもなく、意図的にパクッたことが証明されるとそれはやはり非難されるべきだろう。今回がどうであるかは、「千の風になって」の作者の心の中を覗いてみないとわからない。

シンフォニックロックの名盤

cf759c96.jpg最近のヘヴィローテーション。「吉松隆 交響曲第5番・アトムハーツクラブ組曲第2番・鳥たちの視察への前奏曲 藤岡幸夫指揮BBCフィルハーモニック CHANDOS 10070 (2003)」 時々想い付いたようにクラシックのCDを買って聴く習性が昔からある。かつて「ぷろぐれ歌謡盤」でも紹介したことのある70年代ロック風アンサンブル曲「アトムハーツクラブクァルテット」のオーケストラ版「アトムハーツクラブ組曲第1番」の続編と思しき「アトムハーツクラブ組曲第2番」ってのが聴くのを目的に在京した際に購入、帰りの新幹線の中で聴いてぶっ飛んだ。アトムハーツではなく、「交響曲第5番」の方に・・・。これ「シンフォニックロック」じゃん。(笑) 第1楽章と第4楽章がビートミュージック、第2楽章がジャズ、第3楽章はバラードだよコレ。どこが8ビートでどこが4ビートやねんと怒る人がいるかも知れないが、まあその辺りはフィーリングがロックやジャズだってことで理解してもらいたい。要するにビートが効いた交響曲だってこと。近年の吹奏楽曲にはパーカッションが炸裂するものが珍しくないので、クラシックしか聴かない人々はこの交響曲を吹奏楽的と評するのかも知れないし、19世紀や20世紀初頭の大作曲家に心酔する人々は「無駄な繰り返しが多い」とか「木管が聴こえない」などとその完成度にきっとイチャモンを付けることだろう。不幸な人々だ。そんなこと云っていたら音楽が「音が苦」になるだけ。イントロの「ジャジャジャジャ-ン」でワカランのかいな。つべこべ言わずにビートを楽しめばいい。それがクダラナイと思うのなら聴かなければいい。この交響曲には従来の器楽法を超えた気持ち良さがあるよ。それはズバリ「ロック」。だったらロックを聴けばいいじゃないかとなる訳だが、まあそれはとりあえず正しい反論だとは思う。(笑) でもまあそれをクラシックのフィールドでやってみましたってってのがこの交響曲の面白さだ。100年後、20世紀を代表する音楽とは何かと問われた時、それがシェーンベルグやケージあたりになるのか、あるいはビートルズになるのかは後世の人々に聞いてみないと判らないが、すでに21世紀となり、時が経るにつれそれはやっぱり後者、やっぱり「ビートルズ」じゃなかったのかなあ~と思えるような気分が増してきている。芸術的に優れた音楽、作曲や演奏技術の究極を目指した音楽だけが人類を代表する音楽ではないっていうことか。音楽の周辺で起きたメディアや電子技術の進歩によって、音楽そのものが大衆化し、旧来のサロン的な価値感だけではそのすべてを推し量るわけにはいかなくなっている。無論、18世紀や19世紀の音楽を忠実かつそれ以上に再現するために演奏技術を磨いたり楽曲の研究に勤しむことも大いに価値のあることだとは思うが、それだけに固執してしてしまったら、もはやクラシックの行き先は30年程前に流行した現代音楽(無調音楽)のようなものに行き着いて終了ってことにしかならない。絵画の世界が究極の写実主義の後に抽象画に向かいその後また多様な表現が許されるようになったように、仮にすべてが振り出しに戻ったって別にかまわないではないか。ジャズや南米音楽を取り入れた高名なクラシックの作曲家もかつては存在した。この時代に世界を制覇したロックをクラシックを導入しない手はないのだ。プログレッシブロックなどロックからクラシック音楽にアプローチした例はこの40年枚挙に暇がないが、その逆は少ない。この交響曲の価値はそのあたりにある。第4楽章の最後はビートルズ和音の繰り返しだぞ~。これはザマーミロと思う位に痛快で気持ちがいい。こんなこと書いてもどうせクラシックファンには馬鹿にされるだろうから、この交響曲をトランスアトランティックの「SMPTE」やフラワーキングスの「スペースリボルヴァー」など軽快でポップなシンフォニックロックが好きなプログレファンに勧めたい。同志である君達になら判る。騙されたと思って聴いてごらん。

