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記事一覧

粛々と語る尖閣事件

senkakujp尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、中国の過剰反応が凄まじい。穏健派と知られる温家宝首相を筆頭に、言葉が悪いがキチガイじみた恫喝外交を展開している。領土は国家主権そのもの。日本政府のヘタレな対応も情けないが、死者や怪我人の出ていない領海侵犯漁船拿捕案件でここまでの狂乱状態に至る国家がこれからの世界の覇権を狙っているとしたら地球の将来は間違いなく暗い。事件の推移についてはメディアで報じられているので書かないが、日米会談で「尖閣は安保の適用対象」「尖閣連携で一致」したとたんに船長が釈放されたあたりが今回のポイントだろう。米国は表向きは第三者を装っているが実は当事者だ。私の住む地域には米軍基地はないが、山間に入ると時おり米軍の戦闘機を見かける。アフガニスタン北部などの山岳地形を念頭に入れての訓練だろう、星のマークが目視確認できるほどの低空を轟音を轟かせて飛んでいる。軍事的に日本は独立国ではない。軍事的には日本の領空は米国の領空。日本の領海は米国の領海なのだ。尖閣周辺の海域は資源が眠っているだけでなく軍事的にも重要な場所。沖縄の米軍基地とも目と鼻の先だ。尖閣が中国領土となれば防衛線は南洋まで後退しかねない。尖閣から中国大陸はたった2~300km。これまで米国は世界中のいたるところで対抗する国の国境線ギリギリにまで自国の軍事的プレゼンスを行使してきた。それを後退させ中国の艦船や軍用機が太平洋を我が物顔で行き交うようになるということは、米国の時代の終わりの始まりを意味する。今回、尖閣起きていることを傍観するほど米国は御人好しではないし、それを軍事的に独立していない日本の政治や自衛隊に任せるほど馬鹿ではない。一方、中国は油田が欲しい。太平洋に出たい。さらに米国のように「覇権国でありたい」という願いが強い。ここが重要だ。日本のように油田は欲しいが、太平洋は既に領海だし覇権国になる気などさらさらない国とはモチベーションの強さが違う。なんでそんなことになってしまったのだろう。米英露の力で第ニ次大戦の戦勝国となったというのに、自らの力で抗日戦争に勝利したと勘違いしてしまったのがそもそもの原因かな。教育というのは恐ろしい。報道を見る限り、資源や人口の豊富さを背景にアメリカをも凌駕する大国になりたいという意欲が中国国内には満ち満ちているし、そうあらねばならないとうのがタテマエになっているようにも見える。だから対抗国、特に戦争で勝利した日本に対して弱腰なことをする指導者は強硬派に騒がれて失脚の憂き目を見る。その様子がとても判り易く展開しているのが今回の中国政府の強硬ぶりではないか。国家は主権を守るため毅然と対応する必要はある。しかし、中国政府のそれは毅然を通り越してほぼ半狂乱に等しい。その姿は英国のお陰で勝利した日清日露戦争を自分の力で勝ったと勘違いし泥沼に嵌まっていった大日本帝国を彷彿とさせる。地域や階層による所得格差は絶望的なくらい酷い。世界の下請け工場としてブクブクと経済力が付き日本のGDPを追い越してはいるが、技術的なイノベーションはほとんど見られない。法整備が遅れているのも致命的だ。未だに政治体制が事実上共産党の独裁であることも恐ろしい。御人好しの日本を相手に恫喝して領土をふんだくるのは簡単だ。しかし、世界の覇権は恫喝や国の規模だけでは握れない。その規模や強硬姿勢が致命傷になってしまうことの方が世界史の必然だ。今回の様子を見て私は中国がいずれ衰退すると見た。最悪、崩壊瓦解するだろう。普通の国であればカタワでも存続できるが、超大国の重圧と責任に耐えうる国家になれるとはとても思えない。

