おでかけ収穫記 |
BLANKEY JET CITYライブ「Romeo's Heart」 | フィリップ・ジャンティ「迷宮」 |
RUP「広島に原爆を落とす日」 | NODA-MAP「ローリングストーン」 |
ROMEO'S HEART [ライブ] |
NEW ALBUM「ロメオの心臓」をひっさげた全国ツアー。春に一回彼らのライブに行って味をしめた私なのですが、前回ファンクラブ席にまぎれこんだのに比べ今回は一般売りで買った席。ファンクラブ席のあたりと客層がちょっと違います。何が違うかというと男性が多い。私の回りの席の男女比8:1といったところでしょうか。そしてみんな若い!平日夜のコンサートなのにスーツ姿の人はほとんどいないのね。荒くれ度相変わらず高し(笑)。みんな夏でも革パンだ。暑くないのか!? アメリカンタイプのバイク(ハーレーみたいなやつね)に乗ってくる人がめちゃくちゃ多かったです。そしてやっぱりコンサートがはじまると会場には「うおおおお〜!」という怒号が響き渡るのであった。跳んでるし。私の前の列にいた終始棒立ちの男3人組はそれはそれで謎でしたが。
達也氏の髪、黒くなってます。心なしかどんどんマッチョになっていくような?そしてアメリカンな人に戻ってます(笑)。アンコールで誰かが野太い声で「中村さ〜ん!」と叫んでいてツボ入ってしまいました。今回照井さんがすごいカッコ良く感じられました。淡々と微動だにせず演奏し、ローディーにPAの指示を出してるとことか。今回ちょっとPAにトラブルありか?達也のマイクの音が途中で入ってなかったのは残念至極。シャウトしてるところあったのに。ベンジーのボーカルは静かに熱い感じがしました。昔はぶつからなくて良いとこにまでぶつかっている剥き出しの痛さを思わせるボーカルって印象があったんですが、やはり少しずつ変わっていってるんでしょう。でも相変わらず彼らの曲にはハードでクレージーな中にどこか悲しみや痛みが潜んでいて、そしてやっぱり彼らはカッコ良いんです。
不完全セットリストは下記。記憶が定かでない上に以前の曲をよく知らないため、だいたいこんな感じ、ってとこです。「ロメオの心臓」からの曲をたくさんやってくれました。
ドブネズミ
ステージにはハイウエイを走る車の写真をプリントしたうすい幕が降りていて、メンバーの様子が見えません。スポットがあたったベンジーの姿だけが浮かび上がります。
パイナップルサンド
SEに使われているサイレンにあわせて、いくつもの赤い回転点滅ランプの光が錯綜する中で。
VIOLET FIZZ
幕があがります。照明が紫に変わって綺麗。
ガソリンの揺れかた
好きな曲〜!こんな導入部で演奏されちゃうのはもったいないよぅ(笑)。
[?]
スクラッチ
照井さんウッドベースに持ちかえます。ジャジーなシブい曲です。リズムボックスを使ってるらしく達也は全くドラムを叩かずお休み状態。ちょっとびっくり。
彼女は死んだ
照井さんのウッドベースの激しい弾きぶりがすごいかっこ良かったです〜。ここらへんから激しい曲が続いて盛り上がってきます。
赤いタンバリン
小さな恋のメロディ
ぼくはヤンキー
私は主に作詞するベンジーと日本語表現の趣味が合わないなぁと思うことがよくあります。でも彼がシャウトする部分にもってくる単語の選び方はとても好きです。天才かもしれん、と思う(笑)。これもそんな曲の一つです。特に「Cadillac / Candy green / suicide」という言葉の並びがすごく好き。
SKUNK
(アンコール)
[?]
