龍勢見学記


「祭だ、祭だ!」辺りはまるで花見の席のよう。
 時に2000年10月。日本も協力する国際宇宙ステーションISS建造のため、NASA/KSCではスペースシャトル・リフトオフが秒読み段階になっている。

「そういえば、埼玉県の伝統的ロケット花火祭りも今月だったよなぁ。」

 という訳で、早速WWWで資料を集めたワシは、埼玉県吉田町に赴いた。 数年来の関心事であった吉田の龍勢まつりとはどのようなものなのか、 手作りロケット花火とは具体的にどのように作られるのか。その性能とは?
 人類のロケット魂の原点に立返る(?)吉田の龍勢まつりのようすをここにレポートする!
「吉田の龍勢まつり」とは?

 2000年10月、おりしも日本人宇宙飛行士・若田さん搭乗のスペースシャトル・ディスカバリー号は、国際宇宙ステーションISS建造ミッションを 担って発射の時を待っている(10/06予定→10/10に延期)。
 宇宙作家クラブメンバーのあさりよしとお氏、江藤巌氏、笹本祐一氏は、フロリダまでシャトル打上げ取材に出掛けておられるが、 ここ日本の片隅・埼玉県秩父郡吉田町でも伝統的な手作りロケット・龍勢まつりの準備が着々と進んでいた。

 この龍勢まつりは、吉田町にある椋(むく)神社秋の大祭に奉納する神事として受継がれてきたものだが、その起源については諸説がありはっきりとはしていない。
 神話による縁起話では、
「日本武尊が東征の折、道に迷った命は鉾を投げ占った所、鉾が光りながら椋の大樹の脇に落ち、そこに老人の姿の猿田彦命が現れ道案内をした」
という故事がある。この縁起により出来た神社が椋神社で、その故事にならって飛ばし始めたのが龍勢だという。  最初は燃えさしを投げており、やがて火薬が発明されたあと今の形式となった・・・

 ・・・と、まぁこの説がよくある故事神話にからめた起源話であるが、その外にも「戦国のろし説」、「町の発明家説(栗原宮内左衛門とか和尚とか)」もある。  が、古くは天正3年(1575)に椋神社で花火を打ち上げたとか。もともとこの地は、火薬製造に不可欠な硝石の産地でもあり、戦国〜江戸時代にかけて、秩父は 火薬製造の中心地的役割があったそうである。こうして、江戸時代から現在のような龍勢の形ができてきたのである。
 1977年には埼玉県無形民族文化財にも指定され、いまや吉田町の一大観光イベントと化しているのである。

これが龍勢だ!

 龍勢の構造はどんなものなのだろうか? この疑問に答えるのが下図の断面図(得意技)である!


 端的に言えば、巨大なロケット花火そのものである。ノズルに相当する穴に導火線を差し込み、火を点火する。 安定用の竿は竹製であり、約18〜20m。龍勢本体は松材のケーシングに竹のタガを填めたものに燃料の黒色火薬を充填したものである。
 燃料の黒色火薬の混合も吉田町内で調合されるのである。先端部分には「吹っ切り」という穴があけてあり、ここまで火薬が燃焼すると、 この穴より火焔が噴出し、外側に仕掛けた煙幕や落下傘などの「背物」の仕掛を分離作動させるのだ。
各地の龍勢まつり

 で、このような吉田の龍勢祭に似たイベントは他にないのか、というと、これが幾つかある。
日本では、静岡県朝比奈の大龍勢、同じく静岡の草薙龍勢、滋賀県米原の龍勢があり、海外では中国やタイのブーンバンファイで打上げているとか。 こうしてみると、伝統的ロケットは祭と不可分の関係にあり、しかもアジア特に日本に偏在していることが判る。特に日本の龍勢は、「高度」や「仕掛」に凝る傾向があり、 こういった点は、もはやお国柄というより日本民族の根深いところにある傾向、業なのかもしれない。

