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PENELOPE ( JOAN MANUEL SERRAT ) 1969

5072794e.jpg写真はシングル盤。「PENELOPE」って聴いてすぐピンと来た人は、立派なイージーリスニングファン。そうこれはポール・モーリア・グランド・オーケストラの演奏で日本でも大ヒットした「エーゲ海の真珠」の原曲。高校時代の吹奏楽部の部長(で指揮者)が守屋くんという奴で、ポール守屋と呼ばれていたなんてことはどうでもいいことだが、まあそのくらい当時人気のあった楽団だった。マジックショーの定番BGM「オリーブの首飾り」や「涙のトッカータ」などヒット曲は数多いが、私はこの「エーゲ海の真珠」がユーロ・ロック・テイストが強く大好き。イントロのペット~オルガン~ピアノ~フルート、極めつけはダニエル・リカーリのスキャットとチェンバロ。プログレッシヴポップなアレンジは、30年の時を経ても新鮮な驚きが楽しめる名曲。・・・って紹介してるのはポール・モーリア版じゃないか。さてこの曲の原曲。作曲は Augusto Algureo。作詞は Joan Manuel Serrat。作詞者がパフォーマー。ジョアン・マヌエル・セラートはスペインの歌手。私にしては珍しく男性歌手の紹介だ。60年代後半はエルビス・プレスリー、アンディ・ウィリアムス、トム・ジョーンズなど男性歌手がそれぞれ一時代を築いているが、この曲はそれらに負けないスケールがある。しかし、その後の Joan Manuel Serrat の活動は順風満帆とは云えなかった。彼はスペインといってもカタルーニャ地方の出身。この頃のスペインはフランコによる軍事独裁の時代。カタロニア地方はその言葉さえ使うこも許されず文化は徹底的に迫害されていたことは、日本でも報道されてきたので御存知かと思う。バルセロナ五輪で南北の調和を世界にアピールしたとは云え、未だにサッカーのレアルマドリードVSバルセロナは遺恨の戦いとして有名だ。実はこのページでも紹介してるスペインの女性歌手 Karina は南部アンダルシア地方のハエンの出身。彼女はハエンからマドリードに出てきてイエイエ歌手になった訳だ。独裁政権にイエイエ歌手ってのも不釣合いな気もするが、実は60年代のスペインはザ・ビートルズを真似たLOS何々ってビートグループが星の数ほどいた。(LOSってのはTHEみたいな定冠詞なんだと思う) 独裁政権への批判を和らげるためフランコ政権は国民がサッカーで盛り上がることを奨励したと云われてるが、おそらく同じようにガス抜き的な意味合いでグループサウンズも奨励されていたのではないか。もちろん、アメリカ戦後政策のお陰で日本と同様、驚異的な経済成長を遂げていた背景もある。しかし一方で、独裁政権に反旗を翻す文化は徹底的に弾圧されていた。ピカソやカザルスが亡命の後、最後まで母国に帰ることが無かったことは皆さんもご存知の通りだ。南部出身のKarina はユーロビジョンコンテンストに参加し準優勝したが、人気歌手だったJoan Manuel Serrat はコンテストへの参加を要請されるも、「カタルーニャ語で歌うことが条件」と突っぱったため、参加は取りやめになるわ、テレビから追放されるわ、最後には亡命するわ・・・と、とても Karina と同時代の歌手とは思えない人生を送っている。余談だが昨今話題のスペインの超美人女優 Penelope Cruz。彼女の芸名もこの曲が由来。両親が Joan Manuel Serrat の熱烈なファンだったらしい。私は未聴だが、Joan Manuel Serrat が Penelope Cruz と一緒に Penelope を唄ってるCDもあるという。