[東京公演後の追記部分へ]
RUP 脚本・演出/つかこうへい 99.2.27 19:00/2.28 14:00 大阪近鉄劇場
あらすじ
撮影所のスター俳優銀ちゃんと、彼を慕う大部屋俳優のヤス、ヤスの恋人小夏。新しい女ができた銀ちゃんからヤスは妊娠5ヶ月の小夏をおしつけられる。ヤスは銀ちゃんのために新鮮組の映画の見せ場、危険な「階段落ち」を演じることになる。ヤスと小夏は一緒に暮しはじめ、愛情のようなものが芽生えるが、銀ちゃんは小夏を取り戻そうとする。小夏は銀ちゃんに思いを残しながらも思い切ろうとするが、ヤスは小夏を銀ちゃんに従わせようとする。階段落ちが近づき、銀ちゃんはヤスに遠慮しはじめ、ヤスはその不安と嫉妬と階段落ちのプレッシャーを、妊娠の経過の思わしくない小夏にぶつけ、暴力をふるいひどく罵るようになる。そして階段落ちの日がやってきた…。
セットはほとんどなし。舞台後方をゆるい階段状にしつらえた位のシンプルな舞台。衣裳もシンプル。ヤスに至っては通しでトレーナーとワークパンツの稽古着です。場面の転換が激しく、暗転なしに時制や場所がスライドし交錯するこの芝居に合った趣向かと思います。
私ははじめてつか演出の芝居を見るので少し構えていました。今まで彼の影響を受けたと思われる演出をいくつか見て、作中でキャストが曲を歌ったり下ネタギャグが出てきたりするベタな演出に苦手意識があったのです。でも今回実際見てみて、予想していたより演出が抑え目で洗練されているのにちょっと驚きました。音楽についても、メインの俳優が2人で話している後ろに静かに音楽が流れている感じも良かったし、また、劇中でキャストが歌を歌う場面を納得して見たのははじめてでした。計3回程あるのですが、どれもきちんと芝居の流れのひとつになっていて、同じ「歌を歌わせる」演出でもこんな趣味のいいやり方があるんだというのが判って嬉しかったです。
ストーリーとは関係なく仕込まれている小ネタ、脇役陣一同によるダンスはどこも訓練されていて良かったです。枝葉の趣向が入るとき、きちんとしたレベルで見せてくれるのは嬉しいものです。特にラグビー部一同とひそかに混ざっている若山先生にはヤラれました。ステキです。
ストーリーもシンプルで、メイン3人の感情の行き来が芝居の主な要素だったかと思います。私は以前の舞台を知らず、映画や原作としか比較できないのですが、ほぼ動いていないのは銀ちゃんのキャラクターだけで、ヤスと小夏のキャラクターはかなり違っていて、ドロドロした部分の少ないキャラクターに変わっていました。ヤスの抑圧の根元も彼の中にある感じがしますし、だから内側と外側の摩擦の要素が減って構造はシンプルになり印象はキレイになり、淀んだ濃さも減り、代りにに美しいどうしようもなさが加わっている、そんな感じ。つか氏の芝居は稽古中にどんどん台詞が変わっていくそうですが、それはおそらく演じている役者の個性にインスパイアされてた要素を加えていくのでしょう。つか氏インタビューによると「青春ラブストーリー」であるらしい今回の舞台、演じられたキャラクターがつか氏の、それぞれの役者に対する解釈が入った結果と思うと興味深いです。
ヤス役の草なぎ剛の芝居には不思議な印象を受けました。彼の立ち振る舞いには「演技」を思わせるところが少なく、ヤスという人間がそこで立ち動いているような感じがしました。後半の長丁場、小夏をなじり、ふと日常に戻りまた罵倒し、またふいと素直な気持ちを口にする感情の移り変わりのシーンで、そこに観客に見せ付けるようなけれん味や下世話な屈折が感じられず、ただヤスの中で純粋にそれぞれの感情が交互に立ちあらわれて来ているかのように感じられたのは非常に興味深いことでした。またこのシーンの長い会話の、ブレイクを含めた緩急のリズムは気持ち良かったです。問題は発声で、テンションの低い会話の台詞が聞き取りにくく、そのためシーンを意味不明にしている部分すらあったのは残念。
