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記事一覧

RE-CREATION

18759fea.jpg元来、日本の温泉は湯治のためにあった。聖徳太子や天智天皇が熟田津の湯(道後温泉)や紀の湯(白浜温泉)などに来湯したことが日本書紀や万葉集にも書かれているし、戦国武将が傷を癒すために訪れたといわれる温泉も日本のいたるところに点在する。それがいつからだろうか、温泉は芸者をあげて遊興する場所への変貌する。他にあまり娯楽のない時代、男子の遊び場は町外れにある温泉と遊郭だった。戦後の高度成長期には、そのシステムはそのまま企業や地域での団体旅行へと引き継がれる。企業の福利厚生費には税制面の特典があった。税金で持ってかれるくらいなら、社員総出で温泉旅行に行き明日の仕事の英気を養おう・・・ってお題目で行われたから「リ・クリエイション」。私が社会に出た頃はまだそういう時代だった。バブル期になると「温泉ブーム」が勃発する。これは実体の無き金(^_^;で遊べる層が急激に増えたため、いわゆる高級旅館に個人で泊まり贅沢感を楽しむスタイルが流行して発生したものだ。そしてそのバブルが崩壊。宴会を主体にした旅館は窮地に追い込まれ、かつて賑やかだった温泉には閉鎖される施設も出始める。有名旅館の部屋の窓から見える風景が「廃墟」という辛い状況に多くの温泉街は追い込まれた。給料が減り、おいそれと温泉旅館に泊まれなくなった庶民が向かった先は「日帰り」温泉施設。温泉ブームの気分だけは世間に残り、金は無いが温泉には行きたかったのだ。バブルを象徴する竹下内閣の「ふるさと創生基金(1億円)」のお陰で?全国あちこちに3セク温泉が誕生していたので、行き場所には困らない。多様な浴槽がある大規模施設に人気が集まった。しかし、来湯者の多い大規模施設というのは必然的に浴槽は循環となる。そこで起きたのがレジオネラ菌騒動。一般人はこれで自分の入っていた温泉がフィルターでゴミを採られながら何度も循環するプールのような風呂だったこと知り、本物の温泉への渇望が高まる。テレビの温泉番組の主役も能登半島の巨大旅館あたりから東北の山奥の一軒家旅館あたりへと変わり、関心は泉質へと移っていった。そこに降って沸いたのが白骨温泉草津の湯事件だった。「源泉掛け流し」という温泉マニアが使っていた用語も今や世間に一般化し、多くの人が泉質を求めて温泉を行脚し始めたのが昨今の状況。私自身はといえば高級旅館に泊まるような金はもちろん無いが、一泊二日で台風のように旅館に行き、たくさん飲んで食って夕、夜、朝と風呂に入ったところで、使った金の割には癒されないなと思うことが多くなった。考えてみればもともとそれは人生活性化プラン「リ・クリエイション」なのだ。癒しではない。前後にクルマの運転をせねばならない日帰り温泉めぐりにもやや疲れて来た。その日のうちに運転して帰るのだから酒も飲めない。(笑) こうなると残る理想は太古の昔より伝わる「湯治」しかない。本当に癒しを求めるのなら一泊2千円食事は自炊みたいな温泉施設がいい。読みたかった本でもシコタマ持ってそういう場所に何日か籠もれたらそれがホントの癒しというものだろう。世間の毒気が恋しくなれば充電完了。もちろんそれもゆったりとした「リ・クリエイション」ではある。

