[名古屋公演の感想] [東京公演の感想]
RUP 脚本・演出/つかこうへい 00.1.29 19:00/1.30 14:00 名古屋アートピアホール
※あまり冷静な感想書けてません。ご容赦下さい。
セットのほとんどない舞台は初演と変わらず。基本的に構成も大筋は変わらずマイナーチェンジという感じ。
去年のオープニングの「Ruby」の小夏の殺陣がとても好きだったのでちょっと残念でしたが今年のオープニングの「仮面舞踏会」とその趣向は、舞台最初に銀ちゃんと小夏というスターさんカップルのラブラブ具合、そしてそれを見ているだけのヤス(花束持ってきたけど渡せないの)、という構図をきちんと見せていていい感じでした。役者登場時に監督さんの口上があるのも良かった。変なシーンで拍手がおきるより、拍手する場を作ってくれるのは大変親切なことです(笑)。だけど監督役の鈴木氏の声質があまり通らないので何を言ってるかよく判らないのは惜しい。名古屋の会場は小さいし見やすくてとても良かったのですが、それでも声ふりしぼって台詞言いまくる舞台なだけに、台詞が聞き取れないともったいない気持ちになります。こればっかりは持って生まれたものもあるので難しいですね。張りのある声質で、この人に台詞が渡ると安心するのが錦織、春田、武田などの各氏。小西さんも細いのによく通るいい声をしていて、さらに去年より発声がしっかりしていた印象がありました。横山・武智といったJACの人気スターに見せ場&客席へ見栄を切るシーンをわざわざ設けているのもとても親切な感じで、この芝居はこうやってイキのいい役者を見せる舞台でもあるんだなーとちょっとわくわく。
ジャニーズどうこうのシーンや、小夏の長ーい反撃などお遊びシーンが多く入って、私がバランスあまりよくないなーと思った初演より、さらにバランスが崩れている気もしますがどうなんでしょう? はじめて見る人にとっては物語を受け取りにくいってことはないのかなあ。個人的には小夏反撃シーンはとても好きなシーンではあるのですけど。でもつか氏はバランスよりは勢いをとる人なのでしょうね、きっと。
メインとして語られる、銀ちゃん・ヤス・小夏の関係について、初演よりも強く語られている気がしました。なおさらそこに強くスポットが当たっているというか。銀ちゃんと小夏のシーン減ってたりするのに、なぜそう思うのか自分でも不明なんですけど。ヤスの銀ちゃんへの思い入れもなぜか初演より伝わってきた感じ。3人ともが去年より骨太に感じられました。お話の大筋は変わっていない、役者も変わっていないのに役の人物を違って感じる、泣ける場所が違ってくる、私はあまりそういう体験をしたことがなかったので、ああお芝居って面白いんだなあ、本当に生き物なんだなあと感慨深かったです。
銀ちゃんは去年より強くカッコ良く感じられました。私は去年の銀ちゃんの「君だけに」のシーンの淋しさにひどく泣かされたのですが、今年はなぜか私の中でその淋しさに焦点をあわせることができませんでした。銀ちゃんは淋しさすら見えないぐらい気まぐれで調子のいいヤツでした。去年の銀ちゃんは、「ほんとはいいヤツ」の匂いがちょっと余計に感じられることがあったのですが、今年の銀ちゃんは、その「ほんとはいいヤツ」の上に色んなフェイクな性質をいい具合に堆積させていて、いろんな側面を持った強くて残酷でカッコいいスターさんでした。そして、銀ちゃんという役そのものに対しても、より過酷な運命が与えられてた感じ。ほんとは淋しい人で優しい人で、という判りやすい美談を去年よりも封じられてる感じ。小夏との別れの「お母さん」という切ない台詞がとても好きだったので、なくなっていてちょっと残念。個人的に裸エプロンのとこのしつこい「してたじゃん」がお気に入りです。