NO MUSIC, NO LIFE

36f0eb59.jpg米国タワーレコードで働いていた人や東芝EMIの社員であった人々には申し訳ないが、昨今は無料で聴きたい音楽が楽しめる良い時代になった。こんなことを書くと「通報」されるかな?(笑) 断っておくが、私は基本的にパッケージメディアを購入する人間だ。レコードは文化だと思っているし、再販価格制度にも賛成。古今東西、食うに困らない文化というのは為政者による手厚い保護がないと花開かないものであって、一定の保護はあってしかるべきだと考えている。自宅には今まで購入した2000枚を超えるCDやレコードが鎮座ましましてもいる。しかし、この10年、国内盤CDを購入する機会が極端に減った。最大の理由は「購入したいCDが売られていない」から。無いものは買えない。いや、この世に無くは無いのだが、日本のレコード会社がCDにしてくれない。マジで欲しいものは海外通販までして購入しているが、手数料が高すぎて限界がある。いまでも日本盤CDがあれば当然そちらを選んでいる。しかし、無いものは買えないのだ。15年ほど前から、日本のレコード会社は私のような良心的な客を軽視するようになった。マニアが好む音楽はたくさんは売れないが確実に販売数が読める。こういうものは再販価格制度が維持できていれば、一応は商売になるはず。ところがレコード会社がバブル期にやったことは、カラオケで歌いやすい歌を作曲家に作らせ、音楽マニアでない一般の人々を対象に大量のCDを買わせてミリオンヒットを連発し利益を増やす戦略。レコード会社みずからが流行音楽は使い捨て消費財、文化ではないと宣言し、再販価格制度が不要な方向に突っ走ってしまったのだ。自由経済は厳しい。音楽マニアでない普通の人々は気まぐれ、流行が変わればCDなど買わなくなる。以前に購入したCDは中古CD店に売り二束三文の金に換える。携帯で同じ音がダウンロードできる時代になれば当然そちらで済ましてしまう。そういう人々にとって音楽とはもともとその程度のものなのだ。近年、慌てたレコード会社は私のような者を対象に、豪華ブックレット付きボックスセットのようなモノを売りつけるようになった。そんなものはいらない。私が欲しいのは、日本のレコード会社が販売権を持っている海外レーベルの全カタログなのだ。その中から必要なものをアルバム単位でCD-Rに焼いて売ってくれたほうが百倍嬉しい。30年ほど前に、なぜレコード文化が隆盛を極めたか? それは流行音楽でしかないはずのジャズやロックがカタログとして聴かれ、それが文化のようになっていたからではないのか。日本の場合、特にそれが顕著で「レンタルレコード」という独自の商売を生んだ。レンタルは有料図書館、正に文化なのだ。ロックやジャズに興味を持つ若者は実は今でも存在する。そういう人々を少しでも増やすべきなのに、レコード会社の対応は「商売にならない」「あいつらは放っておいても買うからOK」というような馬鹿にした対応ばかり。レコード会社社内でもマーケティングのプロのみが重用され、大昔のように音楽好きのプロデューサーが発売作品を検討するような風土は無くなっていると聞く。ここまで来るとレコード会社は音楽愛好家を敵に廻したようなもの。「そんなことはない」とは言わせない。レコード輸入権騒動の際にあなた方のとった態度がすべてを物語っていたと思う。さて、話は変わるが、これだけ流行音楽が好きだと、一切の違法行為なく音楽を聴くことは難しい。好きな音楽がネットに転がっていればついついダウンロードして聴いてしまうのもまたマニア。社会的立場もあるので違法真っ黒なことはしないが、海外のレコード会社がバイラルマーケティングの観点から黙認しているようなもの、ネットラジオや音楽ブログはこれからも積極的に利用いくつもり。そうでなければ、聴きたい音楽を聴く手段が無くなってしまう。 "NO MUSIC, NO LIFE" だあね。(笑)

