マラケシュ 1994.11.5
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朝、ジーパンを干してしまったので、スパッツに着流しのブラウスで歩き回ることにする。どうもそのほうが街にとけ込みやすいようなのである。特におなかの線は出してはいけないらしい。価値観がまるっきり転倒しているのであるが、そのうち慣れてしまった。
地図を見ていて、新市街のなかに、イヴ・サンローランの庭園が一般公開されているのをみつけた。中に美術館もある、という。そこで、だいたいの位置を覚えておいて、その方角へ碁盤目状の通りをずんずん進んでいく。しかし、この辺で道も左右に伸びる三叉路に差しかかるし、行く手には木々が見えていて、おそらく庭園の壁らしきところにいるはずなのだが、肝心の入り口が見当たらない。途方にくれていると、目の先に、数人の観光客らしき人達に指差して方角を教えている少年がとまる。もしかするとそっちの脇道を入れば見つかるのか?近づいていくと、少年はこっちですよ、と私にも教えてくれる。ついうれしくなって、5DH硬貨を取り出して渡すと、「ありがとう」と言う。受け取ったその手は煤で真っ黒になっている。握手をしようとすると、そうじゃなくて、と腕の上のほうを差し出す。なんか申し訳ないのだけれど、かたちだけの握手。でも、入り口がみつかったのは本当にうれしかったのだから、いいや。
庭園の門のそばには水盤が据えられていて、中央から噴水がとろとろと吹き出していた。しばらく眺めてから奥へ行く。いろいろな熱帯の樹が植えられている。地面からはじけているヤシやサボテンのようなもの、鮮やかな彩りの花々。丈の高い木が、一見無造作に葉を伸ばしている。竹も生えている。歩行路が間を縫って縦横に巡らされている。池があるが、水面は緑色に曇り、吹き流しの模様を浮かべている。じっと目を凝らすと、赤い金魚が泳いでいる。庭園の端まで来てしまったらしく、外がかすかに見える。戻って別の小道を進む。目がさめるような真っ青に塗られた角柱と大きな壷が緑の葉陰と赤茶色の小道に映えている。そこは美術館にもなっていた。中へ入ると、ジュラバを身につけた係員の人が切符を扱っている。展示されていたのは、各種の工芸品、置物、家具、美術品、絵画などなど。どれもかなりの値がしそうな凝った造りである。宝石をちりばめた装飾具なども奥の部屋には陳列してあった。こういうところまで入らないといわゆる想像していた通りのイスラム工芸品は見当たらないのだろうか、とふと思った。でも、これ、コレクションだもの。焼き物も展示されている。書いてある説明書きをみると、タムグルートで作られたものである。土色の、簡素な土器。先ほどの係員の人がやってきたので、いつのものか、とか少し話を聞く。ここではアラビア語。係員の人は喜んでしまい、部屋の中に寝そべっている、どうやらもっと上のひとらしき人にも話し掛けていた。寝そべっている人が「スティシュラーク?」とたずねる。はい、それはそうなんですけど、方角が違うんです。係員の人には、また来ることがあったら、ぜひおいで下さいね、と言われる。お世辞かも知れないけれど、通じるのはうれしいので、いつかもう一度行ってみたい、と思う。
お昼はもちろん、町中の雑貨売店でみつけたスニッカーズ、である。葉書をPTT(郵便電話局)に投函しに行くと、公衆電話のところで、「お父さんに無事を連絡して」と言って、テレフォンカードを売りつけに来る人がいる。もう昨日買ってしまったので、断ったが、それにしてもなぜお母さんではなくお父さん?
マラケシュの街は、造りが複雑で、ややこしい。特に、旧市街のメディナ内は、地図とか方向感覚があってもお手上げである。バーヒヤ宮殿は、旧市街の最南端にある。大通りのバスも通れそうな道、雑貨屋などが面している辺りをぐるっと回っていくと、入り口がある。係りの人に待たせられて、言語を告げる。とりあえず無難に、英語。しばらく待って人数が集まると、数名ごとにガイドさんが一人、ついて案内する。赤茶色のジュラバを着たガイドの方で、非常に流暢な英語を話す。話す内容をまるごと暗記しているのかもしれない。
次はダール・シディー・サイード美術館に行くことにした。手元の地図を見て歩いていても、よく分からない。道端の青年をつかまえて聞くと、「こっちの方だよ」と教えてくれる。「一緒に行ってあげようか」と言ってくれる人もいたが、だいたいあとでもめるような気がするので、それは遠慮する。見当をつけた方へ歩いていくと、壁に「美術館はこちら」という札が貼ってある。そのとおりに交叉路を曲がって螺旋状に進んで行くと、三叉路のところでおじさんが座っている。「美術館はこっちだよ」と言ってその方向を指差す。「とってくったりしないから」と言って笑う。しかし、美術館から出てくると、さきほどのおじさんが、「...絨毯見て行かない?」と半分照れ笑いしながらも、また話し掛けてくる。やっぱりぃ。こちらも笑って逃げる。
マラケシュの旧市街の中心部にあるという、ベン・ユースフ・メデルサというところに行ってみたかったのであるが、どうしても道がわからない。そこで、北のくちから入って遠回りをして歩いて行くことにした。ザーウィヤにたどり着いてしまったらしい。壁に書いてある言葉を読み上げてみると、周りにいた子供たちが復唱して騒ぐ。建立の記念らしい。本当にここでよかったのか、よく分からないが、新市街に帰ることにした。
夜、旧市街のジャマー・エル・フナー広場を歩き回っていると、話がある、といってくる人がいた。住所を教えてほしい、というので、手紙でも出すの?と聞くと、「君のお父さんに結婚を申し込みたいんだ」と言う。で、なんでお父さんなわけ?すると、「ここに来る日本人はどうしてメイクラヴをしないの?」と聞いてくる。感染がこわい、というと納得しない様子なので、社会的な慣習が...と言いかけてとんでもない方向に話が飛んでいってしまう。すると、「冗談だよ〜」と言って周りにいた人達と一緒に去っていった。
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