カツテの神様

429c2fc4.jpg「エンタの神様」なるバラエティ番組が人気だ。そこから出た芸人さんが紅白歌合戦にまで出演していたのにも驚いた。なぜなら、私自身はあの番組に出演している芸人さんのネタを聞いて笑ったことがほとんど無いからだ。若者や子供が満面の笑みを浮かべながら楽しそうにあの番組を観ている姿を見ていると、正直なところ自分の感性が衰えてきたのではないかと逆に不安になる。もちろん、あの番組や芸人さん達を否定するコメントを並べるのは容易だ。ネタを考えるブレーン(作家)が背後にいるようだとか、いわゆるBIG3をはじめとする現在のお笑い界の巨匠たちやさらに遡って70年代のコミックバンドや関西の漫才名人たちの全盛時代と比較すればどうか?とか、いやそんな巨匠を出すまでもなくその周辺で活躍した、例えば嘉門達夫さんや松尾貴志さん、芸人ではないが柳沢慎吾さんあたりの方が、「エンタの神様」の常連よりは数百倍ハイテクニックで面白いとか、云い始めたらキリがないほど材料はある。若者や子供は昔を知らないから笑えるのだと斬ってしまえばそれまでなのだ。しかし、それを云ったところで、タモリさんが新作CDを出すわけでもなければたけしさんが漫才をやるわけではない。仮にそうしたところでかつてほど面白かどうかもわからない。存在するのは若者や子供は「エンタの神様」を見て笑っているという現実だけ・・・。笑いと云うのは人々が共有する知識のズレを楽しむもの。知識がなければもちろんだが、実は知識を共有する気持ちがないと笑えない。私が「エンタの神様」を見て笑えないのは案外「今」を知らないからなのかも知れない。これはお笑いに限ったことでもないというところがまた怖い。

どうした東通工

fdd8e6c3.jpgAPOLLO-11、EXPO-70、手塚治虫に真鍋博。科学技術の進歩が豊かな未来を切り開くと信じて育ってきた世代なので、私も何だかんだ云って進歩的な工業製品は大好きだ。そういう製品を作ろうとする企業も応援したいと思ってる。技術の進歩には失敗は付き物だが、画期的で面白い製品ならばそれを楽しみ、多少の不具合には眼を瞑って使おうと云う気持ちすらある。実際、私は本田のクルマばかりに乗っているが、それは本田の企業イメージが好きだからだ。本田はリコールが多いし、走行性能に関係ない部分での割り切り方もハッキリしていていて、必ずしもモノ作りのバランスは良くない。しかし、昔から本田はクルマに夢を付けて売っている。それが面白くてついつい本田を応援したくなるのだ。去年は原付バイクまで本田にしてしまった。それまで乗ってた鈴木の原付は頑丈で長持ちした。冬でも必ずエンジンがかかった。ところが本田は買ったその年の冬からいきなりエンジンがかからない。原付を4サイクルにして半導体なんか載せたりするからだ。(笑) それでも私は本田を選ぶ。なぜなのか? それはモノに対して実用性以上の夢を抱くから。壊れないことより面白いことをどこかで望んでいるからだ。原付を4サイクルにしたところで大気汚染防止や地球温暖化にどの程度役立つかは疑問だが、それを真剣にやってる姿が馬鹿馬鹿しくて大好き。本田はハイブリットでも独自技術で必死に豊田と戦っている。安直に豊田の技術を買ってる脱兎産のクルマなど、たとえ良く出来ていてもつまらないから私は買わない。そんなこともあって家電メーカーでも私は壊れ易いと昔から云われてきた東通工が好きだった。歩きながら音楽が聴けるのなら多少故障が多くても迷わず購入。ライフスタイルを買っているのだから、それを最初に提案した企業を評価し、真似下電器は評価しないようにしてきたりもした。ところが近年、東通工の様子がオカシイ。ご存知のように80年代から90年代にかけて新電化製品のヒットを連発、故障も6~70年代より明らかに減り、向かうところ敵なしのモノ作りをしてきたのに、最近は再び創業期の頃のように故障が増え、困ったことに故障して修理に出しても修理不完全だったりするなどサービスの質まで低下しているのだ。それどころか得意の携帯音楽プレーヤーのシェア(というより開拓者イメージ)を林檎電算機に奪われてしまう始末。他に何か夢は売ってるだろうか。HD化が進む放送用カメラもかつてのような独占は完全になくなり苦戦している。頼みのゲームマシンも初期故障でミソを付けてしまった。MPEG4でも構わないから映画一本全部入るメモリを積んでくれれば買ってやったのに・・・。これからはソフトみたいことをCEOは云っているが、御社は今までもライフスタイルを提案する優れたソフトをハードに付けて売ってきているのだよ。かつてヒットを連発したライフスタイルを変えるような工業製品ってのは実はそれこそが世界が驚いた家電メーカーのエンターテイメントではなかったのか。従業員10万人の映画会社やゲーム会社になってしまったらすぐ潰れるぞ。一昨年から昨年にかけて仕事で何度か「歩きながら音楽が聴ける機械を創造」し、「CDの収録時間をカラヤンのベートーベンの第9に合わせた」あの方に直接お会いする機会を持ったが、ああこの人がもっと若かったら...と正直思ってしまった。彼こそ真のエンターティナーだ。大ファンなのでとりあえず、氏がご存命のうちは応援しようかな・・・などとも思うが、夢も売ってくれず、故障が多いとなると、その後は私も「アンチ」にならざるを得ない。残念。