また数曲わからず・・・「15才」と「PUNKY BAD HIP」をやったらしいとあとから教えてもらった。
ロメオ
好き!これまたサビの「リムジン」のとこが良いのだ。達也も吠えてます。
B.I.Jのピストル
おなじみの曲で大盛り上がり大会。会場じゅうがCALLしてます。
演奏後、スクリーンに映画みたいに今回のツアーのスタッフロールが流れました。とても激しいライブだったのに、最後の最後はそのエンディングロールが終った後の皆の拍手で終わるというのがとても印象的でした。
ホールのキャパが前回よりだいぶ大きかったせいかそれとも私の席が後ろだったせいかPAのせいか、素人の私にはよく判らないのですが、ベンジーのギターの音色があまりリアルに感じられなかったのがちょっと物足りなかったかな? 彼のエッジの立った切実なギターの音がとても好きなので。ライブハウスぐらいのキャパで聞きたいものだと思うのですがそしたらチケットとれないんだろうな。 それにしてもMCの少ないバンドです。アンコールに出てきた時の「アンコールありがとね」ラストの「みんな元気でね、またねバイバイ」、言葉を発したのはベンジーのこの二言のみ。すごいなぁ(笑)。
直前に行ったコンサートがSMAPのだったのでつい比較してしまうんですが、同じ理性を失うとはいえ(笑)、SMAPの場合は、私が彼らを好きだという最低限の判断力?が根底にあるんだなぁと思いました。今回は、BJCが好きとかいう以前に、音を聞いて直接脳の快楽中枢をゆさぶられてる気がしたんです。有無をいわせずエンドルフィンを分泌させられた気がする(笑)。すごく気持ち気持ち良かったです。幸せでした。
迷宮 [パフォーマンス] |
フランスのカンパニーによる演劇ともダンスともつかない舞台です。はっきりした物語や台詞があるわけでない、「イメージビデオを見ている感じ」というのが一番近い説明かもしれない。幻想的な絵を見るようでした。
舞台後方に月、そこから墜落するスーツ姿の人形。彼が墜落する途中で見る夢、という感じでしょうか。さまざまな場面がうつりかわります。穴のあいた網を斜めに張った舞台装置を海に見立ててそこから顔や手や身体の一部を覗かせる演技。海から天使を釣る2人の男性。海から現れる美女は作り物の乳房をナイフでそぎ落とす。場面が変わる先々で現れる「宿命の女」と「支配的な母親」を感じさせられる女性。岩の転がる荒野を訪れる観光客たちは言葉を持たない集団に変身する。彼らの不器用な気狂いじみた意志疎通と抱擁やキスの発見。ドアの向こうにそれぞれ閉ざされている者たちの集団。検閲される掃除夫。舞台中央に立てられたドアを女があけるたびに出てくる仮面をつけた群集。水着を着た人形が踊るのを窓の外からひそひそと囁きながら覗き見ている小市民たち。白い衣装で舞台を横切りながら「ワタシイツカシヌ、アナタイツカシヌ、ヒザマヅク、ズガタカイ」と繰り返されるカタコトの台詞。巨大な耳を羽根のように背負ってそれを聞く男。舞台の上でぶよぶよと動く巨大な柔らかい卵。
そして冒頭に出てきた人形は月から墜落し、彼の巡った世界も終わる。
めまぐるしく舞台の上で世界とイメージが変わり、次々と幻影を見せられているような気持ちになりました。舞台全体を通した物語を読み取るのは私には難しかったのですが、「母」であり「悪い女」でもある女による「去勢」、「(主人公もまたそのうちのひとりである)愚かな群集」の中での「不確かなコミュニケーションの発生と獲得」とセクシャルで原始的な誘惑、回りの世界を受け入れないことと何かを聞こうとすることの相反する欲求、というイメージを持ちました。でも通底した物語を受け取ろうとすることにあまり意味はない舞台なのかもしれません。
凄いのは演者たちが数々のイメージを非常に訓練された精密な動きで表現していることです。出演者十数人ほどが全員ドア枠を持って錯綜し、他人のドアを持ち替えそこから出入りし消えては現れ、他人のドアの後ろに見え隠れするパフォーマンスは圧巻でした。イメージ的にもとても印象的でしたし、普通ならフィルム上の特殊撮影で表現するようなイメージを実際に舞台の上でライブでやってみせる、緻密で統制されたパフォーマンスが心地良かったです。
なんか全然うまく説明できませんが、とても興味深く面白い舞台でした。客席が埋まってなかったのは本当にもったいない。確かにチケットはちょっと高いんですが(あと、非常に見にくい会場ではあったのですが)十分見た甲斐はありました。これに懲りずに次作でも地方を回って欲しいです。
