ぷろぐれ必聴盤

私がテキトーに選んだプログレ推薦盤。

★ぷろぐれ明朗盤●明るく楽しく元気よく、良い子はプログレききませう。

★ぷろぐれ過激盤●鬼気迫るプログレの神髄!!

★ぷろぐれ入門盤●これはお約束。まったくの初心者の方はこちらからどうぞ。

★ぷろぐれ美麗盤●プログレの妙なる調べに涙せよ。

★ぷろぐれ感動盤●心に響くプログレの唄。

★ぷろぐれ歌謡盤●これはかなりヲタク向きかも?

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ぷろぐれ必聴明朗盤

「明朗盤」って何じゃらホイという皆さん。一応、ポップで明るいと意味なんですけどね・・・。(笑)

★SPARTACUS( TRIUMVIRAT ) 1975
★ILLUSION ON A DOUBLE DIMPLE ( TRIUMVIRAT ) 1974
★STAR CASTLE ( STAR CATSLE ) 1976
★RECYCLED ( NEKTAR ) 1975
★AUDION ( SYNERGY ) 1981
★ONCE AROUND THE WORLD ( IT BITES ) 1988
★THE SENTINEL ( PALLAS ) 1984
★TRAVAGANZA ( TRAVAGANZA ) 1984
★ARC ANGEL ( ARC ANGEL ) 1983
★PILOT ( PILOT ) 1974
★THE MAN IN THE BOWLER HAT ( STACKRIDGE ) 1974
★FOUR MOMENTS ( SEBASTIAN HARDIE ) 1976
★TAI PHONG ( TAI PHONG ) 1975
★MOON DANCER ( MOON DANCER ) 1979

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SPARTACUS ( TRIUMVIRAT ) 1975

1975年に米キャピトルから全米に発売された独のバンドの作品。独はもちろん日本国内でも発売された。トリアンヴィラートとは古代ローマで行われた三頭政治のこと。映画「スパルタカス」でも知られるとおり、それが古代ローマで発生した奴隷反乱事件の首謀者の名前ってことは、ご存知の方も多いと思う。このアルバム自体、その映画とは直接関係はないが、スパルタカスの反乱を史実に沿って叙事詩の如く構成している点では同じ。音楽的にはELPの「実に良く出来た」コピー。模倣部分には気分を害する方もいるやも知れぬが、想像以上に見事な出来なので、その類似性さえ問わなければ、メロディアアスで飽きの来ない楽曲展開に、すっかりハマってしまう。その昔、「イタリアのジェネシス」とか「北欧のイエス」などと形容され売り出されたバンドがたくさんいた。もちろんトリアンヴィラートには「ドイツのELP」という看板が下がっていた。しかし、双方を聴き込んでいくと、その音楽的背景にはかなりの違いがあることに気が付く。民族楽派好みで音も鋭利なキース・エマーソンに対して、トリアンヴィラートのハンス・ユルゲン・フリッツはクラシックのメインストリームに沿ったあまりこだわりのない甘い調べを好んで使う。トリアンヴィラートにはELPのようなハードエッジなトゲトゲしさがなく、終始ポップで聴きやすい音楽になっている。プログレにこだわりを持たない人でも結構聴ける極上のポップミュージックだ。



ILLUSIONS ON A DOUBLE DIMPLE ( TRIUMVIRAT ) 1974

こちらは1974年のアルバム。このアルバムではELPの持つファンキーな一面とピアノの音の美しさがコピーされている。バルトーク風でパーカッシヴなエマーソンのピアノと違い、ユルゲン・フリッツのピアノは多少元気良く弾いたとしてもソフトな音に聴こえる。やはり、ELPに似てる部分にはつい耳が向きがちだが、そこは、「それだけELPのサウンドが当時のポピュラー音楽界に多大な影響を与えていたのだ」と考えて、きっぱり割り切って聴くのが宜しいかと思う。(笑) そのように思えばトリアンヴィラートは実によく出きた楽しい音楽だ。それどころかトリアンヴィラートはELPのスタイルを真似た星の数ほどある世界のバンドの中で最高峰に位置するバンドではないかとも思われる。このアルバムは発表当時、「二重靨の幻影」というタイトルでLPが国内発売されていた。

J'rat(Triumvirat Japanese Page)
Triumvirat の専門ページが国内にある。米国のる公式サイト Triumvirat.net との交流もありファンは必見。日本語によるトリアン情報が集約されており、英語の弱い私はとても助かっている。(^^;



STAR CASTLE ( STAR CATSLE ) 1976

今度はイエスのエイリアス。1976年に米エピックソニーから発売されたアメリカのバンド。当時、国内盤も発売されたが、音の方はイエスファンなら吹き出してしまうようなサウンド。ヴォーカルやコーラスはもちろん、完璧におちょくられているのが、クリススクワイアの飛び跳ねるようなベースライン。ベースのミックスレベルがやたらと高い初期のイエスサウンドがそのまんま。ヴォーカルに絡み回るリードギターやアコースティックギターの使い方もスティーヴハウの模倣。キーボードプレーヤーは腕が追いつかないのか?さすがにリック・ウェイクマンばりのマルチな演奏は聴けないが、トニー・ケイ風のオルガンサウンドで堂々の登場。また、随所に入るビートチェンジ時のキメははっきりと「イエスからもらってきた」と判るフレーズで大いに笑える。★追記★98年11月、STARCASTLE のアルバムが、国内廉価盤で一挙にCD化された。

RECYCLED ( NEKTAR ) 1975

ネクターと言えば日本では昔からジュースの名前。いまいちカッコ良いとは思えないバンド名だが、このアルバムのサウンドは実にカッコイイ。まあ、カッコイイと言っても今となっては前時代的なスタイルか?(笑) このアルバムはボストンやカンサスのようなポップなプログレ風ロックサウンドが、たたみかけるように延々と続く困った作品。ガキ臭い音だなと思いつつもついつい聴いて通してしまうアルバムだ。「イヤよ。イヤよ。」と云いつつも体が反応してしまうような自虐の悦びに困ってみたい方にオススメ。(^^; 産業ロックの先駆けのような作品だ。「先駆け」ってことは、やはりプログレッシブってことだ??? アルバムのB面(CDは2トラック目の8曲目以降)の方は鬼気迫るようなプログレサウンドではなくラテンロック風のややリラックスした雰囲気。ただし、たたみかけるような展開はA面と同じ。このポップ感覚はナカナカ。(^^) このアルバムには後年、ピーター・ゲイブリエルバンドに加わるシナジーのラリー・ファストが参加している。残念ながら、このサウンドは他のネクターのアルバムでは聴くことが出来ない。このアルバムのサウンドを期待して他のネクターの作品を聴くのはヤメておいた方が良いかも知れない。発売は1975年。独のベラフォンが原盤のバンドで、米英や日本でもLPが発売されていた。