霧の子孫たち

kiri絶版となっていた新田次郎さんの「霧の子孫たち」の文庫本が再版されている。何故、このタイミングで再版されたのか。かつてはその作品が次々に映画化され、没後も「武田信玄」が大河ドラマになるなど人気のある作家だ。近年はやや地味な存在になりつつあるが、皇太子殿下をはじめ、今でも登山を愛好する人々には根強い人気がある。登山の愛好家でもなく、文学青年でもなかった私が「霧の子孫たち」と出合ったのは、20年程前。なんと小説の舞台「霧が峰」でだ。鷲ヶ峰フュッテの書棚にそれはあった。夜の9時か10時には消灯となる宿だが、ロビーには明かりがあった。この小説は事実に基づいて書かれたある種のノンフィクションだ。部屋に戻らず一気に読んでしまった記憶がある。それ以来、特に縁は無かったのだが、再版されたのを知り、改めて読んでみた。読んでみるとしばらく再版されなかった理由がわかる。内容に問題があるわけではないが、実在の人をモデルにした人物がたくさん登場する。実在の人には当然その後の人生もある。「霧の子孫たち」に描かれた時代、私はまだ小学生だった。それでもビーナスラインのルート問題はテレビや新聞でさかんに報道されていたので記憶にある。環境庁という役所が出来、その初代の長官、大石環境庁長官が美ヶ原の現地視察に来たときは大騒ぎだった。小説に出てくる東沢知事は権さんと呼ばれた西沢権一郎知事、大沢企業局長とは相沢武雄局長だろう。そのふたりが戦った知事選もあった。長野県企業局で開発した道路と云えば戸隠バードラインやビーナスライン、菅平有料道路など、聖高原の別荘地開発やら戸倉上山田温泉にある白鳥園もそうか。1960年代、相沢氏はそれらすべてを仕切ったやり手のお役人だった。そういう人が自民党系ではなく社会党系から知事選に出たってところが、大阪で万博が行なわれていた時代というか、「開発」という言葉が光り輝いていた時代を彷彿とさせる。こうした県レヴェルでの開発に対してその県レヴェルで自然保護運動が行なわれたのがビーナスラインのルート問題だ。それが日本の自然保護運動の先駆けとなった。小説に登場する宮森栄之助は考古学者の藤森栄一さん。青山銀河は産婦人科医の青木正博さん。牛島春雄は諏訪清陵高校の理科教諭、牛山正雄さん。いずれも新田次郎さんとは旧制諏訪中学(諏訪清陵高校)の同窓で、この3氏については新田次郎さんは小説のあとがきでモデルをはっきりと明かしている。彼らの活動は6万人の署名を集めるところとなり、地元選出の大川平次郎代議士(小川平二さんだろうな)を通して国会請願に至り、遂に県企業局は旧御射山遺跡と七島八島湿原を迂回するルートでビーナスラインを建設することになる。遺跡と湿原の直接的な破壊は免れたが、その後もビーナスラインは建設された。この小説の登場人物たちは70年代の後半から80年代前半にかけて次々に鬼籍に入られてゆくが、それと時を同じくしてビーナスラインは美ヶ原の天辺まで延びて行き、屋外彫刻美術館まで作られる。あれから30年。ビーナスラインは無料となりトラックが行き交う道となった。彫刻美術館はなんと「道の駅」を兼ねている。ビーナスライン沿線の草原は野焼きが行なわれなくなったため森林化が進んでいる。人間が作りしだした自然を保護している場所も実はあるのだ。鳥獣を保護したためニホンシカが増え、ニッコウキスゲが食べられてしまったり湿原が壊される事態も発生しているらしい。再版を機に霧が峰の自然にもう一度考えてみるのも良いだろう。とまあ自然保護のマナーも怪しい私が他人事のようによくあるまとめをすればこの稿も終わるのだが、正直私はもっと別のことを思った。小説の中で牛島春雄は吐露する「おれは霧が峰の将来についてはほどんどあきらめている。だが、霧が峰にたった一本の植物が残っていても、おれはその植物を見捨てることはできない。植物が死に絶えて石だけになっても、おれはその石を守ろうとするだろう。」この言葉から見えるもの。それは自然保護への執念だろうか。きっと違う。実は彼らが守りたかったのは自然というより、心の原風景だったのではないか。新田次郎さんにとってもあの辺りはペンネーム(諏訪市角間新田)するほど大切な故郷。むろん自然も故郷の一部だが、守ったものは自然だけではない。考古学者である藤森栄一さんは旧御射山遺跡を守った。旧御射山遺跡は諏訪の人々の心の拠りどころ諏訪大社にまつわる大切な遺跡だ。そうしたものを守りたいという気持ちには共感できる。地元の駅や建物が建て替えられるだけで残念な気持ちになる人ならば理解してもらえるだろう。