(でも来日のたびにSMAPのツアーと日程が重なるんだよね(笑)。前回はSMAPをとってしまったので今回はがんばって見に行ってみたのでした、ってこれは余談。)
広島に原爆を落とす日 [演劇] |
→チケットセゾン「広島に原爆を落とす日」初演の紹介(去年のですが・・・)
舞台後方をスクリーンとして使い、音楽にのせてのキャスト紹介からお芝居がはじまります。以降場面転換時にも場所と年代がスクリーン表示されるなど映画的な趣向が使われていました。一度もセットを変えず、朽ちた木のような背景をラストで原爆ドームに変えてみせる趣向の舞台美術はとても良かったと思います。
ギャグを交えたやりとり、時事ネタ、途中でのダンス挿入、バックに流れる歌謡曲的音楽等いわゆる「小劇場」的な匂いを感じさせる演出で、私はこれがいまひとつ苦手であるのですが、初演に比べて全体的に台詞が刈り込まれ、口当たりの良い流れになっていたのではないかと思います。通俗的なギャグの台詞を減らしたように思われますがどうでしょう。重宗が政治を語るシーンは初演では細かいギャグにいささか辟易しましたが今回はさほど気になりませんでしたし、島の原住民ビアンカに対する銀平の台詞も初演のほうがもっと悪趣味であったような気がします。
おそらく再演から挿入されたのではないかと思われる、夏枝と仮面をつけた黒衣の人影とのダンスシーン、あれは仮面なしで良かったのではないかなぁ。必要性がよく判りませんでした。またボーカルが入っている曲をバックにつかうのも個人的にあまり好きではなかったです。曲に対する芝居の作り手の思い入れと客の思い入れが異なるだけに余程神経を使わないと難しい趣向だと思うのですが。また、他人をドツく時の効果音が妙に劇画的(お笑い的(笑))なのが気になりました。確かに全体に笑いがちりばめられている芝居なのですが、なんともステレオタイプな音がするもので。ギャグのコンビネーションはなかなかいい感じになっていたと思います。山崎少佐の「自信家で切れ者かつ愛すべき卑怯者(笑)」なキャラクターは楽しかったです。
ストーリーを通じて、ディープ山崎少佐が原爆を落とすことの意味が夏枝に対する愛に収斂していく訳ですが、物語の中で彼らは既に「運命の相手」としてあるだけで、なぜ山崎が夏枝を、夏枝が山崎を、それほどまでに愛したのかが物語を通して伝わってこないのが歯がゆいところではあります。夏枝のキャラクターに貪欲さ、凄絶さが感じられないのも終盤の夏枝の選択を思うと不思議です。その点から言えば、山崎と夏枝のキスシーンの追加は良かったと思います。
夏枝がベルリンに渡るはるか以前に象徴的に語られる、髪が抜け、口の中に血の味を感じる恋わずらい、ああいう描写をもっと見たかった。あれがもしかしてラストシーンの後の夏枝の姿を暗示するシーンでもあるのだとすると、なかなかに切ない情景であるのですが。
ともあれ、戦争に翻弄される、そこに戦争があったが故に戦争の中での選択しか行えなかった、その中で他人を愛した人々の様子は切なかったです。山崎の部下といいビアンカといいヒトラーといい、もちろん山崎も夏枝も。
そして圧巻はやはり終盤近くの山崎の台詞からラストシーンにかけて。
前半は割と冷静に見ていた(つもりの)私ですが、すっかりやられてしまいました。初演でも私はこのシーンで思い切り泣いているのですが(笑)、今回もまた大泣きしてしまいました。故郷を、両親を、ヤマトの国を語る山崎の一人舞台は本当に良かったです。演じる稲垣にも初演からの進歩が感じられました。芝居の後半からラストにかけて、山崎を演じる稲垣のテンションが、芝居全体を巻き込んでみるみる上がって行くのが感じられたのも感慨深かったです。
なんだかんだ言って、芝居を見た印象を左右するのは終盤からラストのシーンが持つ力だと思います。2時間半見ていて結局終盤の芝居にねじふせられた感があって、その力を嬉しく思いました。焼跡に立つ夏枝とそこにあらわれる山崎の幻がすれ違うラストは悲しく、そして本当に美しいシーンでした。
緒川たまきは非常に良かったです。さして声を振り絞っているようには見えないのに凛と張る声は舞台向きですね。彼女演じる夏枝は清楚で良家のお嬢様と冷徹な日本軍人の二面性を持ったキャラクターなのですが、特に軍人を演じる時の彼女には凄みがありました。(その白い軍服での立ち姿は丸尾末広の描く絵のようにに美しかった。・・・と言っても多分誰も知らない(笑))初演ではお嬢様夏枝は何を考えているか不明な不思議キャラという感じだったのですが、今回幾分印象が変わっていて、内気な夏枝のキャラクターが立ってきていました。ただ夏枝はラストまでいまいちその意図が明らかにされない謎のキャラクターですのでこれはちょっと良し悪しかもしれません。しかしとにかくオーラが出てました。初演からの成長ぶりも凄いです。
