RUP 脚本/中島かずき 演出/小池竹見 99.6.12 19:00 銀座セゾン劇場
あらすじ
昭和十年、浅草に芝居小屋を開く人形師井手。彼には一年前からの記憶がない。彼の元を訪れる回収屋・天城。人の心を魅了する「月晶石」を探す彼は、井手が書いた人形芝居の脚本が月晶石の手がかりであると言い協力を求める。断る井手だが彼の小屋は同じく月晶石を求める陸軍の一派に燃やされ、そして彼の作った美しい人形の幻影に呼ばれ、彼とその一行と共に、人形芝居の舞台である瀬戸内海の島へと渡る。
無人の島に渡った彼らは廃墟となっている陸軍の研究所に辿り着く。井手は過去を思い出す。そこで研究されていた月晶石の正体、研究所の火事の生き残りである自分、火事で死んだ上司、その娘小夜子、彼がラヴィを似姿として作った少女。人間の脳に寄生し幻覚を見せて人を支配する月晶石を島ごと破壊しようとする井手は、細菌兵器の開発を立案したのは彼自身であったことを思い出させられる。そしてそれは今彼らを追っている陸軍少佐である父のための行為であったことを。
いまや井手は月晶石の虜であり島全体に広がる神経集合体である月晶脳髄の中心となっていた。憎悪と哀しみが生んだ月晶石の意志のままに一行を食いつくそうとする井手を、何が止めることができるのか……。
セットが実に美しい。中央に横長のスペースを切り、上に通路を渡したセットが、ガラス窓や木塀や幕という小さなアレンジ、そして様々な照明によって、街角にも駅にも浅草の芝居小屋の舞台にも孤島の蔦の絡んだ研究所にも幻想の空間にも自在に変わる趣向は、「見立てる」ことの快さを上手に残し、実に洗練されて気持ち良かったです。舞台の上に、時にやりすぎかと思う程徹底的に美しく作られる絵が実に綺麗。照明によって一瞬の間に場面が転換する瞬間には見ていて快感がありました。これだけでも一見の価値があるでしょう。
最初と最後をかざる羽根のシーンをはじめ、美しいシーンが一杯で楽しみました。最初の浅草色町と芝居小屋の絵も好きでした。あそこで女郎役をやってババアと呼ばれてた人、名前は判らないんだけど良かったなあ。
ストーリーは昭和初期を舞台にした少年少女冒険伝奇活劇といったところでしょうか。記憶喪失で変人の人形師、しかしてその正体は実は、と正体が転々とするあたりには歌舞伎の役の表記を連想したりして。もしくはやっぱり江戸川乱歩かな。
色々な人形たちの登場が面白かった。ラヴィの人形はとても綺麗。井手との2人(?)のイメージシーンは良かったです。またラストで使い手にリフトされる様子は素晴らしかった。人形師井手による腹話術?のシーンも稲垣吾郎が達者にこなしていて、一人芝居も周りの人とのかけあいも楽しかったです。エイハブくん良かったです。ハヤブサくんもサイコーです(笑)。
脚本がややとっちらかってた感があって、それは惜しいところでした。
「月晶石」、実に美しい言葉です。美しいからくり人形、孤島、帝国陸軍、満州帰りの便利屋、秘密の細菌兵器開発、脳髄とあやかし、親子の愛憎、実に食いつきのいいモチーフです。でも小道具や言葉の選び方がベタベタであればこそ、それをどう料理してくれるかと見る側は勝手に期待してしまうというもの。全ての要素が、以前どこかで見たお話の寄せ集めみたいな浅い描き方なのが歯がゆい。それぞれのエピソードが中途半端な扱いでもったいない(鶴子と亀吉=島の住民=人形? の話なんてさらっと書かれすぎて実にもったいない)。ちょっと欲張りすぎかもしれません。例えば結末を「愛」でシメるならシメるで、それに至る蓄積がもっと欲しい。小夜子、もしくは「ラヴィ」のことはもっと語られてもいいんじゃないか。ギャグやってるヒマにもっと語ることはあるんじゃ? 緊張感のあるシーンにわざわざ集中力を殺ぐような笑いのシーンを挟むのもいかがなものか。
井手はなぜ記憶喪失になったのか?いつ月晶石にとりつかれたのか?その最後に至るまでの本筋を明らかに示してくれれば(もちろんそれはあとで気が付くほのめかしで十分なんです)見ていてもっと気持ちいいのに。
素朴な疑問。作中で「黒木屋の事件」と簡単に済まされていた元ネタ、白木屋デパートの事件(デパートが火事になり、救助が来ても当時和服が多く下着を穿いてなかった従業員が恥ずかしさに飛び降りることを躊躇して焼死、その後日本女性の下着の着用率が増えたという…)を知っているお客さんはどれだけいるのだろう?上演中から気になってしょうがなかったです(笑)。あとで同行の友人に聞いてみたけどやっぱり知らなかったし…。
「世紀末少年少女伝奇活劇」な気分を味わうにはいい。それは成功しているけど、でもそれだけじゃもったいない気がするんですよ。
BGMの使い方が土曜ワイド劇場を思い出させるようなベタさなのも微妙なところです。歌謡曲でのダンスなども含め、いわゆるひと昔前のアングラ演劇へのオマージュとも思える「悪趣味」さというのがどうしてもオモシロさと紙一重になってしまうのは避けられないところですが…微妙です(笑)。この微妙さは言葉の選択にも言えることで、たとえば「月晶脳髄」「ツングース・ウイルス」というネーミングのベタさには「アングラの様式美」を感じるべきと思うのですが、「古き良きアングラへの憧れ」「アングラごっこ」みたいに匂ってしまう方に転ぶ要素もあるわけで。
役者さんたちは、物語を成立させる力を脚本の負うべき分まで背負って頑張っていたと思います。
主演の稲垣吾郎は、脚本があて書きということもあるとは思いますが、とても役に合っていて、自然に演技をこなしていて良かったです。この舞台は彼の役が成立するかどうかにかかっていると言っても過言ではないと思うのです。キャラクターの演じ分けにも無理を感じさせず、この舞台が描こうとした、大仰で綺麗な絵をきちんと具現できていて気持ち良い。
小橋めぐみはこれが2回目の舞台という割には実にスタンダードな(悪い意味でなく「演劇部」風な)、しっかりした発声および舞台演技をする人でちょっと驚きました。声もいいですね。ただとても健康的な印象を与える人で、それは「良心」を担うには十分なのですが「謎の少女」には見えないのが惜しい。「謎」的な属性としてはあまり魅力を発揮させてもらえてない感じがする。
狂言回しの役を担った羽場裕一はとても良かったです。生きるプロ、タフな回収屋を舞台の上で実に生き生きと好演していました。たとえ少々台詞が弱くても彼が喋ることでそれをねじ伏せるような力を発揮して、キャラクターを生かしていたと思います。すごくカッコ良かった。
えらい私感になりますが、夢の遊眠社時代に彼の芝居を見ていた時は、彼のキャラクターが創設メンバーの上杉祥三とややカブっていたせいか、彼の退団後にその持ち役を羽場さんが演じることが多く、どうしても比べてしまって物足りない印象を持っていたのです(ごめんなさい)。TVドラマに多く出てるのを見て、TVの方が合うのかも?と思ったりしてました。でも今回この芝居を見て、正直言って印象が変わったし、見直しました。今まで見た羽場さんの舞台の中で最高にカッコ良かったです。そんな芝居を見られて嬉しい。また舞台やって欲しいです。