小夏役の小西真奈美もまた別の意味で不思議な存在でした。正直言って台詞、特に平坦な台詞の部分にはまだまだ未熟さが感じられるのですが、感情をいれた台詞は良く、また表現としての体の動きが実に良いのが印象的でした。冒頭で「RUBY」を歌いながらの殺陣は良かったです。ただ彼女の魅力である無垢な印象によって(特に銀ちゃんとの関係において)小夏というキャラクターをやや判りにくくしていたかもしれません。未完成ながらも魅力を感じさせる女優さんです。ヤスに、気にするな、俺がついてると言ってくれと頼むシーンは泣けました。
対して銀ちゃん役の錦織一清は実に舞台的な安定した演技で、彼に台詞が行くと安心感があります。演技のせいか脚本のせいか、銀ちゃんの破天荒なイメージにはやや欠けた感がありました。もっと派手な悪趣味さ、理不尽な感じがあっても良かったかもしれません。動きが実に良かったです。歌いながら台詞を挟みながらの殺陣はとてもとても魅力的で見惚れました。そしてこれまた切なくて泣けました。(余談ですが27日夜、私は通路から2番目の席にいたのですが、まさにその真横の通路で銀ちゃんは「君だけに」を歌いはじめ、私は大変動揺し(笑)、そして後に行く銀ちゃんと舞台上の小夏のどっちを見れば良いのか判らなくなって大変なことでした。あーびっくりした…。)
この3人をメインにしてサブ数人、あとはその他大勢といった感じの役の割り振りは成功していたと思います。やや発声に難のあるキャストも見受けられましたが、全体的に力に欠ける俳優が出過ぎてバランスを壊すことなく、それぞれが任に合った使われ方で活かされていた感じで気持ちのいいバランスでした。この図式になんとなく今回の演目の「スターさんと大部屋」の構図を重ねて見てしまったりしました。考えすぎかもしれません。
若山先生役の清家利一、刑事役の武田義晴が存在感もあり安定して良かったです。その他大勢の中で、岩崎雄一、山本哲也が少ない登場シーンの中でポイントをついたこなしで好感が持てました。
ストーリーのバランスがあまり良くなかった印象はあります。後半の山場、ヤスが小夏をいたぶるシーンの異様な長さは一体何を示すのか。そのシーンを泣きながら見ている私ではあったのですが、シーン自体は収束しきらない感じがありました。感情を解放させるポイントがなかったというか。あの時間を費やすのだったら、他に入れるシーンがあるのでは、と思ってしまいます。台本にはあったけどカットされていた結婚式の二次会のシーンとか。全体的に銀ちゃんに関するシーンがもっと欲しかった気がします。銀ちゃんの魅力や立場、大部屋の皆やヤスとの関係を示すような。お芝居の中での銀ちゃんの位置がちょっと希薄な感じがするのですね。ヤスの台詞の中で彼の中の銀ちゃんは語られてはいるのですが、小夏と銀ちゃんのシーンは2人の関係性をそれなりに伝えるのに比べ、ヤスと銀ちゃんを並べた時にその関係性がやや弱く感じられます。これは私がこの物語を予備知識として知っている「銀ちゃんとヤスと小夏の物語」として事前にイメージしているせいもあるのかな。
一番疑問だったのが、やはりヤスと小夏のシーン、ヤスの兄の子のマコトに関する台詞の多さです。なぜあの量が必要なのかいまだに判りません。 特に、そのシメが翼持つ天使とか光の戦士とかのポエムなとこに着地する意味が全然判りません。芝居の中での必然性を感じないので必然性はつか氏にあるのか?それは何?障害児であるマコトへの言及は例えば「広島に原爆を〜」の土人のビアンカに対するのと同じような意味を持ってるのか?それともヤス自身に重ねればいいのか?そうだとしたらあそこまでキレイな言葉で昇華されるのは好みじゃないなあ…いやそもそも考えすぎなのか私?等々、芝居途中でふと我に返ってしまったのでした…。