スマトラ地震

災害の全貌を伝えるのは難しい。スタジオの照明が揺れるところを執拗に見せたり、アスファルト道路が地割れした部分にビデオカメラを接近させ舐めるように撮影し、さほど被害の出ていない地震を誇大に見せている映像は誰もが見たことがあろうかと思う。映っている内容自体は事実だが、伝達の段階でデフォルメされている。最近は視聴者も眼が肥えているので、「テレビがまた大騒している」などと案外冷静に見ていたりもする。この程度のことなら大きな問題はない。しかし、逆の場合は困りものだ。つまり、地震被害が巨大で伝えきれないケース。巨大地震のときはいつもそうだ。普段なら一軒の火事で一人焼死しただけでニュースだというのに、街中全部がそれではとてもすべては伝えられない。結局、象徴的な場所、もっと酷い表現をすればより悲惨な場所やドラマのありそうな場所にメディアは群がる。阪神淡路大震災の際も、倒壊した阪神高速道路の高架ばかりが繰り返し放送された。あれが総てだなどと思われたら神戸の人々は怒る。それがテレビというメディアの限界だ。ところが今回のスマトラ地震ではインターネットがテレビが伝えない(伝えきれない)事実を伝えている。家庭用ビデオで撮影された映像がテレビで頻繁に放送されているが、実はインターネットで先に公開された映像が多い。インドネシアのアチェ州やスリランカ北部など、政治的に問題のある場所の情報もインターネットの方が詳しい。それによると各国が巨額の支援を表明しているが、政府間の援助が被災者にきちんと届くかはかなり怪しいようだ。インドネシアについていえば、海外メディアに対しては特例でアチェ州への立ち入りを緩和しているが、実はインドネシア国内メディアはアチェ州の被害状況についてほどんど放送してない。海外メディアがいなければ、関東大震災の際の在日朝鮮人虐殺のように、地震に紛れてアチェ州の独立派を根こそぎ殺してしまいたいのが本音なのだ。日本からの巨額の援助にインドネシアの首脳はニコニコ顔。数年後には政府高官の家が次々に立派に建て替わることだろう。スリランカに到っては、政府側も現地に入れない状態で支援どころではない。一方、タイに関しては自力で復興するプログラムが進んでいる。被災者対応とは別に、泳げるビーチの情報まで流してたり、商店街の再生プランまで発表されてるのだそうだ。昨今、こういうことはインターネットで先に情報が出て、メディアが後から追いかける状況になっている。上に書いたこともそのうちテレビでも伝えられることだろうが、メディアにとって都合の悪い情報は伝えられないので注意が必要だ。

