『チップス先生 さようなら』(Good-bye Mr. Chips)

 同じ小説を2度読むことのない私ですが,この『チップス先生 さようなら』だけは不思議な魅力に誘われて3度読みました。最初は20年あまり前,同僚の英語教師から譲り受けた原文で。二度目は新潮文庫の日本語訳で。三度目はつい最近,再び原文で。
 一度目はまだ若かったので,チップスの悲哀が実感としてつかめず,教師としての自分の前途のかすかな予感をそこに感じとっただけでした。2度目はチップスの弱さが妙に実感でき,3度目は,過ぎ去った自分の過去と重ね合わせて,切実な共感の思いで読むことができました。生徒や同僚から軽く見られ,ときにはからかわれることすらある Chips の,そしてまた自分自身,思いの遂げられなかった人生だったと振り返ることの多いチップスの,その奥に何と深々とした自信の海があることよと,感嘆の思いすら抱きながら読んだ3度目でした。
 物語の舞台はロンドンです。だが一度だけ湖水地方に舞台が移ります。チップス48歳の夏,生まれて初めてロマンスを経験した,その地です。
Katherine & Chips
(映画 Good-bye Mr. Chips より)
 相手は20代半ばの活気あふれる女性キャサリン。出会いの唐突さに加え,年齢,性格,思想,あらゆる点で不釣り合いな二人の恋は,とまどうチップスの気持ちを置き去りにしたまま燃え上がり,9月の新学期には早くも二人はブルックフィールド校の舎監室で新婚生活を始めていました。
 妻の深い愛情,進歩思想,激しい行動力に圧倒されたチップスは,生来の保守性と引っ込み思案を一変させ,生徒の前でも努めて明るく振る舞い,その上,周囲の反対を押し切って信条を貫く積極性すらも我がものとしました。
 議論では常に妻に圧倒され,彼女の思想と行動力に従わざるを得ない日々,さらには自分自身の内面性をすら彼女の意のままに変貌させられていく日々。そうした従属の日々ではあっても,それは過去のチップスには考えられなかった夢のように楽しい日々でした。まるで自分がそれを選んだかのように,新しい道を歩み始めるチップス。
 未来への希望に輝いたこの新生活は,しかし,わずか一年で悲劇を迎えます。新しい命を宿した妻が,一陣の風が吹き抜けたように,あっけなく届かぬ世界に去っていったのです。新しい命ともども…。
 再び一人になったチップスは,妻が荒々しく刻み込んでいった生き方を胸の奥にしまいこみ,その影響を巧みなジョークに残しつつ,自分の人生に戻っていきます。

 人生が大回転する舞台として作者ヒルトンが湖水地方を選んだ理由,それを私はこれまで意味あるものとして考えたことはなかったのですが,今回自分の足で湖水地方を歩いてみて,「そうだこれだ」と分った気がしました。
グラスミア湖

 湖水地方はワーズワースの妹ドロシーが "woody meadow country" と表現したとおり,二面性を持っています。
 一つは牧草の緑と,それを映す湖とが織りなす,どこまでも明るく開放的な側面。湖に沿った小道を歩いていると,道はいつしか高みにのぼり,眼下にはさえぎるもののない緑の牧草地のゆるやかな斜面が開けてきます。ここかしこで白い斑点のように羊の群れが草を食んでいます。さらにその下に,澄み透った湖面が空と緑を映し出しています。湖はウナギのように細長く,対岸はすぐそこです。対岸にはまた,緑の牧草地が広々と斜面を駆け上っているのが見えます。
 風景はどこまでも明るく開放的です。すべてを受け入れる寛容が空間に満ち満ちています。立ち止まって眺めていると,夢の世界にさまよい込んだような幸福感に包まれます。
グレートゲーブル

 チップスと キャサリンの唐突な恋は湖水地方の名山の一つグレートゲーブルの岩場で始まり,その麓の緑豊かな牧草地で育まれました。どこまでも明るく開放的な光景が,行く手の輝かしい希望と幸福感を象徴しています。
 湖水地方にはまた,meadow country の明るさとは対照的な,woody country の暗さも秘められています。牧草地の斜面を歩いていると,突然目の前に森が現れることがあります。大きい森ではなく,せいぜい10分も歩くうちには抜けてしまう森です。しかし,ひとたび森に足を踏み入れるとたちまち鬱蒼とした木々に空を奪われ,じめじめとした薄闇が支配する世界となります。眼下に横たわる湖も木の陰にひっそりと姿を消しています。古い倒木がコケにおおわれて何本も横たわっています。小道の両脇には羊歯がびっしりと生い茂っています。突如,千年も昔からそこにあったかと思わせる崩れかかった石積みの壁が,暗い斜面を一直線に山頂に向かって伸びているのに遭遇することもあります。この異様さに私は圧倒されました。死と生命の絶えることのない連鎖が具象となって眼前に現れた思いがしました。
 森には暗い死のイメージと,死こそが命の連鎖の源泉であることを暗示する,何か深くて力強い永続性が保持されています。
 チップスとキャサリンの新生活にやがて訪れる悲劇。それを暗示する深い森が湖水地方にはあるのです。牧草地がもつ明るく開放的なメロディーに,森が秘める死のイメージが重低音となって作用してこそ,『チップス先生 さようならの劇的場面が人を感動させる力をもつのだと,湖水沿いの小道を歩きながらつくづく思いました。

ワーズワース詩集1』 につづく。