小夏は初演よりたくましくなっているように思えました。傷心を大部屋連中に慰められるお嬢さんでもなく、冒頭でひとりセットの奥にひっそり腰掛けている大人の小夏。初演では「逃げませんか」という敬語だった台詞が「逃げないでよ?」に変わっていたところも、そこで思わず逃れようともがくヤスを引き戻すところも印象的でしたし、ヤスにさんざん蹴られなぶられたあとのお茶目な大反撃も増えていましたし。小西さんはとても良くなっていたと思います。去年は独り語りのところの一本調子が気になったりしたのですが、今年はそういうこともなかったし。
「これは雪ではないんですよ」のシーンはとても良かったです。初演以上に泣けました。刑事役の武田さんもすごい良かったですし。
ヤスは…私が一番びっくりしたのはヤスでした。去年と違うヤスがそこにいたからです。同じく小夏に対するのでも、去年のヤスは、自分で制御できない無自覚な愛情と憎悪をほとばしらせていていたように思いますが、今年のヤスは自分が何をしているか知っている、そして自分の歪んだ根性を知りながらそうせずにはいられない人間に見えました。もちろんそちらの方向に加えられたシーンもあるのですが(と私は思った。盗聴器のくだりとか)、全く同じ台詞を喋っている部分でさえ初演とは違う人間に見えた、そのことがとても印象的でした。(ここらへんの詳しい感想は別のページで書こうと思っています)だけど違う人間が演じられていても、草なぎ氏にはそれを技量で演じ分けているような感じがしない、どうも不思議な役者だなあと思います。
階段落ちの前に銀ちゃんに「大丈夫だ俺がついてる」と言ってくれ、という台詞が増えていたのが好きでした。この台詞はヤスが銀ちゃんに心酔するきっかけの台詞でもあり、小夏がヤスに言ってくれという台詞でもある、それらの感情がよみがえる気持ちよさと同時に、ヤスがあのシーンでなんだか天上の人、無償の愛の人になっちまわないで、最後に銀ちゃんに助けをもとめる人間なんだ、そういう人間でいたいんだって感じで。
そしてまた彼らに限らず、アンサンブルも含めた板の上の役者みんながじつに誠実にそれぞれの役を果たしていて、見終わってのアンコールで役者がずらりと舞台に並んだ時、この舞台を演じた全ての人が愛しくなってしまう、そんな感じの舞台でした。物語の主題とも絡んでくるのかもしれないですが。春田さん、清家さんの真摯なバイプレーヤーぶりは実にカッコいいです。(春田さんの姉上コート略奪攻撃もかなり好きです)舞台の上にいる人がすごく熱を持ってる感じがするんですよね。
さてところで。
私実は1/29に初めて今バージョンの舞台を見た夜の布団の中で、「つかがわからない〜」と呻きつつぐるぐるのたうちまわっておりました。
再演にあたっていくつかのシーンや台詞が追加され、または削られているわけですが、それが何のために増えたのか削られたのかまた残されたのか、その意図が判らない。つか氏が何を舞台で役者に言わせようとするか、その取捨選択の基準が判らない。(いや判る部分も確かにあるんですが)
例えば、携帯電話のシーン。彼に憧れて命預けてる筈の大部屋にあからさまに罵倒される銀ちゃん。
例えば、小夏との別れ。復縁を迫ってきたはずなのに「戻ろうか?」と口走る小夏をなだめてしまう銀ちゃん。(この「戻ろうか?」にもちょっと違和感ありました。その後の伏線になる必要な台詞なのでしょうが)
銀ちゃんがどういう人であるのか、大部屋の皆との関係がどんな具合であるのか、銀ちゃんと小夏の間の感情はどういう風に流れてどういう決着がついたのか。初演から改変された部分によって、それらは明確になるどころかますます混沌をきわめ、銀ちゃんの人物像はますます揺れていくように思われたのです。
今もって判らないのが「俺や剛みたいに」とデニーズ事務所(笑)に言及するシーンです。だってヤスも大部屋じゃん。つか氏がジャニーズに何か思うところを発見したとして、なんでその台詞をあえてこの芝居の中、舞台の上で言わせる必要があるのか。舞台の台詞として選ぶ必要があるのか。あの台詞を言う錦織氏ってのはかなりしんどいもんがあると思うんですが、そういう心理SMショーみたいなの(失礼)をなんで芝居の一部として選ぶんだろう?
