カサブランカ 1994.11.12
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外出。眼鏡のつるが外れていたので、ホテルが面している通りを少し歩いた先に眼鏡店に入る。日本の眼鏡店と変わらない。ガラスのショーウィンドウに眼鏡のフレームが置いてある。壊れた自分のを見せると、眼鏡をもって裏返したりして見ていたが、椅子に座らせられて、待つことほどなくして、奥から出てきて、「接着剤で付けました。かけて構いませんが、1時間はこのままにして動かさないように」と言われた。修理代は10DHだった。
ジュラバのオーダーメイドの店を見つける。オレンジ色に、刺繍を施してある見本が店頭のショーウィンドウに飾ってある。そのような身なりをした人も通りを歩いている。なぜか今風でお洒落に見える。背広も売っているのではあるが、目抜き通りのブランド物で、日本円にして7000円くらい。
ブックフェアーにて
幕張メッセなどで開かれる見本市と同じように、各出版社ごとにブースが分かれている。入り口で館内案内パンフレットを見つけて、端から順繰りに見て行く。アドニスの詩集、コーランやイスラム法学のハードカバーの本などを、一つ一つ見て行く。ところで、日本大使館はどこだろう? それは、入ってまっすぐ行った途中の、右手。Sさんを見つけて、挨拶をする。Sさんは真面目に黒めのスーツである。日本語教師の方と、一緒に食事をする。支払って頂くのは少々恐れ多い。その後、会場の外に出て、ひなたぼっこをしながらよもやま話をする。といっても、特に話すことなど何もないようなので、旅行中に買い込んだ缶詰を差し上げると、黒ビニールの袋の中を覗き込んで、確認しておられた。お粗末なものなんですけど。押し付けてあげてしまったようで、少々気が咎める。タルダントの話をすると、べつに街中を見て回ればよかったのに、と言われる。しかし。たぶんフィフティ・フィフティが最良なのだろう。Sさんにも、日本語教師の方にも、モロッコの人に対するのと同じように。多分彼らのほうが専門家なのだから、熟知しているのだろう。
ムアッラカートという詩集を見つけた。他にも、掘り出し物がある。しかし、値段より重さと相談しないと持ち帰ることができない。船便で送る、というのもあるけれど、その当時は入手が数ヶ月遅れるのがいやだった。
帰りは大使館の車でホテル・ハイアットの前の広場まで送っていただいてしまった。Sさんも日本語教師の方も、手を振ってさよならをする。正直、降りるところを見られたくないのだけれど。
広場の前の土産物屋で、ウードを買う交渉をした。数軒並んでいる店の楽器を一つ一つ見てまわる。こういう風に弾くんだよ、と少し弾いてみせる店員さんもいたが、音の深みが薄いのが気になる。結局一番端の最初の店に戻って、釣り下げられているうちの一つを下ろしてもらい、響板を弾いて、いいな、と思う音色が聞こえたのが顔に出たのか、それを売りつけられてしまった。ホテルに帰って、椅子にぐるぐると紐で縛り付けて外れないようにしておく。
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