スターレス高嶋おおいに語る

2a00d4ca.jpg「大人のロック推進計画」を標榜するテレビ東京の音楽エンターテイメント番組「ROCK FUJIYAMA」は、一部で根強い人気があるらしい。ネットを検索するとかなり多くの個人ブログが引っ掛かる。80年代の深夜テレビ番組を彷彿とさせる番組創り手法はやや古臭いが、それが逆に中年オヤジを安心させてくれる。またこの番組には親日家と知られ、日本に住み着き日本語もペラペラになってしまったメガデスの技巧派ギタリスト、マーティ・フリードマンがレギュラー出演している。個人的にはヘヴィメタはあまり好きとは云えないのだが、日本を愛してくれるこのギタリストが気に入り、実はこの番組を時々録画しては見ている。毎回ではなく「時々」というのには理由がある。それは出演するゲストによってはかなり番組がプログレ化するから。(笑) これまでにも大槻ケンジ氏や宇都宮隆氏が出演した際には、クリムゾンやらELPのビデオが流れ、マーティ・フリードマンによるイエスのラウンドアバウトなんぞも聴けたりもした。そして先日8月7日の放送では、ぬわんとあの高嶋兄貴が御出演。高嶋政宏氏といえば拙作WebPageでは9年も前から氏のプログレヲタクぶりを紹介しているが、今回この番組でもプログレヲタクパワーが大炸裂。さすが新桃太郎侍。プログレを語る前に、まずはKISSの72年モノの未開封レア人形メンバー全員分を披瀝、これで同じくKISSの大ファンでグッズ集めにも奔走しているマーティ・フリードマンを完全にックアウト、マーティが涎れを垂らしそうな顔でグッズを見ている姿が笑えるほどに印象的だった。このあたりは芸能一家でお金持ち、育ちの良さも出ているが、大昔も近年も色々とご苦労もあったお宅だから僻むこともないだろう。番組では触れていないが、ROCK FUJIYAMA Web によると、高嶋兄貴は渋谷のNHKでマーティに偶然会った時、「いつもROCK FUJIYAMAを見ています」とロックファンのふりをして握手をしてもらったことも暴露。ただのヲタクではない。これではマーティもかなわない。もう高嶋兄貴の独壇場。番組では緊急特別企画「スターレス高嶋のプログレを語らナイト」なる特別コーナーまで登場。「スターレス高嶋」ってのも凄いが「プログレの条件、1.バ・カ・テ・ク、2.変拍子につぐ変拍子、3.苦痛の中の美メロ」とのフリップを出し、UKやクリムゾンの曲を実際に流しての解説は実に的確。テレビを見ている私にも思わず笑みがこぼれるが、兄貴も終始ニコニコ、もう楽しくってしょうがないってな感じで出演しており実に結構。大人のロックとはこういうものだ。裏話もイロイロ、あのスターレスのシングルは「ドラマの主題歌のB面に無理やりネジ込んだ」とか「最近もシークレットライブでスターレスを演奏した」とか「クリムゾンのラメントをライブでやった」などなど。近年、俳優業の方が本格化し、舞台や映画やドラマで立派な仕事をしているのでロックから離れていたのかと思っていたのだが、どうもその心配はいらなかったようだ。URLは記さないがこの兄貴出演分の ROCK FUJIYAMA は YouTube にも転がっている・・・らしい。また、スターレスを唄っている兄貴のCDシングル「こわれるくらい抱きしめたい」は結構出回っており、BOOK OFF あたりで丹念に探せば100円程度で入手可能。スターレス(冒頭アレンジ違い)の入ったフルCD「ZERO」はややレア。他に2枚CDを出しているがいずれも廃盤。いずれもブリティッシュロック魂に満ちており、彼のロック好きがホンモノであることがよく判る作品。忙しそうなので無理っぽいが、またCDを出して欲しい。今度はぜひUKを。もちろんエディ・ジョブソン役は従兄妹の高嶋ちさ子さん? こりゃスゲエぞお~。(^_^;

