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悲しくてやりきれない

katoかつてニューフォークと呼ばれた音楽があった。欧米の伝統的なフォークソングに若者が社会的なメッセージを込めて唄った新しいフォークソング。ピート・シーガー、PP&M、ボブ・ディランあたりが元祖かと思う。その影響を受けた音楽は日本でもたくさん作られた。マイク真木、フォーク・クルセイダース、赤い鳥、五つの赤い風船、岡林信康、高石ともや・・・、挙げればキリが無い。社会的なメッセージを込めたもの、日本の古謡や民謡、労働歌に根ざしたもの、当時の若者の生活や心象を唄ったもの、いろんな歌があった。そうした中で強いて私が好きなものと云えば、フォークの真髄を追求する人にはやや申し訳ない気もするが、チューリップやガロに通じるフォークギター以外の楽器も駆使し、架空の事象や若者の夢を歌ったカラフルなタイプのものだ。その分野の先駆け、加藤和彦さんが逝った。デビュー曲「帰ってきたヨッパライ」からいきなり当時としては画期的なテープの早回し、これは「ブルー・シャトウ」の替え歌などと共に当時のハナタレ小僧が熱狂したコミックソングのひとつになった。「あの素晴らしい愛をもう一度」の12弦スリーフィンガーの凄さとアレンジのカッコ良さに本当に夢中になった。ナショナル住宅のCMソング「家をつくるなら」にはマイホームの夢を子供心に見させてもらった。角川文庫から出ていた北山修さんの詩集は未だに私の本棚にある。元来はアコースティックなフォークから始めた人だ、エレクトリック・ギターを使おうがストリングスが入ろうがポップで親しみやすいメロディーが常に基本にあるところが私は好きだった。しかし、一方でスノッブな雰囲気もあった。70年代に入ると私自身がブリティッシュ・ロックやプログレッシブ・ロックに嵌ってしまう。そこ頃聴いた加藤さんのサディスティック・ミカ・バンドは海外進出の気負いがウザくで私は敬遠気味だった。80年代のソロ作品になるとブルジョワ的過ぎて普通の若者だった私の夢とはあまりにも異質な世界で、正直辟易した。私的には「あの素晴らしい愛をもう一度」あたりの時期が一番しっくりくるなとずっと感じていた。しかし、訃報を聞いて久しぶりにサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」を聴いてみたら、そのあまりの先進性に驚いてしまった。その後の日本の「良い子の」ロックに脈々と流れる何かの源流がそこにはある。むろん、高橋幸宏さんや高中正義さんによるところも大だが、フラワートラベリンバンドやはっぴいえんど、あるいは意外と先進的なことをしていたチューリップと比べてもやはり一日の長があるように思う。訃報が報道された際、若い人の中には「それ誰?」と思った人も少なくなかったらしい。借金もあったらしいが、鬱の要因は「それ誰?」だろうなと勝手に想像してしまう。90年代以降は懐メロ企画で目にすることが増え、かつてのスノッブさは見る影もなく、坂崎幸之助らとテレビに出て「あの素晴らしい愛をもう一度」を唄ってくれる人の良いオジサンという印象でしかなかった。遺書には「今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。死にたいというより生きていたくない。消えたい」というようなことが書かれていたという。確かに日本のポップスは技術的には世界レヴェルにまで進化しているものの、40年前に比べれば実にツマラナイものになっている。ある時期、日本のポップスを牽引し続けた加藤さんにしてみれば、現状のツマラナサを自分のツマラナサのように感じてしまってもまあ不思議ではない。やはりスノッブな人だったのかな。昔の名前で出ていても最大限の敬意を持って接する人も少なくない。そういう人々のためにもっと長生きして欲しかった。

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