90年代前半にフランスで人気を博したアイドルの一曲。「♪エレーヌ、わたしの名前はエレーヌ、わたしは女の子、普通の女の子」と云うような他愛もない歌詞だが、アイドルが無理をせず素直な声で素直な曲を等身大で歌うと時に恐ろしいほどのリアリティを生むことがあるという見本のような歌でもある。歌も特別うまくないが、音程もとれているし、フランス語の発音がとても綺麗。こういうシンプルな曲は70年代からポップスを聴いている者にとっては一服の清涼剤だ。日本では93年頃にこの曲がTVCMに使われCDが1枚発売されたが、それだけで終わった。その頃の日本といえば、既にこうしたアイドルを自国生産する体制が十分に整っていた・・・というか、80年代に完成をみたそれが崩壊に向かっていた時代だったのかも知れない。森高千里のようにそれを曲作りまで含めて自分でパフォーマンスする娘すら出てきていた。何もフランスの小娘に頼らなくても自家消費できてるのだがら、話題にもならないのも当然だろう。アイドルは同じ国の同じ言葉を喋ってくれた方が身近で説得力が増す。この曲と「渡良瀬橋」を聴き比べたら、筋金入りの洋楽ファンの私でも、やぱ森高はいい曲を作ったとホロリとしてしまう。・・・でも、一方でフランス・ギャルやダニエル・ビダル、あるいはフランソワーズ・アルディあたりを聴いて育った私は、やぱ女性アイドルはフランス語だよな~との幻想から抜け出ることは出来ない。(笑) フランスのアイドルというと6~70年代の人にばかり関心がいくが、それは80年代以降のヨーロッパのポップスが時流の影響を受けてテクノ風であったりディスコミュージック風であったりするのが、日本人が期待するフレンチポップスのイメージと合わないからなのかも知れない。その点、Heleneの曲はオーソドックスで親しみやすい。よくぞこんなのが90年代に流行したものだとも思うが、実際、彼女はその時期、フランスのみならず、ヨーロッパ一円で子供からお年寄りまで幅広い人気を博したアイドルだったのだそうだ。世代を超えて好かれる音となれば、やはりこういうサウンドってことになるのだろう。1966年生まれだから、そろそろ40歳。今でも映画やテレビに活躍しているようだ。フランス語なのでエレーヌと表記されているが、聴感上はほとんど「エレン」。ギリシャならヘレネでイギリスならヘレンなのかな。彼女の名前で日本国内のサイトを検索してもヒットするページはほとんどないが、1999年に韓国映画「カラ(Calla)」の主題歌に使われたようで、韓国語や中国語のサイトで多数紹介されている。下のURLもそうしたサイトがおそらく違法にアップしている音源だと思われる。リンクしたくないのでコピペで聴いて欲しい。
Je M'Appelle Helene (Helene)
http://www.princeton.edu/~juhuazhu/Life/music/Helene.wma
2001年、アルバム"Magnification"発表時に敢行されたツアーを収録したイエスのビデオが、2月16日までGayoで配信されている。レーザーディスク時代は発売されるイエスタイトルを欠かさず購入していたものだが、同じようなものが供給過剰気味の近年は有難味が薄くなったこともありDVDが発売されても観ることはない。この作品も既にDVD発売されているものの未見だった。シンフォニック・ライブとのタイトルが示すとおり、このライブはイエスとシンフォニックオーケストラとの初のコラボレイトだ。過去、幾多のロック・バンドがオーケストラとの共演に挑んでいるが、正直あまり成功したと思える作品はない。演奏テクニックが稚拙なバンドがオーケストラの音に呑み込まれてしまっているものや、ロックを理解できないオケの連中が無味乾燥な伴奏をするだけのものなど、惨憺たる内容のものもある。この作品に対してもたいした期待を抱いていなかったので、途中CMが入り画質音質もイマイチのブロードバンドテレビを通しての鑑賞で済ますことにした。ところが予想は良い意味で裏切られた。共演するヨーロピアン・フェスティヴァル・オーケストラは総勢40名ほど。それもバイオリンやチェロなど弦楽器系と打楽器系は全員音楽大学の女子学生とおぼしき若い女性達だから恐れ入る。気楽な服装で、演奏のないときはイエスの演奏に合わせて手拍子を取ったり、"Roundabout"ではステージ前に出来きてノリノリで踊りまくるのだから楽しい。つまり、イエス側が完全にオーケストラを使い倒しているわけで、音楽的にも無駄なシンフォニックアレンジが一切ない。それでもってビデオ制作者の趣味なのか随所に演奏する若い女性団員のアップが挿入され実に結構なビデオに仕上がっている。