見知らぬ23歳の青年をクルマに乗せた。国道脇にクルマを止め得意先の部長と仕事をしていたら、彼は電話を貸して欲しいとその部長に声を掛けてきた。タクシーを呼びたいというのだ。ここに来るまでの間に、歩いている彼を追い越していたのを思い出した。腰の曲がったような老婆くらいしか歩いていないような白昼の田舎、今風の格好をした若者が手ブラで歩いていたのが不思議で、気にはなっていた。しかし、ここは国道脇とはいえ最寄の都市まで30キロはあるであろう山の中だ。こんな場所にタクシーを呼んだら当たり前に1万円以上の運賃はかかる。部長が「金はあるのか?」と尋ねたると、前の町のATMで金は下ろしてきたという。「携帯電話は持っていないのか?」と尋ねると「忘れた」という。本当に金を持ってるのだろうか? 私にはかなり不審に思えた。しかし、部長は、ヒッチハイクよろしく彼を目的の都市まで送るという。かなり疲れた表情をしていたし、我々と行き先が同じだし、人生経験豊かな部長の判断でもあるし、これは乗せるしかないのかなとは思ったが、それでも不審だったので、彼を助手席に乗せ私は後ろの席から監視しながら向かうことにした。運転している部長に何かあったら一大事。ヒッチハイカーを乗せたときのようなフレンドリーさとは程遠い緊張感の中、クルマが動き始めた。部長が彼に身の上話を持ちかける。聞けば、新卒で都内に就職したものの数年で辞めることとなり、関東のとある県庁所在地で職を探したが見つからず、出身県の途中の駅まで電車できたが乗り換えの接続が悪く、天気が良かったので残り75キロを徒歩で歩こうとしていたらしい。具体的には書けないが、状況からすると辻褄が合わない部分はある。金があるなら歩く必要もなかろう。後で部長と話したが、おそらく金は無いのだろう。携帯電話も経済的に維持できなくなっていたのだろう。それでも僅かな自尊心はある。仕事が無くなったことを親にいえず、自らの力で何とか解決しようと試みたが、どうしようも無かったのかも知れない。部長は早い段階でそれを察したようで、途中でコンビニに寄り、彼に簡単な食事を施した。彼はそれを貪るように食べた。パンを持つ手ではなく、頭と口の方が上下する。食べ終わると眠り始めた。やはり極限状態だったのだ。目的の街まで着くと彼を下ろし別れた。最初は不審に思ったが、別れる頃にはごく素直で優しい青年だという印象が残った。雇用情勢が良ければ問題なくやっていけるであろうごく普通の若者だった。プライバイシーのこともあるのであまり具体的には書けないが、これは今日体験した紛れも無い事実。いつからこんな国になってしまったのか。まあ、40年ほど遡れば都会に就職したものの適応できず金もなく淋しく田舎に舞い戻る若者が当たり前にいたことはいた。でもその時代は「金が無くても夢があった」とさきほどの部長が教えてくれた。夢が無いほど淋しいものはない・・・とも。科学技術は進歩して身の回りに便利な機械は増えたが昨今の経済的な閉塞感は昭和初期のような暗さがある。この10年、努力すれば報われる社会だとか再チャレンジ可能な社会だとか云われてきたが、それらがすべて欺瞞であることを、新卒の若者に対する社会の仕打ちを見ながら常々感じてきた。それを今日目の当たりにした。少しくらい経済情勢が悪化しただけで庶民が夢を描けなくなるとはなんとも情けない社会だ。競争社会を推進した学者政治家がそのまんま人材派遣大手の取締役にノウノウと納まる厚顔無恥。よくぞここまでダメな国になってしまったものだ。
鳩山首相が「温室効果ガスを2020年までに1990年比25%削減する」と国連演説で表明した。これは国際公約だ。「どえりゃ~ことを云ってしまったものだ」と突然名古屋弁が出るほどに心配してしまった。「すべての主要排出国の枠組みへの意欲的な参加が前提」とのことだが、京都議定書のときのような上島竜兵状態はさすがにもう御免。そのあたりは大丈夫なんだろうか。この数値は日本国内の産業を空洞化させかなねない厳し過ぎる削減目標。きっと排出枠取引で莫大な国費が使われる。厳しい財政状況の中で、なぜこんな恐ろしい公約をしてしまったのだろう。人の良いお坊ちゃまを首相にしたのが失敗だったのか。いやいや東大卒だ。そんな馬鹿ではないわな。冷静になって考えみる。いやいやもしかして、これはお人良しどころか日本が数十年ぶり国際政治の中でに攻めに出たって動きなのかも知れない。よく考えて欲しい。エネルギーの節約制限もなく有害物質の排出制限もなく、自由に産業活動が出来たとしたら、この先日本は生き残れるだろうか。否だ。繊維鉄鋼電気自動車。産業革命に始まる工業化は今世紀に入り確実に転機を迎えている。生活に必要な工業製品は先端技術を用いなくても安価に大量に製造可能になった。その主な生産国は日本ではない。中国を始めとする途上国だ。今や世界の人々は高機能な日本製品を求めなくてもそこそこ使える低価格な途上国生産品でじゅうぶんだと考えている。