そしてますます判らないのは、そうやって銀ちゃん像の描写が一貫していないように思えるにも関わらず、結果的に銀ちゃんは、去年よりも魅力的なスターさんに見えるということなのですね。…なんだか狸に化かされたみたいでね(笑)。
話はいったん飛びますが、私が舞台を見ることに興味を持ったのは野田秀樹の芝居に触れたのがきっかけです。思えばそれ以来、私が芝居というもののどこに惹かれてきたのかと言えば、芝居を通して物語が構築されていくのを見るカタルシスや、見ている側の感情を収束させるべきところで意図的に収束させる技法の美しさを味わえるところ、だったような気がします。ああこの線はこの線に繋がっていたのか、これはこの構造の鍵だったのか、とその「構築」の技術に舌を巻くよろこび。
しかしつか芝居には私が今まで体験してきたその芝居の見方が全く通用しない。つか氏は物語を「構築」したり、彼の中にある話のつながりを、客に対して親切に一般化したり解題したりしようという気がないように思えるのです。
美しく築かれることも、平らかに理解されることも意図しない芝居。
舞台の外にあるはずのものまで悪食にも呑み込んで、手を加えるほどぐるぐると混迷し、正体不明な澱をあえて残したままの、噛み砕ききれない部分が舌の上に残る芝居。
それなのに私は心のどこかを掴まれて泣かされてしまっている訳で、それは私にとってずいぶんと不思議な体験でした。人間の感情というものを、物語というもののために加工しきらずに目の前に出す方法もあるのだと知った時の戸惑いとでも申しましょうか。自分の理解できない世界律を持つものに触れるということは、とてもエキサイティングなことです。初演の時はそんなにも思わなかったこの点が、今回とても印象深かったことでした。
昼間の舞台を見終わり、4時間電車を乗り継いで地元に戻り、駅から一歩外に出た私はいつのまにか鼻歌で「仮面舞踏会」を歌っておりました(去年は「君だけに」だったのですがね)。そして、活気溢れる舞台を幸せに思い返しておりました。いざ感想を書こうとすると全然まとまりませんでしたが、要するに…そんな感じです(笑)。
RUP 脚本・演出/つかこうへい 00.2.12/13 青山劇場
※冷静に書くことはあきらめました(笑)。
青山劇場の舞台は広いな、と思いました。小顔で目鼻も小作りな小西嬢にはハンディだなとはじめて思いました。舞台の人気役者さんって顔濃い人多いなあと思ってたんですが、なるほどそういうことか、とか考えたりして。
名古屋から二週間、色々変更点もありまして。春田さんの初登場衣装がリボンの騎士仕様になってたのには驚きました。もう見まがいようもないリボンの騎士、「とっこうたい」とアップリケしたマントつき。ステキすぎます。壊れてますか?と思うほどテンションも高くて素晴らしかったです。あのおバカな登場とラストシーンのシブさ、同一人物とは思えないぐらいの芝居をきっちりこなしてるのがとてもいい。
あと変わったと言えば、ヤスの忠臣蔵シーンがなくなってて、ヤスのテングシーンとして気に入ってた私はちょっと残念。でもその代わりに大部屋の先輩1人出てくるシーンになった所のヤスの台詞「お前はもうぶったたかれて五百円、けっ飛ばされて八百円の大部屋のヤスさんの女房なんだよ、悔しいか?」はとても好きです。
13日から、階段落ちの後の台詞が変わっていました。階段の上の銀ちゃんに呼ばれ「そうだ、俺はオヤジになるんだ…」とふらりと立ち上がっていたところです。私が聞き取れた限りだと、「俺の愛する女のもとへ、俺の愛する小夏のもとへ、部屋のあかりをつけて待っていてくれるんだから」。起きかけてまた崩れ、床に頭をつけたまま立ち上がれない。そして半身起きあがって「銀ちゃんのアップ撮れましたかー!」に続きます。
