カサブランカ−ラバト 1994.10.19
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翌朝、ホテルの近くの喫茶店で朝食をとる。まだまごついていて、何から注文していいのかよくわからない。クロワッサン二つと、ミントティーで10DH(ディルハム)、日本円で約120円。ミントティーを注ぐ金属の急須は熱くて、紙で包まないと私には持てないくらいだったが、砂糖をたっぷりと入れてさらにグラスの脇に角砂糖を三つのっけてあり、飽和状態にまで溶かすことができる。ホテルをチェックアウトして、Hさんと他の泊り先を探しに行く、といっても、私はその日の夕方にはラバトに向けて旅立ってしまうので、正確にはHさんの次の宿泊先探しである。こぎれいなホテルを通り沿いに見つけて入ると、日本人の女の人が交渉していた。早速、二人で相部屋をとっている。私もしばらく部屋に上がらせてもらって、休んでいた。くだんの女の人は、赤い車と黒猫を連れて旅をしているそうである。1年ほど、放浪を続けているそうだ。よくもつなぁ。愛用の車をぶつけてしまったので、レンタカーを借りて一日一万円で乗り回しているという。郊外のショッピングセンターの話も聞く。私はその朝でお別れしてしまったが、スタイルを貫いているという印象を受けて、とても楽しい。それからHさんと街を歩く。茶色い土が大通りの脇の歩道にこびりついていて、少し泥臭い街だ、という印象は否めない。裁判所の前で写真を撮り、銀行を見つけて両替をして、それからALPHA55という名前のデパートに行く。普通の百貨店みたいだったが、商品に埃がかぶっている。ここは、どこもそんなにいいかげんなのだろうか。ちり紙とせんたく挟みをとりあえず買い込む。Hさんはカナリア諸島に渡りたいというので、チケットを取り扱っているところも探す。お昼は途中で見つけたレストランに入った。オムレツと温サラダであるが、なまものを食べると肝炎になると聞いていたので、野菜ひとつにも抵抗があってトマトすら食べるのに勇気がいる。部屋に戻ると、書き置きが残してあった。Hさんはおもむろに電気式湯沸かし器を取り出してお湯を立てて飲んでいた。私もわかめのフリーズドライを取り出し、その場で戻す。Hさんは友人とエル・ラシディアで落ち合うという。私もその頃に着いていよう。再会が楽しみだった。夕方、私の方は16:30発、ラバト行きの列車に乗った。これからは、出発のときから一緒だった人達とも別れ、頼れる人もなく独りで旅を続けていくことになる。
ラバト駅に着いた頃から空は曇っていた。コートを着て大通りの歩道を歩いている女の人に道を聞こうと声をかけるが、無視してすらっと通りすぎていってしまう。多少、心細くなる。手ごろなホテルはどこだろう。そのうち雨が降り出してきた。軒の下がった建物の下で雨宿りをする。レインコートをかぶって、信号が変わると同時に飛び出し、通りの向かい側に見えるホテルに飛び込む。フロントに、部屋はあるか聞こうとすると、英語は話しませんよ、とつっけんどんにかわされる。そろそろ覚悟を決めよう。初めてアラビア語を使ってみる。「お、恐れ入りますが、そちらさまに、お部屋は、ございますでしょうか?」おそらくこう聞こえたのだろう、フロントの人は丁寧になって、「ございますとも」と返してくる。それでなんとか、その夜の眠り場所は確保できた。部屋に通されて、外の雨音を聞きながら、なんとはなしにほっとする。湿気が多い。
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