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Working Poor People

新自由主義という名の妖怪がニッポンを徘徊している。努力した者が報われる社会という妖怪が・・・。1995年、日本経団連(旧・日経連)が「新時代の日本的経営」提言して以降、日本は確実に格差社会への道を歩んできた。破綻したバブル経済を立て直すために行われたのは日本人の賃金を下げること。一般庶民もバブルの恩恵には与った。発展途上国に技術移転をした結果、モノの値段は相対的に抑えられ、物質的により豊かな生活を享受することもできた。で、そのツケが廻って国際競争力が落ちたのだから、ある程度の痛みを受けるのはやむを得ない。バブル時代はイイ思いもしたし、浮かれて怠けていたのだから・・・仕方がない。これが、とりあえず定職に就き、普通に生活している日本人の標準的な認識だろう。純朴な日本人は自分の生活感覚で経済を語る。そしてそうした日本人に宗教のように信じられているキーワード。それが「努力した者が報われる社会」だ。しかし、この10年、日本の政治家や財界がやってきたこと。実のところそれは「努力しても報われない社会」の構築だった。国や企業には金がないのだ。多くの人が努力して報われてしまったら払う給料がない。皆が潤うような仕組みを作るわけもない。競争社会というのは一握りの成功者と大多数の敗者を作り出す。そしてそれがいよいよ現実となってきた。昨今日本では「働く貧困層」が急速に拡大しているらしい。その数、400万世帯。「働けど働けど我が暮らし楽にならず」と歌ったのはかの石川啄木だが、「働く貧困層(ワーキングプア)」とは、頑張って働いて得た収入が生活保護水準以下という状態をいう。それが全世帯数の10分の1を超えた。つまり10軒に1軒はワーキングプアってことだ。条件が満たされなければもちろん支給されないが、生活扶助やら住宅扶助やら生活保護法に基づく生活保護ってのは、状況によっては年間250万円ほどの支給がある場合もある。その根拠になっているのは日本国憲法第25条の「生存権」の崇高な理念だ。ところが現実社会には1年間頑張って働いても年収が手取りで250万を超えない人もいまどき珍しくない。月額で20万。地方の自営業者には月に10万も稼げない人もたくさん存在する。ニートではないのだ。皆、生活のために必死で働いている。しかし働いても250万の年収が得られないのだ。10世帯に1世帯。「生存権」って何なのだろう。御立派な大学に勤め御立派なデスクでパソコンを打ちながら経済を語る学者はそれを「能力の問題」として片付ける。もう一度職業教育を受けてやり直しをすればいい・・・と。努力した者は報われる・・・と。総理大臣も「格差が出るのは悪いことではない」などと平気で発言している。が、400万世帯は多すぎないか。繰り返し書くがニートではないのだ。そのうち無産政党が復活するぞ~。受験戦争の影響か運動部教育の成果か日本人には競争が好きな人が多い。そういう人に限って競争に勝てば今までにどおりに生活できると勘違いをしてしまっているのではないか。私が云うのも変だが、世の中そんなに甘くないぜ。(笑) もっと厳しく言えば「努力した者が報われるほど社会は甘くない」のだ。働く貧困層(ワーキングプア)の増加はそれをを如実に示している。真に「努力した者が報われる社会」とは、実は皆が馬鹿にする「横並び社会」のことだったりする。横並び社会ではそこそこ努力すればそこそこの成功が得られる。経済が破綻したときはワーキングシェアで我慢。戦争もやったし経済成長も謳歌した。世界2位の経済力が無くても人々が幸福に暮らせる方法はきっとある。私はそう思いたい。