AUDION ( SYNERGY ) 1981

シンセザイザーオンリーのアルバム。シンセサイザーオンリーと言うとヴァンゲリスやタンジェリン・ドリームや喜太郎などのサウンドを思い起こす人が多いかと思うが、昨今、私自身はメリハリを抑えた叙情的展開のシンセサイザーアルバムを最後まで聴き通す根性がすっかり無くなってしまった。(^^; ところがこのアルバムはそうしたシンセサイザーミュージックとはやや趣が異なり、強めのビートが効いているので、今でも聴き通せたりする。ビートの効いたシンセサイザーミュージックは70年代中頃に独方面にも(ジャーマン・エレクトロニック・ミュージックとして)存在したが、シナジーの音には米国人っぽい明るさがあった。重厚なサウンドはテクノポップとも異なり、その雰囲気は独特だ。ネクターの項でも書いたが、シナジーのラリー・ファストは初期ピーター・ゲイブリエル・バンドの重鎮。



ONCE AROUND THE WORLD ( IT BITES ) 1988

イット・バイツの2ndアルバム。このアルバムのプロデューサーはゴングのスティーヴ・ヒレッジ。プログレファンにはお馴染みの名前だ。ヒレッジといえばヴァージンレーベル草創期から所属だが、何故、このアルバムのプロデューサーにヒレッジが起用されたかは不明。他のイット・バイツのアルバムの音色と比較すると、変拍子の使い方あたりで「やっぱり、ヒレッジかな?」って感じは何となく感じないでもないし、同時期のヒレッジのアルバムを聴くとリズムの使い方が似ていたりもする。おそらくはジャケットからしてマイナーなプログレバンドのようで音的にもやや盛り込み過ぎの感があった1stアルバム時代のサウンドの整理役としてヒレッジが投入されたのだろう。実際、出来上がったこの2ndアルバムのサウンドはとてもソリッドになり、プログレファンにはたまらない変拍子や突然のビートチェンジがビシバシ決まった優れた作品になっている。しかし、プログレの範疇を超えて活動するイット・バイツにとっては、地味なアルバムとして捉えられてしまったようで、その後のイット・バイツはマーケットの意向に合わせ?ハードロック色を強めていった。そうでないと「売れない」現実もあったようだ。ただし、その後のアルバムも表面的な感触が変わってもフランシス・ダナリーやジョン・ベックのポップなスタイルには一貫した部分があり、そのあたりはとても好感が持てる。それはブリティッシュロックの王道を知る者なら理解出来るフィーリングではないか。レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのようなブルース系のハードロックバンドだけではなく、クラシックと取り入れようが、ジャズをやろうが、クリムゾンやイエス、ELPといったプログレ系のバンドにも脈々と流れている「何か」だ。イット・バイツは80年代に現れ、その「何か」を我々に聴かせてくれた。イット・バイツを聴くと「やっぱりブリティッシュロックっていいなあ」という気分になる。国内発売された頃、私はどこに出掛けるにもカーステレオでこのアルバムを聴いていた。



THE SENTINEL ( PALLAS ) 1984

80年代の中頃、マリリオン人気に便乗して続々と登場可能となったネオプログレ系バンドの中のひとつ、パラスのメジャーデビューアルバム。プロデューサーはあーゆーれでぃ・エディ・オフォード。楽曲の多くははマイナーレーベルから出したライブアルバムをエディを迎えてスタジオで録り直したものだが、エディのエンジニアリングよりサウンドは重厚で盛り上げ放題のプログレメタルな音に変貌している。ニューウェイブが台頭し、プログレが壊滅状態だった当時の英国でこのパラスはマリリオンやIQなどと共にヘヴメタチャートの中で頑張っていた。どうもそれ以降、プログレ界ではHMのファンからも理解が得られるようなバンドの方が伸びているような気もしないではない。パラスにはドリーム・シアターのような完璧なリズムのキレはないが、この時期からしっかりとプログレメタルっぽい音を出しているところは注目すべきだろう。そういう意味では「元祖」かも?? ところで、パラスはEMIからメジャーデビューする前にマイナーレーベルから何枚かレコードを出している。その中に PARIS IS BURNING という12インチ盤があり、そのB面に入っている THE HAMMER FALLS という曲が実は私の一番のお気に入り。泣かせる唄にメロトロンが実に効果的に使われていて、プログレファンなら納得の一曲だ。パラスはメジャーデビューの後、マイナー時代の曲のほとんどを豪華なアレンジで録り直しをしているのだが、残念ながらこの曲は再録音されていない。



TRAVAGANZA ( TRAVAGANZA ) 1984

たぶん1985年頃、新宿レコードで購入したアルバム。正体不明。一歩間違えるとダタのポップバンドなのだが、プログレと思って聴けばプログレか。随所でアレンジも含めて露骨にピーターゲイブリエルをパクッている。ピーター・ゲイブリエルがフィル・コリンズのジェネシスを演ってるようなものかな。特にB面1曲目のLIFE TIME 。こりゃバラードの名曲だ。ぜひ、ピーガブファンに聴いてもらい笑って頂きたい逸品。TRAVAGANZA は ROLLAND RUCKSTUHL というキーボードプレーヤーのバンドのようで、PETER WOLF というヴォーカリストがピーガブのような声で唄っている。アルバムは 1984年にロンドンの AURA RECORD(AUL727) というところから出ている。マーキー誌などでは紹介された形跡は無さそうだ。
★追記★TARVAGANZAについてNifty-serveプログレ隔離室で質問したところ。sightさんという方から丁重なレスを頂きました。TRAVAGANZA はスイスの FRAME DREAM というバンドが英国で改名してアルバムを出したものだそうです。スイスで6枚ものアルバムを発表しています。sightさんにはこの場を借りてお礼申し上げます。



ARC ANGEL ( ARC ANGEL ) 1983

これも正体不明。だだし、米CBS 傘下の Portrait という超メジャーレーヴェルから出ているのでその気になって調べればわかると思う。なんたってレコーディングスタジオは NEW YORK POWER STATION だ。ARC ANGEL という名前のバンドは日本でもアルバムが出た別のバンドもあるが、これはそれとはまったく別のバンド。もちろん、ANGEL ではない。(笑) 音の方はズバリ、ジャーニー、エイジア!! それも半端な出来ではない。ホントに...。 JEFF CANNATTA という人物がヴォーカルからドラム、ギター、ベースなどの楽器を片っ端からこなし、プロデュースまで行っているのだが、さらにそこにニューヨークの腕利き達と思われるセッションミュージシャンを大量に投入してこのアルバムは創られている。これじゃ、バンドとは言えないし、こーゆーのをプレグレと言うべきかは迷うが、音は確かに70年代後半に一世を風靡したプログレ風産業ロック。ジャーニーやボストン、エイジアが好きな方が聴いたら「あいた口が塞がらない」アルバムであることは保証する。(笑)★追記★CBSソニーが発売した往年の産業ロックを集めたコンピュレーションCDの中に、ARC ANGEL の "Stars" が含まれてるのを発見。さらに STAR CASTLE の追記で紹介したSMEのシリーズで、ARC ANGEL がCD化。幻のバンドなんてことはなく、私が知らなかっただけなのかも知れない。(^^;