では当日のようす

 これまでの吉田の龍勢まつりは、10月10日の椋神社大祭にあわせて執り行なわれてきたのだが、昨今の社会的情勢から、平成12年(2000年)からは 10月第2日曜日に変更になった。これはまったく1日前に判明したことであり、WWW情報をチェックしていなかったなら何も無い会場に赴いてうっかり爆ガッカリ する所であった。

 吉田町へのアクセスは、「Web Guide 秩父」に詳しいが、ワシは八王子から八高線で東飯能へ、そこから西部秩父線で終点の西部秩父駅 そこから徒歩で秩父鉄道(SLを営業運行している鉄道!)のお花畑駅に乗り継ぎ、そこから熊谷方面の皆野駅に向かった。
 この皆野駅から吉田町まではほぼ12kmぐらい。駅前のタクシーか臨時バスで椋神社まで向かえばよい。所要時間は八王子から約2時間45分。時刻を選べば、意外に 待合わせロスも少なくスムースに移動できる。
 こうして皆野駅に8:22分に到着。打上げの初弾は9:00と聞いていたので、バスは待たずにタクシーへ。途中タクシーの運ちゃんから色々祭の様子をうかがいつつ、8:40に椋神社に到着した。

 会場に到着してみると、そこはもうお祭り気分一色。境内で参拝を済ませたあと、見物会場に向かってみると、もうそこには大勢の地元関係者や家族がひしめいていた。

「火薬を使うイベントなのに、この緊張感のなさはなんなんだ!」

 というのが正直な第一印象である。爺さんやオヤジには酒が入っていてイイ気分な感じだし、オバサンは手作りの弁当や子供の世話やお天気の お話しや近所の嫁の話などに余念がない。
 一応見学用の安全区域があるが、どこも区域内には碁盤の目のように区画が入っていて、「○□地区龍勢保存会」というような札がかけられている。  まさに地域限定イベント。ワシのようなイリーガルな見物人は道端とか土手とかの差し障りのない場所に陣取るしかない。
 いやぁ、久しぶりに「ムラの圧力」を膚で感じてしまいましたぁ。

 ワシの機材は双眼鏡と2台のデジカメ。今回はタイミングが重要なので、もはや骨董品であるオリンパスのOM-1(Nすらない初号機!)を 持っていこうかと思ったが、あいにく望遠レンズもないので断念。種子島と同じく、コリメート式で撮影する事にした。  あぁ、なんという体たらくでしょう! いつからこんな写ればいいや的な発想になってしまったのか・・・やはり「写るんです」の あたりからかなぁ・・・・
 とか思いつつ場所を物色・機器をセットアップしていたら、初弾の口上が始ってしまった!

 龍勢は、あくまで神事としての椋神社奉納なので、リフトオフ・・・というより打上げという言葉が相応しいが、その前には その龍勢の諸元を皆に口上する必要がある。要は、製造元である流派、仕掛、スポンサーがいればそのスポンサー、祈念するお願い等を、

「東西、トーザイ! ここに掛け置く龍の次第は・・(ややあって)・・これを椋神社にご奉納」

 と声高らかに読上げるのである。そりゃあそうだ、お祭りだからね。実はコレが制作者の晴舞台でもあったりするのだ。


龍勢の発射用やぐら。見物席から数百m向こうの山すそに建てられている。

口上をうたうやぐら。太鼓等の鳴物入りだ。
これは神社の脇に設置されている。

龍勢、空に舞う

 で、口上の終りである「・・・・椋神社にご奉納!」という叫びと共に、20mはあろうかという導火線に点火される。
タクシーの運ちゃんの話だと、この点火作業は昔は各流派それぞれが行なっていたそうだが、最近になって「県の職員」が一手に 引受けることになったそうである。安全対策なのか、責任の所在を明確にするためなのか、詳細は残念ながら不明だが、この人物が またいかにも官僚機構の歯車然とした態度で点火するものであるから、きっちりスケジュール通りに龍勢が打ち上がる。
中には、口上の途中で時間が来て点火されたり、口上が終って数分してから点火したりと、見物人のブーイングの的になっていた。