…正直言うと、変わる前の方が好きです。銀ちゃんとヤスのシーンなんだから、そこで小夏への気持ちを蘇らせなくてもわかってるよ、ストイックでいいよ、とか思っちゃった。ちょっと「銀ちゃんのアップ」の台詞のインパクトが薄れる。
でもこれはこれでアリだろうな、とも思います。この再演のヤスに、私は個人的に「恋知るヤス」という名前をつけていて(勝手につけるな)、小夏への愛情を自覚するヤス、と位置づけているので、その物語の帰結点をここにする意味は充分にあるのだろうなとは思います。
両日ともとてもいい舞台でした。特に小西さんが大熱演で、何となく小西さんには汗をかかないイメージがあったんですが、汗ダラダラ流して演技してたのが印象的でした。台詞にすごく感情入ってて、激するあまり涙声になってるとこも多くて。(「翼の折れたエンジェル」が、途中で涙声になって歌えなくなってたりしましたが、あれは演出なのかどうかな?) そして、彼女の感情の放出に、見ている私の感情が引きずられていく感じがあるんです。引きずられて泣かされている、そんな感じ。うまく言えないんですが、その台詞そのものだけに、でなく、役者の、技量としての台詞の言い方に、でなく、台詞を言ってる役者の、その熱情に泣かされる。そんな感覚。「ここはキネマの天地ですもの」の台詞なんてもう。うわあ引きずられたあ、という感じで、とても嬉しかったです。あとヤスに蹴られるシーンの最後の方の、4連発で蹴られる、「殺さないで」という台詞のところ。ここもすごく良かった。
名古屋で見た時より、さらに小夏は強い女になっていました。ヤスに逆ギレするところでも、変なうなり声あげて「ヤスさーん好き好き〜」と騙しモード(笑)に入ってたし(12日夜からか?)。初演ではピュアな小娘な感じが多くあったのですが、かなりしたたかになっていて面白いです。「何がわかるの、あんたたちゴミに」とかのところも迫力あったし。「私は幸せになりたいんだから」とヤスをつかまえるのも、なんていうのか、かわいそうな女の子ってだけじゃない感じがいい。
…その割には「私がしっかりしなくちゃいけないしね」とかのシーンには少女・小夏の気配も変に残ってたりして、不思議っちゃ不思議な感じなんですけど。つか氏ってキャラクターの統一とかあまり興味ない人なのかもしれないなあ。芝居のあっちこっちに、昔は意味を持っていたけどまわりの変化につれて意味をもたなくなってしまったモノ、がそのままひきずられてくっついてる感じがする芝居なんですよね。トマソン物件豊富。
とにかく小夏…というか小西さん、とりつかれたように剽軽度が増してて、冒頭で春田さんがお客さんのコート強奪して「やっぱりバレンタインは情熱の赤!情熱!情熱!情熱!」とか言ってるところも(「こ、これは何色!何色なの!?」ってのもあったけど(笑))、なんかものすごい勢いがあるんですよ。それでいて泣かせるシーンの時は客席をまきこむように感情が放出されてくる。もう絶好調ですね。
ところで小夏の逆襲シーン、私とても好きなんですよね。バカで可愛くて。客観的に見るとあまりにも長すぎる…普通に演劇見に来る人は一体これに耐えられるのかと心配になるほど長すぎるんですけど。あんなに蹴りまくってたのに騙しモード入られるとひとたまりもないヤスも可愛くて。