PILOT -FROM THE ALBUM OF THE SAME NAME- ( PILOT ) 1974

「おいおい、どこがプログレなんだよ」というアルバムが続くが、アランパーソンズがプロデュースし、その後ケイト・ブッシュのところでベースを弾き続ける David Paton のバンドなのだから、これはプログレ!(^^) 御不満な方は必聴過激盤あたりへどうぞ。(笑) パイロットの根っこはたぶんビートルズだが、英国のチューリップ(財津和夫の)とでも表現した方が音的にはしっくりくるだろう。私がこういうポップ感覚を大切する理由は、それこそが XTC や IT BITES にまで営々と続くブリティッシュロックの原点だと思うからだ。仮にパイロットの曲が職業作曲家によって書かれたものだったとしたら、さして評価の対象にしないが、ほとんどの曲はメンバーのDavid Paton が書いている。進歩だ前衛だってのもいいが、こういう良質のポップミュージックは素直に評価すべきだと思う。



THE MAN IN THE BOWLER HAT ( STACKRIDE ) 1974

パイロットを登場させてしまったらスタックリッジも出さねば・・・。(^^) アルバムジャケットがプログレ然?とした暗〜いものばかりなので、誤解する方が多いと思われるがさにあらず、プロデューサーはなんとサー・ジョージ・マーチン氏。5人目のビートルズと云われた名プロデューサーだ。1974年、マーチン氏を引っ張り出して来てまでスタックリッジが演った音楽は、やはりビートルズ風のポップというか、ブリティッシュポップの王道をゆく音楽。パイロットを陽としたらこちらは陰かも知れないが、根っこは同じような気がする。このバンドが売れなかったのは単純にジャケットが暗かったからか? CDの時代になってマニアから再評価されているバンドだ。



FOUR MEOMENTS ( SEBASTIAN HARDIE ) 1976

1976年、オーストラリアの国内チャートでNo.1に輝き、ゴールドディスクを獲得したアルバム。異国情緒もたっぷりに「哀愁の南十字星」という邦題がついている。(笑) 評論家のたかみひろしさんが当時一押しのバンドとして「*ったように」宣伝していた。メロトロンの洪水に泣きのギターという組み合わせだというのに湿っぽくならないのは、やはりオーストラリアって地域性なのかなとも思う。たかみさんのライナーによると一介のディスコバンドだった彼らは、オーストラリアに来たルーリードを観てプログレシッヴな音楽に触発され、マイク・オールドフィールドのチュブラーベルズをコピー。それが各界から注目されこのアルバムでデビュー。その後、フォーカスやサンタナのオーストラリアツアーに同行・・・とある。確かに曲構成が巧みで飽きさせない展開になっている点はチュブラーベルズと同様だし、のびのあるマリオ・ミーロのギターにはギター少年でなくとものけぞってしまう。このバンドが前座ではヤン・アッカーマン(フォーカス)やサンタナもさぞかしやりにくかったことだろう。ギターの好きな人は必聴盤。
 ★伏字参考「*ったダイヤモンド!」



TAI PHONG ( TAI PHONG ) 1975

続いて伊藤政則さんが20年前、*ったように勧めていたのがこのアルバム。(笑) 私はこのアルバムをヘヴィメタルが好きな人にプログレやユーロロックを紹介する時に常用している。そうすると、バラード系好みのメタルファンは一発でKOだ。名曲「シスタージェーン」の威力は絶大。(笑) 他の曲も女性好みというか、フランスへの憧憬を裏切らない見事な曲ばかりだ。タイ・フォンはフランスのチャートでも一定の評価を得ているが、当時フランスで絶大な人気のあったアンジュを超えることは無かったようだ。また、その後に登場したアトールのようにも騒がれなかった。聴き比べれば圧倒的にタイフォンの方が売れる音、あか抜けてもいるのだが、そこはやっぱりフランス? 英語で歌っていたのがマイナスとなっていたようだ。TAI PHONG のメンバーであるJ・J・ゴールドマンは、その後、フランスを代表するポップミュージシャンとなり、現在も現役で大活躍している。



MOON DANCER ( MOON DANCER ) 1979

このページに日本国内のバンドも加えたいと思っていた矢先、「これしかない!!」ってアルバムが再発(CD化)された。VOW WOW のプログレ男、厚見麗(玲衣)の「ムーン・ダンサー」。名曲「アラベスク」だ。泣け! その昔、FMラジオでオンエアされた「アラベスク(アルバムヴァージョン)」を聴いて衝撃を受け、慌ててアルバムを探したところが既に製造中止。20年弱の時を経てやっと全編を聴き通すことが出来た。組曲「哀しみのキャンドル」は秀逸。大手芸能プロダクションに所属していたアイドルバンドのアルバムとはとても思えない。しかし、70年代英国プログレサウンドを継承する驚異のアイドルバンドの名盤は全く売れなかったようだ。(^^; 時期が早すぎたのか。エイジアや90125イエスがブレイクした後だったら、プログレおたくも「ムーン・ダンダー」のポップなプログレにもっと反応してくれたかも知れない。事実、80年代には「ノヴェラ」のうようなバンドも現れている。私自身は80年代になってから「ムーン・ダンサー」を知ったが、その頃、厚見氏は「バウワウ」に参加し、ハードロックバンドの中で孤軍奮闘しながらプログレ音を発していた。「バウワウ」のアルバムの中から彼のクレジットのある曲だけを集めてテープを作っていたりもしたが、これがまたカーステレオ向きのゴキゲンなプログレアルバムになる。(笑)



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ぷろぐれ必聴過激盤

「もっと真面目にプログレせよ!」という声にお応えしての超過激盤レビュー。

★ARE(A)ZIONE( AREA ) 1975
★MAREDETTI ( AREA ) 1974
★KONTARKOSZ ( MAGMA ) 1974
★RED ( KING CRIMSON ) 1974
★IV ( PETER GABRIEL ) 1982
★IN CAMERA ( PETER HAMMIL ) 1974
★THIS HEAT ( THIS HEAT ) 1979
★RELAYER ( YES ) 1974

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ARE(A)ZIONE ( AREA ) 1975

アレアの1stアルバム「自由への叫び」の国内盤が発売された頃、そのアルバムがNHK第一放送(AM)の深夜11時頃の番組で全曲放送されたのをたまたま聴いた田舎の一少年はぶっ飛んだ。なんじゃあこりゃあ。バンド名と曲名を紹介する以外、何のコメントも入らない番組だったので、アレアがいったい何者なのかさっぱり判らない。判らないけれど、これはすげえバンドだと思い、必死でレコードを探したのを覚えている。その昔、プログレがプログレたる所以は、「音楽性」が高いことや「演奏力」があることの他に、「アタマが良さそうに見えること?」ってもの重要な要素だった。アレアはその三つの条件を、ずいぶんと高いレベルでクリアしている。社会問題を鋭く抉る超ラジカルな歌詞を、フリージャズ色の強いプログレッシブロックにのせて、政治集会で演奏する。フォークじゃなくてロックってところが、カッコ良すぎる。ARE(A)ZIONE はその雰囲気を余すところなく収録したライブアルバムだ。こんな過激な音、何万人と集まった聴衆に理解出来るのだろうか? 「21世紀の精神異常者」の過激な間奏部分のような音(サックスは入りませんが)で、グイグイと押しまくる。はっきり言ってクリムゾンより凄い演奏。クリムゾンが大好きな私が言うんだから間違いはない。(笑)