 だが、その律儀な正確さは撮影者にとっては実に有難いものがある。打上げは15分間隔なので、その間にアングルとか決めればよいし、 なにしろ電力消費の烈しいデジカメの電源を入れるタイミングがわかるだけでももうけ物であった。

 では、その龍勢の写真を見てみよう。今回はタイミングを合わせるのが難しかった。なにしろ、龍勢に着火してから飛立つまでの 時間がそれぞれの流派や個体によってまちまちなので、カンに頼らざるを得ないのだ。


初弾の龍勢。新雲流だそうである。
発射するも、すぐに失速して墜落した

翼天飛流の龍勢。これは点火後いきなり急上昇した。
仕掛も成功し、高得点が期待できる。

 さて、この龍勢は審査会によって審査される。仕掛に点火し動作する「荷の放し具合」「安全対策」「背負物内容」 「上昇高度」「特別加点」によって得点が決められるのだ。
 ただし、上昇高度は300mを越えれば満点になるそうである。なんと、この龍勢の上昇高度は200m以上、平均300mで 最も高いものは500mを越えるものもあるのだ。
 安全対策としては、やはり落下傘が基本。燃焼の終った龍勢をいかに安全に落下させるかが得点になる。
 さて、ここで言う「荷」とか「仕掛」というのは、例の花火見学の展示品と同じように落下傘、唐笠、煙幕等による パフォーマンスの事である。 中には竹で作られた胴体からも煙幕を出す仕掛も披露されていた。

成功した龍勢の打上げ瞬間。

櫓の上で自爆する龍勢。
専門用語で「筒撥ね」という。

「仕掛」がうまく作動した龍勢。
パラシュート、煙幕、花火の星などが披露される。

 龍勢の発する音は、この距離から見た場合、おおむね「ロケット花火」そのものの音がしている。つまり、「シュルシュル」や 笛ロケットのように「ピュ−」というような音を発して昇っていくのだ。噴射炎の速度が低いので、H-IIのような烈しい音は聞えない。 自爆する龍勢にしても、「ぽかーん」というような音で、思った程気に障るような音ではなかった。


打ち上がったが仕掛が作動しない龍勢。
無念の落下である。
専門用語で「背負い下ろし」という。

点火したが発火しない龍勢。
もっとも「イヤーン」なパターンである。
10分後に決死の係員が再度導火線をつけたが、自爆。

龍勢の作り方とは?

 さて、ワシが最も関心のあるのが「龍勢の作り方」。これは、椋神社から皆野側に500mほどの所にある「龍勢会館」にその総てが展示されている。
入館料は\300であり、中は各流派の「打ち上がった」龍勢本体の展示や、日本各地の龍勢の模型が展示されていた。
 龍勢つくりで不可欠なのが黒色火薬であるが、この主原料である硝石(硝酸カリウム)は、昔はなんと吉田町の民家の床下から採取していたのだという!
 ・・・なんか変な所から採取するのだが、ようするに水溶性の硝酸カリウムは雨に流れてしまうので、あまり雨のかかっていない床下の土から抽出するという。
 この土を水に溶かし、木灰で中和しつつ硝石の結晶を取出すのだそうで、なんかイケナイ薬物の抽出みたいである。(実際火薬の原料なのでイケナイのは確か)
 今はさすがに合成品とか使っているとおもうが、最近この昔ながらの方法で硝石を抽出したとのこと。そして、これがその実物である。


結晶化した硝石。
やっぱりこの印象は「ヤク」。

 これを砕いて臼引きして粉末にし、さらに副原料である木炭やイオウも粉にして、約10:2:1に調合すると黒色火薬の出来上り。
 でも、このメイキングビデオみたら、路地にテントはった下で数人が素手で調合しているんですよ。  調合は多分梅雨時で、かつ「しとり」という日本酒を霧状に噴霧しながら湿り気を与えての混合により、摩擦発火はまぬがれている様子である。
 そういえば、以前探訪した花火会社の話でも、火薬調合は梅雨〜夏で、冬に乾燥させて翌夏に組立・打上げをするそうである。

