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日本の貧困率

日本の貧困率がOECD加盟26ヶ国中5位というデータを御存知だろうか? OECDってのは経済協力開発機構。簡単に言えば発展途上国に経済援助が可能なそこそこ金のある国家の集まりのことだ。その中で日本の貧困率がなんとワースト5位にランクされている。貧困率はGNP(国民総生産)やらGDP(国内総生産)のように国の経済の規模・成長を測る指標ではない。誰もが知るところだが、GDPの世界1位は米国、日本は続く世界2位の経済大国だ。その日本に「貧困率」もクソもネエだろうとも思うのだが、実はこの貧困率なる指標、意外な現実を浮かび上がらせてくれる。・・・と、ここまで書くとその貧困率って一体何なのよ?ってことにきっとなるなるだろうから、まずは掻い摘んでそれを説明する。貧困率とは「所得の中央値の半分以下の所得で生活している人の比率」。ぶっちゃけ、平均的な所得を得ている人の数に対して貧乏人がどの程度いるのかって割合のことだ。隣の芝生は青く見えるなどというが、人間はサモシイ生き物で、GDPが世界2位であろうが、自分の家が他の家より良い生活をしているかを常に気にしている。そういう意味でこの貧困率はGDPなんぞよりもずっと庶民意識に合致した経済的指標なのかも知れない。実際のデータだが、日本人の所得の中央値は2002年の統計で476万円だった。その半分238万円以下の所得の人の割合は全体の15.3%。この順位がワースト5位だったというわけ。ちなみにワースト1位がメキシコで20.3%、2位が米国で17%。一方、ベストの1位はノルウェーで6.3%、2位はフィンランドで6.4%だ。実はこの先が重要で、ここでいう所得とは「税や社会保障などによる再分配後の所得」のことを指している。つまり、「国が施策によって所得格差を是正していればこの順位は良くなる」ということ。北欧諸国の順位が高いのはそのためだ。20年ほど前、日本はこの指標で15位前後をウロウロしていた。これはGDPを考えれば凄いことだ。国が儲かりかつ貧富の差がない状態。この人類史の中でも稀有な状況に、日本は世界で最も成功した社会主義国などと冗談で云われたりもした。ところが、2002年の段階ではなんとワースト5位になってしまった。格差社会などと云われ、総理大臣が開き直って格差是認発言をしてるくらいだから、今後このワースト順位がさらに上がり、貧困率でも憧れの国アメリカ合衆国と肩を並べられる日もそう遠くはないのかも知れない。無論それでもGDPが多ければ先進国モドキの生活は十分に出来よう。橋の下や洞穴で暮らすわけではない。ローン抱えたままリストラされ自殺を考えた人も真面目にやり直せば年収238万円程度は稼げるだろうし、年収238万円でも発展途上国に行けば大金持ちではないか。総理大臣もWBC野球の結果を見て「一度や二度失敗しても勝ちあがれる社会にしたいですね。」などと笑顔で語っていた。・・・でもソレなんか違くね? まあ個人がそういう慎ましい意識で仕事に励むこと自体は否定しないし、戦中戦後の苦しい時代を生きた人々が浪費飽食を戒める意味で云うのなら、それは誠実に聞く必要はあるとは思う。しかし、「努力した者が報われる社会にしたい」とか「働かざる者食うべからず」みたいな発想で、この貧困率や格差社会を是認しよう思うのであればそれは止めておいた方が身のためではないかと思う。近年、何かを勘違いしてる人が多い。確かに格差社会とは努力した者が報われる社会ではあるのだが、問題はその努力の度合いだ。格差社会では成功へのハードルはどんどん高くなり並大抵の努力では成功できなくなるのがまた現実なのだ。さらに格差社会の継続は新たな格差を生む。よく考えて欲しい。「格差は是認、消費税は引き上げ、所得税の累進課税は緩和」なんて政策では金持ちの子はまた金持ちに貧乏人の子はまた貧乏になるだけではないか。一体どこが実力主義社会なのか? 騙されてはいけない。そして精神まで貧困になってはいけない。大切なのは怠けないことであり自分のスキルを上げるために日夜努力することなのであり、それを誠実に実行している者ならば本来ある程度は報われるような社会でなければいけないのだ。それを実現するのが政治の役割。弱肉強食で良ければ政治など不要だ。人間も動物、放っておけばそのようになる。現総理がやってきたのは徹底して人を蹴落す政策だった。蹴落されても立ち上がれってことだろうが、経営者がそれを云うのならともかく政治家や学者(笑)がそれを云ってしまってはオシマイだ。バブル景気で日本人が弛んだ部分を治すにはそういう発想も必要だと選んだリーダーではあるが、これ以上やったら日本人が壊れてしまう。貧困率はその指標になるだろう。

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