タネも仕掛けも・・・

 奇術(マジック)のタネ明かし番組への不満は以前述べたが(注)(もう10年以上前だ)、余興で奇術を演じている最中にご丁寧にタネ明かしをする観客も困ったものだ。

 想像にしろタネが分かってしまったということはこちらの未熟さによるものだから、文句を言う筋合いではないのだろうが、さて、座をなごませようとやっているものをあげつらって何かいいことがあるのだろうか。

 子供が「あれ知ってる」と騒いだり、「そっちの手が怪しい」というのと同レベル。そのレベルに引き下げられたという思いが、こちらのいらだちの一因かもしれない。

 演技をつまらせて、勝ち誇ったように思うのは、「手品の『解答』を教えて下さい」とメールしてくる人のように、奇術を謎解きとか勝負のように思い、不思議がることを恥と思っているのではないか。

 プロならいざしらず、幸いこちらは趣味でやっているので、そういう相手には見せなければいい。相手に合わせて「それなりの演目」を選べばいいが、そこまで面倒をかけても「勝負」のようになっては座が白け余興としての目的からはずれる。

 前にも述べたように、タネがばれないようにするのは、うんと複雑にすればいいだけのことで、わけはない。しかしそれでは面白味が失われる。「こうすればタネがばれない」という人間心理の実験ではないのだ。

 むしろ、ばれそうでばれないギリギリのところで心理のすきを突くところに妙があるし、見ていて面白い演技となる。

 その好例が、恩師である高木重朗先生が考案されたSTムーブという技法だ。これは、数枚のカードの裏表をあらためてみせるスマートな技法で、海外でも認められている。高木先生によると、奇術マニアが「この技法を改良しました」と言って自慢げに見せてくれたのだが、えらく複雑な操作になっていたと笑っておられた。

 確かに原案では厳密にはあらためていないのだが、印象としてあらためたように感じるのがキモと言える。この点を理解せずに厳密に裏表を見せたようにしたのだが、複雑な操作はかえって相手に怪しく感じさせてしまう。そもそも数枚のカードをあらためるのなら、さっとひろげて返して見せればいいわけで、それと同じぐらいの軽い動作でないと疑念を生じることになる。

 このような「改良」は、パズルとしては面白いので私もよくやるが、奇術としては「見た目」という大事な観点を忘れている。

 「タネも仕掛けもありません」というのが昔の奇術師の常套句だったが、「わざわざそんなことを言うのは何かあるのでは」と疑念を生じるということで、余計なことは言わないようになった。

 人間心理が一筋縄でいかないところに、奇術の妙味がある。

(2013.11.17)


(注)「タネばらしで乾杯できるか?」

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