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シンフォニックロックの名盤

cf759c96.jpg最近のヘヴィローテーション。「吉松隆 交響曲第5番・アトムハーツクラブ組曲第2番・鳥たちの視察への前奏曲 藤岡幸夫指揮BBCフィルハーモニック CHANDOS 10070 (2003)」 時々想い付いたようにクラシックのCDを買って聴く習性が昔からある。かつて「ぷろぐれ歌謡盤」でも紹介したことのある70年代ロック風アンサンブル曲「アトムハーツクラブクァルテット」のオーケストラ版「アトムハーツクラブ組曲第1番」の続編と思しき「アトムハーツクラブ組曲第2番」ってのが聴くのを目的に在京した際に購入、帰りの新幹線の中で聴いてぶっ飛んだ。アトムハーツではなく、「交響曲第5番」の方に・・・。これ「シンフォニックロック」じゃん。(笑) 第1楽章と第4楽章がビートミュージック、第2楽章がジャズ、第3楽章はバラードだよコレ。どこが8ビートでどこが4ビートやねんと怒る人がいるかも知れないが、まあその辺りはフィーリングがロックやジャズだってことで理解してもらいたい。要するにビートが効いた交響曲だってこと。近年の吹奏楽曲にはパーカッションが炸裂するものが珍しくないので、クラシックしか聴かない人々はこの交響曲を吹奏楽的と評するのかも知れないし、19世紀や20世紀初頭の大作曲家に心酔する人々は「無駄な繰り返しが多い」とか「木管が聴こえない」などとその完成度にきっとイチャモンを付けることだろう。不幸な人々だ。そんなこと云っていたら音楽が「音が苦」になるだけ。イントロの「ジャジャジャジャ-ン」でワカランのかいな。つべこべ言わずにビートを楽しめばいい。それがクダラナイと思うのなら聴かなければいい。この交響曲には従来の器楽法を超えた気持ち良さがあるよ。それはズバリ「ロック」。だったらロックを聴けばいいじゃないかとなる訳だが、まあそれはとりあえず正しい反論だとは思う。(笑) でもまあそれをクラシックのフィールドでやってみましたってってのがこの交響曲の面白さだ。100年後、20世紀を代表する音楽とは何かと問われた時、それがシェーンベルグやケージあたりになるのか、あるいはビートルズになるのかは後世の人々に聞いてみないと判らないが、すでに21世紀となり、時が経るにつれそれはやっぱり後者、やっぱり「ビートルズ」じゃなかったのかなあ~と思えるような気分が増してきている。芸術的に優れた音楽、作曲や演奏技術の究極を目指した音楽だけが人類を代表する音楽ではないっていうことか。音楽の周辺で起きたメディアや電子技術の進歩によって、音楽そのものが大衆化し、旧来のサロン的な価値感だけではそのすべてを推し量るわけにはいかなくなっている。無論、18世紀や19世紀の音楽を忠実かつそれ以上に再現するために演奏技術を磨いたり楽曲の研究に勤しむことも大いに価値のあることだとは思うが、それだけに固執してしてしまったら、もはやクラシックの行き先は30年程前に流行した現代音楽(無調音楽)のようなものに行き着いて終了ってことにしかならない。絵画の世界が究極の写実主義の後に抽象画に向かいその後また多様な表現が許されるようになったように、仮にすべてが振り出しに戻ったって別にかまわないではないか。ジャズや南米音楽を取り入れた高名なクラシックの作曲家もかつては存在した。この時代に世界を制覇したロックをクラシックを導入しない手はないのだ。プログレッシブロックなどロックからクラシック音楽にアプローチした例はこの40年枚挙に暇がないが、その逆は少ない。この交響曲の価値はそのあたりにある。第4楽章の最後はビートルズ和音の繰り返しだぞ~。これはザマーミロと思う位に痛快で気持ちがいい。こんなこと書いてもどうせクラシックファンには馬鹿にされるだろうから、この交響曲をトランスアトランティックの「SMPTE」やフラワーキングスの「スペースリボルヴァー」など軽快でポップなシンフォニックロックが好きなプログレファンに勧めたい。同志である君達になら判る。騙されたと思って聴いてごらん。

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