MALEDETTI ( AREA ) 1976

民族問題、原発問題等々、アルバムごとに社会問題を取り上げてきたアレアが5枚目のアルバムは医療(麻薬)問題。といってもイタリア語が解読不能な私にはそれ以上、詳しいことはわからない。(^^; 音の方は、遂に本性を現したというかフリージャズ色がかなり強い。デメトリオストラトスの奇異な発声法も冴えわたり、音楽的には頂点に達したかと思われるアルバムだ。過激の極み、マジで「過激派」。この過激さの前にはパンクロックの過激さやデスメタルの過激さなどはカワイイもんだ。イエスの作品に「究極」と邦題が付けられたアルバムがあるが、プログレッシブロックのある意味での「究極」はアレアではなかったのかなと私は思う。



KOHNTARKOSZ ( MAGMA ) 1973

1973年頃の日本では、ピンクフロイドやELPなどは既にメジャーでだったが、クリムゾンやジェネシスを知る人は実は少なかった。そんな中、マグマはSF漫画ライクな邦題が付けられて、早い段階で国内盤は発売されていた。マグマの一連のアルバムはコバイア語という独自の言語を扱うクリスチャンバンダーにより、コバイアストーリーといわれる他の惑星への移住物語に沿って創られている。当時はこういうSF物語調ってのが人気があった。少年SFみたいなストーリーなのでアニメの主題歌ような音楽かと思えば、さにあらず。そんなつもりで聴くとあまりにおぞましい音にひっくりかえることになるだろう。ジョンコルトレーンを信奉するクリスチャンバンダーが演っているのは、アヴァンギャルドなジャズなのだ。それがSFストーリーにあわせておどろどろおどろしく展開する。この頃ってのはまだ流行音楽界での、ジャズの影響力ってのが確実にあったことが判る。ポンキッキーズでニコニコしながらサックスを吹いてるオジサンが怖い顔して演奏をしていた時代の、最後の最後がこの時期だったのかも知れない。米国や日本ではその後、クロスオーバーとかフュージョンと呼ばれる根の明るいジャズが流行し、流行の先端音楽としては隠居状態に入っていくことになる。ところが、ヨーロッパでは1960年代の後半あたりから「ジャズロック」という怖い顔をして演奏する独自のクロスオーバー音楽が根づき、それが70年代になってプログレッシブロックの一分野として発展する訳だ。フュージョンブームだった頃、フュージョン好きな友人に、カンタベリーや北欧系のジャズロックを聴かせると、「これはなんかチガウ」と嫌な顔をされたものだ。似て非なるもの。マグマなど聴かせたら発狂したことだろう。



RED ( KING CRIMSON ) 1974

いきなりプログレ界の重鎮バンドの登場。パンクロック、へヴィメタル、過激と形容される音楽は数々あれど、どんなに過激な音楽もクリムゾンの「音圧」の前では、過激なポップミュージック程度に聴こえてしまう。もちろん、「過激」と一口に言っても、概念は単に音だけでなく、精神的な部分や社会的な部分もあるから、単純にヘヴィメタルやパンクとは比較は出来ないが、「音響」だけに限定して話を進めればこの時期のクリムゾンの過激さは他に類を見ないパワーを持っているのではないかと思う。とりあえず、スタジオアルバムを紹介しているが、ぜひ各種発売されているこの時期のライブ音源も併せて聴いて欲しい。スターレスは部屋を暗くしてステレオセットの前で正座をして聴くのが日本のプログレファンの礼儀だ? おっとアブナイアブナイ。(笑)



IV ( PETER GABRIEL ) 1982

メジャーついでにもう一枚。IV を選んだ意味は単なる趣味の問題。T、U、V、W、どれも甲乙付け難い。どのアルバムにも過激な曲はたくさんあるが、IV が最もストイックかなとは思う。この時期のゲイブリエルの過激さは他の音楽文化との葛藤でより引き出されている。それが判り易く表れてのはサンジャシントだろう。エスニックビートは各界で大絶賛されたVに比べてもより洗練されより過激な音響となっている。一方、TやUで聴くことのできたヨーロッパ人としての内省的な部分にもゾクゾクするが、そのあたりIVではより暗くより美しくヨーロッパ人の感性を丸出しにした名曲ウォールフロワーに集約されている。葛藤しながら「丸出し」ってところが過激。エスニックビートにばかり注目が行き目立たない曲だが、「洪水」「ファミリースナップショット」などのバラード路線を継承する名曲だ。



IN CAMERA ( PETER HAMMILL ) 1974

内省的過激さといえば、ピーター・ハミル氏の存在も忘れられない。しばらく前に、時々来日しては小さなホールでコンサートをしていました。ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレータの場合、リスナーとして音を聴いているだけでも許される部分もあろうかと思うが、ごまんと出ているハミルのソロアルバム群となると語学のダメな私は脱落だ。(^^;ハミルの詩が徹底して純文学志向であることは辞書を引き引き想像が出来るが、とても鑑賞するというレベルには到達出来ない。そのあたりが後ろめたくてコンサートにも行けないでいた。(^^; お経を聴きに行っても仕方がない。どなたか、ピーター・ハミル詩集日本語版を作ってくれませんかね。2冊ほどある彼の詩集(もちろん英語)も持っているが、私には「猫に小判」。んじゃなんで「持ってる」の?ってところが大いに笑える訳だか・・・。(爆)



 THIS HEAT ( THIS HEAT ) 1979

オルタネーティヴ系から1枚どうかと思ったらディスヒートを思い出した。初めてこのアルバムを聴いた時の衝撃は今でも忘れられない。メジャーなプログレバンドをアルバムをそこそこ聴き終え、プログレを聴くことそのものがルーチンワーク化してきた頃に、フールズメイト誌に言われるがままにこのアルバムを聴いたら、後頭部を殴られるような思いをした。このアルバムを聴くと地球の重力が2倍になったような錯覚に襲われる。スラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアがプロデューサーで、クワイエット・サンのチャールズ・ヘイワードがフロントマンってことは、なんとディス・ヒートはカンタベリー系だったのだ。元来、ポップ志向な?私にとってはノイジーなアルバムを最後まで聴き通すのは結構たいへんな作業だったりするのだが、このディス・ヒートに関しては例外だ。ここに書くために数年ぶりに聴いてみたらやっぱり最後まで聴き通してしまった。単にノイジーなだけでなくビートにメリハリがあるから聴いていて飽きないのだと思う。演奏力てのはやはり重要だ。攻撃的な音楽を求めている人の中でまだディス・ヒートを聴いたことの無い人がいたとしたら、早いところ聴いてみた方がいい。



