タネばらしで乾杯できるか?

 最近、奇術(マジック)のタネ明かしをする番組が増えてきている。タネ明かしは、奇術への関心をかき立てる反面、「奇術とはこんなものか」と上っ面だけ見て飽きられるおそれもある。

 奇術のクラブでは、奇術を紹介すると同時にすぐタネ明かしをする。人間心理の意表を巧みについたタネの場合、奇術を見せられて驚き、タネを聞いて(自分自身まんまとひっかかかったことに)また驚かされる。「なんだ、バカバカしい」と言う人は、数分前まで自分も不思議がっていたことを思い出し、人間心理の妙を思うべきである。それが分かっている奇術クラブでのタネ明かしはよしとしても、それでも「タネ明かしするは時間を置いたほうがいいではないか」という意見もある。まして、テレビ番組での無差別のタネばらしは問題が多い。

 余興で奇術を見せた後、せがまれてついタネ明かしをすると、空しさが残ることが多い。それは、タネというのはあくまで素材だからなのだろう。料理でいえば食材だ。腕によりをかけて作った料理を「美味しいですね。食材がいいからですね」と言われても、(いい食材を選んだ目利きは自慢できても)料理の腕を誉められたわけではない。食材を供給した農家や漁師、畜産家が誉められているわけで、他人の考えた奇術のタネ明かしをして悦に入っている奇術師は、その点をわきまえるべきである。

 奇術はパフォーマンスなので、素材であるタネを活かし、自分の個性を味付けし、相手に合わせて面白く料理するところに演じ手の腕があり、味わいがある。安易にタネに頼りがちだが、本当はタネを知って見ていても面白いというべきものなのだ。タネがどうなっているのか考える楽しみ方はある。しかしそれは楽しみ方の1つであって、それだけでは芸として寂しい。

 タネ明かしを強調した番組の弊害か、見ず知らずの人から「これこれこういう手品の『解答』を教えて下さい」というメールが届いたことがある。奇術は謎解きではないし、タネがばれないことを競うものでもない。うんと複雑にすればタネはばれないだろうが、それで面白くなくなれば、演芸の根本からはずれる。

 すぐにタネ明かしをせずに、そっと余韻を味わわせてあげるというのも、思いやりというもの。無差別に問答無用で次々とタネ明かしをする番組に釈然としないのは、その辺にも一因がある。

 ここまで書いて、米国のアボットの大会を取り上げたNHKのドキュメンタリー「地球に乾杯」に出会った。これは、タネ明かしに走る他の番組と実に対照的で、田舎町コロンで毎年開かれる伝統ある奇術コンテストに挑む若手と、温かく見守る観客の姿を通じて、純朴な奇術の楽しみ方が紹介された。ベテランマジシャンの「観客を愛すれば、楽しませることができる」という言葉といい、いかに楽しませ、楽しむかということが根底に流れていた。

 いかにだますか、とか「もろばれ映像」といった表現が多用される日本のタネばらし番組の殺伐さとはうってかわり、実に後味のよいドキュメンタリー。題名どおり、そういう人々と奇術に乾杯したくなる番組だった。(2002.1.12)


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