産めよ増やせよ

1d9680bc.jpg国立社会保障人口問題研究所によると、日本の人口は来年をピークにその後は減少傾向をたどり、2050年にはピーク時より2700万人少ない1億人まで減少するらしい。その結果、成長率は低下し必要雇用者数も減ってしまうが、それ以上に労働人口が減るため、15年後の2020年の段階で、220万人の労働力が足りなくなり深刻な労働力不足に陥るとの予測がある。単純に考えれば求人難になるわけで、働く側にとっては歓迎される予測だが、仮に外国人労働者を受け入れてしまえば、日本人の失業者は逆に増えるだろう。それどころか専門的な業種以外の給与は外国人労働者並みにまで下がってしまう可能性が高い。治安状態は最悪。この状況は30年前の英国で実際に起きたことだ。企業の利益を優先すれば住み心地が悪くなる。個人の利益を追求すれば国の活力が失われる。どちらも嬉しくない。それをどう解決すれば良いのか。答えは簡単。子供を作ること。労働の質などここでは後回しだ。働かなくなったと言われる日本人だが、国民1人当たりの労働生産性は未だに世界一。これが日本の強さの秘密でもある。強いていえば「ゆとり教育」は見直し、せめて1970年代の水準にまで戻す必要はあるだろう。しかし、ガリ勉やモーレツ社員、成果主義にのって一生懸命で働いたところで、そんな利益は人口の減少による巨大な損失の前では焼け石に水なのだ。深刻な話なのに国や財界の対応はぬるい。企業は90年代の失敗が響き、社員のケツを叩いて目先の利益を確保するのに精一杯、国は人口を増やす施策を一向に示さず、逆に子供を育てている世代からの税金を増やす始末。昨年、結婚しない女性を「負け犬」と称した本が話題になった。結婚しようがしまいが個人の勝手ではあるし、終身雇用が崩れつつある現状では、独身でいた方が経済的にはるかに豊か生活も出来る。独身であっても親の借金を背負っていたり、要介護者を抱えていたり、いろんな人がいるから一元的には語れないものの、仮にそういう要因を抱えていなければ、40代で独身なら、弊社のような安月給でも外車を乗り回し、海外旅行も楽しめるだろう。妻帯者と職務遂行能力に差がないどころか、家庭のある人以上に職務に打ち込んでいたりするのだから、堂々と報酬は受け取れる。しかし、実は「負け犬」が増えると「国は滅ぶ」のだ。昨今の日本の社会的思想の根本的な失敗は、「個人の努力やら達成感と国家の衰亡を同一のもの」と捉えていることにある。「働かざるもの食うべからず」という格言を個人で信じるのはとても良いことだと思うが、国家や大企業がそんなレベルで動いていたとしたら能が無さ過ぎる。この格言、旧ソ連の指導者が生み出した言葉だった。ソ連がどうなったかは説明する必要もないだろうし、ソ連と似たような発想で国を興し、最近、目を見張る経済成長を遂げ鼻息の荒い中国のアキレス腱も実は日本とは逆の意味での「人口問題」ではないのか。子供を作る作らないはもろろん個々の自由で強制されるようなものではない。しかし、日本の国の行く末を危惧するのなら、せっせと子供を作る必要はあるだろう。

王国崩壊

3d7eb0a4.jpg災害や皇室の話題ばかりが世間を賑わせ、政局が動いていないような印象があるが、今頃、永田町周辺では穏やかでない年越しをしている人もいるのではないか。地検特捜部に証券取引法違反の疑いで捜査されているであろう元JOC会長さんの問題だ。既に居場所を転々としているとの情報もある。現在の首相やその出身派閥は当該氏と密接な関係があるので、このままタイホとなるかどうかは微妙だが、仮に故三木武夫のような人が総理なら政財界から芸能界までを巻き込む大スキャンダルに発展していることだろう。そうなればダイエー破綻どころではない騒ぎになる。明治時代に始まる関東の私鉄敷設と沿線商業開発。富士山麓、信州、東北や北海道の開発・・・。時の為政者と密接な関係を持ち、常に先行投資をしながら拡大していく手法は法人税を1円も払わなかった歴史でもある。旧皇族財産。プロ野球。長野五輪を利用した観光開発。よぞくぞまあこの平成の時代まで、戦前戦後の混乱期のようなきな臭い手法でやってこれたものだが、それもいよいよ終焉?? 永年の宿敵である東急グループの場合はカリスマ的なリーダーを失った後に大胆な再構築が行われた。元々グループ各社に権限が委譲されていたことが幸いして、残った企業は緩やかな連合体として存続しているが、こちらの方はどうなるか見当もつかない。上手く行っているのは軽井沢駅南側のショッピングモールくらい。他はどうなんでしょ? スケート場はほとんど廃墟。今じゃメインは日帰り温泉施設、かつての高級なイメージは全くない。スキーブームも完全に去った。私をスキーに連れてってくれたホテルに向かうジャングル大帝マークの最近スキーバスを見たとがない。郷土の山々に廃墟が増えそうな予感がする。