RELAYER ( YES ) 1974

イエスがもっとも過激に演奏したアルバム。私のイエスフェイバリットでもある。イエスは再結成を繰り返しては昔の再現をしるが、なぜかリレイヤーとドラマだけは鬼っ子的扱いのようで未だ再現されていない。近作で遂に海洋地形学の曲をやったのには驚いたが、ぜひメンバーの体が動くうちに「錯乱の扉」をもう一度やってもらいたいものだ。やはりパトリック・モラーツがネックになっているのか? それもとも掴みかかってくるいうな攻撃性が昨今の風情に合わないのか? それとももう演奏出来ないのか?(笑) 老体鞭打つようで可哀相だが、円熟した演奏とかではなくて、若い頃そのままの攻撃的な演奏が再現されるのを聴いてみたいような気がする。いまでも「錯乱の扉」を大音量で聴くと錯乱どころか気分スッキリだ。この時期のイエスのテンションの高さは凄いモノがある。貴重なライブ映像がLDで発売されているが、残念ながらリレイヤーの部分はミキシングが悪い。再現演奏を期待したい。



ぷろぐれ必聴入門盤

プログレッシブ・ロックは初めてという方のための正統派(?)入門ガイド。

★IN THE COURT OF THE CRIMSON KING ( KING CRIMSON ) 1969
★TARKUS ( EMERSON LAKE & PALMER ) 1972
★CLOSE TO THE EDGE ( YES ) 1974
★SELLING ENGLAND BY THE POUND ( GENESIS ) 1973
★THE DARK SIDE OF THE MOON( PINK FLOYD ) 1973
★HAMBURGER CONCERTO ( FOCUS ) 1974
★STORIA DI UN MINUTO ( PREMIATA FORNERIA MAROCNI ) 1971

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IN THE COURT OF THE CRIMSON KING ( KING CRIMSON ) 1969

プログレといえばこの顔、このアルバム。定石通りに書くと、英国のアルバムチャートでビートルズのアビーロードを抜いてトップとなり、プログレッシブロックの存在を世間に知らしめた金字塔的アルバム。(アビーロードがそろそろチャートダウンするタイミングだったって話もあるが・・・。(^^;  とはいえ1969年の時点でこの完成度は、世間をじゅうぶん驚かせるに足るものだった。そのころ既に、キースエマーソン&ザ・ナイス、ムーディー・ブルース、ピンク・フロイドらは活躍していたが、それらのバンドはまだどこか60年代の雰囲気を残す音を出していたのに対し、このアルバムの音は70年代の到来を予感させる未来的な音をしている。鬼気迫るサックスの音、表現力豊かなギター、メロトロンの洪水、暗〜い唄。フリージャズ風のインプロヴィゼーションを事も無げにこなすバンドはロック界はじまって以来のことだった。このアルバムがプログレのスキルを上げてしまったために、他のバンドではクビにされるミュージシャンが相次いだ。(^^; 具体的には、・・・・ファンに叱られるからやめとこ・・・。(笑)



TARKUS ( EMERSON LAKE & PALMER ) 1971

60年代から過激なオルガン奏者として評価の高かったキース・エマーソンだが、キング・クリムゾンのようなバンドが登場してしまうと、彼の音楽的嗜好からいってもそのままの状態ではいられなかったのだろう。ザ・ナイスを解散し、エマーソンと対等に渡り合えるメンバーを集めてスーパーグループを結成する。それがエマーソンレイク&パーマーだった。クリムゾンからグレック・レイクが飛び出し、アトミック・ルースターからカール・パーマーを引っこ抜き、出来上がった音は見事に70年代の音。「石をとれ」や「タンク」など、1stアルバムでのエマーソンのプレイは壮絶で、当時はまだまだ元気だったジャズ界からも注目された。当時のジャズ界はセシルテーラーやキースジャレット、国内では山下洋輔など、テクニックがばりばりのモノ凄い演奏が主流で、そういうのと比べるとプログレもやっぱり子供向けの音楽かなと思える部分もあるが、エマーソンの硬質でパーカッシヴなピアノはそれらに引けを取らないものだったと評価された。それどころがクラシックピアノを勉強している人々の中からも当時のエマーソンのテクニックを評価する声は未だにある。英国にはキース・ティペットってピアニストもいるが、ビートルズによって世界のロック大国となった英国では他の国ならばジャズに流れるような秀逸な人材が続々とロックに流れたようだ。さて、前置きが長くなったが、入門用に紹介するのは2ndアルバムのタルカス。これは世界で初めてシンセザイザーを全面的に導入したロックアルバム。シンセザイザー自体が珍しい時代にアナログシンセの電気音を自分のスタイルとして完璧に使いこなしている。他の楽器とのバランスも良好で、メンバーがポップな感覚も持ち合わせていたことから、アメリカのアルバムチャートも駆け上がっている。正に「時代の寵児」だった。



CLOSE TO THE EDGE ( YES ) 1972

私個人はリレイヤーが好き。イエスとしてはサードやフラジャイルも重要なアルバムだが、入門用として完成されたひとつのアルバムとして紹介するのであれば、やはり「危機」ということになろうかと思う。組曲志向は当時のプログレバンドの定番だったが、この「危機」はイエスとしては初の大作組曲だ。長い曲が聴けない人々がいるが、それは良質な大曲を聴いた経験の無い人に多いのではないかと思う。長さが問題なのではなく展開の問題なのだ。長い曲といってもモチーフの集合体。聴きどころが無ければメリハリも無く緩慢でただただ長い曲ならば、誰でも飽きてしまうが、緊張感のある長い曲も世の中にはたくさんある。さらに付け加えれば、聴きどころを自分で見つける力があれば長い曲もまったく平気になる訳だ。この「危機」もメンバーの個々の演奏を楽しむようして聴けば、長いはずの曲があっと言う間に終わる。楽しいフレーズの断片がごまんと含まれている。クラシックやジャズの長い曲を聴く時も同じ聴き方が可能だが、やはりカラフルな音色とビート(イエスは16小節で演らないブルースバンド!)が楽しめるプログレッシブロックの大曲には独特の判りやすさがある。業界?ではそれを構築美ロックとかシンフォニックロックなどと呼んでいる。



SELLING ENGLAND BY THE POUND ( GENESIS ) 1973

この選択、異論のある人おおいだろうな。困ったなあ...。結局、初めてジェネシスを聴いた人が持つであろうジェネシスに対するイメージのことを考えてこのアルバムを選んでみた。ピーター・ガブリエルの唄から聴いて欲しい。次にトニー・バンクスのキーボード。そしてスティーヴ・ハケットのギターと続く訳だが、ジェネシスは個々のプレイを聴くというよりは、グループ全体が持つオリジナリティを聴いてもらいたいバンド。英国人の心の原風景を体現したような雰囲気は怖いような気もするが、そこがその後ヨーロッパを中心に星の数ほどのジェネシスもどきを生んだ要因でもあるのだ。そこを理解してもらえればと思う。演奏は特別に凄いとは言えないし、サウンド的にはガブリエルが抜けた後の「トリック・オブ・ザ・ティル」の方がメリハリが効いていてずっといい。また、本当のガブリエルを理解したいのなら、ソロアルバムを聴くべきだろう。けれども、アメリカではほとんど売れず、英国でもトップバンドではなかったこの時期のジェネシスのこのアルバムはイタリアでは堂々1位だったりしたのだ。ヨーロッパを虜にしたジェネシスは、このアルバムとそれ以前のジェネシスだったのだ。