日本は先端技術の研究国でしかなく、特許や知財による高額な富は得られるが、その先端技術が通常の生産技術になった途端、大量生産大量消費によって得られる直接的な利益は中国あたりに奪われてしまう。これでは優れた先端技術を持つ日本の一部の大企業はグローバル社会の中で生き残れるものの、国全体としての活力は失われる。優秀な理工系大学卒業生の就職先は多々あっても、工業高校卒業生が働く場が無い。大多数の日本人は不要とされる。むろん国民生活に必要なサービス業なども含めた内需にかかわる雇用はある。が、そんなモノは途上国にだってあるのだ。一部の人間が豊かな状況では内需の規模も知れている。プータローが増えるのも当然なのだ。でもまあこの状況が続いてくれればいい。これで、先端技術研究の競争力が落ち、「♪後から来たのに追い越され」たらどうする。日本はG8から脱落、先進国の地位を失うことになるだろう。資源も知恵もない、面積相応な極東の小国に成り下がる。それでは困る。いやがおうにも攻めねばならない。そこを突破するために必要なのが温室効果ガス規制なのだ。厳し過ぎる削減目標は産業を空洞化させるとの声もあるが、既に開発ではなく製造に関して云えばすっかり空洞化してしまっているではないか。それどころかこのままズルズル行けば知財も失いかねない岐路に立っているのだ。ここでハードルを高くして「♪後から来たのに追い越され」ないようにするしか日本が生き残る道はないだろう。現時点で、生産から運用に至るまで高度な省エネ技術がないと工業製品が造れないようになるとなれば、まだまだ日本に利がある。厳し過ぎる目標だが、日本がアドヴァンテージを得るにはこうするしかないのだ。温室効果ガス削減はすべての人間活動に関わってくる。目標値が上がれば上がるほど、高度な工業技術がない国はいずれ脱落していくことになる。クルマを例にとろう。ガソリン車やHV車の製造には高度な技術が必要だった。ところが電気自動車の製造にはそれほどの技術はいらない。途上国が人件費の安さに任せてガンガン造りまくり市場を席捲。じゃ、ガンガン造るには省エネ技術が必要になるルールにしましょ。技術は供与するけど完全無償ではないよ。と、こういうこと。ハードルを高くした方が日本の出番は増える。そのためになら湾岸戦争時の日本の拠出金の半額程度の排出権取引費用5千億など安い安い。全国の理工系大学の学生諸君、出番ですよ。実は温暖化の原因が温室効果ガスにあるのかも定かではないのだ。太陽黒点の活動の方が地球環境に与える影響が大きいとの学説もある。温室効果ガス規制の本質は、環境問題というより経済問題。行く末はおおいに心配だが、久々に日本の政治家が政治を行ったのを見た気がした。
長野での聖火リレーは、日本警察の優秀さが目立った。聖火を守る機能的な陣形については新聞やテレビで紹介されているので敢えて書かないが、到着式会場の若里公園の警備も実に機能的だった。ステージの周囲に入れるのは関係者のみ。その周りにフェンスが張られ、1000人ほどの中国人が紅い旗を振る。チベット支持者はそこから隔離された南側の小高い丘に集められていた。端に追いやられているような印象があり、チベット支持者の中には不満を漏らす人も少なからずいたのも事実だが、これは警察が中国を優遇していたからではない。イベントを妨害する可能性の少ない側を聖火の近くに配置し、妨害の可能性のある側を遠ざける。子供でも判る警備上の都合に過ぎない。チベット支持者を囲むように警官が配置されていたのも、人数で劣るチベット支持者を守るほうが、警備効果が高いからだ。そのおかげで、ここに集まったチベット支持者は最後まで自由に「フリーチベット!」と大声で叫び続けることが出来た。それを警察が制止することも無かった。国境無き記者団のロベール・メナールもこの丘にやってきて、手錠五輪旗を広げていた。彼は「日本は民主主義の模範を示した」と会見で語っていたが、それはおそらくこの会場の様子を見て言っていたのではないか。中国はめざまし経済発展を遂げ、GDPで日本を追い越す成果を挙げているが、これからの中国を担う若い留学生達を見る限り中国人は30年前から全く進歩していないようにも思えた。64天安門事件からも何も学んでいない。タナボタでゲットした国連常任理事国のせいか国家としての発言はいつも勇ましいが、庶民レベルの政治では明らかな発展途上国。まあ、愛国心を持つのは結構なことだ。しかし、その行き過ぎはロクなことがない。日本の田舎町に大挙して押し寄せ、紅い旗で埋め尽くす偏狭なナショナリズムを持っている限り、今後も一流国家にはなれないと、今回私は確信した。国民が一丸となって目標に突き進むといえば聞こえが良いが、落とし穴はそこにある。戦前の日本はそれで大失敗をした。