おでかけ収穫記 |
RUP「蒲田行進曲」 00.1.29,30 / [NEW!] 00.2.12,13 | RUP 「月晶島綺譚」 99.6.12 |
NODA-MAP番外公演「Right Eye」 98.12.5 | RUP「蒲田行進曲」 99.2.27,28 /3.20,21,27 |
thee michelle gun elephantライブ 「WORLD PHYCHO BLUES」 99.1.19 | The Street Slidersライブ 「This is Real Sliders」 98.12.25 |
戸川純&三柴理 98.12.5 | あがた森魚&ADKINタンゴライブ 98.10.19 |
BLANKEY JET CITYライブ「Romeo's Heart」 98.7.31 | フィリップ・ジャンティ「迷宮」 98.7.22 |
RUP「広島に原爆を落とす日」 98.5.17 | NODA-MAP「ローリングストーン」 98.5.2 |
Right Eye [演劇] |
野田秀樹、吹越満、牧瀬里穂の3人芝居。実際に10年前に右目の視力を失った野田秀樹自身のエピソードを取り入れた作品です。
野田はちょっと牛っぽい柄のぴったりとしたツナギ衣装、吹越は同じくツナギで迷彩柄、牧瀬は白レースのコルセットに赤のレースを胸元に除かせ、白のガードルに赤のガーターで印象的でした。
セットらしいセットはなく、机ひとつがベッドにも机にもなり、キャスターつきの椅子がトランクになり、それを並べただけで飛行機の機内にもなり、赤い一枚の紙がノートにもワープロにも手紙にもなり、カーテンが「遮る」もの全てに使われ、人間の体がジャングルになり川になる「見立て」の趣向は面白かったです。唯一舞台後方に作られた「アイリス」(カメラのシャッターを模した、中央に絞られるように開閉する装置)も「ここ」と「あちら」をわける装置として効果的に使われていました。
また印象的だったのは照明です。オレンジ色の光をあてることにより舞台上の色が見えなくなりモノクロになる。舞台の上で時間をさかのぼり、それが「過去」であることを示すのはなかなか難しいことだと思うのですが、舞台をモノクロに見せてしまうことで「過去」であることを示すという手法はちょっと私にとって衝撃でした。
牧瀬里穂はとても健闘していたと思います。動きなどに未熟さが目立ちはするものの、その毅然とした硬質の印象が演じるキャラクター(担当医やフィアンセを失った女性)に実に良く活かされていたと思います。これは使い方の勝利とも言えるでしょう。やや一本調子の台詞と美しい容貌が舞台の上の「現実」と乖離する効果を出してたりして面白い。また、バレエの基本があるだけあって立ち姿がとても美しいのが印象的でした。吹越満はとても達者な役者さんだなあと思いました。当時「殴る女」に出てたせいかとても痩せてました。でも彼の演技は野田秀樹の芝居の世界とあまりにも近い感じだったのがかえって物足りなくもありました。野田の世界になじみすぎるというか、近すぎるゆえに役者の演技が衝突するヨロコビにちょっと欠けたというか。でもそれを望むのは贅沢というものでしょうか。ともあれ余裕さえ感じられる演技で、カメラマンの切羽つまった野心や良心の葛藤といったシリアスさ、中国人医師などの役のコミカルさを器用に演じわけていました。
番外公演はNODA-MAPの本公演と比べ、少人数、シンプルなセットで、判りやすい、というかベタな(笑)ストーリーを見せてくれます。今回も「Right(正しい) Eye」「Left(残された) Eye」という言葉遊びがあったくらいで、お話の進み方はシンプルだったのですが、3人で、衣装替えも暗転もないままそれぞれが10人近いキャラクターを演じわけ、何もない舞台で間断なく場面も設定も変わっていくという趣向がとてもエキサイティングでした。作家・野田とマネージャー吹越と医師。カメラマン一ノ瀬とゲリラとカンボジアの少年。雑誌のデスクとパパラッチたち。舞台の上で会話をしていて、その会話の途中で突然他の人間に成り代わる。すれ違った瞬間、振り返った瞬間に違うキャラクターとして喋り出し、客は演じられる場所が切り替わったことを知る。その変わり様を見ることはとても快感です。