特にパーカッションのお姉さんがスレンダーで可愛いですハイ。(^_^) さて、肝心のイエスの演奏に関してだが、老化と戦っているスティーブ・ハウ以外は歳を感じさせない凄い演奏。ハウは指は動いているものの若い頃に比べると明らかにパワーがない。それでもスチールギターでは昔以上に味のある演奏しているし、シンフォニック・ライブを意識してか、定番のアコースティックギターソロのパートではヴィヴァルディの"ギター協奏曲ニ長調第二楽章"を演奏。観客の暖かい拍手を受けていた。曲別に見ていくと、"Close To The Edge"はオケの入らないバンド版の方がシンフォニックかな~と思うような出来でイマイチ。"Gates Of Delirium"は名演。バンドメンバーが掴み合いの喧嘩をしてるかのような演奏が元来この曲の身上だと思われるが、リック・ウェイクマンにあってパトリック・モラーツの無かったポンプ感覚、壮大な感じがオケによって強化され、この曲のシンフォニックで美しい面が十分に堪能できる。"Soon"のイントロにハープが入るところなどはウットリとすること請け合いだ。"Ritual"にも同じことが云える。発表当時、散漫との酷評もあったこの曲がオケが入ったことでカラフルさが増し、グルーヴ感が出ている。演奏して欲しくなかったのは"Owner Of A Lonely Heart"。全米1位シングルとはいえ、スティーブ・ハウが演奏するのは痛い。これをやるくらいなら、オケを駆使して"No Opportunity Necessary, No Experience Needed"でも演奏して欲しかった。もともとイエスの作品はシンフォニックに出来ている。原曲を損なわないようにオケを導入すれば当然その効果はテキメンに表れるのかも知れない。それが30年を経てやっと実現したのだからある意味意外というものだ。最後に余談だが、このビデオ、可愛いクラシックギャル?が多数出演するところがひとつの見所と最初に書いたが、仮にもしこの共演オーケストラが普通の交響楽団とかだったらと想像したらオゾマシイ。演奏の良し悪しはともかくとして、バンドは老人、オケにもハゲアタマがチラホラとなる。さらに問題は観客。このコンサートはアムステルダムのアリーナ級の大ホールで行われている。ビデオの随所でクレーンカメラが大勢の観客を嘗め回しているが、よく見れば「行けども行けどもオヤジばかり」なのだ。(爆笑) つまりアンコールで"Roundabout"を踊る可愛い女性団員達は観客達の子供のような年齢、イエスのメンバーでいったら孫のような娘達だってこと。ついにここまで来てしまったか。あと何年イエスの演奏が楽しめるのだろうかなどと考えると、演奏の出来などどうでも良いから、いつまでも元気で演奏してくれれば・・・としか云えなくなる。そこをこのビデオでは懐メロ以上のパフォーマンスを繰り広げたのだがら、やはり偉大なバンドだ。廉価版のDVDが出ているようなので迷わず購入することにした。
いまどきこのジャケットデザインに反応するのはクルマ好きのオヤジだけかな? 私は音楽が好きで聴いている。この頃のフォークソングはこの曲のように生のストリングス(弦楽編曲)が使われていることが多い。ロックバンドに管弦楽という編成は音に清潔感があって爽快だ。これを知的な音などというとクラシックコンプレックスが丸出しになってしまうが、まあそんなところだ。戦後のポップス歌謡曲は進駐軍キャンプ周辺でジャズを演奏していた人々を中心に発展してきたので、伴奏は金管が主役のジャズのピッグバンドが当たり前だった。「原信夫とシャープス&フラッツ」「岡本章生とゲイスターズ」「ダン池田とニューブリード」とかね。ところが60年代の後半になるとビッグバンド編成でない歌謡曲が増えてくる。これはとりあえずビートルズの影響と言い切ってしまっていいだろう。ビートルズブームでポピュラーソング伴奏の主役の座が完全にジャズからロックに移っただけはなく、弦楽四重奏をバックにしたイエスタディなど、それまでに無かった楽器編成で次々にヒットを飛ばしたものだから、豪華なはずのピッグバンド伴奏がダサく聴こえるようになってしまった。ボブディランがロックバンドを従えて唄うようになったのもその頃だ。「ケン&メリー~愛と風のように~(BUZZ)1972」も歌自体はギター1本で唄うようなフォークソングだが、若き日の高橋幸宏によるアクセントの効いたドラムと大袈裟なスリングスによってソフトロックの名曲に変貌している。日本ではこのパターンのキーパーソンはきっと村井邦彦氏だろう。