ULTRASONIC BATH 1970

c4385463.jpgYouTube でとんでもない映像を見つけた。Karina のプロモフィルム、El baul de los recuerdos " 。Karina のプロモがアップされていること自体驚愕なのだが、その内容が凄い。これ大阪万博じゃねえか? karina は1970年に来日していた。歳がバレてしまうが私は子供の頃、記憶はほとんどないが大阪万博を見ている。このフィルムで karina が入っているのは紛れも無くサンヨー館の人間洗濯機(ウルトラソニックバス)だ。そのデモンストレーションのエロさは、当時の少年達の心に、アメリカ館の月の石、日本館のリニアモーターカー模型とはまた異なった強烈な印象を残したものだった。だから私もよく覚えている。(笑) 最初に映像を見た時は、フィルムの中に外観など万国博会場の外景が一切登場しないこともあって、輸出された人間洗濯機が置かれたどこかの既存の施設でも利用して撮影したのだろうと思っていた。ところが、同じフィルムの中に日本民話「猿カニ合戦」のジオラマも登場する。気になって調べてみればそれは住友童話館の展示ではないかいな。空中を行進する鼓笛隊も、空気が入ると膨らむ巨大な人形も、シンデレラのロポットも童話館の展示物。記憶は定かではないが、私も入場したはずのパビリオンなのだ。Karina は何のために来日したのだろうか。実は愛知万博では印象的な外観で人気を博したスペインは、大阪万博には参加しておらずパビリオンは無かった。期間中、万博ホールや大阪周辺のホールでは各国のミュージシャンによるコンサートが行われていて、メリー・ホプキンやジリオラ・チンクエッティなども来日はしていたのだが、彼女達と比べればカリーナは日本ではまったくの無名(?)。公式に訪れていたとは考え難い。9月の万博終了直後11月に行われた第1回の世界歌謡祭とも関係はなさそうだし、おそらくは、日本のレコード会社でのプロモーションを兼ねた撮影旅行なのかもしれない。80年代に一度引退状態になった頃は、バリ島にいたらしいし、意外な足跡のある人だ。

頑張れ!JA*RAC

BM98、WAREZ、P2P。コンピュータネットワークの歴史は著作権無視の歴史だ。誰もが簡単に違法行為が出来る。しかし、刑事事件にされたり、裁判になってしまっては、普通に暮らす人々はその社会的立場がもたない。逮捕されて所属する会社を解雇されたサラリーマンや、裁判で5000万円も請求された大学生なども、この国には実際に存在する。法治国家である以上、それは止むを得ない。その一方で、ご丁寧にWAREZ、P2Pに関連するソフトの使い方を解説した雑誌やムックが、全国の普通の書店やコンピニに現在でも常備されてる。要するに自由な国で生きるためには誘惑に負けない強い意志が必要だってこと。ただ、法の運用というのはその時の社会情勢によって微妙に変化する。権利者が激しく利益を主張し、それが社会的に支持されるような雰囲気なら、法も厳格に運用される。逆に権利者が弱腰で実態を放置すれば、さほど権利は侵害されていないと判断され、見逃されること「も」ある。日本の場合、権利者も役所も市民も比較的律儀なので、法の条文を国語的に解釈しそれで法に触れていると感じれば皆がそれで違法と納得してしまうケースが多いが、欧米の場合は対応が柔軟で面白い。それが象徴的に表れている事例として最近注目されているのが、御存知「YouTube」だ。サイトを検索してみれば著作権無視のファイルばかり、それも尋常な量ではない。そんなモノがあたりまえになっている。JA*RAC の皆さんも夜毎うなされることだろう。(笑) ところがこのサイト、一向に閉鎖される様子がない。全世界からの膨大なアクセスを受けて莫大な回線管理料を支払っているはずなのに未だ元気。それどころか、「YouTube」をビジネスモデルに他の事業者が同様のサイトを開設する動きが止まらない。理由は、「YouTube」が「バイラルマーティング」の触媒として有望と思われているから。つまり、高い宣伝効果により多大な利益が得られ、新たなビジネスモデルが作れそうなら、とりあえず多少の著作権侵害は見逃したふりをしてやるってこと。MP3も同じ経緯を辿った。レコード会社や著作権管理団体と裁判を繰り広げたWinAMP(NullSoft)も今じゃ合法的に存在する。大きかったのはインターネットラジオの著作権問題が一定の解決をしてしまったこと。その詳細はともかく、一般市民はASCAPやRIAAの管理する楽曲をネットラジオを通して自由に聴けるようになった。洋楽ファンにとっては正にパラダイス。ASCAPやRIAAの権利も守られた。こういうのが自由主義社会の発想。・・・で、ここまで堅苦しく面白くない話を読んでくれた洋楽ファンのあなたにさらなるパラダイスの存在を教えよう。いままでのは全部前置き。(笑) 必ずヒットするとは限らないが、Googleで「洋楽ミュージシャン名+mp3+blog」で丁寧に検索してごらん。欧米で当たり前になっている "MP3 BLOG" "MUSIC BLOG" "AUDIO BLOG" が見つかるはず。これも現時点では欧米のレコード会社が前述の「見逃し理論?」で見てみぬふりをしているであろうサイト。危なっかしいP2Pソフトなんぞ使わずとも、MP3ファイルがBLOGからダウンロードが出来る。ここまで大っぴらに公開されていると、楽曲をアップしている人々はともかくダウンロードしている人々を取り締まるのは難しい。あえてサイト紹介はしないが、私が検索した範囲では、例えば70年代のハードロックや80年代のヘヴィメタル、あるいは70年代の王道プログレやネオ・プログレあたりは、ジャケット写真や解説記事を含めてなんと「アルバム単位」で堂々とアップロードされている。P2Pのように検索すればいつでも目的の曲がダウンロードできるようなオン・デマンドではないが、ショップに並んでいるCDの中から気にいったCDを選んで持っていく感覚、量も尋常ではない。ひとつのサイトに10や20のアルバムが登録されているのは当たり前、100以上登録されているサイトもある。サイト運営者と趣味があえば、もう(^_^)(^_^)。あまり盛んになると規制がかかりそうなので、説明はここまで・・・。