そして最後に、彼らが複数の役を兼ねることがストーリーに噛んでくることにも感心しました。兼ねた役が別の役の中に浸食してくる効果は面白かったです。雑誌社デスクがかつての部下の足取りを追ってカンボジアに行くことで、彼を兼ねる劇作家・野田は一ノ瀬の人生を追体験し、その道行きは劇作家野田の芝居の劇中劇として終わる。カンボジアへ向かう飛行機の中で芝居の登場人物である一ノ瀬のフィアンセ自身から夜の病院を徘徊していた不安で眠れない女が顔を出し、また現実の人物であった筈の一ノ瀬の姉・女医自由もまた眠れない女であったことが示される。そうやって何役もが錯綜することでそれぞれの役が示した感情も重なってくる劇の構造には、ああやられたなあ、という感じです。
芝居として、見てる側に感情を吐き出させる箇所をきっちりと作り出してくれるのはさすがだと思います。一ノ瀬のフィアンセが彼の遺品のカメラを赤い砂から掘り出して宙に捧げる場面は泣けました。牧瀬の表情や照明とあいまって、とても美しい場面です。
ラストの劇作家・野田の台詞、それでも残された目で現実を見続けていくという宣言、それを本人を題材にしたこの芝居で台詞にするのは狡いといえば狡いや野田さん、って感じもあるのですが(笑)、でも良かったです。彼の芝居に何度も出てくる、勝算のない戦いに向かっていくしかないというモチーフを思わせて感慨深かったです。
あらすじとはとても言えないようなもの(笑)
戦場で死んだ写真家、一ノ瀬をテーマに芝居を書いている途中の劇作家・野田秀樹はフィットネスクラブで突然右目を失明する。シャッターが落ちるように突然に今まで見ていた立体的な世界が失われる。入院した同じ病院を、同じく入院している夏目雅子の姿を撮ろうとするパパラッチがとりまいている。病院での妙な人間模様。眠れない女が廊下を歩き回る。右目を失明することの野田の不安。右目=Right Eye=正しい目はもう失われた。左目=Left Eye=残された目で世の中を見ることしかできない。夜、病室のベッドのカーテンを隔てた隣にはジャングルでもがいている写真家一ノ瀬の気配がする。患者が死ねば隣のベッドは空く。一ノ瀬を書いた芝居のストーリーは野田の担当医・自由の手によっていつのまにか書き加えられている。実在の物語を芝居にすることの不謹慎さ。残り少ない他人の人生の喜びを奪う報道の残酷さ。焼夷弾の光を美しいと感じる不謹慎さ。自らの夢のために戦場で人々の死を撮ること。モラルとは何か。正しい目とは何か。野田の書きかけの芝居に介入してくる担当医自由は一ノ瀬の姉と名乗って消える。一ノ瀬の死を信じないフィアンセは出版社のスタッフと共にカンボジアを訪れ彼の足取りを辿る。彼が死ぬ前に何を見、何を撮ったのか。フィアンセは彼の上司とともに一ノ瀬の足取りを辿り、最期の場所をつきとめ彼のカメラを掘り当てる。…そういう芝居を書き上げた野田は再び病院を訪れるが自由はいない。眠れない女であった自由は死んでいた。命はシャッターのように消える。残された者は残された目で残された夢を見る。カメラマンが戦場で矛盾に苛まれながら、それでもシャッターを切ったように。
WORLD PSYCHO BLUES TOUR [ライブ] |
4000人によるオールスタンディングアクト。昨年12月、会場構造の耐久性を越えた観客の跳躍振動により中止を余儀なくされたライブ(つーかイベントの主旨にあわない会場をブッキングしたのが原因)の振り替え公演。平日でしかも街の中心部からえらく遠い会場だったため、開場どころか開演に間に合うのが精一杯。既に最後尾のブロック以外は閉鎖されていました。ひとつ前のブロックなんか後ろがガラガラなのになぜ閉鎖するのか謎なんですが、相変わらずイベンターのバイトの警備担当にーちゃんに質問しても何も把握していないため使い物にならない(怒)。とりあえず仕切りの鉄柵ぎわをキープ。前の方に行くとステージすら見えないのはあきらかだし、人に揉まれて体力使うのは前回思い知ったのでかえって年寄りには向いた位置だったかも。ここからの眺めはとても不思議な感じでした。吠えるバンドと熱狂する客のうねりをさらに後ろから眺めてる状況。なんだかライブビデオでも見ているような。とは言え、まわりが踊っているのにつられて何曲か跳躍してしまい、後日筋肉痛になったんですけれども。