「ヤスさ〜ん」「犬じゃねーんだから」「かわいいー」「うるせえ」「い〜つ〜も゛〜は〜な゛〜つ〜い〜て〜く〜れ〜る〜の〜に゛ぃ〜」とかね。ヤスの股間狙うとこで「おめー助走つけてんじゃねーよ!」「つけねーとさわれねーんだよ!」とかね。あ、ここで股間を攻撃されてその場でとんとん跳躍する、というヤスの動きも入ってました。これも好き(笑)。「何だよその動きは」「なんで目ぇつぶって飛んでんだよ」とか言われてるしね。「ヤッスッさーんっ、ご一緒にー、ヤッスッさーん、いい感じぃー」のところも可愛いねえ。…いやストーリーにはあまり関係ないんですけどさ…。
そして、銀ちゃん。
こちらも、名古屋で見たときよりも錦織氏に迫力が増していて驚きました。特に冷たい言葉を吐くところ。小夏に死ねと言い捨てるところや大部屋に出身大学を問うてお前らがスターになることなんてあるのかと罵るところ。とても冷酷で傲慢で他人を切って捨てるような鋭さで、前に見た印象よりも格段にカッコ良かったです。階段落ちをやめて欲しいと土下座する優しい銀ちゃんとの振幅が激しくて良かった。
階段落ち直前のシーン、名古屋ではヤスから「握手下さい」と言っていたのが、銀ちゃんから「握手くれ」と、ヤスの手をとるシーンに変わっていました。12日夜は席が割と前の方だったので表情がよく見えたのですが、「宝にするよ」とヤスを見た時の瞳! 銀ちゃんカッコいい!とついていってしまいそうになるような(笑)、ちょっと震えが来るような眼の表情をしてました。それから「大丈夫だ、俺がついてる!」と言い放つところ。見事なスターさんでした。良かったです。
ヤス。
小西さんと錦織氏の変化が激しかったのに気をとられてか、あまり変わった印象なし。安定してます。昼公演でも力を惜しまない叫びぶりには感心。前半の「銀ちゃん大好き」度がアップして感じられました。とても嬉しそうに銀ちゃんに絡まりついてます。
銀ちゃんに電話するシーンはとても良かった。特に近距離で見られた12日が印象的だったのですが、「俺怖いんです」という台詞の感情の入りぶりがすごかったです。泣きそうな声もですが、興奮でか力が入ってか、組んだ指をわなわな震わせながら叫んでいる様子はとてもインパクトがありました。
それから、階段落ちの前に銀ちゃんをわざと怒らせるところ。銀ちゃんの怒りが募っていくにつれ、それを見るヤスがだんだんと微笑みを浮かべていき、最後には、愛しくて仕方ないというような表情で銀ちゃんを見ている、その表情の変化がとても好きでした。
あらためて良いなーと思ったのが刑事役の武田さん。出番も台詞も増えず減らずアドリブもない堅実な役まわりなのですが、色々なシーンの呼び水役としてとても確かな存在で。小夏との雪のシーンもそうですし、「映画スター倉岡銀四郎なぜ泣く!」の台詞の唐突さを強引に持っていく力業が好きです。台詞でねじふせることのできる、いい声をしてる。
それから今回とても印象的だったのが照明です。名古屋では多分なかったと思うのですが、ミラーボールが使われてて、冒頭で「仮面舞踏会」のシーンにとても映えてました。特に12日は私はほぼ中央の席で見ることができたのでまともに効果をくらった感じで、うわあ!とワクワクしました。すごく綺麗でした。ほんとに「仮面舞踏会」良かったです。スターさんの世界なんですよ。赤と緑の華やかな照明にミラーボールの光、それを浴びて歌い踊る銀ちゃんと小夏。キネマの天地。そして後で佇んでいるヤスは、照明にまぎれてしまいそうにぼうっと立って、スポットを浴びる2人を見ているんです。ここの構図はとても良かったです。
それから照明で印象的だったのがもう一つ、「君だけに」で立ち回りする銀ちゃん、ここでも赤と緑の華やかな照明が使われるのですが、頭上で敵の刀を止めながら立ち膝ついて結婚式の口上を述べる瞬間には、まっ白いスポットが四方からぱあっと当たるんです。これはカッコ良かったですねー。名古屋ではあまりこのシーンで涙腺に来なかったのですが、ふたたびこのシーンで泣けてくるようになってしまいました。あと「土佐の竜」のキメのあとでチョン、と拍子木が入るのは前からでしたっけ?これも良かった。