ヒューマンルネサンス「廃墟の鳩(タイガース)1968」、再評価が待たれる「愛の理由(トワ・エ・モワ)1969」に始まり、誰でも知ってる「翼をください(赤い鳥)1971」、隠れた名曲「憶えているかい(ガロ)1973」など、かなり早い段階で欧米で流行し始めた編曲手法を導入している。これにはマルチトラックレコーディングが可能になったという技術的な進歩も背景に含まれる。アメリカのA&Mレーヴェル、ヨーロッパ(フランス)ではポールモーリアが管弦楽器をパート録音し、それまでのレコードでは聴くことが出来なかった抜けの良いキラキラストリングスの音が世に溢れたのだ。70年代に入ると加藤和彦がすぐに反応し「あの素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦と北山修)1971」を出せば、新人バンド、チューリップも青木望編曲の「夏色のおもいで(チューリップ)1973」や「青春の影(チューリップ)1974」などで大胆な管弦楽編曲を取り入れている。こうしたアレンジは60年代的の発想の集大成として70年代前半にほぼ手法が完成した。そういう意味ではプログレッシブロックと同根だと私は勝手に考えている。プログレが70年代中期に失速したのと同じように、この管弦楽フォークも「翳りゆく部屋(荒井由実)1976」あたりを最後に流行のメインストリームから離れていく。プログレが編み出したマルチキーボードシステムがオケの代用品となり、5人編成程度のロックバンドをバックに唄う歌謡歌手が増えてしまったのだから皮肉なものだ。その後の時代と云えば、村井邦彦氏のアルファレコードの最初のアルバム、厚見玲衣によるシンフォニックプログレバンド「ムーンダンサー(ムーンダンサー)1979」あたりが印象深いが、ディスコ全盛だった当時の流行からはかなり逸れた音だ。ほどなくアルファはYMOや戸川純で時代の寵児となるが、それは生弦が鳴るような音楽ではなかった。また、同じ時期で弦が美しい曲といえば「ローレライ(H2O)1980」がある。彼ら珠玉のデビュー曲。「想い出がいっぱい(H2O)1983」が大ヒットするが、弦が活躍するのはそのあたりまで。以後、彼らは当時の音楽的流行に翻弄されながらの苦闘する。彼らが60年代的なるものの日本での最期の音だったのかも知れない。
本日、BEST CLASSICS 100 を購入。ずっと気になっていたが、他にも聴きたいCDがあり後回しになっていた。そうこうしているうちに、このCDはオリコン週間4位を獲得、2ヶ月間の売り上げが20万枚を突破し、クラシックとしては異例の大ヒットと新聞各紙が報じるまでになってしまった。確かにCD6枚組100曲7時間収録で¥3000ポッキリは安い。店で試聴したら音質も良いので買ってしまった。我が街の塔盤屋は普段クラシックは置かないのだが、このCDだけはジャズの辺りにゴロゴロと並んでいていて試聴も可能になっていた。凄いことになっている。ヨーロッパで20万枚のヒットが宣伝文句だが、このままいくと日本だけでも30万枚を超えそうな勢いだ。正に東芝笑み! さあ肝心の中身はというと、会社帰りに買ってきて今25時。飯と風呂の時間以外はずっと聴いている。つまり良いと言うこと。一曲3~4分程度のものが多く、それはクラヲタからすれば邪道なのかも知れないが、CBSソニーの「音のカタログ」(歳がバレる・・・)あたりとは違い十分に鑑賞に堪える長さと編集ではある。私の場合、クラシックは、中学校までの音楽教育程度の知識しかない。クラヲタでもないのにバルトークやストラビンスキー、ショスタコ、ヤナーチェクやジナステラなどのCDだけはしっかりと保有している変な奴ってハナシもあるが、基本的な部分での知識はかなり偏っているので、このCDは入門用としても使える。実際、このCDを聴いてフォーレのレクイエムはフルサイズのCDが欲しいと思った。今まで宗教曲なんて聴いたことなかったからね。なんて書くとまた東芝EMI。