ミッシェルさんたちは全員モッズスーツで登場。因縁付きの待ち望まれた公演だったし、延期されたおかげでこのライブがツアー最後となったしで、客もミッシェルさんたちもノリが良かったと思います。チバ氏、挨拶のあと「今日は好きにやれ」と一言。言わずとも(笑)前の方はけっこうめちゃめちゃになってました。前回この曲で中止となった「ドッグ・ウエイ」の演奏が終わった時はなんだか感慨深かったです。チバ氏発言その2「なにしろここは「夢メッセ」らしいからな…「メッセ」って何だ?」…知りません(笑)。
音響はめちゃめちゃ悪かったです。こもっちゃっててうわんうわんいってました。もともとライブやるような会場じゃないんで、体育館を借り切って生バンド入れてダンパやってるってぐらいの感じ。だからギターの音がどうとか楽器同士の噛み合わせがどうとかを味わうことはできませんでした。ちょっと残念です。でもそういう主旨のライブだからね(笑)。彼らが(たぶん)狙っていた「巨大なライブハウス」には近い環境だったかもしれません。ここの会場は港の近くの産業展示場で、モーターショーとかナントカ博とかやるところなんです。壁や天井にパイプや鉄骨剥き出しの倉庫テイストで、そして私がよっかかっているのはジョイント剥き出しの鉄柵。「港近くの倉庫で演奏するミッシェルさん」と定義してみるとそのシチュエーションはたいへんツボ。とても彼らに似合っていました。演奏する彼らの影法師が大きく側面両側の壁にうつるというライティングもとても良かった。
でも音響がどうでも、ギターやボーカルのパワーは伝わって来たと思います。とてもチカラを感じました。なんだろう、音楽のチカラ。アグレッシブな。演奏せずには、歌わずにはいられない衝動みたいなもの。私は、特にバンドに関しては、音楽を発しなければいられないような業(ゴウ)といいますか、サガといいますか、そんな力を感じさせてくれる人たちの音が好きです。ミッシェルさんたちを見ていて、音楽を演奏する切実さ、欲求みたいなものをがんがんぶつけられているような気になりました。そんな飢えに、そして飢えを充たすカタルシスに巻き込まれてる気持ちになって、それがとても気持ちが良かったです。音にねじふせられる感じがするんですね。轟音だから、というのではなく、音の組み合わせ、演奏とボーカルの組み合わせ具合に。チバ氏は叫んでいてもどこかにダウナーな色が残る不思議な声をしていますね。(私なぜか時々バービーボーイズのKONTAの声を思い出すことがあるのですが…全然違うのになぜだろう)「愛という憎悪」という陳腐にも思える(失礼)言い回しが、彼の声に乗るとすごく生きてくるのが不思議。
曲は実はあまりよく把握してなくてここに書けないんですが…。「HI!CHINA!」のスピードと迫力がとてもカッコ良かった。とても好きな曲「Get up Lucy」(歌詞も大好きなんです)をはじめて生で聞いた時も涙ぐみそうになったんですが、2度目のアンコールで「世界の終わり」をやってくれた時は、マジに泣きそうになりました。この時の照明がまた、ステージの奥から白い強い光の筋が客席へと放射されて、ミッシェルさんたちの逆光の人影だけが見えるんですよ。ちょっと私、それズルいよ反則だよ、と思っちゃった(笑)。ちきしょーヤラれたって感じ。とてもキレイな曲なんです。基本的にミッシェルさんの曲は、綺麗なチカラが綺麗じゃないものの中に潜んでいる感じが多いんですが(激しく独断)、この曲は純粋にキレイなチカラでど真ん中を突いてくるような曲で(同じく独断)、それを白い光背負ってやられた日にゃ(笑)。私、この曲をちゃんと聴いたことはあまりなかったんですけど、とても印象に残りました。
この後、Tシャツに着替えたミッシェルさんたちはトリプルアンコールで「シスコ」ともう一曲(すいません曲名がわからない)も披露してくれて、ピックやスティックやTシャツを客席に投げて、「また会おう」と言って去って行きました。彼らも気持ち良かっただろうか?そうだったらいいな。
音楽そのものよりも音の力を見せられたようなライブで、その力は彼らの演奏の力だけではなくて、客のパワーでもあって、客を煽動する彼らのパワーでもあって、なんだか新鮮な感じでした。帰りのシャトルバスに揺られながら、私はすっかり疲れていて、でもいい気分なのでした。
This is Real Sliders - 15 to 16 - [ライブ] |