ただ初演は最初から刀を使っていた立ち回りのシーン、今回は前半が拳法での殺陣になっているのですが、後ろの席から見るとやっぱり刀使った方が派手さがあって華々しくていいですね。前の方で見るとそんなに差は感じないんですけど。(関係ないけどこのシーンって、銀ちゃんとしてもそうですが、これだけ立ち回って台詞を言って、しかも歌まで歌ってみせる錦織氏に感銘を受けてしまったりしますね(笑))
照明の話に戻りますが、この立ち回りが終わって銀ちゃんが若山先生と中村屋に土下座するシーン、今までの華やかな照明がぱっとやんで、映画撮影中のスターな雰囲気から、青緑とクリーム色の照明に変わるんですが、ここの照明の色が、私の気のせいかもしれないですがとてもミリタリーな感じになって、舞台の上の埃とかが照らされて見えたりして、リアルな世界に戻ると同時に「男の戦場」っぽい雰囲気になるんです。ここもとても印象的でした。
さて、シリーズ・つか芝居と格闘する私(笑)。今回、やや発見がありました。
去年の公演の感想に、私はこう書きました。
「役者が役柄の上でのリアルな台詞を交わしていて、それがふいに抽象的な物言いへと昇華していく、その飛躍の意味を説明しない。作者以外には判らないその経緯を納得させてくれない。」
これは例えば、小夏とヤスがマコト云々の台詞のシーンで突然「人が生きることの意味を」「人が生きることの意味を」「人が愛することの意味を」「人が愛することの意味を/僕はいつも考えているんだ」と唱和しはじめるところなどを指していたんですが。
私は今回見て、この舞台の上には、役者だけではなくてつか氏がいるんだと思いました。そして、つか氏が役者に取り憑いて言っている「つか氏の独白台詞」があるのだと思いました。ストーリーとは直接関係のないつか氏の自我を役者が背負わされるということ。そして、仕方ねえな舞台の上につか氏が出てくるのも認めてやるか(超偉そう)と思いました。そう思うことにしました。(同時に恐ろしいことに、今まで見た芝居の中にもストーリーに関係ない作家兼演出家の思いを馳せる系の台詞があったことに気付いてしまいました。そしてそれは、作家がさらに役者も兼ねていたためにその違和感に気付かなかったのだ。まったく作家兼演出家ってえのは自意識過剰です(笑)。当たり前だけどさ)
私がどうも腑に落ちない、銀ちゃんの「俺やツヨシみたいに小学二年生ぐらいから〜」という台詞、あれも舞台で言っているのは銀ちゃんですが、きっとつか氏の台詞なのだと思います。だから仕方がないんだよきっと、と思いつつ、再演の舞台に、ジャニーズネタがとても多いところは、正直言って私はあまり好きではありません。つか氏ジャニーズへの興味表明しすぎ。(と言うか、錦織氏に惚れこんじゃった感じがする) 確かにジャニーズやJACの構造は、「蒲田行進曲」のスターと大部屋という構造に、とても親和性のあるところですけどもね(笑)。
で、その「スターと大部屋」の物語を頭に叩き込まれるせいもあってか、幕切れで全員揃って蒲田ダンスを踊られると、ことのほか感動してしまうのです。もちろんそれは、この芝居の中で、それぞれの役者がそれぞれの役を、全力で演じているのを見せてもらえるからこその感慨なのですが。ずるいや、と思うぐらいの達成感があります。というより、すっかり乗せられてしまってます私、って感じですかね。毎回泣いてるしな…。
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