春田純一も良かったです。「JACの人」という認識しかなかったんですが、いい舞台役者さんだったんですね。芝居に非常に安定感がありました。
主役の稲垣吾郎は、山崎の特異なキャラクター、テンション高いコミカルな演技とシリアスで聡明な演技を切り替える部分等、非常に役にハマっていたと思います。膨大な台詞を消化する難役のゆえか前半はやや力み過ぎの感がありましたが後半からラストに至る出来はすばらしかったです。その直前、島での戦闘のシーンでの大時代な言い回しの台詞が消化しきれていなかったのは惜しい。まだまだ滑舌が悪いですが初演に比べ着実に進歩していますし、彼にはこの役をまだやって欲しいです。もっと良くなると思います。
真面目な感想になっちゃったので字を小さくして書きますが(笑)、南海の孤島に夏枝が登場したシーンの「・・・ねぎを。」(おやっさんが納豆になっちゃうとこ)が私のお気に入りだったりします。ビアンカの倒れ方も好き。
あと結構謎も多くて、白系ロシア人の親が広島で安穏としていられるのだろうか?というのが気になっちゃったりしてるんですけど、そこんとこどうなってんでしょうね? あとマイク持ってるとこもよく判んないんだよな・・・。
あらすじ
だいぶはしょってますし私の主観です。勘違いが入ってるかもしれません。間違いがあったら教えて下さい。
頭脳明晰たる海軍将校にして白系ロシアとの混血ディープ山崎少佐は日本軍の作戦本部を追われ南海の孤島でいつか敗戦国の子供たちに食べさせる納豆作りに日々をついやしている。彼にはかつて深く愛した女性、海軍兵学校の同級生夏枝がいた。
デモクラシーを唱える夏枝の父重宗喜一郎は水面下で工作を行っている。アメリカに原爆を落とさせるのと引き換えに日本との戦争を終結させるべくベルリンへと夏枝を派遣する。ヒトラーは夏枝に魅入られ、夏枝の山崎への愛のためにドイツを原爆の落とし先とする約束をする。しかし重宗の交渉相手であったルーズベルトが急死、ドイツは敗れ、日本は原爆を国内に落とさざるを得なくなる。
一発で何十万人もの人間を殺戮する発狂を免れ得ない行為の実行者として択ばれたのは山崎であった。夏枝は南海の島で山崎にその命令を告げる。山崎は自らの故郷広島を投下場所として選び、夏枝にその瞬間自分の父母とともに広島に在ってくれと頼む。愛する人を犠牲にでもしなければその殺戮はなし得るものではなかった。彼は彼の父母に彼が選んだ伴侶を見て欲しいと語りかけ、彼の愛する故郷、愛する祖国を語る。戦争を終えたその後の日本のために、そして彼の愛するもののためだけに彼は原爆を投下し、何十万もの無実の人間を殺戮するのである。
戦争は終わった。広島に行くことのなかった夏枝が立っている。山崎の部下である春田は山崎の死を告げ彼女の裏切りをなじる。彼女は生きることで彼女を愛した山崎の全てを自分のものとしたのだ。夏枝は焼跡に山崎の姿を見る。彼の夢見たデモクラシーの戦後世界を眺めわたす山崎を。思わず駆け寄る夏枝の差し出す手の先を、山崎の幻影は通りすぎていく。
ローリング・ストーン [演劇] |
いくつもの物語、いくつもの立場が錯綜し、絡み合って進んでいきます。言葉やシーンのお遊びもありますが、端整に作られている作品という印象を受けました。
夢の遊眠社(野田氏が以前主宰していた劇団)時代はあちこちに枝葉のように話が展開し、ストーリーの説明さえできない混沌とした筋立てながら最後に収束感が残るという感じの作品が多く、私はその感じが好きだったのでちょっと淋しい気もしないでもないですが、でもより「物語」として成熟した作品になっているということでしょう。
肉親の愛憎や復讐という判り易い感情を題材にしていることで物語がシンプルに感じられますが、異なる立場の集団の物語を並行して語ること、石でありながら人間のように動く境界の曖昧なキャラクターを登場させていること、また、大量のキャストを使いながら更に同じ役者に何役かを兼ねさせることでほど良い錯綜感が残されている気がします。
お話の「力」は前作の「TABOO」の方があると私は思いますが、今回の作劇はバランス良くまとまっていたと思います。
王妃役の羽野晶紀がすばらしかった。無邪気な愛らしい顔と凛とした冷酷な顔を瞬時に切り替える様子は抜きんでていました。TVのバラエティ等でのボケボケな姿しか知らない人に是非見て欲しい。毬谷友子・大竹しのぶに続いてすっかり野田芝居のヒロイン、秘蔵っ子になった感じです。対立する隣国の王女や姉の役の役者さんが彼女と張り合えるレベルに至らないのはちょっと残念。とは言えこれは贅沢な望みかもしれません。大人計画の阿部サダヲ、花組芝居の植本潤は流石に良かったです。野田秀樹も久しぶりに重要な石の役をつとめてました。こういうお話の中心に立つ役は昔を思い出してちょっと嬉しい。