街はクリスマス。今年最後のライブです。ちょっと時間的に厳しくて、ぜえはあ言いながらギリギリに会場についたんですが、席がまた何やらすごくて。左側(蘭丸側)なんですが、私は生まれてはじめて隣がホールの壁、という席につきました。端です。めちゃめちゃ端。しかしすばらしいことに前から4列目の近さ。でも会場にライトがあたっても私の席付近は暗い(笑)。なかなか面白かったですよ。必然的に左スピーカーのまん前で、音的にはもう何が何やら。耳じゃなくて体に直接音が、というより衝撃が来るんですよ。低周波で内臓粉砕されそうつーかギターにディストーションかけられた日にゃ脳天突き抜けそうっつーか。始まった瞬間、胃潰瘍で十日前まで入院してた連れは「私具合悪くなったら出るね…」と呟いてるし(笑)。でも人間の体ってのはうまく状況に慣れていくもんで、私も連れも結局何事もなくライブを楽しむことができました。
客は意外と若い女性が多かったです。スライダーズって、シブ系のバンドって感じになってるんですかねぇ。みんな結構おとなしいです。10年位前ライブにはじめて行った時には、演奏始まってるのにホールの後ろの扉脇で座り込んでたむろってるガラ悪そうな集団がいたりしたもんですが、最近はそんなこともないですし。
衣装。ハリー:ワインレッドのベロアのテーラードジャケット、中は白のシャツ、黒のスリムジーンズにワークブーツ、イヤリング。なんかやせてた気がする。
蘭丸:黒のサテンみたいな光るロングジャケット(左右の裾の長さがアシンメトリーなやつ)に黒のシャツ、首に赤のスカーフ(…。しかもエルメスか何かみたいな柄だしさ)、紅色のてろてろしたベロア?コーデュロイ?のパンツ、靴も赤(革の型押し?)、イヤリング、指輪、オレンジのサングラス(これは似合ってた)、髪型はねぎぼーずのよう…。
ジェームス:オレンジのタータンチェックの…南アメリカの民族衣装?…毛布?って感じの上着。フードつき。下はジーンズ。黒のバンダナ、サングラス。
ズズ:形は牧師の正装、みたいなたらたらして長い上着。ただし金色に近い黄色のサテン製。サングラスなし、オールバック。見るたびに恰幅がよろしくなっていらっしゃる…。カタギに見えない度No.1。
出てきた瞬間からハリーさん機嫌がよくて、額に手をかざして客席を眺め渡すポーズ。ハリーも蘭丸も演奏中何度も客席を指さしてました。私らの後ろの席の野郎4人がえらく大暴れだったもんで、蘭丸さんがかなりこっち方向向いてくれました。ありがたいことです(笑)。
曲目は、事前の人気投票の結果を織り込んだ武道館ライブと同じだったようです。詳しくはこちら、オフィシャルページの武道館セットリストをどうぞ(それにしてもオフィシャルページの充実ぶりは感動ですわ)。昔の曲、それも初期の頃の曲が結構多かったです。席のせいかハリーのギターの音が多少聞き取りにくかったんですが、それでもハリーと蘭丸のギターの絡みはそこここで楽しめました。
私がスライダーズのライブの何が好きかって、このギターの絡み具合なんです。今回やってくれた「Dancin' Doll」の間奏部分なんか至福でした。ハリーが腰を落としてラフに弾いててそこに蘭丸のワウワウなギターが加わってくる、その入り方といいギターの音色といい、「そこなの!そうなのそれなのよう!」っていう絶妙のツボをついてくる感じ。音楽に詳しくない私には何がどうツボなのかうまく説明できないんですが、自分がそうあれかし、と思う一点をついたアンサンブルで演奏をしてくれるバンドがこの世に存在するということはなんて幸せなことなんだろう、と思ってしまいます。「PACE MAKER」のギターのディレイ使いにもシビれました。かっこいい…。 あと今回、ズズのドラムはやっぱ凄いんだなあ、とちょっと感動しました。今まであまり気にしてなかったけど(申し訳ない)すっごい圧力のあるキレのいいドラムの音は圧倒的でした。
あと、すっごい久しぶりにジェームズも「Rock On」歌ってくれました。ハリーの「次はジェームズが歌ってくれるぜー」のご紹介つき。この曲、私がはじめてライブに行った10年程前、蘭丸の紹介「ヘーイヘーイ次はジェームズに歌ってもらおうぜえ〜!」というあまりにロックなセリフにパンチをうけた(笑)思い出の曲でもあります。何しろパンチのあまりいまだに台詞覚えてるくらい。
