エルラシディア 1997.11.28

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暗闇をひた走るバスの窓からは外が見えない。アトラス山脈を越えるのだから、眺めがいいだろうに、ちょっともったいない。中は、けっこう暗い。座席も古いもので、黒いカーテンが窓に引いてある。夜中、途中の係留所に停車して、休憩があった。ごくふつうのカフェである。灯りがともっている。数十分経過後、人数を確認して、再び発車する。バスは朝5時にエルラシディアの停留所に到着した。ぞろぞろと降りる。そのままステーション内の腰掛けを見つけて、日が昇るまで待つ。どこも開いてないんだもの。駅には寝転がっている人が多い。そのうち、日本人(見て分かる)を見つけて、カフェに移って話をした。奥さんが療養中なのでエルラシディアからさらに南のところに滞在しているという。「ここの太陽光線は皮膚にいいんですよ」はぁ。そうですか。と思いつつ聞いている。夜が明けて別れると、駅の外に出た。大通りに面した広場に接していて、売店がある。そこでミネラルウォーターをとりあえず1リットル買う。まず最初に。ぶらぶらと少し歩き回ると、碁盤目のような区画になっている。家の壁がどれも赤い。しかし通りを歩いている分にはあまり異国という感じがしない。大通りから住宅街に入り込んだところで宿を取る。部屋の鍵の掛けかたが違うので、戸惑って呼びに行ったりしたが、結局そのままでいいことが分かった。宿泊客は他にあまりいないようで、侘びしい。部屋で朝食を食べる。ビスケットの包装を解いてさくさくとほおばる。一休みしてから外出。

広場に出ると、花模様の大きな布の固まりがひらひらと飛ぶように歩いていく。膝まで覆う上着を着込んでいたのに気付いてなんとなくほっとする。周囲に他の女の人はいない。広場の隅をよくみると、家畜の糞のような黄色いものがたまっている。踏まないように気をつけて歩く。広場の並びの新聞・雑誌を売っている店のある辺りには、蝿がわんわんと飛び交っている。もしかしてスカーフその他は蝿避けだろうか?確かにそれなら苦にならない。向かい側に雑貨屋があったので、はしごをかけてもらって、ちり紙を買い込む。中央市場は熱を避けてコンクリートの屋根のついた、正方形の回廊を取り巻いて、八百屋、肉屋などが並んでいる。ひんやりと涼しい。長さ30cmくらいありそうな瓜を買い込み、部屋に戻ってナイフで剥いてお昼に食べる。ぜんぜん砥いでないので、むきづらい。昼寝をする。外から正午の朗誦が聞こえてきた。厳粛というより、かなり陽気な調子で明るい。

さてさて、街の探索。川でもないのに四角く段々に掘ってあって、橋がかかっているところにさしかかる。眼下には樹木が枝を広げ、ヤギか何かの黒い家畜を放し飼いにしている人が見える。橋の歩行者用通路を渡りながら下を見る。このころになると、もう大体話し掛けくる口調まで似たような言い方が多いので、耳にこびりついてしまう。"Si Vous Voulez..." 「もしよろしければお茶を飲みませんか」非常に丁寧な言い方なのだけれども...?あ、そうか、橋を越えた先にホテルが一軒あったな、一人では行こうと思っていたが、そういうことなら遠慮する。大通り沿いの壁に五つ壁画が描かれていた。写真に撮ろうと思ってカメラを構えると、その周りから両手を振ってその前に飛び出して来て泳いでいるのが数名。撮られるのをいやがるどころか!できるだけ人が写らないように見計らってシャッターを押す。橋を渡りきってみたが、特に面白そうなものもないので、再び元の方向に戻ってきて、手前の断崖沿いの道を歩いていく。比較的広く、対向車線もついているが、車両は通らない。道は次第にカーブを描いて左手に曲がっていく。この辺に来ると面白半分に後をついてくる人はいなくなる。断崖からそれて町中の通りになっている。数十分ほど歩いて行くと、道の右手にモスクがあった。逆光でまぶしい。民家と同じ煉瓦色の造りで、装飾タイルのない簡素な外観を呈している。モスクの手前には草の生えた広場がある。そこも通り過ぎてさらに歩いて行くと、道なりに左に曲がって行って、三叉路を大きい方、大きい方と選んで進んでいくと、広い大通りに出た。ガソリンスタンドがある。通りの向かい側には鉄柵が張り巡らしてあり、開けた門から、オレンジ色、もといカーキ色の同じような制服を着た人達がわらわらとあふれ出てきた。ここって...駐屯地ではないの。通りを渡ると、ホテルがあったので、そこに入り込んで、食堂のカウンターに行き、お姉さんに飲み物を注文しようとすると、何がいいかきかれた。後ろの棚にはファンタとか清涼飲料水のきついのしか置いていない。諦めてミントティーを頼む。ガラスコップに葉が縁まで入ってその葉もところどころ虫食いがあったりして、かなり怪しいが、砂糖がたっぷり入っていて、歩き回った疲れを癒してくれる。四つ星ホテルなのに、ここはかなり寂れている。大通りに戻って、たぶんこっち側だろうと見当をつけた方向へと歩いていくと、元のバス駅広場にたどり着いた。広場から出発して、ぐるっと回って元の処へ戻ってきたのである。区画は碁盤目なのに。ささやかな環状道路になっているらしい。つくづく変な街、と思う。

