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NO MUSIC, NO LIFE

36f0eb59.jpg米国タワーレコードで働いていた人や東芝EMIの社員であった人々には申し訳ないが、昨今は無料で聴きたい音楽が楽しめる良い時代になった。こんなことを書くと「通報」されるかな?(笑) 断っておくが、私は基本的にパッケージメディアを購入する人間だ。レコードは文化だと思っているし、再販価格制度にも賛成。古今東西、食うに困らない文化というのは為政者による手厚い保護がないと花開かないものであって、一定の保護はあってしかるべきだと考えている。自宅には今まで購入した2000枚を超えるCDやレコードが鎮座ましましてもいる。しかし、この10年、国内盤CDを購入する機会が極端に減った。最大の理由は「購入したいCDが売られていない」から。無いものは買えない。いや、この世に無くは無いのだが、日本のレコード会社がCDにしてくれない。マジで欲しいものは海外通販までして購入しているが、手数料が高すぎて限界がある。いまでも日本盤CDがあれば当然そちらを選んでいる。しかし、無いものは買えないのだ。15年ほど前から、日本のレコード会社は私のような良心的な客を軽視するようになった。マニアが好む音楽はたくさんは売れないが確実に販売数が読める。こういうものは再販価格制度が維持できていれば、一応は商売になるはず。ところがレコード会社がバブル期にやったことは、カラオケで歌いやすい歌を作曲家に作らせ、音楽マニアでない一般の人々を対象に大量のCDを買わせてミリオンヒットを連発し利益を増やす戦略。レコード会社みずからが流行音楽は使い捨て消費財、文化ではないと宣言し、再販価格制度が不要な方向に突っ走ってしまったのだ。自由経済は厳しい。音楽マニアでない普通の人々は気まぐれ、流行が変わればCDなど買わなくなる。以前に購入したCDは中古CD店に売り二束三文の金に換える。携帯で同じ音がダウンロードできる時代になれば当然そちらで済ましてしまう。そういう人々にとって音楽とはもともとその程度のものなのだ。近年、慌てたレコード会社は私のような者を対象に、豪華ブックレット付きボックスセットのようなモノを売りつけるようになった。そんなものはいらない。私が欲しいのは、日本のレコード会社が販売権を持っている海外レーベルの全カタログなのだ。その中から必要なものをアルバム単位でCD-Rに焼いて売ってくれたほうが百倍嬉しい。30年ほど前に、なぜレコード文化が隆盛を極めたか? それは流行音楽でしかないはずのジャズやロックがカタログとして聴かれ、それが文化のようになっていたからではないのか。日本の場合、特にそれが顕著で「レンタルレコード」という独自の商売を生んだ。レンタルは有料図書館、正に文化なのだ。ロックやジャズに興味を持つ若者は実は今でも存在する。そういう人々を少しでも増やすべきなのに、レコード会社の対応は「商売にならない」「あいつらは放っておいても買うからOK」というような馬鹿にした対応ばかり。レコード会社社内でもマーケティングのプロのみが重用され、大昔のように音楽好きのプロデューサーが発売作品を検討するような風土は無くなっていると聞く。ここまで来るとレコード会社は音楽愛好家を敵に廻したようなもの。「そんなことはない」とは言わせない。レコード輸入権騒動の際にあなた方のとった態度がすべてを物語っていたと思う。さて、話は変わるが、これだけ流行音楽が好きだと、一切の違法行為なく音楽を聴くことは難しい。好きな音楽がネットに転がっていればついついダウンロードして聴いてしまうのもまたマニア。社会的立場もあるので違法真っ黒なことはしないが、海外のレコード会社がバイラルマーケティングの観点から黙認しているようなもの、ネットラジオや音楽ブログはこれからも積極的に利用いくつもり。そうでなければ、聴きたい音楽を聴く手段が無くなってしまう。 "NO MUSIC, NO LIFE" だあね。(笑)

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