曲と曲の間にハリーと蘭丸がギターを代えることが多くて、その間みんな喋る訳でもなく作業するんですが、拍手も歓声もやんだ沈黙の時間となりまして、そこに「ハリー!」とか「蘭丸!」とか代わる代わるコールがかかる、あの時間は何年たってもなんか気恥ずかしいです(笑)。何年たっても同じだし。今年は「ハリィィィ!」と細い声で鳥のように呼んでる女の子と「蘭丸ぅぅぅぅぅー!(語尾上がる)」とこちらは犬の遠吠えのように呼んでる男性(この人去年も来てたなぁ)が目立ちました。
そしてとにかくハリーさんご機嫌さん!年々機嫌のいい人になってる気もしますが(笑)。途中で「ノッて来たぜ」とか言ってたし。ハリーの機嫌が良ければライブはオールオッケーってもんさ。最後の方の新しめの曲の所では多少喉がつらそうというか、高音がでなかったりしてましたが、でもとてもとても楽しそうでした。レゲエ調の「夜毎悩ましい街で…」は実は今まであまり好きでなかったのですが、今回ハリーが(蘭丸も)あまりにも楽しそうに演奏しているので、なんだかちょっと好きになってしまいそうでした。ステージに近いだけに、ステージ上の演奏を楽しんでる雰囲気が伝わってきて嬉しかった。初期のシブめな曲と最近の趣向色々の曲が多くて、ちょいと地味系の選曲かなとも思いましたが、私の好きな「ANGEL DUSTER」やってくれたからいいや。蘭丸もステージの前の方に出てきてくれたし、ギターのペイントの凹凸状態が判るほど間近で見られて感動でした。
アンコールにも応えてくれました。ハリーさんTシャツ姿…。えっと、彼らは衣装でTシャツとか着ない人たちなので、一昨年のツアーのアンコールでハリーが黒の半袖Tシャツ(ツアーグッズ)姿で出てきた事がファンの間で語りぐさになった程なんです(笑)。しかも今回は真っ赤な半袖Tシャツにどでかい黄色の星マーク。意表をつかれました…。近くの席で「似合わねぇ…」って呟かれてたぞハリー(笑)。そしてアンコール後メンバーが退場して行き(客席に両手をあげて答えて去っていったズズはその存在感といい体格といい(笑)迫力だった…)、いつものように最後までステージに残ったハリーさん、例年ならここでタオルなど回して回して客席に投げ込むフリして客にキャー言わせて結局投げずに持って帰る(笑)ってあたりがお約束なんですが、今回は端ぎりぎりまで前に出てきて客席に向けて盛大にピックを投げ込んでました。わざわざピックを投げるために歩いてくるって!これすごく大事件なんですよ!(笑) どうかしたのかハリー!と怖いくらいのご機嫌具合にビビる私たち。でも私ら気がついてなかったけど、この公演が全国ツアーのオーラスだったんで、そう思えば上機嫌も頷けるというもの、かも。で、ハリーは「いい酒飲んでくれ」と一言言って引っ込んでいったのでした。本日の発言、「こんばんは、ストリートスライダーズでぇす」を含めて4言(笑)。
というわけで、とても幸せでした。いいライブでした。バンドの音を出すヨロコビが客席にまで伝染してた気がします。終わってクリスマスに賑わう街に戻って、思わず連れと一杯ひっかけつつ幸せを反芻する私でございました。いい酒飲んだようハリーさん(笑)。
戸川純&三柴理 [ライブ] |
東京は雨でした。場所を全然調べてこない私とぴあホールマップを持って来たにもかかわらずそれをホテルに置いてきた友人、という「だいたいここらへん?」しか判ってないいーかげんコンビはとりあえず地下鉄の改札を出、地下道の地図に近づくと、そこには地図上の私たちの行く方向を傘で指している女性3人組が。「どーかなぁ?」「とりあえずついてってみる?」とコソコソ会話を交わした末、そのお姉さま方に運命を託し、地上に出てこっそり尾行すること10分弱。彼女たちはお洒落なイタリアンレストランに到着(笑)。…違ったね、と少々途方にくれつつそこらへんを歩いてみたところで横道に看板発見。「あるじゃーん」「らっきー」…こうやって辿りついちゃうから学習しないのだわ私たち(笑)。
会場にはまだ20分程早く、時間をつぶそうと周りを見回すもさすが青山、ファーストフードの店ひとつないのね!ということでそぼ降る雨の中並びました。雨の日の開場待ち行列はけっこうしんどいですね…。お客さんはとても普通な感じ。ヤプーズのライブの時は結構キテレツ系な人がいるもんですが、今回はみんな普通に青山歩いてて違和感ない人たちが多くて意外でした。お子様も少なかったな。年齢層も上ってる感じ。
