エジンバラはスコットランドの首都であり、長い戦いの歴史に血塗られた堅固な城塞都市でもあります。
 5世紀初めにローマ軍が撤退した後は、大陸からアングロ・サクソン人が進入し(イングランド)、ローマ以前(紀元前)からすでに牧畜等で安定した暮らしを立てていた古いケルト系の人々は周辺部に追いやられていきました。
 彼らが逃れた地は、北はスコットランド、西はウェールズ、南はコッツウォルズ、そして隣の島のアイルランド。コッツウォルズは早い時期にイングランドに吸収されてしまいましたが、その他の地域ではケルト系の人々は長くイングランドの抵抗勢力であり続けました。
 この構図は現代にいたっても基本的には変わっていません。文化面・精神面において、政治制度において、さらにはスポーツなどにおける対抗心にいたるまで、この構図がイギリスを深く規定しているのは動かし難い事実に見えます。
 無知な私は、今回の旅で空港に降り立つまで、イギリス人が自分たちの国をどのように呼んでいるのかを知りませんでした。空港の案内表示には、"England" や "British" に類した表現はどこにもありません。やたら目につくのが、"UK" という文字です。町を歩いても、"UK" がいたるところに氾濫しています。
 実は、それがイギリスの国名だと気づくまでにしばらく時間がかかりました。UKとは "United Kingdom" の省略形です。日本語に直せば「連合王国」。「連合」とは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合のことです。
 USA(United States of America) における州の独立性とは本質的に違って、UK における各自治国の独立性は、長い歴史的確執を背景としている分、根深く強固です。北アイルランド問題のような、いまだに解決できない深刻な問題の原因ともなっています。
 日本ではまずお目にかかることのない "UK" という呼称。これがイギリス人が自国を指す正式名称です。この表現の中に、一歩も引けないスコットランド魂、ウェールズ魂、アイルランド魂がこめられているのです。もちろんイングランド魂も。
 さて、エジンバラですが、私がエジンバラに憧れの念を抱くようになった直接のきっかけは、ウォルター・スコットの小説『ミドロジアンの心臓』でした。200年ほど前の作品です。
 スコットの作品は、『アイヴァンホー』、『湖上の美人』くらいしか日本では読まれていないのかもしれませんが、『ミドロジアンの心臓』はなかなかの名作です。イギリスではたぶん、これがスコットの最高傑作とみなされているのではないでしょうか。
 若い頃、たまたま古本屋の書棚に並んでいた岩波文庫の『ミドロジアンの心臓』を手に取り、そのおどろおどろしいタイトルにあっけにとられて買ってしまいました。上・中・下の3冊本でした。読むうちにずんずん引き込まれ、夢中で読み終えた記憶があります。
 作品の舞台はエジンバラ。その中で、ヒロインのジィニー・ディーンズはエジンバラからロンドンまで、さらにロンドンからエジンバラまで、艱難辛苦の徒歩旅行をします。死刑判決を受けた妹の無罪を国王に直訴するためです。
 道中のさまざまな出来事を通して、私はジィニーの魅力のとりこになり、いつしかイギリスの田園風景、さらにはイギリスそのものに憧れるようになったようです。そして何よりも、作品の背景をなすスコットランド魂とエジンバラの町に、強い憧憬の念を抱くようになりました。
聖ジャイルズ大聖堂
 旧市街の西のはずれ近くにある聖ジャイルズ大聖堂です。
ミドロジアンの心臓の石
 エジンバラでぜひ見たかったものの一つがこの「ミドロジアンの心臓」の石でした。そもそもミドロジアンというのはエジンバラの別名(旧名)です。スコットの小説『ミドロジアンの心臓』に何度も出てくるトラブース監獄(かつて旧市街の中心にあった)の前に、その昔、心臓の形をした石が置かれていたのだそうです。解放の日を心待ちにする囚人たちの願いがこめられた石であったのかもしれません。
 スコットはエピローグで、「ミドロジアンの心臓は、いまはもはや存在せず、……、エジンバラの町外れに移されてしまった。」と書いています。
 この写真の「ミドロジアンの心臓の石」は、旧市街の西の外れに近い聖ジャイルズ大聖堂(上の写真)前の広場にあります。これがはたしてスコットの言う石なのか、大いに眉唾ものではあります。ただ、エジンバラに住むガイドさんに、スコットの "The Heart of Midlothian" について尋ねたとき、その石は今ここにありますよと教えてくれたのが、写真の石でした。
 ひょっとしたら中央の丸い石の下に本物の石が埋められていたりして…。いやいやそんなことはないでしょうね。
エジンバラ城
 小高い丘全体が城で、まるで堅固な軍艦です。このテラス状の広場も城の内部です。城の入り口は写真の左奥手にあって、門には堀があり、堀には、中世ヨーロッパのお城によくあった跳ね橋がかかっています。かつての警護の厳しさが偲ばれます。
エジンバラ城の砲台
 眼下にエジンバラの新市街が広がり、遠くに海(北海に続くフォース湾)が見えています。新市街とはいえ、それが形成されたのは18世紀。スコットが生きた時代よりも昔です。
エジンバラ城内の地下牢
 エジンバラ城には今も古い地下牢が残っています。トラブース監獄の雰囲気を彷彿させる凄みをもった地下牢です。
 内部は冷え冷えとして薄暗く、通気が悪いため心なしか酸素も薄い気がします。おそらく政治犯が収容されたものと思われますが、ここに何年も何年も閉じこめられた囚人を思うと、いたたまれない気持ちになります。
囚人の残した落書き
 地下牢に下る鉄格子の門の横に、いまは観光客用の入り口があります。薄暗い石段を下っていくと、底には石で仕切られた寒々とした房がいくつもあり、もはや自然の光は届きません。
集団房の場合、囚人たちは蚕棚のような何層もの木組みのベッドに寝、その一つ一つが物思いに沈む孤独の空間になっていたものと思われます。
 写真は、そうしたベッドの仕切りの板の一部です。囚人たちが懸命に生の証しを残そうとした落書きが、あらゆるところにおびただしく残されています。
ホリールード宮殿
 旧市街の東の外れにあります。エジンバラ城はエジンバラ市の管轄下にあって、英国王室のものではないので、王室関係者がエジンバラに来たときには、このホリールード宮殿が宿舎になるのだそうです。普段は観光用に解放されています。