THE DARK SIDE OF THE MOON ( PINK FLOYD ) 1973

> ピンク・フロイドはプロレッシブロックというカテゴリーの無い時代から活動していたバンドだ。そのため、他のプログレッシヴ・ロック・グループとは違うファン層も獲得してきた。特に日本国内ではそれが顕著だ。60年代の後半に米で起きたポップカルチャーなどと呼ばれた芸術運動が、英国のモッズカルチャーを生みだし、それがビートルズにサージェントペパーズを創らせ、アートロック、プログレと進化する過程は、その手の流行音楽史の書籍には必ず書かれているフローチャートだが、それがそのまま日本国内にリアルタイムで輸入された訳ではない。多少の誤解やタイムラグを伴って少しずつ輸入されたようだ。実際、ポップカルチャーは60年代の中頃に発生しているが、それが日本の若い芸術家やアート兄ちゃんアート姉ちゃんに定着するのは70年が近づいてからだったのではないかと思う。日本がよいうやくポップカルチャーな雰囲気になって来た頃にちょうどタイミング良くそういう音を提供していたのがピンクフロイドで、そちらの方面の人々からの絶大な支持もあったようだ。そもそも「プログレ」がカテゴリーとして語られるようになったのは1973年あたりから。それ以前から「プログレッシブ・ロック」という言葉自体はあったが、カテゴリーとして聴かれたのではなく、それぞれのバンドが直接、当時の流行に影響を及ぼしていたと考えた方が正しい。その代表格がピンク・フロイドだ。「ピンク・フロイドの道はプログレッシブ・ロックの道なり」とレコードのタスキに書かれていたことでプログレという言葉が一般化したという話もあるが、プログレがカテゴリとして語られるようになってからも、ピンク・フロイドはいわゆるプログレの枠を超えた存在として活動した。それどころか、年を追うごとにその音と主張はコスモポリタン化して行き、その最初の到達点がこの「狂気」と邦題のついたこのアルバムだった。全世界で最も売れたプログレッシブ・ロックのアルバムでもある。



HUMBURGER CONCERT ( FOCUS ) 1974

レディングフェスティバルって今でもやっているのだろうか? 80年代にはヘヴィメタルのユニバーシアードのような大会のようになってしまったロックフェスティバルだが、70年代前半は有能で多彩な若手バンドが紹介される権威あるフェスティバルでだった。名称もナショナル・ジャズ・ブルース&ロック・フェスティバルと呼ばれていた。その1972年に行われれたフェスティバルに突如、オランダから登場して世界をアッと言わせたのがこのフォーカス。日本でもポリドールからレコードが発売され洋楽としては大ヒット、来日も果たしている。日本人にヨーロッパにもプログレッシブロックが存在することを強く印象づけたバンドだった。フォーカスはフルート奏者でキーボード類もすべてこなすテイジズ・ファン・レール(タイス・ファン・レア)とリッチー・ブラックモアに最も注目すべきギタリストと言わしめたヤン・アッカーマンを中心として中世音楽趣味を漂わせながら、ヴォーカルのないハードロックを演奏するバンドだ。その後、米日で流行するフュージョンの元祖的な音でもあるし、日本でもそのあたりを好むような層に支持されていたりもしたが、私はフォーカスはやはりユーロ・ロックとして捉えたいと思っている。知らない人が聴けば、「フュージョンけ?」ってことになるが、フォーカスをフュージョンとして語るのは古くからリズム&ブルースをやっていた黒人ミュージシャンのことをロックンローラーと呼ぶのと同じようであまり戴けない。このアルバムを聴くときもよく発売年と70年代の音楽状況を照合しながら聴いて欲しい。フュージョン以前の音楽、フォーカスオリジナルであることを知ればこのバンドに対する印象も変わることだろう。



STORIA DI UN MINUTO ( PREMIATA FORNERIA MARCONI ) 1971

キング・クリムゾンのピート・シンフィールドのプロデュースで世界に紹介されたイタリアのバンド。世界デビュー盤の「幻の映像」を選ぼうか迷ったが、ここではPFMをユーロロックの入門盤としたいのでイタリアオリジナル盤の方を選んだ。もともとイタリア語て歌っているこちらの方が絶対にイイ。ELPフリークだった私はマンティコアレーベルから発売された「幻の映像」は発売された頃に聴いているのだが、その時点ではそれほど良いと思わなかった。当時の私の気分としてはELPやクリムゾンのように過激に演奏して欲しいって感じがしたのかも知れない。ところがそれから数年後の1978年頃、近所の輸入盤レコード店に田舎ゆえに何年もずっと売れ残っていたこのアルバム(ヌメロウノ盤)を購入して聴いてびっくり、「おいおい全然違うじゃないか」と...。「幻の映像」はピートシンフィールドのオーバープロデュースでかえってパワーダウンしているのに対し、イタリアオリジナルはパワー全開、素晴らしいアルバムだったのだ。失態失態。慌てて国内盤をすべて買い集めた。ところが、その頃はすでにプログレのブームが去りつつある時代だったので、国内盤でさえ店頭在庫が無いありさまで苦労した。イタリア盤の売れ残りを手にしたってのは超ラッキーな出来事だったのかも知れない。そんなことはともかくとして、PFMの凄いところはイエスも真っ青の演奏力。そして、ラジカルな詞。世界での商業的成功を目指して迷走する痛々しい姿も垣間見えるが、彼らが素直にイタリア人になった時の音楽は常に力強かったように思う。

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ぷろぐれ必聴美麗盤

美しく妙なる調べ。シンフォニックロックの究極。アドレナリンが出過ぎの皆さんへのお勧めアルバム。

★ONCE AGAIN ( BARCLAY JAMES HARVEST ) 1971
★FORSE LE LUCCIOLE NON SI AMANO PIU' ( LOCANDA DELLE FATE ) 1977
★L' ARAIGNEE-MAL ( ATOLL ) 1974
★MOVING WAVES ( FOCUS ) 1971
★ADONIS ( ANYONE'S DAUGHTER ) 1979
★THE KICK INSIDE ( KATE BUSH ) 1978
★GARDEN SHED ( ENGLAND ) 1977

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ONCE AGAIN ( BARCLAY JAMES HARVEST ) 1971