私より整理番号が早くて先に入場した友人の根性のおかげでテーブル席につきました。前から2列目、ピアノの正面の丸テーブル。ステージと客席の段差は殆どなく、あまりの近さに動揺。…ありがとう友よ。会場内には前に2列の丸テーブル、通路を挟んで丸テーブル3列、前方左脇にソファ3列、あとは立ち見席。開場から開演まで1時間、さらに30分押しだったので、立ち見は結構ツラかったと思います。早い番号のチケットとってくれたのも友人。…ありがとう友よ(涙)。おかげでのんびりと酒飲みながら演奏聞けました。こんなライブもいいもんですね。
第一部
純ちゃんのいでたちは、ビーズとラメがいっぱいついた白のロングドレスにファーつきの上着。アップにした髪に白い羽根、という「歌姫」状態でした。三柴さんはシルクの銀のシャツに黒のパンツ。恰幅良く角刈りで髭面の三柴さん、かなりすごいビジュアルです…。
怒濤の恋愛
どんな曲をやるかの傾向すら知らなかったので、なつかしいこの曲ではじまった時は感動しました。純ちゃんの声は本調子ではないかな?という感じ。
フリートーキング
現代音楽のようなピアノが面白い。純ちゃんの歌は過剰な感情入りで来た来たぁ!ってカンジ。
(MC) 「戸川純と三柴理」だった2人にユニット名がつきました、という話。このユニットのテーマである「行き過ぎな悲劇性」「TOO MUCHなドラマ性」「大げさ」をふまえ(ステキ!(笑))、三柴さんの希望で濁音を入れたその名は「ゴルゴダ」。(←すてきぃ!)綴りは「Gorugotha」になるそうですが、表記はまたこの先考えるとか。
十二階の一番奥
閉じられた部屋と恋と嘘の歌。ピアノのアルペジオが美しい。
クレオパトラ
「俺たちのテーマ・1」うって変わって激しくドラマチックな曲。地を這うようなアルトと血を吐くようなソプラノを交互に使って大仰に歌われる、砂漠と歴史に刻まれる愛。
(MC) 毎回言いますけど「客観的な私」ていうのはありますのでー、と力説する恥ずかしがり屋の純ちゃん(笑)。「こいつ自己陶酔してるー」とか思わないで下さいねー、と。自己陶酔もこういう(歌い手という)商売には必要ではあるけど客観的な自分も必要なんで、…と、毎回言わずにはいられないらしい(笑)。
サンプルA
これは自分が川に身を投げて腐って水に溶けて海に流れついて海で可愛い彼女と遊ぶ彼に呑まれて誰知らず彼の一部になるという幸福な妄想をヒメジョオンの花に語るという歌なんですけども。…要約すると「叶わない恋を花に語る少女の可愛らしい歌」(笑)。私この曲大好きなのでここで聞けるとは!とめっちゃ嬉しかったです。
蛹化の女
この曲は元々「パッヘルベルのカノン」に詞を乗せたものなので、それをピアノアレンジするということは、「カノン」の変奏にもなるわけですね。そこらへんの三柴さんの編曲もとても楽しめました。こっそり後ろで一瞬三拍子になってたり。純ちゃんは原曲のアルバムより幾分子供っぽい感じで歌ってて、それもまた良し。
君の代
「美しい日本と私」な曲。ピアノがまるで合唱曲の伴奏のようなテイストで巧みで美しいです。
第二部
15分程の休憩の後始まりました。純ちゃん衣装替えです。白のブラウスにネクタイ、紺のカーディガンにチェックのミニプリーツスカート、紺のハイソックスの「なんちゃって女子高生」。ただしスカートはケイタ・マルヤマ、ソックスはラルフローレンかと思わせといてヴィヴィアン、通学カバンかなーと思わせといてBETTY'S BLUE。カバンにつけたミッフィーちゃんはホンモノ。
蘇州夜曲
実にオーソドックスに歌われる昭和初期の名曲。この短い休憩の間に声の調子をすごく回復させていてすごいなーと思いました。
プリシラ(I've never been to me)
純ちゃんいわく「あまりにもオーソドックスなアメリカのポップスであるため、このユニットで演奏するのはかえって前衛で実験的」な曲(笑)。結婚式のBGMとかにも使われてるポピュラーな曲に、ちょっとひねった歌詞を載せてます。平凡な人生を送ってきた私にできるのは豪華でドラマティックな人生を想像することだけだったのよ、みんな私の劇的な人生の話を聞いて!という歌。
愛の嵐
映画「愛の嵐」の挿入歌を原詞で。
カサブランカムーン
ヨーロッパつながり、とのことなんですが、これも映画の曲かな?英語詞です。
