ワルザザート−ザゴラ 1994.10.30
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ワルザザートからザゴラまでは、バスでも数時間かかる。一台しか通れないような砂利道を進むので車酔いになりかける。揺れるので気分がわるくなりそうだ。バスから降りると、欧米人らしき旅行者が固まって話していて、私も招き寄せてくれた。彼らは慣れていて、しつこく話しかけてくる他のガイドには見向きもしない。女三人で相部屋を取ることにして、宿に向かう。一人は旅行会社に勤めているオーストラリアの人で、もう一人はアメリカ国籍のレバノンの人である。他にはオランダ人の男女がいた。夕ご飯は近くの軽食堂に出かけ、他の旅行者達と一緒に食事を取る。戻ってくると、宿の一階の食堂に降りて、地元のガイドの人達も含めてパーティーのように大騒ぎをしている。宿の一階はホールとバルコニーを兼ねたような空間になっていて、テーブルと椅子もおいてあって、ツアーの取り決めをしたりしている。壁には、周辺地域の大まかなルートと集落を壁画にしたものが飾られている。アメリカ人の彼女が、これから2〜3ヶ月かけて東へと旅を続けていくという話をすると、宿の他の人達はしっかり気を付けてね、といった風に応援するような様子を見せていた。彼女とは、「私は少しなまりがあるから」と言われはしたものの、アラビア語がかなり通じる。むしろ英語よりなんとかなった。オーストラリア人の彼女は、砂漠に出るツアーを探しているとのことで、私がタムグルートに歩いて行くつもりだと言うと、ここのホテルの増築工事の設計・監理をしている建築士の人が外に連れ出して、タムグルートまでの道のりを説明してくれた。手持ちのガイドブックと、その建築士の描いてもらった地図との整合性がとれなくて、ドロア河を渡ってからどの道を行けばいいか何度もしつこく聞き直したのでうんざりさせてしまった。夜も更けてきたので部屋に戻る。二人は英語で意気投合しているが、私にはテンポが速くてついていけない。とにかく、二人とも機関銃のように喋り、寝台の上で飛び跳ねてはしゃぎまわり、冗談を言い合ってからかいあって笑い、窓の外を眺めている。私は黙って荷物の片づけをしたり、座ったりしながら聞いていた。体調が良くなかった。部屋をシェアするのはちょい疲れる、などとそのときの日記には書いてある。二人とも、次の日の朝早くティンフーへ出発していった。
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