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メディア革命 (w

21bb2442.JPG筑紫哲也氏と堀江社長の対談を見た。江川昭子氏のHPや外国人記者クラブでの会見に続く堀江社長よるメディア論披瀝ということになる。それによると彼はBLOGをネット時代のジャーナリズムと位置づけているらしい。ネットでは有用な意見に人気が集まり、無用な意見は自然に淘汰される。既存の押し付けがましい偏ったジャーナリズムは不要なのだそうだ。おいおいネットのことを知らないジジイを脅かすにはそれで充分なのかも知れんが、そんな青いメディア論を振り翳していて本当に大丈夫なのか? 確かにBLOGはネット上での民主主義を体現するものだ。しかし、それはムーブメントであってジャーナリズムではない。かつて学生運動や労働組合運動が盛んだった頃、運動に熱心だった人々はさかんに新聞やビラを作成した。それはいわゆる左翼だけではなく右翼の皆さんも同様だった。政治活動だけではない。学校新聞や公民館報にまでお見事な論説が掲載されていた時代があったのだ。それらの中には優れたオピニオンも含まれていたし、それらが相互に交流して大きな意見となり当時の世論の一部となり大手の新聞に影響を与えたこともあったとは思う。簡単に言えばBLOGというのはそれの電子版じゃないのか? もちろんかつてのビラに比べて双方向性が高く伝播速度も著しく速ければ情報量も格段に多い。しかしそのポジションはあまりは変わらないような気がする。だとするとそれは残念ながらマスメディアの役割を代替するものではない。例えが適当かどうかは判らないが、彼の云ってることは草の根運動家がいれば既成政党はいらないと言っているようなものだ。既成政党もロクなもんじゃないからブチ壊したい気持ちもわからないではないが、仮に粉々に破壊したところで、そのうち草の根運動家が離合集散しながらロクでもない政党がまた再構成されることだろう。政党もマスメディアも所詮人間社会内で利害関係で一致を見た者の集合体でしかない。草の根民主主義を熱心に推進するのは結構なことだとは思うが、人の物欲や権力欲の巨大な集合体である既成団体を破壊するようなことをしたら命がいくつあっても足りない。だいたい彼自身をここまで有名にしたのもネットではなくテレビだ。例えばネットだけで有名になった人に代表には「ひろゆき」氏(2ちゃんねる)がいるがそれが知れ渡るために要した時間はかなりマタ~リしたものだった。さて、仮にネット上でマスメディアの役割を担えるとすればそれはいわゆる「ポータルサイト」ってヤツになる。ただしテレビのような簡便性を活かすなら使えるのはそのトップページとせいぜいそこからの1次リンクあたりが関の山だろう。そこに詰め込める情報量などごく僅かだ。ヤフーを超えるポータルサイトを目指すライブドアのHPを見ればそれは一目瞭然。(笑) 情報満載のフジテレビのHPともなると細かい画や文字が乱舞し見難くて仕方がない。(爆笑) ポータルサイトに映像リンクを貼れば情報量自体は増えるが、その分文字領域が圧迫されてしまう。それ以前に情報を得るのにいちいちマウスクリックしなければならないのがなんとも面倒臭い。クリック箇所を減らして連続映像のみにすれば操作は楽になるがそれではネットが単なるケーブルテレビになってしまう。それに比してテレビのニュースはどうだろう? あるいは毎朝家に配られる新聞はどうだろう? 電車の中で読むタブロイド紙はどうだろう? テレビが1日に放送する情報量は8TB(テラバイト)といわれる。半日寝転がって見てるだけで4TBもの情報が一方的に眼と耳から入ってくるとんでもなく恐ろしいメディア、それがテレビだ。「テレビなど見たくない。必要な情報はインターネットで取捨選択して得る」と考えるのは至極健全な行動だと私も思うが、家族がそれぞれノートパソコンを広げてカチカチマウスを動かしている家族団らんは極端な姿としても、マイクロソフトパワーポイントみたいな画面のネットテレビを家族で見るのもどうかとも思う。すでにDVDはいちいち「メニューが表示されて面倒だから嫌だ」と云ってる女子供年寄りが少なくない。繰り返しになるがその手順を簡単するってことは既存メディアと同じになるってことにしかならないのだ。私自身はインターネットがメディアの主役になるのはかなり怪しいと思っている。少なくとも現在のアーキテクチャでは困難だ。それ以前にメディアとマスメディアの違いを理想論ではなく実態としてもう一度精査する必要もあるように思う。

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