ラバト 1994.10.21

戻る


朝、ホテルを出て、次の宿泊先を探す。駅前から伸びる大通りを駅とは反対の方に登って行ったところに、一つ、見つけた。朝早いので、まだ部屋が空いていない、という。「10時にまた来て下さいね」う〜ん。荷物を抱え込んだまま、フロントの前に座り込んで、待つ。条件に見合う部屋は、今、掃除しますから、と言われて、その部屋に行ってみた。が、ばたんばたんと埃を叩いて水を撒いて床をごしごしと洗っているのを見て、気が引けてしまい、「ここ、やめます」と言うと、「じゃ、掃除した分だけでも払って頂きませんとねぇ」財布を捜して、1DH渡すと、「毎度!」

結局、最初の晩に泊まったホテルの裏にある宿にした。その表通りに面したレストランで、少々遅いけれど朝食を摂る。煮込みのタジンとオムレツとミントティー。タジンにはスパゲッティが入っていて、はっきり言えば、ぐつぐつに煮込んであって、手をつけるのがためらわれるのであるが、それでもなんとか全部平らげる。

そろそろ、先生の知人の方にお会いすることにする。大使館に電話をかけて、アポイントメントをとる。言われた通り、タクシーをつかまえて、どこそこの方へやってくれ、と飛ばしてもらう。駅を通り過ごし、ラバト郊外の広い道に出て、さらに白い壁の続く住宅街を進んで行き、小さな建物の前でタクシーは停まった。Sさんにお会いする。簡単に自己紹介をして、それでは泊りにいらっしゃい、とおさそいをうけて、そんなに厚意に甘えていいのか気が引けてしまう。その日のチェックインは済ませてあったので、翌日、ということになった。

夜7時に、待ち合わせがあるからとSさんにことわって、ムハンマド5世の廟に行ってみる。しかしウジュダの人は見当たらない。がぁん。その辺にたむろしていた若者達に聞いてみる。夜はこの一角を警備しているそうである。フランス語使用。「彼女はどこ?知らない?」「さぁ。それらしき人は見かけなかったよ」「どれどれ、数字の7に横線が引いてあるだろう。それは夜の7時じゃなくて朝の7時じゃないか?」意気消沈して、Sさんの待つ車に戻る。

そのあと、Sさんには、ラバトの日本料理店に連れていって頂いた。店長の方も日本人なので、見分けがつかないくらい本格的な和風料理が出される。帰りに、ラバトの対岸のサレまで、車を飛ばしてもらった。街の灯りが煌く夜景を見ながら、高速道路を飛ばす。車は右側通行である。「慣れるまでね」とSさんが言う。そのままホテル・ハイアットに行って、庭の熱帯植物の間を歩きまわった。赴任後、現在の住所が決まるまでは、しばらくここに泊めてもらっていたそうである。大変なのかもしれない。



進む



インデックスへ戻る