もう一度橋を渡る。その先の左手に脇道があって、案内板にレジャー施設とかなんとか書いてある。歩いていくと、サッカーコートに出た。丁度試合もたけなわで、喚声が飛び交い、やいやいとはやし立てている。観客がかべになっていて、背伸びしてもよく見えない。ゲームが終了するまで隅に寄りかかって眺めていることにする。

広場に戻ってくると、大通りに面したカフェテラスのテーブルに座っていた二人組の片方が、「おーい!そこの人、手紙書いてくれない?」と言ってきた。手紙?ふむふむ、英文で書いてほしいと。手紙なら書式もあるだろうし、それはあまりよくわからない、と言って、側の椅子を見つけて座ってそういうと、これこれこういう内容を書き送りたいので適当に文章を考案してほしいという。言われた通りに書き記すならできるけど、何を書きたいのかはっきりしていないとね、と言うと、椅子から後ろにのけぞって「アッラーフ!アクバル!」と叫ぶ。あらららら。そんなに危急の事態なのでしょうか。アメリカで働くためのビザもその場で一生懸命書いている。あとで聞き直すと、社会学を勉強するので留学する、という話に変わった。オックスフォードの博物館で知り合いが教授(アラビア語)をしているらしい。もらったという名刺を見せてくれる。南の砂漠地帯にいて、出張してきている遊牧のお兄さんである。トゥアレグではない。紙にエルラシディア近郊の街道ルートをかいて、砂漠に宿があるから、そこに来年は行ってね、そのときはこういう風にすると安くあがるから、という。来年なんて行かないんだけどなぁ、と思いつつもしっかり聞いている。あなたは親切だから、と言いながら、広場をちょっと横切ったところにある、その人の兄弟氏の経営する土産物屋に連れて行かれる。中へ入ると、品物がところ狭しとならべてある。ミントティーを出してきてくれて、もてなしを受ける。床に小さ目の敷物を幾つか広げて、この模様がこのような意味を表す、と一つ一つ指して説明してくれる。キリームと呼ばれるのがベルベルの織る本物の敷物で、ラクダの毛と絹の手作りだそうである。青はコーラル(?)の鉱石、赤はサフラン、黄色は不明、黒はクフルで染める。フェズの市場に出すのはこれ、模様もいいかげん、糸もすぐ切れるからといって見せてくれる。ベルベルの女性達は結婚したいと思うと敷物を織るのだそうだ、と書いたメモが日記に残っている。本人は営業用の青いマントを着込み、客が来ると応対していた。しかしながら、興味を示すと即座に店員と買い物客の立場に豹変してしまいかねないので、なるべく他の品物には視線を合わせないようにする。非常につらい。兄弟氏のほうは不機嫌である。そのうち、「ほら、友達じゃない?」と外を指すのでそちらを見ると、カサブランカで別れたYさんによく似た人が、二人連れで歩いている。Yさんとは28日にエルラシディアに着くことがあれば会いましょう、としてあったので、もしかして、と飛び出して近づいてみると、全然別人だった。困ったな。あなたがたのお好きなようにして下さい、と言うと、しかし二人とも夜中2時のバスで北上するそうで、それまでの暇つぶしに店に入ってしまった。片方の人が茶色のジュラバを着ていたのでいくらか聞いてみると、100DH(=約1200円)だったそうだ。あらららら。土産物屋に戻ると、三人ともに土地固有の衣装を着せて、アラビア語の名前を選んでくれる。お茶を飲みおわった時点で長居はせずに、「食べ物屋に行く」と言って私は出てきてしまった。その後どうなったかは知らないが、二人とも旅慣れているようだから、たぶんなんとかなるだろう。Yさん達には結局会えなかった。



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