 ついで、火薬を松の木筒に充填するのであるが、これを専門用語で「火薬をきめる」というのだそうだ。「ヤクをキメる」の語源は、なんと 江戸時代の昔までさかのぼれるのか! もっともここでの「きめる」は、「きめこみ細工」にある「きめ」と同じ語源だと思うが。

 で、用語だけでウケてはいけない。そのキメ方もかなりキテる。なんと、火薬を定量いれたあと、樫の木の「きめ棒」なる棒を挿入し、木槌で

思いっきりガンガンたたき込む!
(しかも2名で)

 んでしゅよまったくもお! よく爆発しないなぁ。 これは、先程の「しとり」である日本酒の水分と、樫でできたきめ棒により摩擦熱発生を 押えているためのようだ。 実に微妙なバランス。 こりゃ、よい子がマネすると最初の一撃であの世へイッチャウこと請合いの工程である。
 その後のノズル作りも、木工用ドリルでぐりぐりと作成。全体的に摩擦熱が発生しそうな部分が多いのだが、松材とかその辺に秘密があるので あろうなぁ。

龍勢会館にあった向井、毛利、若田各宇宙飛行士の色紙とペンシルロケット模型
手前にはHYFLEX等の資料も

その他雑感

 という訳で、色々と面白い所がある龍勢まつりなのであるが、先のタクシー運転手の話ではないが、だんだんと安全性を危惧する動きも あり、おいそれとは龍勢開発もできなくなってきているようである。 例えば、以前は火薬の具合を確認するため、小さな龍勢(ロケット花火の2倍程度)を 自由に上げられたが、今は規制がかかっているとか。


龍勢を担いで練歩く若衆。
欧米なら Unbelievable! な光景である

 それは、たとえばこの写真をみても判るだろう。神社への奉納だから御輿のように練歩きたいとはいえ、

5kgほど火薬の装填された花火を担いで練歩く、しかも見物人の脇を


というのは県の関係者から見たらそりゃぁ心胆凍りつくのもうなずける道理。手前にならんだ爺さん連はアルコールでキメているので、そんな危惧なんか ハナからない。

 こうしてみると、これが日本人のデフォルトのリスク意識なんだなぁ、とふと思う。
「これまではこれで安全だった、だから大丈夫」とか、
「統領の腕がいいから安全」とか、
「県の指示にしたがってんだから大丈夫」とか、
なんかどこかの臨界事故直前の構図と同じじゃないですか。いや、この町の人が特別うんぬんというのではなく、日本人として。

 つまり、我々日本人にとっての危機感覚というのは実にあいまいなもので、通常の思考の中からはすぐにかき消されてしまううたかたのようなものであると。
 想像力がないというか、あまり「本当に怖いもの」を考えたくないんですね、きっと。だって、考えると不安になるから。
 その不安をこれまでの実績に鑑みて納得したり、誰かの技量や御墨付に当てはめて胸を撫で下ろす。こうして不安は解消し、みんなハッピーとなる。
 そして、いざ事故がおこった場合はというと、
「これまでの実績からは考えられない」とか、
「技術への過信があった」とか、
「これを許可した県が悪い」とか、
やっぱり攻撃の対象は自分以外なんだよなぁ。 つまり、「自立して考える私」というのが欠如しているんですよ。
 いい年のオヤジからしてこうだから、若者だってその伝統を引継いでいるわけで、若者の主体性のなさは今に始っているものではない、 日本の伝統的文化に根ざすものなのだ・・・・・と、このシーンを見て思いました。

で、私はというと

コレが火ィ吹いて見物人の中に突っ込んで炸裂したらすごいだろうなぁ、ドキドキとか、

打ち上がったヤツがこっちに向かって飛んできたら何処へ隠れようか、ワクワクとか

考えてました。(私のリスク感覚)
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