(MC) お洋服とマスコットのミッフィーちゃんの説明(笑)。ほんとは「Dの食卓2」制作発表でもらったローラ人形をつけてこようと思ったけど部屋が阪神大震災の後のような荒れぶりで埋もれているので(…)ミッフィーちゃん使用。ちなみに制作発表の場で飯野さんはピアノを披露していたとかで、「今出来ている画像も見せてもらったんですが単に飯野さんピアノが弾きたかったのかもしれない…」とは純ちゃん談(笑)。
吹けば飛ぶよな男だが
これもだいぶ昔の邦画のテーマソングなんですが。純ちゃんが「非日常」な世界を表現しようと思った年頃の「大志を抱け、そしてKEEP」のココロザシの表明である曲。途中で心臓の音のSEが被ってドキドキします。
ロメオとジュリエット
「俺たちのテーマ・3くらい」ピアノに乗せて純ちゃんの語り入り。一生懸命歌詞をみながら歌ってました。
恋のコリーダ
「俺たちのテーマ・1か2を争う曲」純ちゃんの声もだいぶ枯れてきましたが、「煩悩の船で業の海を行く」この曲にはそれも良いかも。三柴さんの演奏もバクハツ!
アンコール
降誕節(あらののはてに)
いつもアンコールをもらうので今回は用意してきました、と、時節とユニット名「ゴルゴダ」にもマッチした、クリスマス賛美歌。10年位前にこの曲をやっぱりコンサートで聞いた私はなんかすごく懐かしくて嬉しかったです。
再びアンコール
既に終演後のSEが流れていたんですが、客の拍手は止まず、再び2人は出てきてくれました。
「劇的な空間」を目指す「ゴルゴダ」ってことで、「リハしてないんスけど」「間違えると思うんですけど」といいつつFAXでとりよせた歌詞を片手に歌ってくれました。
肉屋のように
これがもう圧巻!!純ちゃんの歌も三柴さんのピアノも!これ原曲がバンドの音なんですが、ピアノアレンジが原曲の雰囲気を壊さず新たな魅力を加えて怒濤のような美しさ。途中純ちゃんの語り(というか叫び)もその部分のピアノソロ部分もすごい迫力で、本当にすばらしい出来でした。聴きながら私涙が出てきちゃって、泣きながら聞いてました(←怪しい女…)。曲が終わった時に「おおおー!!」というどよめきが。「この曲だけのために4700円(チケット代)出すぅ!」と私大騒ぎ(笑)。ほんとにほんとにこの曲聞けたことを幸せに思います。
ああ来て良かった!と思いました。この演奏の場にいられたことを本当に嬉しく思いました。来る前はどういう感じのライブなのか全然知らなかったんですが、こんなに昔からの曲をやってくれるとは思わなくて、知っている曲をピアノアレンジという新たな形で聞けたのはとても嬉しかった。例の事件後、歌い手の純ちゃんを見るのは初めてだったので(芝居の中で歌うシーンは見ましたが)、歌い手として復活した姿をこの目で確かめることができたのも嬉しかったです。そしてこのユニットの「過剰なドラマ性」というコンセプトは、純ちゃんの音楽の中で私がとても好きな部分でして、好きな曲が沢山選ばれていてとても嬉しかったです。私のツボ直撃ユニットって感じで幸せでしたー。
一人芝居をずっとやっているせいか純ちゃんの声はけっこう枯れぎみだったんですが、そんな時にどうやってちゃんとした歌声を出すか、という唱法のテクニックというものがあるんだなーというのが判って感心しました。三柴さんのピアノはもちろんテクニックもすごいのですが、とても自在な感じを受けました。クラシック、ジャズ、ロックと色々な傾向を違和感なく弾き分けていて痛快な気持ちよさがありました。
お店の雰囲気もとても良かったです。終演後、三柴さんが店内でお知り合いとお話してましたが、何も言えずにその前を通り過ぎる内気な私たちでありました(笑)。
そして私たちは高揚した気分のまま近くの居酒屋で酒をくらい、ライブの幸福をしみじみと反芻し語りあったのでした。…そしてウオークマンのイヤホンを分けあって中居くんのラジオ番組を聞いたりもした(←大バカ野郎)。そのまっ最中に料理を運んできたお店のお姉さん(とても美人だった。さすが青山(意味不明))、怪しい客でごめんなさい。ってそれは余計な話(笑)。この後舞い上がって喋りたおした私たちは地下鉄の終電を逃し、タクシーを探してさまよい、さらにホテルの場所を見失ってさまようことに。でもテンション上がってる上に酒が入ってて私らご機嫌さ!(しょーがねぇな…)
とにかくとにかく幸せなライブでした。次の公演は7月。また行きたい!