このアルバム。邦題が「バークレー・ジェームス・ハーベストの叙情」。「叙情」だよ。(笑) タスキに書かれたポップもついでに紹介すると「詩情ゆたかなロック・ポエトリー/至上の美!」。これで美しくなかったら困る。このバンド、演奏される曲の七割以上にフルオーケストラが使われ、バークレー・ジェームスハーヴェスト・オーケストラとまで呼ばれた時期もあった。美しい曲とブルースフィーリングが混在する英国最高の万年二流バンドという評価も?? このアルバムを選んだ理由はやっぱりギャラリドールとモッキンバードが含まれているからだ。この2曲、詞も美しすぎて涙が出る。(笑) 初期の名曲を集めたCDにももちろん含まれている。このバンドのキャリアは長く、80年代になってもヨーロッパで絶大な人気を保ち続けていたようで、サーカスの興行のように各地を回っていた。ロックの流行がどう変わろうが、ヨーロッパの人々はシンフォニックな音が好きなようで、それは今でも変わらない。



FORSE LE LUCCIOLE NON SI AMANO PIU' ( LOCANDA DELLE FATE ) 1977

日本でもプログレッシブ・ロックがすっかりメインストーリームから消えかかっていた1980年頃、キングレコードが突如としてユーロピアンロックコレクションという企画を始めた。これが大当たり。ロック雑誌の中身はニューウェイブばかりのあの時代、プログレに飢えていた人々がずいぶんとたくさんいたことに私はとても驚いた。日本盤で出して欲しいアルバムを列挙した嘆願書みたいなものを書く人も現れ、そういうファンの思いが通じたのか、日本ポリドールもユーロロックのコレクションを発売した。ショッキング・ブルーやアース&ファイア、そしてフォーカス、60年代から欧州ポップを日本で紹介してきたポリドールの面目躍如、その中にマニア驚愕の一枚があった。それが、ロカンダデッレファーテ。国内盤はもちろん、輸入盤もほとんど日本には入っていなかった幻のアルバムがいきなりリリース。「妖精」と邦題が付けられたこのアルバムは完璧な出来のシンフォニック・ロックだ。イタリアのプログレッシブ・ロックにはシンフォニックの重鎮が壮々と並ぶが、このバンドの透明さ、美しさは際立っている。おどろおどろしいところは一切無く、リズミカルで聴き易いところも最高。こういうバンドを聴いてユーロ・ロックの深みに填っていてしまった人は少なくないと思う。



L' ARAIGNEE-MAL ( ATOLL ) 1975

さて、本家キング・レコードのコレクションの超美麗盤といえばこのアルバム。フランスのアトールの2ndで邦題は「夢魔」だ。フランスといえばミッシェル・ポルナレフ!と応える人はもうずいぶんなオジサンだと思うが、ポルナレフが大好きだった私はプログレを聴くようになってからも、フランスは常に気になる国だった。マグマのアルバムを聴いてその難解さに驚き、アンジュのアルバムを聴いてフランス語のロックの独特の語感を楽しんだりもしていたが、キングのコレクションで初めてアトールを聴いたときはぶっとんだ。このアルバムはムーグ・シンセサイザーに最も美しい音を出させたアルバムだろう。輸入盤店でフランスのイエスみたいな紹介のされ方をされていたのを覚えているが、どこがイエスなんだろう? 強いて言えばシンフォニックな曲を演ってもブルースフィーリングを忘れないあたりか。他のアルバムはともかく、この2ndはそのバランスも良く、綺麗好きの人には絶対の必聴盤だ。キングのコレクションの中で一番売れたアルバムだそうだが、ジャケットもカッコイイしそれは実に当然の結果ではなかったかと思う。



MOVING WAVES ( FOCUS ) 1971

アドレナリンの分泌を抑えるシンフォニックロックとか書いていおいて、いきなり「悪魔の呪文」じゃ血管が切れちゃうな。(笑)  ギターの好きな人はアドレナリン出しまくりで聴けるだろう。古いことは知らないヘヴィメタルファンにこの曲を聴かせたら三味線みたいなギターと言われてガックリきたことを思い出す。気に入って貰えると思ったのに・・・。さて、本題の美麗な部分だが、それは「悪魔の呪文」の次に続く曲で本領が発揮される。「ル・クロシャール」「ジャニス」「ムーヴィングウェイヴス」「フォーカスU」と続く流れの美しさといったら尋常ではない。一昔前のFM東京(TOKYO−FMと呼ばれる前の)の品の良さと言うか、なんともアダルトな美しさがある。さらにその線が聴きたい方はテイジス・ファン・レールのソロアルバムを聴こう。完全にセミクラシック。上品なお宅のティータイムのBGMには最適だ。(笑)



ADONIS ( ANYONE'S DAUGHTER ) 1979

1979年、録音技術も格段に良くなった時代にドイツでデビューしたシンフォニックロックバンド。A面全部を占めるアドニスという組曲の綺麗なこと。キーボートとギターの登場回数のバランスも適当で、ドイツのシンフォニックロックでは一押しのアルバムだ。こういうシンフォニックロックはやはりカッコイイ。1980年頃、リアルタイムで聴くことの出来るシンフォニック系プログレの新人というとこのエニワンズ・ドーターか日本のノヴェラくらいしか無かった。このアルバムの録音の抜けの良さを気持ち良く思っている矢先にネオプログレのムーブメントが英国で起こったので、王道をいくプログレファンが「軽い」と避難する中、私はこだわりなくネオプログレに突き進んでいくことになった。つまり、エニワンズ・ドーターってはネオプログレにはカテゴライズされてはいないものの、実はその先駆だったってことなのだ。

THE KICKINSIDE ( KATE BUSH ) 1978

美麗盤といってもこれは容姿が美麗盤? ケイト・ブッシュはプログレファンの永遠のアイドルだ。(笑) ただし、ここで取り上げたのは、ケイトがピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに見いだされたからでも、ピーター・ガブリエルと不倫していたから(笑)でもなく、彼女の完璧主義こそプログレの発想そのものだからだ。このページではインディーズにランクされるバンドやプログレマニア以外には知られていないバンドなども多数紹介しているが、やはりそういうものを聴く前に、メジャーレーベルの優れた音楽は、おとすことなく聴いておくべきかと思う。美しいのは容姿だけでないのは聴いて頂ければ理解できる。どの曲も良いが、やはり「嵐が丘」は良い。小鳥がさえずるように歌う声がいい。ピアノもケイトだ。パイロットのデヴィット・ペイトン、そしてあのモーリス・パート!!など、ブリティッシュ・ロック界の強者がバックをかためている。