舞台装置がとても良かったです。舞台ごとに洗練され続けてて怖い位なんだけど。後の壁を傾斜させて足がかりを全面につけて、役者さんが登ってたり渡っていったり、役者までもが背景の一部になるアイデアは素晴らしい。衣装も、今回2つの国と河原の住人という3集団が入り乱れ、役者さんが役を兼ねたりもしてたのですが、それぞれの陣営の衣装が色分けされて判りやすかったし、デザインも良かった。それから、効果音に役者さんが舞台でたてる生音を使うやり方も好きでした。演者としてだけでなく絵としても音源としても役者さんを目一杯使ってて面白いです。
野田芝居を見に行くとたいてい泣いてしまう私なのですが、今回もラストのだいぶ前から泣いてしまいました。クニのためにまきこまれる人々の話(絶望的なあかるい希望とか、それでも彼らが生み出すモノとか)にも、戦う人々の愛憎(愛するために全てを失ったあとで知る裏切りとか、心の底の憎しみとか)にも。うまく感情のカタルシスをひきだされてしまった。見終わって、チケット代(7000円)に損はないなぁ、としみじみ思った芝居でした。良かったです。
あらすじ
(私には野田氏のお芝居を完全に説明することはできません。これは私が見た一面のお話です。本当はもっと色々なお話も含まれていると思います。)
河原には石が転がっています。石を売ったり水を売ったりして暮してる人たちがいます。国の軍隊がやってきてそこに一本の線をひきました。その一本の線が国境になり民はあちらとこちらに引き裂かれます。別の国がやってきて民に王の力を誇示するため塔を築くことを命じます。国と国は戦い塔は倒され、人々は一本の線に運命を翻弄されます。
一本の線は国境です。幸せで愛らしい王妃は隣国に嫁いだ姉が不幸せに死んだと聞いて復讐の兵をあげます。姉の形見の宝石を王冠に掲げ、戦いの女神となった彼女の顔は鬼のように鏡に映ります。でも姉妹の血の絆のため血迷った王妃は大切な姉のために戦い、愛する夫を失い敵国の王妃を憎みます。王妃は王妃が溺愛している息子を誘惑します。復讐のために。コッキョウという鏡には愛らしかった顔はもううつりません。
ロック(石)な王国の王妃(クイーン)は王に愛され成り上がります。権力を手に入れた王妃は王に愛想をつかし、石である皇太子(コウタ イシ)を王にしようとします。彼女には権力が必要でした。でも皇太子は権力なんていりませんでした。
河原には石がころがっていました。石には感情がありません。石は塔として積まれ争いに崩され武器として投げられます。王女の結婚式に献上された宝石にほのかな恋心を抱きだんだんと感情を覚えます。でも彼は宝石を見捨てて皇太子になることを選びます。人間になりたかったのです。皇太子となった石は敵国の王妃を愛しましたがそれはいつわりでした。石はほんとは愛されていませんでした。石は人間でなく石だったから。
愛らしい王妃は姉が大好きでした。姉のために戦い、幸せな生活を失いました。でも姉は愛らしい王妃を憎んでいました。誰からも愛される妹をずっと憎んでいました。小さい頃ただの石を宝石箱に入れてこれ見よがしに置き、妹がそれを盗むのを待ち、そしてずっと黙っていました。妹がずっと罪悪感を抱えているように。姉は隣国に嫁いでやはり誰からも愛されませんでした。でも死んではいませんでした。ずっと黙っていました。妹が破滅するように。
愛と憎しみのためにたくさんの人が死にました。それは不毛な戦いでしたが河原に住んでいる人にはそんなことは関係ありません。彼らは塔を作るために石を積み続けました。もう自分たちが何のために働いているのか判らなくなっていたけれど積み続けました。壊されないように石に像を掘りました。王妃に裏切られ誰にも愛されなかった石はまた何も言えなくなって神様になりました。河原の人々は神の石像を塔に飾りました。石は高く登って神になりました。また戦がやってきました。彼らは住んでいた河原を捨てることにしました。一度も渡ったことのない川を彼等は超えていきます。石をつれていくと一人が言いました。石の声を聞くことができるのは昔から彼だけでした。
彼らは川を渡っていきます。向こう岸に辿りつけないかもしれません。でも彼らは彼らの意志(イシ)で、凍った川の上に石を転がして、あちらとこちらの境界を渡っていきます。新しい天地に向かって。