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洋楽の父

去る6日、漣健児(さざなみけんじ)さんが74歳で亡くなられた。「可愛いベイビー」「悲しき街角」「ヴァケイション」など、60年代洋楽ポップスカヴァーの訳詞の多くを手掛け、日本における洋楽の父のような人だった。60年代を後追いした私のような洋楽世代にとっては、新興音楽出版社社長(当時)でミュージック・ライフの発行人、草野昌一氏としての方が馴染み深い・・・というか、「星加ルミ子さんや水上はるこさんの名前の上に偉そうに明記されてる草野ってどんな人なんだろ?」ってなのが実は最初の認識だった。(^_^; 後年、それが漣健児さんだと知り「へぇ~」と思ったのが忘れられない。さて、いきなり話が飛ぶが最近、60年代の日本映画が気に入り、観ることが多い私が、どうしても馴染めないのがその音楽だ。具体的には石原裕次郎や小林旭、吉永小百合らの唄う映画の主題歌は、ビートルズやグループサウンズ以降のポップスで育った私にとっては詞も曲もあまりにアナクロで聴いていてとても気恥ずかしい。その同じ時代に漣健児さんが訳した洋楽カヴァー曲はすでに話題を集めていた。両者を比較すると一聴瞭然?だが、漣さんの平易でかつおしゃれな言葉を選んた訳詞は当時としてはさぞ新しく新鮮な感覚だったのではないか。アンドレ・ポップが作曲しヴィッキー・レアドレスが唄った「L'amour est Bleu (Love is Blue) 」の訳詞「恋はみずいろ 」などは簡潔で可愛らしく私の大のお気に入りだ。「♪小室~、小室聴く~・・・(笑)」と原語で歌うより「♪こ~い~は~みいずい~ろ~」と訳詞で唄った方がずっと爽快で気持ちいい。70年代に入りフォークブームになると吉田拓郎に代表される「・・・なのであり~ます~」というような字余り文士文芸調が流行し、洋楽カヴァーがやや古臭く感じるようなことも無かったわけではないが、その頃、漣さんは草野昌一社長として、あの財津和夫のチューリップを世に送り出していた。80年代はプリンセス・プリンセス。中学生以降、洋楽ばかり聴いていていわゆるニューミュージックを馬鹿にし続けた私だが、この洋楽ポップ直系のサウンドを売りにしたこの二つのバンドは大好きだった。いずれも日本ロックの王道からいくとかなりアイドル的かつポップなバンドだがそれが私の好み。ついでに書いてしまうと私はこの漣健児さんのシンコーミュージック系と村井邦彦さんのアルファミュージック系のジャパニーズポップは昔から洋楽並みの愛着を持って聴いている。村井さんのことはまた別の機会に書きたいが、今回その一角が崩れてしまったようでとても淋しい。謹んでご冥福をお祈りします。