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6歳のハローワーク

授業中に先生の話を聞かず、気ままに歩き廻る児童が存在するのが、今日の日本の小学校の当たり前の風景らしい。マスメディアはこれを教育崩壊とか学級崩壊と呼び、政府は飲み屋の社長を教育再生会議委員に選んで学校を改革しようとしている。しかし、そのような改革では状況は改善されないだろう。なぜなら、病んでいるのは学校ではなく社会だからだ。戦前の富国強兵、戦後の経済復興、高度経済成長期は物質的な豊かさを求める等々、国や国民には統一された目標のようなものが暗黙のうちに醸成されている時代は、教育もそれに乗ってやっていれば大きな破綻は起きなかった。ところが物質的な豊かさがピークに辿りついた70年代後半から80年代頃から教育が狂い始める。60年代以前の子供は貧しさの中で育っている。勉学に励めさすれば、現在の貧しい生活から逃れられ豊かな生活を獲得できる。そう思えば授業も真面目に聞くってものだ。教師は貧しさから抜け出るためのノウハウを伝授してくれる大切な存在。とうぜん尊敬される。教育はそれをサポートしていればそれで良かった。ところが70年代になると、生まれおちた時から物質的に豊かに暮らしてきた子供が激増する。普通に考えれば幸せなことだが、実はこれ、良い進学をし良い就職ができなければ自分が育ってきた環境より落ちる暮らしが待っている・・・みたいに考えてしまうと、何ともイヤ~な厭世感を生む。この感覚は、勉強して努力すれば親の世代よりも確実に豊かな生活が出来た50歳代以上の人々にはなかなか理解できないものなのかも知れない。今やそういう世代が親や教師にまでなっている。30年前にこの変化を見逃してしまったのがそもそもの失敗の始まり。歪は最初、校内暴力として現れ、それを管理教育で押さえ込むと裏で陰湿なイジメがはびこるようになり、そういう集団に適応できない子供が登校拒否となると、今度は緩められた管理の中で、学級崩壊。絵に描いたような対症療法の歴史がそこにある。そろそろ根本的な解決を図らないとこの国の将来はヤバイかも知れない。たぶん、多くの人々がそう思い始めている。ところが国のやってることは愛国心だの道徳だのって、今から富国強兵政策を始めてどうする。(笑) 企業経営のノウハウを学校にチョメチョメなんてのもかなりの噴飯もの。子供達に国の借金を減らし方でも教えるつもりか。(笑) 子供達は天皇陛下や国の借金返済のために勉強するわけじゃあない。では、何のために教育を施し勉強をするのか。そこをもっと真剣に議論するべきなのだ。教育云々以前に、今の日本社会はその社会そのものが明確な目標を失ってはいないか。これはオトナの責任。「十三歳のハローワーク」という本がベストセラーから定番のロングセラーになっていると聞く。内容の仔細はともあれ、その企画力たるやさすがは村上龍氏ではないか。社会に欠落しているものをしっかりと見抜いている。猫も杓子も東大を目指しても仕方がない。親や教師や国は子供達に東大以外の目標をたくさん提示すべきなのだ。明確な夢や希望を語れるようになれば馬鹿でも努力をする。落ちこぼれの私がそう云うんだから間違い無い。(爆)