Karinaは1971年にダブリンで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストに「En un mundo nuevo」で参加し準優勝した女性歌手。元来はいわゆるイエイエ歌手のスペイン版のような人で、レコーディングされた楽曲のほとんどがカヴァーポップス。60年代は東洋の果て日本でもレナウン娘よろしくミニスカートはいてカヴァーポップスを歌っていた女性歌手がたくさんいたほどだから、日本同様、当時既に準先進国だったスペインにもイエイエガールが当然のように存在したのだろう。 Karina も各国のイエイエガールと同様、テレビや娯楽映画に出演してはカヴァーポップスを唄い人気を博していた。その人気はスペイン本国のみならずラテンアメリカのスペイン語圏にも波及してたようでメキシコ盤なんぞもかなりの数発売されていたようなのだ。このKarina、視点(聴点?)を変えて聴くととても面白い。彼女がスペインで人気を博したのは60年代の初めから70年代の中頃まで。勘のいい人はすぐに気がつくと思うが、この時代というのはビートルズは年代順に聴き込めば判るとおり、年毎にレコーディングシステムや楽器テクノロジーが進歩した時期。まさに彼女はこの面白い時期を駆け抜けているのだ。さらにここから先が重要。彼女を音楽的にサポートしたのは、Los Pekenikes という日本でいえばブルーコメッツにあたるようなスペインで最も優秀なビートバンドのメンバー、Tony Luz であり、編曲は知る人ぞ知る天才アレンジャー Waldo de Los Rios だったのだ。英米の流行を逸早く取り入れ、ビート感覚、管弦楽編曲ともに本家を凌ぐ完成度。ちょっと聴くと普通の歌謡ポップスに思えるかも知れないが、そのセンスの良さはこの時期のポップロックを聴き込んだ人なら誰もが認めるものだと思う。このアルバムもそうした活動の集大成。El amor es azul はアンドレポップ&ヴィッキーの「恋は水色」。No Me Quiero Enamorar はバートバカラック&ディオンヌワークウィックの「恋よさようなら」。Concierto Para Enamorados は Toys の A Lover's Concerto。ジョージハリスンの Something なんぞも唄ってる。「なんだカヴァーばかりかよ」と侮るなかれ。当時、日本国内にもゴロゴロしてた陳腐なカヴァーとは一味違う。恐るべし Waldo de Los Rios 。天才のアレンジをバックに唄う Karina のスペイン語ヴォーカルが実に心地いい。この軽やかさはフランス語やイタリア語じゃ出ないよな。PASAPORTE A DUBLIN ってのは「ダブリンへのパスポート」ってこと。彼女がユーロビジョンコンテストで準優勝するまでの過程は、同名のドキュメンタリー映画にもなっているが、これはある意味彼女のキャリアのピークとなったアルバム。ちなみにユーロビジョンコンテストの準優勝曲「En un mundo nuevo」ってのは「新しい世界へ!」ってな意味らしい。まるで「出発の歌」(上条恒彦と六文銭)。70年代初頭はベトナム戦争が泥沼化するなど、あちこちで騒動が絶えなかった時代だが、一方で人類が月に到達したりエレクトロニクス文明が急速に進歩するなど未来に対するオメデタイ希望もまだまだ残っていた時代(「人類の進歩と調和」!!)だった。ほどなくオイルショックが世界を襲い、ロック界でも幅を効かせていたユートピア幻想は崩壊するわけだが、この時期、KarinaもTony Luzとの短い結婚生活の崩壊の後、スペインのポップシーンから消えてしまう。数年前にフランス・ギャルのカヴァーを探しているときにたまたま知ったのがKarinaだが、1965年から1975年の10年を黄金の10年と信じて疑わない私にとって、いつの間にか特別な存在になってしまった。
いつCDが出るのかと待ち続けているがなかなか出ないので載せてしまうことにする。 Dokakaとは昨今注目のヒューマン・ビート・ボクサー。人間の発声だけでリアルな演奏を繰り広げるヒューマン・ビート・ボックスの第一人者はヒップホップバンドTheRootsに在籍したRhazelらしいが、その彼と2004年あのビョーク(アテネ五輪でも歌ってたアイスランドの歌手)のアルバムに突然参加してしまった日本人がこのDokakaだ。ビョークがオファーするきっかけになった彼の WebSiteでは50曲を超える彼の作品を聴くことが出来るが、その内容が興味深い。ゲームミュージックやテレビの主題歌、有名ロック曲のカヴァーの中に混ざって、 21st Centry Schizoid Man ( King Crimson ) 、 Lark's Tounques in Aspic Part II(KING CRIMSON)、Fracture (King Crimson)、 Sora ni Hikaru (Kenso)、Tarkus(Emerson,Lake&Palmer) などの曲がズラリ。いずれも呆れるほどよく出来ている。タルカスなどは27分もある大曲だが、口だけで完コピ(途中でエピタフが入るからライヴ・ヴァージョンだね)。クリムゾンの曲の出来はそれ以上。