ヤスと小夏の長丁場は色々考えさせられるシーンでもありました。ヤスの屈折した感情から矛盾する台詞が放たれるのですが、それがどういう気持ちから来るのかは説明されず解釈は観客に任される。ヤスの表現する態度ひとつひとつは実にオーソドックスなものであるだけに、その組み合わせから何を受け取るのかは見る側の度量にまかされている、それはとても贅沢で、考えてみるとちょっと怖い気がします。
ヤスの混乱した感情。銀ちゃんが何より好きで、でも小夏が好きになったことで銀ちゃんに嫉妬して憎んでしまう。その感情が受け入れられない。今まで銀ちゃんが全てだったのに小夏を好きになったことで世界がゆらぎはじめ混乱し、自分の中で折り合いがつけられない。世界を壊させた小夏が憎い。小夏が好き。でも小夏との間に銀ちゃんを見ない訳にいかない。階段落ちは近づく。ガンガン来ない銀ちゃんがもどかしい。
このシーンを、私は構成的に長すぎると思っています。しかしそれと同時に、長く見ていたいシーンでもあったのでした。ヤスによって示される感情の混乱を見ていることに快感がありました。沸き上がるようにでなく、ダラダラ泣きました。なんでしょうね。28日昼、前半でやや抑え気味かと思われた草なぎですが、いつのまにかテンションを上げてきてこのシーンにふさわしい昂ぶりに辿り着く、その様子もなんだか良かったです。
なにがなんでもハッピーエンドにするラスト、写真を撮る趣向でポーズを止める銀ちゃん・ヤス・小夏のシーンも良かったです。続く全員のダンスで楽しく終わる大団円が、この舞台が木戸銭を払って楽しむ娯楽であることを示しているようで面白かった。みんなカッコ良かったし。
面白い芝居を見せてもらいました。長々と書いた通り、話のバランスに私の好みでない要素を感じながら、でもそれを上演している舞台の上の居ずまいはとても快く、役者それぞれの演技を、示される感情を、気持ちいい形で受けることができました。いい舞台でした。
この芝居はジャニーズアイドルが2人主演するということで、客層に大変不安があったのですが、その不安通り(笑)、実にアイドル芝居の客らしい客で面食らいました。それぞれの登場シーンや見せ場の後の退場シーンで拍手が起こるというのをはじめて見ていたたまれず、以前SMAPのメンバーが主演した芝居ではそんなことなかったのになあ…と思いかえしてみて、今まで見たうち少なくとも2つは、彼らがはじめて登場するシーンとして「拍手が起こるべき」場面を設定していたことに気付いてどんよりしたり(でも少なくとも今回に比べたら「演劇の客」だったと思う)。執拗なカーテンコール、スタンディングオベーションがあたりまえという雰囲気、コンサートのような歓声に打ちのめされ(上述した「ひっかかるシーン」の何倍もこっちの方がひっかかっていた)、27日夜は芝居が終わってからもったいないもったいない、彼らが登場するだけであんなに喜ぶ客だけの前で上演するのは実にもったいない、とじとじとつぶやいていたりした私だったんですが、数時間したら上に書いたような「木戸銭払う娯楽」という考えがこちらの方にもふつふつ沸いてきて、別にスターさんを見に来てもいいんじゃん?そういう娯楽なんじゃん?という気持ちになって、とても楽になりました。…でもカーテンコールの熱狂はやっぱり慣れませんでした。東京ではどうなるんでしょう。具合によっては自分がアンコール途中で逃亡しそうで怖いです(笑)。
RUP 脚本・演出/つかこうへい 99.3.20,21,27 シアターコクーン
約三週間を経て見た公演、まず言うべきことは銀ちゃんの変化でしょう。前回やや物足りなさを感じないでもなかった錦織一清の銀ちゃん役の造形ですが、今回見ていて、彼の子供のような横暴さ、残酷さ、それを納得させる勢い、そうした印象が増していて、キャラクター間のバランスが良くなっていたように思われましたし、とりわけ、そういった部分が銀ちゃんの淋しさの部分をより際だたせていたようにも思えて、彼の見せ場である殺陣のシーンはとても印象的でした。泣けました。とても好きなシーンです。