袋叩き

6344d394.jpg明治生まれの高松宮妃(92)が逝去されたが、日本の総人口における明治生まれの人の割合は0.6%でしかないのはご存知だろうか。ちなみに大正生まれの割合は6.9%なので、併せても7%程度。戦前生まれの割合は25.9%。もはや総人口の4分の1になってしまった。これは平成13年のデータなので既に4分の1は切っているだろう。戦後生まれの最初の人々ってのはいわゆる団塊の世代(全共闘世代)。戦後教育を幼稚園から受けた最初の世代だ。彼らもそろそろ定年を迎えようとしている。彼らの上には戦前と戦後の教育を両方体験した世代、さらに上には戦前教育を受けたいわゆる昭和ヒトケタ世代がいるが、最近そのあたりの経営者が吊るし上げを食うケースが頻発している。今、ちょうど「NHKに言いたい!」なる番組が生放送され、エビジョンイルこと海老沢勝二会長(70)が識者視聴者に徹底的に糾弾されているが、今年は渡辺恒雄読売新聞社社長(78)や堤義明西武鉄道会長(70)あたりももえらくご苦労な年だったと思われる。この手のニュースを見ていると、「いよいよ昭和ヒトケタのメンタリティが世の中で通用しなくなってきているのかな?」と思わざるを得ない。具体的に言えば「権威を振り翳すことを当然と考えるやり方」ってのが通用しなくなってきているってことだ。昭和ヒトケタ世代にとって「権威」とは勲章であり、悪いこととは思わないどころか自慢すべきことなのだが、戦後世代、特に全共闘世代あたりにとっては「権威」は反抗すべきもの潰すものであって、むしろ「反権威」みたいな言葉が大好きだったりする。その後に続く我々の世代や若者も「何となく」反権威だったりするから、個人的には今年の流行語大賞だと思っている「たかが選手」などと言う言葉を発してしまおうものなら、戦後教育世代は過剰に反応し、マスコミ界のドンである御仁も思い切り袋叩きにあってしまった。海老沢会長といいナベツネといいマスコミのトップには権威を振り翳すヤな野郎が多いのだろうか。昭和フタケタのはずの日枝久民放連会長(67)までもがCMカット問題で糾弾される始末だ。この世代で権威を振り翳して上手くやっているのは石原慎太郎都知事(72)ぐらいか? むろん、昭和ヒトケタ世代には、野坂昭如(74)や殴られた大島渚(72)など自分が受けた戦前教育への疑問から徹底して反権威を貫いたような人も各界にはいる。でもそういう人に限って体が弱いようで、あんなに元気だったお二人も今や揃ってリハビリ中だ。あと10年もすれば頑固一徹なそれらの世代の人々が懐かしく思えるようになってしまうのかも知れない。

