湖水地方 (Lake District) は、地理的にはイングランドの北西端。スコットランドと境を接するところにあります。風光明媚な地として有名です。
 イギリスを旅しているとまず目につくことですが,イギリスには山と呼びうる山はないように思います。行くところ行くところ,大地のゆるやかな起伏があるだけです。山と名づけられてはいても,やや盛り上がった丘にすぎず、平地といっても波打っているのです。
(スコーフェル・パイク)

 そんなイギリスにあって、湖水地方には少しばかり高い山が集まっています。といっても、スコーフェル・パイクが978m、ヘルヴェリンが950m。たかはしれています。でもこれがイングランドの最高峰です。
 うんと北,スコットランドのハイランド地方には1300mほどの山が二,三あるにはあります。しかしそれとて、日本の感覚からすれば、中の下の部類です。
 山容がまた日本とは大きく異なっています。日本の山は鬱蒼とした森林におおわれているのが普通ですが,イギリスの山(丘)には木がほとんどなく、丸裸に近いのです。といっても、アフガニスタンのような荒涼とした岩山(映像で見ただけですが)や、ギリシャのような干からびた赤茶色の山であったりするわけではありません。一面牧草におおわれた、みずみずしく開放的な緑の山です。
 木がない分,山の形状があからさまにわかります。これほどまでにつるりと形状を露呈した山は日本には少ないでしょう。しかも、ところどころに,あたかもバリカンで刈り残したような直線的な境界線をもつ森が残されていたりします。
 なお、スコーフェル・パイクやヘルヴェリンほどの山になると、頂上付近にはいかにも高山風に岩が露出し、地肌が紫がかっているところもあります。紫の地肌は、剥き出しの土の色ではなく、独特の草やコケのせいです。
 イギリスの山に木が少ないのは、自然がなせる業ではないようです。千年単位の歳月をかけて人間がなした業だといいます。はるかなるケルトの時代から、山の木はすでに刈り取られ始め、切り開いた草地で人々は羊を飼うようになっていたようです。紀元前後に始まるローマ軍の進駐後もそれは続き、いつしかイギリスは全土牧草地と化していきました。
 ただ、そのような一般的なイングランドの風景とはひと味違った雰囲気を湖水地方はもっています。木があり森があるのです。風景の基本的階調はあくまで明るく開放的な牧草の山ですが,ところどころに鬱蒼と茂った森や林があるのです。
(Dorothy Wordsworth)

 これをワーズワースの妹ドロシーは "woody meadow country" とその日記の中で表現しています。彼女の認識において,イギリス全土は meadow country であり,湖水地方も例外ではないのですが,湖水地方には、頭に woody という修飾語がつくのです。直訳すれば、「森のある牧草の国」とでもなるのでしょうか。

 湖水地方が、マイルドな自然を楽しめる類い希なリゾート地として脚光を浴び始めたのは、それほど古いことではなく,19世紀あたりかららしいです。19世紀初頭、詩人のワーズワースは自分の生まれ故郷のすばらしさを『湖水案内 (Guide to the Lakes)』という本に書き記しました。名所案内的なガイドブックです。本の売れ行きのほどは知らないのですが、湖水地方が注目されるようになった時期と、彼のガイドブックの時期が重なるのはたしかなようです。
Guide to the Lakes の挿絵より
(ウィンダミア湖)

 実はワーズワースは若い頃、旅行案内者になる夢をもっていて、そのための素養としてフランス語やドイツ語を学んだといいます。フランス語の勉強のためにパリに滞在していたとき,フランス革命に遭遇し,Liberty & Equality の思想に目覚めたことはよく知られています。

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 次に,私を湖水地方に憧れさせる誘因となった作品を,思い出すままいくつか拾い出してみます。

『チップス先生 さようなら』
ワーズワース詩集1
ワーズワース詩集2
ワーズワース詩集3