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PASAPORTE A DUBLIN ( Karina ) 1971

9bdb27d9.jpgKarinaは1971年にダブリンで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストに「En un mundo nuevo」で参加し準優勝した女性歌手。元来はいわゆるイエイエ歌手のスペイン版のような人で、レコーディングされた楽曲のほとんどがカヴァーポップス。60年代は東洋の果て日本でもレナウン娘よろしくミニスカートはいてカヴァーポップスを歌っていた女性歌手がたくさんいたほどだから、日本同様、当時既に準先進国だったスペインにもイエイエガールが当然のように存在したのだろう。 Karina も各国のイエイエガールと同様、テレビや娯楽映画に出演してはカヴァーポップスを唄い人気を博していた。その人気はスペイン本国のみならずラテンアメリカのスペイン語圏にも波及してたようでメキシコ盤なんぞもかなりの数発売されていたようなのだ。このKarina、視点(聴点?)を変えて聴くととても面白い。彼女がスペインで人気を博したのは60年代の初めから70年代の中頃まで。勘のいい人はすぐに気がつくと思うが、この時代というのはビートルズは年代順に聴き込めば判るとおり、年毎にレコーディングシステムや楽器テクノロジーが進歩した時期。まさに彼女はこの面白い時期を駆け抜けているのだ。さらにここから先が重要。彼女を音楽的にサポートしたのは、Los Pekenikes という日本でいえばブルーコメッツにあたるようなスペインで最も優秀なビートバンドのメンバー、Tony Luz であり、編曲は知る人ぞ知る天才アレンジャー Waldo de Los Rios だったのだ。英米の流行を逸早く取り入れ、ビート感覚、管弦楽編曲ともに本家を凌ぐ完成度。ちょっと聴くと普通の歌謡ポップスに思えるかも知れないが、そのセンスの良さはこの時期のポップロックを聴き込んだ人なら誰もが認めるものだと思う。このアルバムもそうした活動の集大成。El amor es azul はアンドレポップ&ヴィッキーの「恋は水色」。No Me Quiero Enamorar はバートバカラック&ディオンヌワークウィックの「恋よさようなら」。Concierto Para Enamorados は Toys の A Lover's Concerto。ジョージハリスンの Something なんぞも唄ってる。「なんだカヴァーばかりかよ」と侮るなかれ。当時、日本国内にもゴロゴロしてた陳腐なカヴァーとは一味違う。恐るべし Waldo de Los Rios 。天才のアレンジをバックに唄う Karina のスペイン語ヴォーカルが実に心地いい。この軽やかさはフランス語やイタリア語じゃ出ないよな。PASAPORTE A DUBLIN ってのは「ダブリンへのパスポート」ってこと。彼女がユーロビジョンコンテストで準優勝するまでの過程は、同名のドキュメンタリー映画にもなっているが、これはある意味彼女のキャリアのピークとなったアルバム。ちなみにユーロビジョンコンテストの準優勝曲「En un mundo nuevo」ってのは「新しい世界へ!」ってな意味らしい。まるで「出発の歌」(上条恒彦と六文銭)。70年代初頭はベトナム戦争が泥沼化するなど、あちこちで騒動が絶えなかった時代だが、一方で人類が月に到達したりエレクトロニクス文明が急速に進歩するなど未来に対するオメデタイ希望もまだまだ残っていた時代(「人類の進歩と調和」!!)だった。ほどなくオイルショックが世界を襲い、ロック界でも幅を効かせていたユートピア幻想は崩壊するわけだが、この時期、KarinaもTony Luzとの短い結婚生活の崩壊の後、スペインのポップシーンから消えてしまう。数年前にフランス・ギャルのカヴァーを探しているときにたまたま知ったのがKarinaだが、1965年から1975年の10年を黄金の10年と信じて疑わない私にとって、いつの間にか特別な存在になってしまった。