Senn (Margret Eir) 2004

Magaret"Senn"とはきっと"Soon"のこと。何故ならこの曲は、Yes の The Gates Of Delirium のエンディングに Jon Anderson が感動的に歌い上げる"Soon"のカヴァーだから。ドラマティックかつ緻密に構成された組曲の最終章を飾る名曲を、女性ヴォーカリストが歌うとこれまた味わい深い。これはなかなかよく出来たカヴァーだ。タイトルの"Senn"。これはきっとアイスランド語。Margret Eirはアイスランド人なのだ。歌そのものもアイスランド語で歌われてると思われる。プロフィールによると Margret Eirって人は1972年生まれ、子供の頃からレイキャビク・ミュージック・アカデミーに通い、その後、ニューヨークに留学して音楽を学び、1990年頃からプロ活動を始め Eurovision Song Contest にもチャレンジしたという。90年代の彼女の活動はアイスランドのテレビに出たりライブで歌ったりと、いわゆる普通の女性歌手然としたものだったが、Margrt Eir名義で2000年以降に4枚リリースされているアルバムの中にはこの"senn"以外にも、"Heiðin há"(Wuthering Heights-Kate Bush)、I naturhumi(Moonlight Shadow-Mike Oldfield) というような気になるカヴァーが存在する。どうやらこのオバサンはプログレが好きだったらしい。アイスランドといえばビョーク(Bjork)、こちらは世界的な名声を博している今やアイスランドを代表する歌手だ。こんな風に書くとアイスランドの音楽シーンが如何に優れているかってことになるのだが、その前にアイスランドの基本情報を確認する必要がある。何故なら、アイスランドの人口はたったの28万人だから。28万人っていったら日本の地方都市に等しい。ビョークの幻のファーストアルバムはかつてアイスランドで大ヒットしたそうだが、その数は7千枚だという。そして話は大胆に逸れる。これは如何にローカリズムが文化を育むかの見本なのだ。28万人でも大統領がいて近代議会の元祖と云われる議会があって、テレビもラジオもあって、ブロードバンドの普及率は世界一、火山と温泉に恵まれ、漁業が盛ん。かつて米ソ首脳会談まで行われたのだ。日本と国力を比較しても意味はないと思うだろう。しかし、その差が1億人vs28万人の差と云えるほど大きいものなのかな?と考えると淋しくなりはしまいか。今日本は効率化を旗印に文化的に意味不明な線引きで道州制を画策している。権限を移譲し地方の力を高めるためなどとも云われているが、グローバル化の進展で金太郎飴のようになりつつある現在の日本の国土を道州単位で区切るのは危険だ。効率は良くなるが中身はない。つまり「不毛」なのだ。文化の無いところに経済は育たない。競争力を高めるための効率化と引き換えに、多様性が失われたらお終い。さて、Margret Eir はニューヨークにいた頃、Jesus Christ Superstar の Mary を演じたとプロフィールに書かれていたが、やぱあれは女性歌手の基本だよな~と思いつつ Yvonne Elliman や Sarah Brightman に "Soon" を歌ったらどんなに素晴らしいだろうかとも期待してしまった。Sarah Brightman なら Kansas や Peter Gabriel の曲を歌っているくらいだからやってくれそうな気もするが・・・。

Senn(MargrétEir) Sample