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悲しき小鳩

e512530b.jpgひばりのサーカス 悲しき小鳩 1952年 モノクロ 91分 松竹大船

■監督 瑞穂春海
■脚本 伏見晃
■音楽 万城目正/田代与志
■出演 美空ひばり/佐田啓二/岸恵子/三宅邦子/堺駿二/川田晴久

美空ひばり子役時代の映画。監督は長野市出身の瑞穂春海。「小野まり子は信州の小都市のミッション・スクールに預けられて勉強していた。学校の聖歌隊の一員だが、かくれて唄う流行歌に天才的なひらめきを見せていた。」(←goo映画サイトのあらすじより引用)流行歌に天才的なひらめきってところが美空ひばりそのまんまで実にベタな設定で泣かせる。さらに嬉しくなるのが信州の小都市のミッション・スクール。信州の小都市とは松本市のことだ。映画本編の冒頭は城山の展望台あたりから撮影した松本市の俯瞰のパンニング。そしてミッション・スクールの外観にオーバーラップ。そのミッション・スクールってのはなんと「開智小学校」。ただし、現在の開智小学校ではない。国の重要文化財「開智学校」の校舎が現役で使われていた旧開智小学校のことだ。旧開智小学校は昭和39年まで松本パルコ北側の女鳥羽川沿いにあった。開智と云えば現在は移築された開智学校や開智小学校が建つ松本城の北側あたりの地区のこと指すが、元々は旧開智学校のあったあたりを開智町と云った。現在の地番では中央1丁目のあたりになり女鳥羽川にかかる開智橋という橋の名前にその名残がある。重文校舎は東を正面にして建っていて、西(裏)側は増築した校舎と校庭になっていた。映画ではこの校庭(裏)側が頻繁に登場する。校舎側が背景になると重要文化財の裏側が、反対側が背景になると伊勢町から開智橋に通じる町並みが映り込んでくる。木造の民家や蔵が並ぶこの道をサーカスの宣伝隊が通るシーンもある。道自体は現在も残っているが、Mウィングという巨大なビルが建ち当時の面影は全く無い。近年の大胆な町並み近代化によりこのあたりは全くの別世界になってしまった。「農林技師とばかり思っていた父隆太郎がサーカスの道化師だったことがわかると、まり子は学校をやめて父と共にサーカスの巡業に加わった。」(←goo映画サイトのあらすじより引用)ひばりは父に母のことを聞きだすわけだが、その辛いシーンは地蔵清水。現在の市役所前の道路だ。巨大な土管がゴロゴロと転がっていてここは一体何処なのだろうって感じがするが、道の奥に松本カトリック教会が確認出来る。松本城は敢えて画面に入らないように撮影してはいるものの、二の丸跡に建っていた裁判所の建物が時々見える。ちなみにこの建物も松本司法博物館として島立に移築されている。さて、ひばりの加わったサーカス一座はその後、長野へと巡業に出かける。ひばりの歌をBGMにサーカスの一団は梓川にかかる梓川橋を渡って長野に向かう?・・・ってそれじゃ国道147号線、大町に行ってしまうではないか? 田沢に向かう国道19号線は無かったのかいな? ま、そこは映画のトリック、アルプスを背景にした雄大な移動シーンを撮影するならやはり梓川橋ってものだろう。残念ながら続く長野市でのシーンについては長野市らしい風景はあまり出てこない。旭山とおぼしき山を背景にした場所にサーカス小屋が建てられているように見えるので調べてみたところ、昭和27年6月22日に信大付属小校庭(現在の信大教育学部グランド)でロケが行われていたことがわかった。スタッフ総勢80名、撮影は正午から4時間ほどに渡って行われた。現場には、美空ひばり、佐田啓二、岸恵子らを見たいがために朝から弁当などを持ったファン8千人ほどが集まり、スタッフは撮影よりも人出の整理に忙殺されたらしい。正に故郷に錦を飾った瑞穂春海監督といったところだが、実はこの付属小校庭、昭和15年までは瑞穂春海監督の母校である長野中学(現在の長野高校)が建っていた。その後長野中学は上松に移転してしまうが、監督はその想い出深い場所で、せめてそこから見える周囲の風景だけでも自分のシャシンに収めておきたかったのではないかな?などと勝手に想像してみた。さて、父から母の居場所を聞き、熱海にその母を尋ねたひばりだが、その帰り、手持ちの金がないため長野までの切符が買えなかった。やむなく手前の駅で降りて歩こうとするわけだが、その降車駅がどこなのか判らない。駅舎の様子やホームにせまる山などから戸倉駅かな?とは思ってはみたが、駅前が温泉地の乗車駅としてはあまりに寂しい。篠ノ井線田沢駅の可能性もあるかな?と思っている。もう少し調べてみたい。この駅からひばりを長野まで送ってくれたトラックの車体には中条村の信州陸送と書かれている。電話番号までしっかりと書かれており、案外、映画のロケに協力した実在の会社だったのかも知れない。最後に瑞穂春海監督のこと。長野出身のこの方は、無声映画時代の大監督池田義信氏(長野市宇木出身)を頼って松竹の監督になった人だ。美空ひばりの映画を数多く手掛け、この手の歌謡映画でたくさんのヒット作を制作し、晩年は生家である善光寺蓮華院の住職をされていた。ローカルのテレビ番組などで何度かお顔を拝見したが、なぜか色艶の良い?善光寺の他のお坊さんと違い、僧衣は着ているものの痩せていて如何にも映画職人然とした方だったという印象だった。