GAREDEN SHED ( ENGLAND ) 1977

国内でCD化された時の邦題が「枯葉の落ちる庭園」とかいう凄いタイトル。正に英国的美麗の極み?? さらに凄いのはそのCDがノイズの入ったアナログ盤起こしだったために早々に販売が途絶えたこと。(^^;   のんびりと構えていた田舎者の私は入手出来ず、というか欲も無いのでそのまま聴かず終いになっていた。で、その後、オリジナル発表後20年目にして遂に登場したリマスター盤が簡単に入手出来るようになり、初めて耳にすることと相成りました。プログレやハードロックが、Old Wave と揶揄され、英国有名バンドの音が迷走し、マイナーなプログレ系ミュージシャンが音楽で食えなくなっていた77年の英国で、よくもまあこんな純粋に英国プログレを継承した新人バンドがアリスタという大メジャーレーベルからデビュー出来たものだ。まずそこに感心してしまう。ちょっと大袈裟に云えばプログレ史観が変わるのだ。さて、肝心の音楽。曲展開はジェネシス、コーラスやリズムセクションは初期イエスなどと書くと凡庸な二流バンドのようになってしまうが、そうではない。緻密さは本家に負けておらず、何よりVDGGに代表されるような70年代初頭の英国プログレが持つ独特の雰囲気を77年まで引きずったことがとても立派だ。おそらく、それはこのアルバムを最期に消えていった音世界かも知れない。翌78年には、U.K.が登場し、以降プログレは自分自身をプロトタイプ化していく。80年代になりフィシュのマリリオンがいくら耽美的に唄っても再現されなかった時代の雰囲気がここにはしっかりと残っているのだ。何万円も叩いて購入する音源なのかどうかはともかくとして、普通の値段で売られているCDとして聴くのであればシンフォファン必聴の名盤であることは間違いない。メンバーの消息を調べてみると、ドラマーの Jode Leigh が Greg Lake の1stソロに参加してることが判明した。おそらくレコード会社(アリスタ)のつながりだろう? 他のメンバーはデビュー以前も含めてまったく消息不明。

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ぷろぐれ必聴感動盤

思わず口ずさんでしまう「プログレの唄」。プログレの場合、ヘヴィメタルのバラードのように明確なスタイルがある訳でもなく、ある曲の一部としてバラード風の唄が含まれていることも珍しくない。ここではアバウトな解釈で「唄」が重視されている楽曲を曲単位で紹介することにする。

★HERE COMES THE FLOOD ( PETER GABRIEL ) 1977
★SOLSBURUY HILL ( PETER GABREL ) 1977
★REFUGEES ( VAN DER GRAAF GENERATOR ) 1970
★HOUSE WITH NO DOOR ( VAN DER GRAAF GENERATOR ) 1970
★WONDERRING ( VAN DER GRAAF GENERATOR ) 1976
★THROUGH THE LOOKING GLASS ( MOOT THE HOOPLE ) 1974
★THE GATES OF DELIRIUM ( YES ) 1974

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PETER GABRIEL I  ( PETER GABRIEL)  1977

HERE COMES THE FLOOD
邦題は「洪水」。巨大な波が海岸を襲う洪水そのものを歌った曲だが、そもそも「押し寄せる波」自体が何を意味しているのかを想うと、また違った感慨のある曲だ。ピアノをバックに静かに歌い始めるガブリエルの歌はジェネシスの時代よりも表現力が増しているようにも感じる。そして、押し寄せる巨大な洪水のようなサウンドが私達を襲う。これはプログレの範疇を超えた、ロック史に残るバラードの名曲。

SOLSBURY HILL
「ソルスベリーヒル」は同じアルバムに含まれるガブリエルファンならみんな大好きな佳曲。軽やかなアコースティックギターで始まる軽いタッチの曲だが、歌詞の内容には「洪水」と変わらない重みがある。このアルバム全体を通して感じられるのはガブリエルの強固な決意のようなものだ。本来それはとても前向きなもののハズだが、ガブリエルのパーソナリティやプロデューサーのボブエリズンの陰影の濃いサウンド創りせいか? 明るいこの曲にもどこか暗さが漂っているあたりが何とも魅力的だ。(^^;

THE LEAST WE CAN DO IS WAVE TO EACH OTHER  ( VAN DER GRAAF GENERAITOR ) 1970

REFUGEES
20代の若者がこんなに疲れていていいのだろうか?と思うような曲。レフュジーズとは「難民」というより「安息を求める人」とでも訳した方が正しいようだ。フルートの音色が聴く者にも「やすらぎ」を与えてくれる曲だが、そのフルートの音の「やすらぎ」が逆に「彼岸」をイメージさせるのだから怖い。現実逃避を求める人々にはピーター・ハミルの存在自体が「やすらぎ」だったのも知れない。

H TO HE WHO AM THE ONLY ONE ( VAN DER GRAFF GENERATOR ) 1970 

HOUSE WITH NO DOOR
ハミルの詩は人生の蹉跌や迷いを哲学風に語ろうとしている。で、この曲のその代表的な曲。「扉の無い家」とはまさにハミル自身のことなのだろうか? 絶対的自己の探求と相対的自我の確立にもがき苦しむハミルの姿がそのまま歌になっている。同じアルバムに含まれている「キラー」はさらに過激だ。パンク全盛時にジョン・ライドンでさえ否定出来なかった旧音楽がここにある。ハミルはソロアルバムではもっとキレていたりもする。



WORLD RECORD ( VAN DER GRAFF GENERATOR ) 1976 

WONDERRING
上記2曲から6年。確実に成長したハミルの姿がここにある。「悩みながらも走る」ということでだろうか? ピーター・ガブリエルにもピーター・シンフィールドにも言えることだが、3人のピーターは自分の内面をさらけ出しながらも、けっして破滅することはない。実は力強い人達なのだ。むしろ、自分の内面を知らぬ人のほうが、弱かったりもするってことか? レフェジーズでは「助けてくれ!」と歌っていたハミルがこの曲では「息のある限り、輝いている限り、生き抜いてみせる!」と歌っている。

MOOT ( MOOT THE HOOPLE ) 1974 

THROUGH THE LOOKING GLASS ( MOOT THE HOOPLE ) 1974
またもや反則技。(笑) が、しかし、この時期のモット・ザ・フープルにはモーガン・フィッシャー氏が鍵盤で加わっている。だから強引にこれはプログレ!! で、この「偽りの鏡」はフルオーケストラをバックにイアン・ハンターが切々と歌い上げるゴージャスなバラード。最期にはベルも鳴り響いて大感動だ。アルバムで聴けばこの曲の直後でグラム・ロックの名曲「土曜日の誘惑」がスタート。70年代的盛り上がりにすっかり酔ってしまいまうこと請け合いだ。

RELAYER ( YES ) 1974 

THE GATES OF DELIRIUM ( YES ) 1974
22分の大曲の中に「スーン」というパートがある。後年、ジョン・アンダーソンはこのパートだけをソロとして唄っているが、やはり、「錯乱の扉」と邦題が付いた曲全体の中で「スーン」を聴くべきだという観点から曲全体として選んでみた。この曲、ジョン・アンダーソンが来日した際、スタッフに連れられて行った居酒屋で興にのっていきなり立ち上がりアカペラで唄っていたという逸話もあるほど、本人のお気に入り曲だったりする。同じアルバムに含まれる「トゥ・ビー・オーバー」をはじめ、「不思議なお話を」「時間と言葉」など、稀代のヴォーカリストを抱えるイエスには唄の良い曲が他にもあるが、やはりジョン・アンダーソンは「スーン」だろう。ジョンのコンセプトと妄想の総決算みたいなところもある。

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