あがた森魚&ADKINタンゴライブ [ライブ] |
たまたま立ち寄った中古CD屋に貼ってあったポスターで直前に知ったライブ、あまり曲も知らないし、と迷ったのですが開催場所が近所だったこともあって行ってきました。会場は普通の小さなイタリアンレストラン、普段ピアノ演奏タイムがあるのでグランドピアノが置いてある店です。一階に十数席あるテーブルは既に埋まっていて、二階席の端っこから吹き抜けのステージを見ることになり、あがた氏およびバンドの皆様の頭頂部を観賞させて頂きました(笑)。
この二階席、真後の事務室が控え室になっており、開演前に私のいたテーブルでタバコふかしてた女性が開演してみたらピアノの席に座っててびっくり(笑)。そしてインストゥルメンタルのナンバーの間はあがた氏ご本人が二階に上がってきて数m脇でステージを見てらっしゃったんでちょっとドキドキしました。ちなみにワイシャツとネクタイ姿でした。
さてステージですが、楽器はバンドネオン(タンゴに使うアコーディオン、と言って良いのかな)、ベース、ピアノ、そしてボーカル。東京ではヴァイオリンも入ったそうですが、仙台では小さな店でのライブということでこの構成。
私は生でバンドネオンの演奏をはじめて聞いたのですが、その音の迫力はとても印象的でした。聞いていると自分の中の情動が揺り動かされるような気がする音で、情念的な部分を刺激されることの気持ち良さがありますね。音なのか演奏の技法になのか、とても感情を衝かれる音でした。それにあがた氏の、タンゴというよりシャンソンの唱法に近いような「語り」性を感じるボーカルが乗ることで、また違った味が生まれて興味深かったです。歌に諧謔味があるというか、感情のつっ走った先でその自分の感情を揶揄するような、不思議に屈折した味がありました。ピアノがちょっとしっくりしなかったのは残念。とにかくバンドネオンの演奏テクニックが圧倒的であったのと、あと私がタンゴをよく知らないので常道の姿がよく判らないせいかもしれませんが。
そして曲の合間のMCのあがた氏の喋りは実にシャイな感じで、喋ってるうちに喋りの行く先が定まらず迷走してどこまで行くんだろう?という風なほのぼのトークでした(個人的に私の伯父と喋り方も言葉使いもそっくりだったんで大変驚いた)。来る前にこんな感じのお客さんでこんな感じのステキな時間を過ごすんだろうな…と思っていた通りに大体進んでおりますが、とか言ってて不思議な感じ。その日の午前中まで編集をやっていたという映画の話(「恐るべき子供たち」をテーマにインラインスケートに興じる少年少女の話だそうな。)とか、タンゴとの出会いの話、ブエノスアイレスという街の話とか、色々話してくれました。精神的に参っている時に、森林浴のようにゆったりとそれを癒すこともできるだろうけど、自分にとってタンゴという音楽の持つアグレッシブさがそれを癒してくれる、というお話は印象的でした。
「バンドネオンと豹」や「乙女の儚夢」の中の曲、おまけに松田聖子の「風立ちぬ」タンゴアレンジなども聞かせてくれて、アットホームでほのぼのと楽しいライブでございました。