メインの他の2人も安定して良かったです。相変わらず不思議な感触の芝居をする小西真奈美の演技はゆるぎなく安定していて驚きます。草なぎ剛は台詞の間合いがやや走るようになっていたのが残念でしたが、舞台が進むにつれて確実にボルテージを上げてきての熱演はやはり圧巻です。特に27日は何かが降りてきたような感情の入りぶりで圧倒されました。(彼の演技については他ページで語りまくってるのでこのへんにします(笑))
他の役者さんの噛み合い具合も相変わらず気持ちよく、大変心地良い掛け合いを見せてもらいました。20日に間近で見る事が出来た岩崎雄一の芝居は良かったです。また横山一敏の殺陣が目を引く鮮やかさで印象的でした。
私が見た短い間にもシーンがつけ加えられ台詞が削られ足されています。特に3/21から27の間の終演近い一週間のあいだにも変更が加えられているのには驚きました。27日夜になってクライマックスで銀ちゃんを照らすライトの色が変わったのにもたいそう驚きました(そして私はその日の昼まで使われていた赤より夜に使われた白いライティングの方が好きです)。上演している間にも流動している舞台、不定形であり続ける舞台にちょっと恐ろしい気持ちにもなりました。そしてその変更によって芝居のストーリーが綺麗に刈り込まれていくわけではないのです。こういうタイプの芝居を見たことがなかったので(そもそも同じ芝居をこんなに何度も見たことがない)とても驚きました。メインキャストの関係性に関わるシーンの追加もありましたし、ヤスと小夏のシーンで今まで左右にのみ動いていた2人に舞台奥と手前の前後の動きを入れたのはとても面白いと思いましたが、勢いのあるシーンをどんどん延ばして、ストーリー構築のバランスはかえって悪くなったりしているのです。しかし舞台上の勢いはどんどん増していき、見ている私はその役者たちの勢いに呑み込まれてしまう。これは私にとってとても新鮮な体験でした。私は今まで、納得しきれない作劇の芝居で(やっぱりまだ納得していないらしい)、舞台上の勢いに押し切られた経験がなかったからです。
この芝居は見る者に不親切なタイプの芝居だと思います。それは欠点ではなく、特徴として。役者が役柄の上でのリアルな台詞を交わしていて、それがふいに抽象的な物言いへと昇華していく、その飛躍の意味を説明しない。作者以外には判らないその経緯を納得させてくれない。考えようとすると舞台の勢いに押されて失速する。判らないまま呑み込まれて次に進むしかない。見終わると何か判らないものが自分の中に未消化で沈殿しているという。貴重な体験をさせてもらいました。ちなみに千秋楽を終えて私はずっと、ああ何か生まれたのかなどうなのかなあ、ということを考えていました。何かを生みたかった人たちのお話を見たような気がして。つかこうへいがそんなことを考えさせたかったのかどうかはよく判らないですが(笑)。
何度も同じようなことを書きますが、舞台に出ている役者全員が、それぞれの役割をきちんと果たし、そして愛しているように感じられた芝居だったのはとても気持ち良いことでした。誰ひとり役に対して力不足と思える人がおらず、それぞれがそれぞれの役割をきっちりと気持ち良い程に良く果たしていたのは、何度見ても快感でした。いい舞台でした。つかこうへいに対して一番感嘆したのは実はこのことでした。恐るべしです(笑)。おかげでこの芝居自体、それを演じた役者さんたちを、何かのチームでもあるように好きになることができて嬉しかったです。幸せな体験でした。
さて私が心配していた客席の熱狂ぶりですが…多分これでもいいんだきっと、という気にだんだんなってしまいました(笑)。見た中で一度だけヤスと小夏の長丁場の後に拍手が起こらなかった回があって、やっぱり拍手が起こらない方がいいなあ気持ちがそがれなくて、とは思いましたが。でも千秋楽のお祭りのような大騒ぎもなかなか面白かったです。カーテンコールのさなかに銀テープが発射されたくらいですしね(びっくりだ!)。