東証一部上場企業による悪徳商法

92a70fc2.jpg「この辺一体が日本テレコムの管理になる。NTTと同じなので事務手続きだけしてほしい」という電話を家人が受けた。電話だから相槌をうつ感じで「はい」と応じて話を聞いていたところ、契約申し込みと判断され、一時間後には契約を前提とした電話が「別の」担当者からかかってきた。私が出て「この辺一体がテレコムの管理になるわきゃネエだろう!」というと「そのようなことは申していないと思います」だと(笑) 「契約はしない」と応じると「キャンセルですね」というので「申し込み自体していない!」とキッパリと云ってやった。危ない危ない・・・。これはネ◇シ△ズ(◇=ク △=ー)URLは、w■w.ne▲yz.co.jp/。(■=w ▲=x)という代理店からの電話だ。(伏字にしてあるのは社名でのロボット検索ヒット防止。)早速、この会社について調べたところ強引な勧誘で有名なようだ。テレコムだけでなくヤフーBB勧誘やら、有名企業のマーケティング代行などまでしている。驚いたことにこんな会社が11月11日、東証一部に上場した。12月1日には大証にも上場している。困ったものだ。ネット上で調べてみると契約の意思をきちんと確認しないまま、実際に契約されてしまった人もいるらしい。そこまでいくと「詐欺」まがいではないのか。悪徳商法ってのは昔からあり珍しくもないが、テレコムのような有名会社の名を語ってというか、テレコムそのものの商品を売るためにここまでやるとは驚きだ。再三にわたってNTTからくる電話も迷惑だが、あれには違法性はない。ところがこちらはかなり違法臭い。こういう会社は直接苦情を云っても無駄だ。とりあえずテレコムに苦情メールを出しておいた。いずれ監督官庁(総務省)にも苦情メールをしようかと思っている。有名企業はもっと世間には判らないように悪事をするもんだ? 上場企業がこんなひっかけ勧誘みたいなことをしてるようじゃ世も末だな。

昭和は遠くなりにけり

この夏、ようやくDVDをコ※ー出来る環境を整えた。以降、借りたレンタルソフトはゆうに200枚を超えた。最初のうちは古い(5~60年代の)洋画を観ていたのだが、最近は同時期の邦画にハマッている。私が映画を見る目的はおおきく分けて二つ。まずは女優、綺麗なおねえさんにうっとりする至福のひととき。もうひとつはタイムマシン効果、映画を見ている時だけ、昔に戻った気分になれるのが面白い。映画の出来は一応気にはなるが、綺麗な女優が出ていて昔の日本がたくさん映っていれば、最後までそれが良くって観てしまう。正直そういう観方をすることが多い。例えば木下恵介監督の「風花」には昭和33年の長野市がふんだんに写しこまれている。小坂家や雄大な飯綱山、千曲川にかかる長い木橋(関崎橋)やその周辺の桑畑、自分の幼少期の微かな記憶が甦る。同監督の「喜びも悲しみも幾年月」は燈台守夫婦を描いた作品で全編海ばかりの映画だが唯一妻の里帰り先として内陸の長野が登場する。生まれた子供のお宮参りのシーンは西尾張部の八幡神社だ。もちろん若宮の信号の北側にいまでもある。現在は周囲は家だらけで神社も塀で囲まれているが、映画に映るそこは鳥居と神社と大きな木と未舗装の道路以外何もない。そこにボンネットバスがフレームイン。悶絶ものだ。この映画に登場する女優は高峰秀子。演技は完璧。木下組は長野ロケの際、藤屋旅館を定宿としていたそうだが、昭和35年、「笛吹川」のロケで長野に来ていた際に安保反対統一行動日(6月4日)となり、木下恵介、高峰秀子、田村高広ら20人ほどが県庁前の集会に「安保に反対する映画演劇人の会」として飛び入り参加。その後、権堂あたりまでデモの先頭を歩いたり、ビラ配りなどをして長野の人々を感激させたという逸話もある。国産初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」も浅間山麓が舞台、動く草軽軽便鉄道も映っている。そのくらい木下監督は信州を愛してくれた。木下恵介監督は数年前に他界したが、高峰秀子は健在だ。50歳で女優業は引退したものの、その後は優れたエッセイストとして活躍している。この人の文章は本当に面白い。ズケスケと他人のことを書いているのだが、まったく嫌味がない。読めば読むほど80歳のおばあさんの世界に引き込まれてしまう。さて、60年代の信州が映った映画を他にもいくつか紹介しよう。上田でロケをした映画はかなり多いが、戦前のロケや戦後でも「けんかえれじい」のように時代設定が戦中戦前のものが多い。普通に古い町並みが残っていたからだろう。生の60年代日本が映っている映画といえば、志賀高原を舞台にした石原裕次郎、北原三枝の「白銀城の対決」が完璧。今はもうない上林の山ノ内シャンツェや完成したばかりのロープウェーも登場。県スキー連盟の許可を得た上で実際のジャンプ長野県選手権で出場選手に撮影用のウェアを着させて映画撮影したら、他の大会関係者からアマチュア規定に触れると異論が出てしまい、結局その選手はその直後にあった国体への出場を辞退することになってしまったなどいう今では考えられないような事件も起きた。同じ日活の「若草物語」にも冬の熊の湯や丸池周辺が登場する。芦川いづみ、浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子が四姉妹という豪華な60年代版トレンディードラマ。浅丘ルリ子、吉永小百合や浜田光夫が志賀高原にスキーに来るという設定で、熊の湯ゲレンデなどで怪しい滑りを披露している。吉永小百合の著書によるとその後もプライヴェートで志賀高原でスキーに来ることが多かったようだ。映画ではないが「七曲署」って警察署名は石原裕次郎が骨折したゲレンデに由来しているとの話もある。日活系の俳優さんと志賀高原とのつながりは深い。吉永小百合といえば青春映画「美しい暦」がオール松本ロケだってことも忘れてはならない。松本城やその裏の松本神社で吉永小百合は芦川いづみ扮する先生と語らう。松本城の西側にあった遊園地の巨大な回転遊具も背景に映ってる。乗ったことがある人は懐かしいだろう。主人公の家は女鳥羽川沿いの旧商工会議所にセットを組んだと思われる質屋、通う高校は松商学園。映画を観ながらロケ地がどこなのか判定するのに骨が折れるが、それを探すのが存外に面白い。蛇足だが、個人的には吉永小百合よりも先生役の芦川いづみに萌え~だったりもする。高峰秀子80歳、芦川いづみ69歳、吉永小百合59歳・・・。チト愕然とした。昭和は遠くなりにけり。みなさん御健在のうちに昔の映画を楽しみたいと、最近かなり焦っている。