口だけで演ってるにも関わらず長い曲も最後まで聴きとおせてしまうのは、やはりヒューマン?だからだろう。それにしてもケンソーの曲が入っているのは只者ではないと思い、彼のインタビューを探して読んでみるとやはりかなりのプログレファンだったようだ。アレアが好きでデメトリオ・ストラトスには影響を受けたと語っているし、バンドでドラムを叩いていたときのヒーローはカール・パーマーだったとも・・・。子供の頃は鉄道オタクだったようで、WebSiteには「池上線」などというオリジナル曲もある。また、ゲームもかなり好きだったようで"The Boss Theme of Romancing Saga"や"The Theme of Sofmap"なんて曲も。彼がアレンジした「ゼビウス一千万点への道?」という曲が既に着信ソングとして配信されたりもしている。 おたく系ヒューマン・ビート・ボクサーと勝手に名付けてしまったが、彼のWebSiteを制作しているのはモデルをしている美人のガールフレンド。ただのオタクではない。今後が楽しみな人だ。
フランシーヌの場合 1969年
写真はシングル盤。「PENELOPE」って聴いてすぐピンと来た人は、立派なイージーリスニングファン。そうこれはポール・モーリア・グランド・オーケストラの演奏で日本でも大ヒットした「エーゲ海の真珠」の原曲。高校時代の吹奏楽部の部長(で指揮者)が守屋くんという奴で、ポール守屋と呼ばれていたなんてことはどうでもいいことだが、まあそのくらい当時人気のあった楽団だった。マジックショーの定番BGM「オリーブの首飾り」や「涙のトッカータ」などヒット曲は数多いが、私はこの「エーゲ海の真珠」がユーロ・ロック・テイストが強く大好き。イントロのペット~オルガン~ピアノ~フルート、極めつけはダニエル・リカーリのスキャットとチェンバロ。プログレッシヴポップなアレンジは、30年の時を経ても新鮮な驚きが楽しめる名曲。・・・って紹介してるのはポール・モーリア版じゃないか。さてこの曲の原曲。作曲は Augusto Algureo。作詞は Joan Manuel Serrat。作詞者がパフォーマー。ジョアン・マヌエル・セラートはスペインの歌手。私にしては珍しく男性歌手の紹介だ。60年代後半はエルビス・プレスリー、アンディ・ウィリアムス、トム・ジョーンズなど男性歌手がそれぞれ一時代を築いているが、この曲はそれらに負けないスケールがある。しかし、その後の Joan Manuel Serrat の活動は順風満帆とは云えなかった。彼はスペインといってもカタルーニャ地方の出身。この頃のスペインはフランコによる軍事独裁の時代。カタロニア地方はその言葉さえ使うこも許されず文化は徹底的に迫害されていたことは、日本でも報道されてきたので御存知かと思う。バルセロナ五輪で南北の調和を世界にアピールしたとは云え、未だにサッカーのレアルマドリードVSバルセロナは遺恨の戦いとして有名だ。実はこのページでも紹介してるスペインの女性歌手 Karina は南部アンダルシア地方のハエンの出身。彼女はハエンからマドリードに出てきてイエイエ歌手になった訳だ。独裁政権にイエイエ歌手ってのも不釣合いな気もするが、実は60年代のスペインはザ・ビートルズを真似たLOS何々ってビートグループが星の数ほどいた。(LOSってのはTHEみたいな定冠詞なんだと思う) 独裁政権への批判を和らげるためフランコ政権は国民がサッカーで盛り上がることを奨励したと云われてるが、おそらく同じようにガス抜き的な意味合いでグループサウンズも奨励されていたのではないか。もちろん、アメリカ戦後政策のお陰で日本と同様、驚異的な経済成長を遂げていた背景もある。しかし一方で、独裁政権に反旗を翻す文化は徹底的に弾圧されていた。ピカソやカザルスが亡命の後、最後まで母国に帰ることが無かったことは皆さんもご存知の通りだ。南部出身のKarina はユーロビジョンコンテンストに参加し準優勝したが、人気歌手だったJoan Manuel Serrat はコンテストへの参加を要請されるも、「カタルーニャ語で歌うことが条件」と突っぱったため、参加は取りやめになるわ、テレビから追放されるわ、最後には亡命するわ・・・と、とても Karina と同時代の歌手とは思えない人生を送っている。余談だが昨今話題のスペインの超美人女優 Penelope Cruz。彼女の芸名もこの曲が由来。両親が Joan Manuel Serrat の熱烈なファンだったらしい。私は未聴だが、Joan Manuel Serrat が Penelope Cruz と一緒に Penelope を唄ってるCDもあるという。