戦後の日本はどうか、先輩たちは「豊かになりたい」という点についてだけは一丸となって働いたが、戦前に対する反省かあるいは落胆か思想的にはバラバラだった。宗教心も薄く、モラルも崩壊したかの様相も見える。しかし、70年前に徴兵制がなくなり女みたいな男が増えてるはずなのに、今回の警察の警備は見事だったではないか。葬式の時しか用のない仏教のはずなのに、善光寺は土壇場で1400年の歴史に恥じない大英断を下していたではないか。そう、バラバラがいいのだ。そこが重要。発想の自由やイノベーションというのはそういう環境でないと生まれない。人を殺す技術は戦争によって生まれ、人を育てる技術は表現の自由によって生まれる。中国の経済成長にはイノベーションが無いといわれている。初めは真似から入るとしても、一体いつまで猿真似を続けるのだろう。既に世界の工場などと云われているのだ、その端緒くらいはあってもいいはずだ。それも無い。原因は紅い旗。紅い旗の下に人の想像力が奪われ、チベット人が虐殺される。不幸な国だ。
米国同時多発テロからはや6年。今年も9月11日がやってくる。その日に合わせたかのようにビンラディンの声明がビデオで公開。なんとも胡散臭い。この事件、発生直後から陰謀説が飛び交っていた。今じゃ丁寧な人々がそれらをまとめでネットで公開したり、映画にまでしてくれたりもする。その中には演出過剰でいい加減なものもあるにはある。しかし、同時多発テロに関する公式発表や報道を額面通り受け入れられるかといえば、私の場合はまったくもって「否」だ。発生当日から疑問に思っていたことがある。それは、衝撃的なニューヨークからの映像に比して、ピツバーグ郊外の現場映像やペンタゴンの現場映像が貧弱なこと。旧ソ連を彷彿とさせるような限定的な映像。テレビ報道が世界一進んだ国のものとはとても思えないシロモノだった。自由の国アメリカも、有事となると完璧なメディア規制が行われるらしい。実際、このピッツバーグ郊外とペンタゴンでの出来事は陰謀説を唱える人々の格好の餌食になっている。発生当時は見逃してたが、近年になって最も疑問に思えてきたのがWTC7崩壊の謎。WTC1、WTC2(ツインタワービル)のパンケーキ崩壊の真偽はともかくとして、道路を挟んだ場所に建つ47階建てのWTC7が、航空機が突っ込んだ訳でもないのに、最初の衝突から約8時間後、見事に崩壊している。長時間にわたる火災の放置が原因で崩壊したとされているが、ネットで見ることのできる崩壊の映像は、どう見ても芸術的な制御崩壊だ。つまり、解体業者による爆破解体そのものだということ。放任火災であのように綺麗にビルが崩れ落ちるのなら解体業者など不要だ。これは公式見解を信じろと云うほうが無理。さて、世界を襲うテロの恐怖はその後も止まることが無かった。911から2年後の2004年3月11日、今度はマドリードで列車爆破テロ事件が発生し、200人以上が死亡、1000人以上が怪我をした。しかしこれもかなり胡散臭い。直近に迫った選挙で敗色濃厚だった政権は、当初国内反政府勢力の犯行だと大騒ぎするのだが、ほどなく郊外で発見された盗難車の中からコーランのテープと7つ起爆装置がみつかり、今度はアルカイーダ犯行説に変わっていく。誰が盗難車を置いたんだろうね。低予算のサスペンスドラマじゃあないのだから、諜報機関はもっとリアリティのある仕掛けを施したほうが良かったのではないか。さらに翌年、2005年の7月7日には、ロンドンで同時爆破事件が発生し56人が亡くなった。アルカイダ系の実行犯4人による自爆テロということになっているが、これも怪しい。これら3つの事件に共通してるのは、誰が何の目的で・・・て部分が、実は案外希薄な点だ。マドリードやロンドンの事件に関していえば、今じゃ捜査当局もアルカイダ犯行説を否定している。結局、なんなのだろう。何故、世界一対米追従で危機管理もグタグタな日本ではテロが発生しないのか。今日(2007.9.9)のニュースによると日本の首相は「海自の給油活動継続できねば退陣」とまで言ってるのだ。アルカイダさん、アベちゃんはどう考えても標的だよん。まあ、スペインやイギリスのお粗末さからすると、日本でなんかやったら裏台本が全部バレちゃうから危なっかしくてテロも出来ネエのかも知れない。ついでに今日のニュースをもうひとつ、「ビンラーディン装う芸能人ら、APEC検問を素通り」なのそうだ。オーストラリアのテレビ局のコメディ番組が、ウサマ・ビンラディン容疑者に扮した1人を含む芸能人らが車列をつくって要人に成り済まし、2つの検問所を素通りしていたというのだ。3千人近い人々が911で亡くなっていることを考えると、「アラファト私が夢の国」の松本明子より不謹慎にも思えるのだが、ネット上に公開されるホンモノのビンラディン映像もマッチポンプだと考えればそれも半分コメディのようなもの。そんなペテン、茶番で多くの人々が死んでいく。What a Wonderful World.