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朝青龍社員

asasyo横綱朝青龍の評価。意見のわかれるところだろう。相撲の実績は申し分ない。テレビCMに出演するほどの人気もある。しかし、常識と品格に欠けている。古来、常識や品格が無くても、類まれなる才能が世間から評価された人は多い。偉大な業績を残すような人は常人ではないことの方が多かったりもする。朝青龍もそうした偉人の一人なのか。いや、残念ながら私の答えは否だ。常識や品格が無くても優れた業績で評価されるような人は、それとは別に誰からも愛される人間性があるものだ。簡単に云えば「可愛げがある」ということ。それがあれば人々は「しょうがねえなあ」とあきらめつつ、良い面を応援するようにしてくれる。かつて放送されていた朝青龍を起用したテレビCMもそのあたりを意識して作られていたように思う。しかし、現実の朝青龍の所業は、可愛さよりも、ふてぶてしさの方が目立つ。いくら実績を残しても慕う人間はどんどん減っているのではないか。それではダメということだ。ところで、あなたの会社にも、朝青龍のような社員が一人位はいるのではないか? とても良い仕事をするのに、規律意識のない人。能力はあるのに、感情が昂ぶると制御が効かない人。そういう人の社内での評価は二分されることが多い。実力を評価する人は認め、人柄が許せない人は絶対に認めないからだ。よく言えば社内に活気を与え、悪く言えばトラブルメーカー。価値観が大きく変動する時代にはそういう人物の破天荒な行動力が許容されることもある。急激に価値観が変わった戦後の日本社会にも、極端な行動や言動をとる若者が時々現れたように思う。その頃の社会にはまだ封建的な風習が少なからず残っており、指導層にも明治生まれが居たりしたので、古い制度に対抗する若者は、ある種の英雄だった。そして、当時の青春映画でも主人公の石原裕次郎を東野英治郎が暖かく見守る、あるいは森田健作を笠智衆が応援するみたいな構図が喜ばれたもした。現実社会でも、破天荒な若者にこそ世の中を変えていくパワーがあると考え、決められた枠組みの中から飛び出してしまうような若者の人間性を見抜いて、敢えて可愛がるような経営者も少なからずいたようには思う。管理を強化し過ぎて小役人のような社員ばかり増やしてしまうと当然社業は停滞してしまう。バイタリティに溢れた社員は現在でも少なからず必要だろう。しかし、現在の日本社会には昭和の時代にあったような劇的な変化はない。また、多少のマイナス要因など吹き飛ばしてしまうような、経済の急成長もあるわけでもない。朝青龍のような社員の存在を許容できる企業はきっと少ないのではないか。相撲協会もジリ貧と聞く。相撲が反社会的な格闘技としてダイナミックに変貌することで進歩すると考えるのならともかく、国技としての再生を目指すのであれば、今回は朝青龍を解雇すべきだろう。解雇どころか永久追放、記録抹消なんて処分もありうる。彼の破天荒さは、相撲界を崩壊させるパワーは持っていても、人々を惹きつけるようなパワーはない。「愛される人間性」のメッキが剥げてしまったからだ。伝統ある業界とはいえ、多少の規律違反は許容されても良かろうとは思う。しかし、人柄を疑われ始めたら横綱としては失格だ。能力の高い人物なので、母国に戻れば経済人として成功するのではないか。今回の事態を逆手にとって商売するのも良いだろう。その方が彼にとっても幸せだと思われる。

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