ゴールドラッシュ

アテネ五輪は日本のメダルラッシュ。東京五輪の金16個を上回る勢いを誰が予想しただろうか。評論家はこの活躍を日本の社会情勢を結びつけたがるが、まあそれもあるだろう。新卒者が就職できない時代だ。昨今の日本の20代は少なくとも30代40代よりはハングリー精神はありそうだし、今回中国がやや不振なのは高度経済成長のせいだという指摘もある。実際、バブルの時代、メダルを獲得した選手は貴重な国民的ヒーローだったが、一方で「何を好んでそんなに苦労をするの?」って視線もあったような気もする。苦労せずとも食える時代(国)なんてそんなものだ。

でも実際的にはそうした精神的なことよりも、各競技団体が取り組んだ根本的な選手育成策が20年の時を経てようやく実を結んだってことではないのか。学生&実業団スポーツを根性根性で取り組み勝ち得たのが東京五輪の頃の日本のメダルだが、70年代後半あたりから国家的事業として英才教育を施す旧共産圏の選手育成策にはかなわず、メダルが取れなくなってしまった。その頃から日本はジュニアの育成に力を入れ始める。水泳、柔道、体操、いずれも小学校入学前から丁寧に選手を育てるようになった。ようやくその世代が成人。国も西ヶ丘にトレセンを作って支援した。ここには仕事で行ったことがあるが、トレセンっていうより研究所。旧共産圏でなくとも国家に出来ることはあるんだなと思わせる施設だ。

だからということではないが、今回チームスポーツが苦戦している。プロ野球選手が出てる野球は別として他の競技は期待されつつも爆発的な強さはない。やはり実業団スポーツの崩壊が響いているとしか云い様がない。そのあたりが今後の課題なのだろう。

あとこれは蛇足だが、今回の五輪、ジャッジが比較的公正。これも真っ向勝負で取り組む日本には追い風だ。・・・ってことは次の五輪はダメってことか。(藁