フェズ 1994.10.26
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別の宿を探す。ここも比較的立地は良いのだが、ロビーを出しなに、ガイドをしようと言ってくる人がいたりして、かなり危険である。丁度両替をしなくてはならないところだったので、両替所(BMCE)まで案内してもらい、そこで「もう案内はいいから」と言って追い払ってしまう。そこの両替所のカウンターで問い合わせると、次に行く街のエルラシディアに支店があるらしい。このまま別の街に移動するのもものすごくしゃくだったので、昼過ぎに、旧市街へ続く大通りを歩いて行く。途中の書店で、フランス語で書かれたフェズの旧市街の地図を買う。ないよりはまし。入り口は古着や雑貨を売っている店が軒並み続き、どこを通ると道がつながるのかちょっと迷う。「こんにちは」という言葉はたいていの人が知っていて、店の前を通るたびに声がかかってくる。「アラビア語を教えてあげるから、日本語を教えて」と言ってくる店主もいる。「ごめんねー」と言って通り過ぎる。14:00開園だそうで、ブー・ジェルード庭園には入れなかった。帰りにもそこは通らなかった。その辺りはまだ通りの幅も広く、街壁に開いている大扉から一歩入ると、奥にアーチ状の天井が続く、回廊が開けていたりする。ずっと先には日中に出て行く出口が見通せる。一度旧市街の外に出てしまい、また方向を変えて戻ってきて、別の通りを進む。ぜひ一度見てみたかったアッタリーン・メデルサ(教練場)を曲がり角の先に見つけて入り、係員に入場料を払って薄い切符をもらう。公営の場合は料金一律10DH。写真にもあるが、中は薄暗く、一間で三方の壁面は奥へ入り込んでおり、中央に涸れた水盤が設えてある。柱には細かい彫刻が天井まで刻まれていた。カラウィーン・モスクの前を通り過ぎる。奥を見透かすと、水場で足を洗っている人達が見えるのだが、ここから先は立ち入り禁止である。ムーレイ・イドリース廟にも地図を見ながらたどり着く。街全体がひとつながりの構造になってはいるのだけれども、ここの廟の周りはぐるっと回って行くことができる。まるで門前町のようで、ろうそくを売っているおじいさんが、顔中しわしわにして笑いかけてくる。私が何を言っても、うんうん、といった調子である。いいなぁ。こういう人。隣の、香を売る店では、バラールとムスクを手の平につけてくれた。子供のころの遠足気分で歩き回る。金物屋の店先は、昼休みなのでどこも頑丈な扉を閉めて、錠がかけられている。前日通った辺りの坂道に入る。通りすがりに挨拶されるのは、半ば薄気味が悪いが、にっこり笑って先を急ぐ。坂道を降りていくと、傍らに座り込んでいた老人が、「猫を食べるのかい?」と聞いてくる。「いえ、食べはしませんよ」と答えて進む。「ガイドしようか?」と半分笑いながら話し掛けてくる若者達がいるが、もうけっこうなので、断って先へ進む。ロバが道をゆっくりやってくるので、端に寄ってやり過ごす。門をくぐるとそこは広場で、給水盤のようなものが設けられている。かなり南の方まで下ってきたので、そろそろ帰ろうか、と来た道を戻って行くと、「妹がいるから会わせよう」と言ってくるやつがいる。一度は旧市街の家の中を見てみたかったので、ついていくと、坂を登り、脇の細道に入り、さらに上に別の道が通って下はトンネルのようになっているところをくぐって別の通りに出て、さらに道を曲がって、家の扉に着く。中には子供たちもいた。「今、お茶を用意するから、上にあがろう」と言って手を引いて行き、屋上に出た。羊か何かの敷物がある。物干しにも干してある。そこに座り込んで、「この敷物はちょっと湿気っているけど」などと言う。「あれ?お茶は?」というと、「まだ十分かかる」干してある毛皮を指して、「あの敷物を400DHで売るよ」とふっかけてくる。断ると、「いいことしようよ」おい。その手のひらをさわるのはやめい。そういえば、さっき香をつけてもらったんじゃないか。せ、せまるなぁ。慌てて階段に飛び込んで下へ駆け下りると、子供たちが目を丸くしている。「マダム!」と後ろから追いかけて来る。マダムじゃねぇ!後先考えずに通りに飛び出し、その辺に座っていた人たちに、「出口はどっちの方角?」と聞くと、真顔で「こっちだよ」と示す。もう4時頃でもあったので、坂を駆け上がり、走って新市街に戻った。郵便電信電話局の前で、公衆電話から母に電話を掛ける。電話がつながらないので、そこにいた人達に電話の掛けかたを聞くと、そろって「お〜い、ムスリムにならない?」と言われる。「やだ!」と喚いて手を振って帰る。メモを取るのに貸したボールペンを返してもらいそびれる。
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